幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

「愛するということ」 エーリッヒ・フロム著 ”愛とは、愛する者の生命と成長を積極的に気にかける”

2016-07-10 02:28:55 | 本の紹介
・性的な乱交の儀式は、多くの場合、原始的な儀式の一部で逢った。人びとはこの集団的な興奮状態を経験した後、しばらくは孤立感にそれほど苦しまずにすんだようだ。やがてすこしずつ不安による緊張感つのってくると、ふたたび儀式が繰り返されて、緊張が解かれるのだった。

・スピノザは感情を、能動的な感情と受動的な感情、「行動」と「情熱」とに分ける。能動的感情を行使するとき、人はは自由であり、自分の感情の主人であるが、受動的な感情を行使するときには、人は駆り立てられ、自分では気づいていない動機の僕である。

・マルクス
「自分の愛が愛を生まないようなものだったら、また、愛する者としての生の表出によっても、愛される人間になれなかったとしたら、その愛は無力であり不幸である」

・愛とは、愛する者の生命と成長を積極的に気にかけることである。この積極的な配慮のないところには愛はない。

・完全に(自分を)知るための唯一の方法は愛の行為である。この行為は思考を、そして言葉を、超越する。愛の行為とは、結合の体験へと思い切って飛び込むことである。ただし、愛の行為によって完全にしるためには、まず思考によって知る、すなわち心理学的に知ることが必要だ。

・配慮、責任、尊重、知はたがいに依存しあっている。この一連の態度は、成熟した人間に見られるものである。

・母親に愛されるというこの体験は受動的である。愛されるためにしなければならないことは何もない。母親の愛は無条件なのだ。しなければならないことといったら、生きていること、そして母親の子どもであることだけだ。

・愛とは、特定の人間にたいする関係ではない。愛の一つの「対象」にたいしてではなく、世界全体にたいして人がどう関かかわるかを決定する態度、性格の方向性のことである。もし、一人の他人だけしか愛さず、他の同胞には無関心だとしたら、それは愛ではなく、共生的愛着、あるいは自己中心主義が拡大されたものに過ぎない。

・もっとも基本的な愛は、兄弟愛である。私のいう兄弟愛とは、あらゆる他人にたいする責任、配慮、尊重、理解(知)のことであり、その人の人生をより深いものにしたいという願望のことである。

・母性愛は子どもに「生まれてきてよかった」と感じさせる。そして子どもに、たんに長く生きたいという望みだけでなく、人生にたいする愛を教える。

・異性愛とは、他の人間と完全に融合したい、一つになりたいという強い願望である。異性愛は排他的である。愛は本質的には、意志に基づいた行為であるべきだ。

・私自身も他人と同じく私の愛の対象になりうる、ということになる。自分自身の人生・幸福・成長・自由を肯定することは、自分の愛する能力、すなわち気づかい・責任・理解(知)に根差している。もしある人が生産的に愛することができるとしたら、その人はその人自身をも愛している。もし他人しか愛せないとしたら、その人はまったく愛することができないのである。

・フロイトによれば、利己的な人は他人を愛することができないが、同時に、自分自身を愛することしかできないのである。

・ルターは自分の根本的主張として、人はどんな行為によっても神の愛を獲得sることはできないと述べた。神の愛は恩寵であり、宗教的態度とは、この恩寵を信じ、自分自身を小さな無力な存在にすることである。

・神への愛とは、思考によって神をすることでも、神への愛について考えることでもなく、神との一体感ん経験sる行為である。

・現代人は自分自身からも、仲間からも、自然からも疎外されている。個々人は集団に密着していることによって身の安全を確保しようとし、考えも感情も行動も周囲とちがわないようにしようと努める。誰もができるだけほかの人びとと密着していようと努めるが、それにもかかわらず誰もが孤独で、孤独を克服できないときにかならずやってくる不安定感・不安感・罪悪感におびえている。

・サリヴァン「愛の本質は協力体制という状態のなかに見られる」

・愛の習練;自分で経験する以外にそれを経験する方法はない。
 ・技術の習練には規律が必要
  気分が乗っている時だけやるのでは絶対に修得できない。
 ・集中が技術の習得にとって必要条件である。
 ・忍耐が必要。
 ・最高の関心を抱く。

・愛の技術の習練には、「信じる」ことの習練が必要なのである。

・自分自身を「信じている」者だけが、他人にたいして誠実になれる。

・他人を「信じる」ことのもう一つの意味は、他人の可能性を「信じる」ことである。

・他人を「信じる」ということをつきつめていけば、人類を「信じる」ことになる。

・愛するということは、なんの保証もないのに行動を起こすことであり、こちらが愛せばきっと相手の心にも愛が生まれるだろうという希望に、全面的に自分をゆだねることである。愛とは信念の行為であり、わずかな信念しかもっていない人は、わずかしか愛することができない。

感想
愛の技術の習練が必要とのこと。
自分を他人を信じること。
愛とは信念の行為。
愛とは、愛する者の生命と成長を積極的に気にかけること。

自分の満足だけを考えているのは愛ではないのでしょう。