川崎いのちの電話市民活動講座
日時;2016年1月16日(土)15時00分~16時30分
場所;エポック中原(武蔵中原) 900人の会場に600~700人来場
平成27年度かわさき市民公益活動助成金事業
内容;
私の話を聴かれた方は何人くらいいらっしゃいますか?その中で今日のテーマの話を聴かれた方はどうでしょう?この話を聴かれた方は数人なのでさせていただきます。二度聴くのも乙なもので、受け取り方も異なるかもしれませんし。
何度も話しているテーマ。この歌の詩を書いたもんだから。45年前。1965年結成、1967年解散フォーククルセイザーズ。加藤和彦(作曲)と一緒に作った。
老いて来た。仕事を制限していかないといけない。NHKからの紅白歌合戦出演を3回断った。1回目は解散したばっかり。解散したのに結成して出るのもおかしいと思った。次はイムジン川が話題になった時。アルフィーの坂崎が出演拒否していたので、僕らも拒否。3回目は審査員でどうか?と話があった。でもその話は立ち消えになった。家内は紅白を見に行きたいと何度も言っている。紅白に出たら家族の入場券が貰えるかはまだ確認しえいないが。次に話があったら尋ねようと思う。まあ、話はないでしょうが。
最後の仕事は臨床活動だと思っている。患者さんを診て。それが生きがい。患者さんの役に立ちたい。もう皆さんにお会いすることはないかもしれない。でも患者さんで来られたら違いますが。笑 川崎は登戸にある高田病院で勤めていたので近くにいた。良い病院。
不特定多数の人と話をする。ここに来られている人はハッピーな方もそうでない人も。自由意思で来た人も義理で来た人もいる。いろいろな理由。そういう不特定多数に話をするのは好きでない。不特定多数に1回限りではなく、何度も何度も繰り返す。パーソナルなコミュニケーションは1回限りで、特定の方に1回または何度も交流する。私は後者のパーソナルコミュニケーションの方が好き。マスコミに出るよりも、個人と接する方が好き。学生の時はマスコミの人に接することがあった。でも好きじゃないから止めた。1回限りの特定な濃厚な出逢い。それが一番大事。現代人はそれを忘れているのではないか。誰が不倫しようが、どうでもよい。お客様は神様であるとは口が裂けても言えない。今日一所懸命やります。一生懸命やるから疲れる。
浮世絵に関心を持った。九州大学でお金を集めなければならない。それで何かテーマを決めなければならない。浮世絵を人間関係の記録として捉えられないか。江戸時代の人間関係の記録は少ない。写楽の寄り目の男性の一人。絵がチグハム、狂っている。浮世絵を素材して扱ってみた。美人画がたくさんある。美人画に無数の母子像。母子関係が人間関係の原点である。言動の始まりは母子関係にある。母子関係が原点である。田中 優子さん(法政大学学長)という江戸学者に尋ねた。江戸時代は多くのお母さんが亡くなった。おばさんやお姉さんに育てられた人が多くいた。モデルが遊女。お母さんが皆な美人とは限らない。お母さんが母親役をやるとはかぎらない。米国ではお母さんに限らないのでCARE GIVERと呼んでいる。
1800年代は写真もビデオもなかった。浮世絵。これがムチャクチャ大切。春画ばっかり見ているのでなく。笑 470組を集めた。そうすると傾向がわかって来る。浮世絵は西洋の影響を受ける前の状況。鎖国していた時代。今は西洋の影響を受けている。当時の落語はお父さんと子どもの話がでてくる。浮世絵は芸術家。大衆の要望で、芸術家の感性で描いた。
橋の上に2組の母子。何かを追いかけている絵。何かを追いかけているのが絵に出てくる。判で押したように。まあ、版画なので版で押しているが。笑
菊の花びらを持って母子で見ている。出てくる男の子の顔がひねている。これは女子学生が発見した。買い手も描いているのも男。女流絵師はものすごく少なかった。浮世絵には男の子が多い。男の子は描き手の自分をイメージさせている。お母さんが美人。肌を少し肌蹴ていてエロっぽさも入っている。絵札が描かれている。何で描かれているのか。春画は性教育の役割も担っていた。
風車と母子(歌麿)。身体的交流も描いている。インドで、その前はハワイで、その前はベルリンで話をしてきた。肩を並べてつながりを保っている。身体接触が描かれている。共に奏でる。大人でも身体接触が多く描かれている。春信は男も女も同じ顔。一緒に三味線を弾きながら身体接触を行っている。
面白いものを共に眺める。この構図はたくさん出てくる。肩を並べる。身体接触がある。二人を仲介するモノが何度も登場する。帰り道、今日のきたやまの話はあほみたいやったな。つまり私が二人を取り持っていることになる。なかなか良いことを言っているでしょう。NHKのことを取り上げていたらNHKから声がかからなくなった。
これらを分類した。先ずは“一体”。何も介在せずにおっぱいを吸っている。歌麿。お母さん遊女(髪型で)。ひねた子どもがおっぱいを吸っている。子どもがちょっとこっちを見ている。
“並行” 母子を並行関係として描いている。同じ方向を見ている並行。お母さんは団子を作っている。子どもは団子を見ている。傍にお母さんが。お互いが意識している。これを海外に見せると、日本はこのようにして技術を見せているのかと驚かれる。これがなくなりつつあるのではないか。父親、母親、子どもが違う番組を見ている。並行でない。当時は同じものを共有していた。
“共視”は浮世絵に50%もある。共に眺める。芸術家が面白いと思って描いた中の50%が共に眺める。科学者ではなく、芸術家が言っている。「***はあります」と科学者が言っているより真実味がある。お母さんは言葉を教えるとか役割とかある。
お父さんが登場する絵は、色彩がなく白黒。色気がない。風船玉売りの浮世絵。風船玉売りと子どもたち。つないでいるのが風船。
沖に見える船。父子。子どもを眺める夫。夫婦を取り持つこども。
一緒に見るのは横のつながりを保つ。ケーキなど皆を取り持つ仲介物。明治に入るとお父さんが育児に参加する。それまでには母子関係のような浮世絵はない。
菊を眺めている男女。お互いの関係を表している。愛しているとは口が裂けても言わない。「今日は月がきれいだね」。「そうですね」。何かを仲介して二人の関係を表現する。夫婦は向き合うよりも同じ方向を見ている。日本人はこの関係が好き。同じものを眺めて、今日は寒いね。お前はきれいだねとは絶対言わない。
1960年代になって映画に出てくる。「東京物語」熱海で同じ海を眺めている。夫婦は何も言っていない。カップルがベンチでバスの方向を無言で見ている。これが夫婦。もし会話があると不倫関係。瀬戸内海を笠智衆、原節子が同じ方向を眺めている。日本では横のつながりを感じさせている。横のつながりに価値を置いている。海外でも同じ視点の人がいる。
Joint attention J.ブルーナー。文化の継承。
同じものを眺めている。お母さんのももに触れながら、お母さんが桃を剥いている。ももが掛詞になっている。また桃はお母さんの乳房にもつながっている。
二者間外のつながり。傘に開いた穴を母子で見ている。腕で子どもを抱えている身体的接触。世界の心理学者に言わせると、もっとも意味のないものを見ている。ところが傘に開いた穴を見ている。しょうもないことをわあわあ言いながら生きている。
上村松園(女流画家)。この母子が何を見ているかを描いていない。センターにあるのは横のつながり。京都の土間の色が描かれている。上村は10作品の母子像を描いている。上村は歌麿の絵を見ずに書いているなら、それは日本人が継承しているもの。こんなんばっかり。僕が証明した。誰も聴いてくれない。笑
対象の特性;浮かんで消える。ものの憐れ。はかなさ。蛍とか。ない/あっただけでなく、あった/ない。これは死生観と重なる。ゆっくり消えることは美しい。死んでいく。浮世はやがて消えて行く。桜 つなぎ、開き、そして消える。『切り結結び』。シャボン玉。「つながり」の中で学ぶ。人生の意味「はかない」。やがて消えるから美しい。日本人が持っている感性。美人が年月が経つと変わる。人生は短いからこそ、限りあるからこそ素晴らしい。
美しゅうて、やがて悲しき浮き世かな おもしろうてやがてかなしき 松尾芭蕉作
「はかない」の意味が「有り難い」いつまでもあると思うな親とカネ。存在することが難しいから感謝。やがて消える。だから今を大事にする。育児は母親の責任った。⇒大変!生きることの大切さを教える。
西洋の母子像はほとんどない。聖母像がある。さくらやホタルをみていない。ぼうと眺めている。マリアは死んでいく子ども(イエス・キリスト)を知っていたので子どもから目をそらしている。
母親は侵入者を確認している。父親を見上げる。⇒強い父親。濃厚な母子関係は次の子が生まれると終わる。この母子関係が終わることを教えられない。「おかあさんといっしょ」 の番組はあるが、お母さんと離れる番組はない。
「和」は維持される。裏で皆がつながっている。いじめは横のつながりに参加されないから。「和」は維持される。ウサギまでJOIN attention。サルの絵まである。
このことに気付いた青年は二十歳だった。「同じ花を見て美しいと言った心と心が今はもう繋がらない」。ウオークマンがつながりをなくしたのではと、ソニーがやったから、ソニーの責任だとソニーの人に言ったら、ソニーの人が「アイワもやった。東芝もやった」。笑
和の崩壊と維持についてお話をしました。
http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/anosubarashiiaiwo.htmlより
命かけてと 誓った日から すてきな想い出 残してきたのに
あの時 同じ花を見て 美しいと言った二人の 心と心が 今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度 あの素晴らしい愛をもう一度
Q1)きたやま先生が作詞をされ、杉田二郎さんが歌われた。この関係性は今はどうなっているのか?
A1)今も歌作りを一緒にやっている。杉田二郎から5曲くらい来て、それに詩を付けている。それを歌っているシンガーがいてくれる。ただ、昔みたいにヒットしない。笑 歌は作るのが楽しいから作っている。加藤和彦とも一緒に作った。彼は逝なくなった。心が通わなくなった。それを思うと複雑。私の人生は臨床だと言ったけど、人生のための歌を作ることになった、作曲家でありシンガーがいてくれたことに感謝。歌作りに誘ってくれた。杉田二郎の曲は100曲くらい書いた。加藤和彦とは70曲ほど一緒に作った。
フォーククルセイザーズはアマチュアのバンド。加藤和彦は長男でグループは解散することになった。そのLPに入っていたのが「帰って来た酔っ払い」。私がプロヂューサーをやった。300枚レコードを作ったが全然売れなかった。当初買ってくれると言っていたのだが。やはりマスコミに知られないと売れない。そこでプロモーションをした。ラジオ関西の高梨さんが「私が良いと思ったからかけた」と。ラジオで2回かかって知られるようになった。数か月後300万枚売れた。「帰って来た酔っ払い」が何で売れたか。ファン100人を対象に、そこにいる人のために作った。今の歌は特定の誰か対象がない。防人の短歌、松尾芭蕉は特定の人を対象としたラブソング。今は逆転しているのかもしれない。皆のために作っている。歌の時代は終わった。私たちは恋の歌を作ってヒットした。今はCMのために歌が作られている。
Q2) 北山 修詩集『ピエロのサム』の中に「ほら空を見てごらん。クジラが空を飛んでいるよ」を思い出しながら聴いていました。きたやまさんは若い時からおしゃべりだったのか?
A2)ラジオでしゃべっているのを見ていると口先だけ。深夜放送を始めたころ、もう半分止めたい気持ちを持っていた。趣味で初めた。アルフィーみたいに売れなくて売れなくて売れなくてやっていたグループではなく、突然売れた。45年間の歴史を考えると、今の結論は止めて良かった。考える機会が出来た。今日話した体験はありがたいことだった。簡単に起きたことは難しいことだった。価値があることだとわかった。時代、人、ソニーも音楽をやろうとしていたなどいろいろなことがそろってできた。もう一回あるかというと絶対にない。こんなことは若い時には言っていなかった。もし、今日の話に説得力があるならこれまでの仲間のおかげだった。それが今実感できている。生きているのはだれだれのお陰。このお陰とは陰に居る人のお陰である。
感想;
テーマと浮世絵がどう関係しているのかが最後にようやくわかりました。
2人の見つめる方向が異なったのでしょう。
同じものを見つめていれば協力関係が芽生え連帯感を感じます。
しかし、見つめているものが違うと心が通わなくなる。
きたやまさんは浮世絵で自分の感じられたのを発見されたのでしょう。
日時;2016年1月16日(土)15時00分~16時30分
場所;エポック中原(武蔵中原) 900人の会場に600~700人来場
平成27年度かわさき市民公益活動助成金事業
内容;
私の話を聴かれた方は何人くらいいらっしゃいますか?その中で今日のテーマの話を聴かれた方はどうでしょう?この話を聴かれた方は数人なのでさせていただきます。二度聴くのも乙なもので、受け取り方も異なるかもしれませんし。
何度も話しているテーマ。この歌の詩を書いたもんだから。45年前。1965年結成、1967年解散フォーククルセイザーズ。加藤和彦(作曲)と一緒に作った。
老いて来た。仕事を制限していかないといけない。NHKからの紅白歌合戦出演を3回断った。1回目は解散したばっかり。解散したのに結成して出るのもおかしいと思った。次はイムジン川が話題になった時。アルフィーの坂崎が出演拒否していたので、僕らも拒否。3回目は審査員でどうか?と話があった。でもその話は立ち消えになった。家内は紅白を見に行きたいと何度も言っている。紅白に出たら家族の入場券が貰えるかはまだ確認しえいないが。次に話があったら尋ねようと思う。まあ、話はないでしょうが。
最後の仕事は臨床活動だと思っている。患者さんを診て。それが生きがい。患者さんの役に立ちたい。もう皆さんにお会いすることはないかもしれない。でも患者さんで来られたら違いますが。笑 川崎は登戸にある高田病院で勤めていたので近くにいた。良い病院。
不特定多数の人と話をする。ここに来られている人はハッピーな方もそうでない人も。自由意思で来た人も義理で来た人もいる。いろいろな理由。そういう不特定多数に話をするのは好きでない。不特定多数に1回限りではなく、何度も何度も繰り返す。パーソナルなコミュニケーションは1回限りで、特定の方に1回または何度も交流する。私は後者のパーソナルコミュニケーションの方が好き。マスコミに出るよりも、個人と接する方が好き。学生の時はマスコミの人に接することがあった。でも好きじゃないから止めた。1回限りの特定な濃厚な出逢い。それが一番大事。現代人はそれを忘れているのではないか。誰が不倫しようが、どうでもよい。お客様は神様であるとは口が裂けても言えない。今日一所懸命やります。一生懸命やるから疲れる。
浮世絵に関心を持った。九州大学でお金を集めなければならない。それで何かテーマを決めなければならない。浮世絵を人間関係の記録として捉えられないか。江戸時代の人間関係の記録は少ない。写楽の寄り目の男性の一人。絵がチグハム、狂っている。浮世絵を素材して扱ってみた。美人画がたくさんある。美人画に無数の母子像。母子関係が人間関係の原点である。言動の始まりは母子関係にある。母子関係が原点である。田中 優子さん(法政大学学長)という江戸学者に尋ねた。江戸時代は多くのお母さんが亡くなった。おばさんやお姉さんに育てられた人が多くいた。モデルが遊女。お母さんが皆な美人とは限らない。お母さんが母親役をやるとはかぎらない。米国ではお母さんに限らないのでCARE GIVERと呼んでいる。
1800年代は写真もビデオもなかった。浮世絵。これがムチャクチャ大切。春画ばっかり見ているのでなく。笑 470組を集めた。そうすると傾向がわかって来る。浮世絵は西洋の影響を受ける前の状況。鎖国していた時代。今は西洋の影響を受けている。当時の落語はお父さんと子どもの話がでてくる。浮世絵は芸術家。大衆の要望で、芸術家の感性で描いた。
橋の上に2組の母子。何かを追いかけている絵。何かを追いかけているのが絵に出てくる。判で押したように。まあ、版画なので版で押しているが。笑
菊の花びらを持って母子で見ている。出てくる男の子の顔がひねている。これは女子学生が発見した。買い手も描いているのも男。女流絵師はものすごく少なかった。浮世絵には男の子が多い。男の子は描き手の自分をイメージさせている。お母さんが美人。肌を少し肌蹴ていてエロっぽさも入っている。絵札が描かれている。何で描かれているのか。春画は性教育の役割も担っていた。
風車と母子(歌麿)。身体的交流も描いている。インドで、その前はハワイで、その前はベルリンで話をしてきた。肩を並べてつながりを保っている。身体接触が描かれている。共に奏でる。大人でも身体接触が多く描かれている。春信は男も女も同じ顔。一緒に三味線を弾きながら身体接触を行っている。
面白いものを共に眺める。この構図はたくさん出てくる。肩を並べる。身体接触がある。二人を仲介するモノが何度も登場する。帰り道、今日のきたやまの話はあほみたいやったな。つまり私が二人を取り持っていることになる。なかなか良いことを言っているでしょう。NHKのことを取り上げていたらNHKから声がかからなくなった。
これらを分類した。先ずは“一体”。何も介在せずにおっぱいを吸っている。歌麿。お母さん遊女(髪型で)。ひねた子どもがおっぱいを吸っている。子どもがちょっとこっちを見ている。
“並行” 母子を並行関係として描いている。同じ方向を見ている並行。お母さんは団子を作っている。子どもは団子を見ている。傍にお母さんが。お互いが意識している。これを海外に見せると、日本はこのようにして技術を見せているのかと驚かれる。これがなくなりつつあるのではないか。父親、母親、子どもが違う番組を見ている。並行でない。当時は同じものを共有していた。
“共視”は浮世絵に50%もある。共に眺める。芸術家が面白いと思って描いた中の50%が共に眺める。科学者ではなく、芸術家が言っている。「***はあります」と科学者が言っているより真実味がある。お母さんは言葉を教えるとか役割とかある。
お父さんが登場する絵は、色彩がなく白黒。色気がない。風船玉売りの浮世絵。風船玉売りと子どもたち。つないでいるのが風船。
沖に見える船。父子。子どもを眺める夫。夫婦を取り持つこども。
一緒に見るのは横のつながりを保つ。ケーキなど皆を取り持つ仲介物。明治に入るとお父さんが育児に参加する。それまでには母子関係のような浮世絵はない。
菊を眺めている男女。お互いの関係を表している。愛しているとは口が裂けても言わない。「今日は月がきれいだね」。「そうですね」。何かを仲介して二人の関係を表現する。夫婦は向き合うよりも同じ方向を見ている。日本人はこの関係が好き。同じものを眺めて、今日は寒いね。お前はきれいだねとは絶対言わない。
1960年代になって映画に出てくる。「東京物語」熱海で同じ海を眺めている。夫婦は何も言っていない。カップルがベンチでバスの方向を無言で見ている。これが夫婦。もし会話があると不倫関係。瀬戸内海を笠智衆、原節子が同じ方向を眺めている。日本では横のつながりを感じさせている。横のつながりに価値を置いている。海外でも同じ視点の人がいる。
Joint attention J.ブルーナー。文化の継承。
同じものを眺めている。お母さんのももに触れながら、お母さんが桃を剥いている。ももが掛詞になっている。また桃はお母さんの乳房にもつながっている。
二者間外のつながり。傘に開いた穴を母子で見ている。腕で子どもを抱えている身体的接触。世界の心理学者に言わせると、もっとも意味のないものを見ている。ところが傘に開いた穴を見ている。しょうもないことをわあわあ言いながら生きている。
上村松園(女流画家)。この母子が何を見ているかを描いていない。センターにあるのは横のつながり。京都の土間の色が描かれている。上村は10作品の母子像を描いている。上村は歌麿の絵を見ずに書いているなら、それは日本人が継承しているもの。こんなんばっかり。僕が証明した。誰も聴いてくれない。笑
対象の特性;浮かんで消える。ものの憐れ。はかなさ。蛍とか。ない/あっただけでなく、あった/ない。これは死生観と重なる。ゆっくり消えることは美しい。死んでいく。浮世はやがて消えて行く。桜 つなぎ、開き、そして消える。『切り結結び』。シャボン玉。「つながり」の中で学ぶ。人生の意味「はかない」。やがて消えるから美しい。日本人が持っている感性。美人が年月が経つと変わる。人生は短いからこそ、限りあるからこそ素晴らしい。
美しゅうて、やがて悲しき浮き世かな おもしろうてやがてかなしき 松尾芭蕉作
「はかない」の意味が「有り難い」いつまでもあると思うな親とカネ。存在することが難しいから感謝。やがて消える。だから今を大事にする。育児は母親の責任った。⇒大変!生きることの大切さを教える。
西洋の母子像はほとんどない。聖母像がある。さくらやホタルをみていない。ぼうと眺めている。マリアは死んでいく子ども(イエス・キリスト)を知っていたので子どもから目をそらしている。
母親は侵入者を確認している。父親を見上げる。⇒強い父親。濃厚な母子関係は次の子が生まれると終わる。この母子関係が終わることを教えられない。「おかあさんといっしょ」 の番組はあるが、お母さんと離れる番組はない。
「和」は維持される。裏で皆がつながっている。いじめは横のつながりに参加されないから。「和」は維持される。ウサギまでJOIN attention。サルの絵まである。
このことに気付いた青年は二十歳だった。「同じ花を見て美しいと言った心と心が今はもう繋がらない」。ウオークマンがつながりをなくしたのではと、ソニーがやったから、ソニーの責任だとソニーの人に言ったら、ソニーの人が「アイワもやった。東芝もやった」。笑
和の崩壊と維持についてお話をしました。
http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/anosubarashiiaiwo.htmlより
命かけてと 誓った日から すてきな想い出 残してきたのに
あの時 同じ花を見て 美しいと言った二人の 心と心が 今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度 あの素晴らしい愛をもう一度
Q1)きたやま先生が作詞をされ、杉田二郎さんが歌われた。この関係性は今はどうなっているのか?
A1)今も歌作りを一緒にやっている。杉田二郎から5曲くらい来て、それに詩を付けている。それを歌っているシンガーがいてくれる。ただ、昔みたいにヒットしない。笑 歌は作るのが楽しいから作っている。加藤和彦とも一緒に作った。彼は逝なくなった。心が通わなくなった。それを思うと複雑。私の人生は臨床だと言ったけど、人生のための歌を作ることになった、作曲家でありシンガーがいてくれたことに感謝。歌作りに誘ってくれた。杉田二郎の曲は100曲くらい書いた。加藤和彦とは70曲ほど一緒に作った。
フォーククルセイザーズはアマチュアのバンド。加藤和彦は長男でグループは解散することになった。そのLPに入っていたのが「帰って来た酔っ払い」。私がプロヂューサーをやった。300枚レコードを作ったが全然売れなかった。当初買ってくれると言っていたのだが。やはりマスコミに知られないと売れない。そこでプロモーションをした。ラジオ関西の高梨さんが「私が良いと思ったからかけた」と。ラジオで2回かかって知られるようになった。数か月後300万枚売れた。「帰って来た酔っ払い」が何で売れたか。ファン100人を対象に、そこにいる人のために作った。今の歌は特定の誰か対象がない。防人の短歌、松尾芭蕉は特定の人を対象としたラブソング。今は逆転しているのかもしれない。皆のために作っている。歌の時代は終わった。私たちは恋の歌を作ってヒットした。今はCMのために歌が作られている。
Q2) 北山 修詩集『ピエロのサム』の中に「ほら空を見てごらん。クジラが空を飛んでいるよ」を思い出しながら聴いていました。きたやまさんは若い時からおしゃべりだったのか?
A2)ラジオでしゃべっているのを見ていると口先だけ。深夜放送を始めたころ、もう半分止めたい気持ちを持っていた。趣味で初めた。アルフィーみたいに売れなくて売れなくて売れなくてやっていたグループではなく、突然売れた。45年間の歴史を考えると、今の結論は止めて良かった。考える機会が出来た。今日話した体験はありがたいことだった。簡単に起きたことは難しいことだった。価値があることだとわかった。時代、人、ソニーも音楽をやろうとしていたなどいろいろなことがそろってできた。もう一回あるかというと絶対にない。こんなことは若い時には言っていなかった。もし、今日の話に説得力があるならこれまでの仲間のおかげだった。それが今実感できている。生きているのはだれだれのお陰。このお陰とは陰に居る人のお陰である。
感想;
テーマと浮世絵がどう関係しているのかが最後にようやくわかりました。
2人の見つめる方向が異なったのでしょう。
同じものを見つめていれば協力関係が芽生え連帯感を感じます。
しかし、見つめているものが違うと心が通わなくなる。
きたやまさんは浮世絵で自分の感じられたのを発見されたのでしょう。