幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

(患者を生きる:2963)がん おひとりさま:4 「さいごまで自分らしく」 "ブログで繋がる”

2016-01-08 14:41:52 | 生き方/考え方
http://digital.asahi.com/articles/DA3S12148938.html?rm=1502016年1月8日

 乳がんに続いて、子宮体がんが新たに見つかり、手術を受けた東京都杉並区に住む会社員の女性(49)は2012年8月下旬、抗がん剤治療を受け始めた。9月からは会社勤めも再開した。

 抗がん剤の影響で、全身の倦怠(けんたい)感やしびれのほか、食べ物の味がしないなどのさまざまな副作用に襲われたが、「クビにならないように」と仕事をするのに必死だった。「がんになっても働けると証明してやる」という思いもある。その一方で、働けることへのありがたさも感じていた。

 12年11月。抗がん剤治療の4回目は、特に副作用がひどく、冷蔵庫から水を取り出すのさえ難しい日があった。ほとんど飲まず食わずで寝て過ごす日々。会社も10日間ほど休まざるを得なかった。

 抗がん剤治療は約4週間の間隔で計6回。治療は翌年1月まで続いた。治療中、「寂しい」とは思わなかったが、病気との闘いは孤独だ。当時はブログを書くことが日課のようになっていた。

 「私はまだ、ブログを通して多くの人に支えられ、働く職場もあって、社会とつながっていると思うので、何とか保っていられる」「どこかでひとりで病気治療にあたっている人の孤独を考えると辛いです」。そう書き込んだこともあった。

 抗がん剤治療をためらっていたとき、「治療はしてください 生きてください」とメッセージを残してくれた人もいた。

 自分の体験や思いを伝えるブログは今も続けている。多くの人が閲覧しているわけではないが、「私の言葉でないと、響かない人がいると思うから続けている」と言う。

 抗がん剤治療も無事に終え、現在は乳がんの再発防止の薬を飲み続けている。検査などのため、3カ月に1度は病院に通う。

 今やおひとりさまでがんになることは、決して特別ではない。

 二つのがんを経験し、お金や生活で困ったことはあった。でも、病気になったのは自分のせいでも誰のせいでもない。「これは自分が歩んできた道なんだ」と受け止めている。

 そして、今はこう思う。「さいごまで自分らしく生き切るんだ」(田内康介)

感想
ブログでの人との繋がりが支えになったと思います。
ネットでは誹謗中傷があるかと思えば、人が人を支えることもあります。
働くことはしんどい面もありますが、社会とと繋がっている、社会に貢献している場でもあります。
働けなくなった時、働けることのありがたさを感じます。

病気も同じで、病気になった時、健康な時のありがたさを感じます。
がんになり、死ぬかもしれないと思うと、生きていることがありがたく感じます。
自分らしく生きるとは、「自ら誇りを持ち続けて生きる」ことのように思います。

(患者を生きる:2962)がん おひとりさま:3 入院の保証人、自ら代筆 ”一人で生きる不便さ”

2016-01-08 14:40:54 | 生き方/考え方
http://digital.asahi.com/articles/DA3S12147326.html?rm=150 2016年1月7日


 乳がんの手術を経験した東京都杉並区の女性(49)は2012年7月上旬、検査で新たに子宮体がんであることがわかった。働きながら一人暮らしをしてきたが、「また会社を辞めなくてはならないかも」と不安を感じていた。

 しかし、6月に就職した会社の上司(38)は「体調をみながら、復帰できる時に復帰してくれればいい」と病気に理解を示してくれた。

 「がんであっても体調さえ戻れば仕事で成果を出してくれる」。上司はそう期待してくれた。

 自分には戻る会社がある――。そのことが大きな励みになった。

 7月下旬。子宮や卵巣を摘出する手術を受けた。体を起こそうとすると、手術した部位の周辺が痛む。病室のベッドは背中の角度を手動で変えるタイプ。起き上がらせてくれたり、元に戻してくれたりする付き添いはいない。看護師に頼むにも気が引けた。

 ベッドに体を起こしたまま、ぽつんと座っていることもあった。「お手伝いさんがいればなあ」。そんなことを思った。

 8月中旬、手術中に採った組織の病理検査結果を聞く日がきた。JR東京総合病院の主治医、北條智さん(52)からは「家族の人に来てもらってください」と言われた。石川県にいる妹(47)や弟(43)は都合がつかなかった。仕方なく、1人で結果を聞いた。

 がんは子宮頸部(けいぶ)などに広がっていた。がんの進行の度合いは、当時の基準でステージ3。北條さんには「術後の補充療法として抗がん剤を用いた化学療法をお勧めします」と言われた。仕事を休まざるを得ない状態になる可能性があることも伝えられた。

 女性はいったん治療を断った。「治療費がかかるうえ、仕事もできなければ、どうやって生きていくのか」。そんな思いからだ。それでも、会社の上司は仕事の継続を認め、「つらくなったら休んでもいい」と言ってくれた。悩んだ末、抗がん剤治療を受ける決心をした。

 ただ、抗がん剤治療のための入院で保証人の署名が必要だった。

 石川県にいる妹たちに書いてもらうのも大変だ。病院の近くで、妹の姓と同じ三文判を買った。承諾を得た上で、署名を代筆するしかなかった。(田内康介)

感想
仕事の上司が仕事を優先する人が、人を優先する人かによって対応が異なりますね。
休みが多いと、人を優先する上司でも仕事に支障をきたしますので悩みます。

前にある派遣さんが朝が起きられない方でした。
そのため当日休暇が月に3日~4日ほどや遅れてくることが月にやはり4日~6日ほどありました。
派遣さんなので、これだと理由にしてすぐに派遣契約を解除することができます。
しかし、これだと次の派遣先が見つかるとは思えません。
本人に何度も話し合いしながら、6か月ほど改善を期待しましたが効果なく、やむなくその方の派遣を更新しませんでした。
仕事は早くて意欲が高かったのですが・・・。

ある病院に予約して行きました。
私の前の患者さんと先生の話が聞こえてきます。
手術が必要。手術の保証人として家族のサインが必要。
でもその方は保証人は母親だけで、母親には保証人になって欲しくないと。
病院は保証人のサインがないと手術はできない。
その話で30分以上話されていました。
私の予約時間が30分過ぎています。
先生は、次の予約があるので、それが終わってからまた話しましょうと。
ですので、その後どうなったのかわかりません。

一人の場合、いろいろなところで不便があるのでしょう。
部屋を借りる。保証人が必要になります。
収入がないと保証人にはなるには難しいです。
いずれ収入がなくなります。
これまで山を登って来て、尾根を歩いていましたが、下山になりました。
登る楽しみ、尾根から見る景色の楽しみ、できたら下山の楽しみも見つけたいです。