この方のおかげで、ルビーの指輪を自分で買いました。
[ルビーの指輪]が12週トップだったのはまだ破られていない。
134万枚のヒット。
19歳の時、ザ・サべージのメンバーとしてバンドに参加した。
「雨あがる」で日本アカデミー最優秀男優賞受賞した。
2人の初対面はサワコさんの実家。父の作品のドラマ化で出演者が集まった。「あひるの学校」の打合せで50数年前。20台の前半だった。
デビューが学生バンド。実は3年連続で高校1年生を体験した。最初は野球で入ることになったがある理由で入れなくて、別の高校に翌年入った。進級できない息子に両親は。父親はそろそろ進級は?母親は進級できないのは人さまにはなかなかできないことだからと赤飯を炊いてくれた。
1曲目エルトン・ジョン「悲しみのバラード」 朝に聴くと癒される曲。
違うバンドに移ったら、人生を変えた人に出逢った。俳優を目指した“きっかけ”になった。
三保さんが「俳優になった方がよい」言ってくれた。そして「黒部の太陽」で俳優デビュー。父は石原さんと仲が良かった。石原プロに入った。渡哲也さんには病気の時も大変お世話になった。29歳で瀕死の重病を経験。胃穿孔で4日間意識がなかった体重が20kg減った。胃を80%取った。元気が20年戻らなかった。友だちは元気に頑張っている。自分はもうだめだなと思った。
「ルビーの指輪」34歳の時134万枚の大ヒット。仕事をセーブした時にできた。
仕事がなく収入がなかったので、自分の作った曲をまとめて、レコード会社の何社かに持って行ってレコード化になった。松本隆さんに作詞をお願いした。松本さんは「木綿のハンカチーフ」の作詞をされていた。作詞の内容のおかげで「ルビーの指輪」が売れた。
ジュエリー協会で感謝状とルビーの指輪をプレゼントしてくれた。そんな大げさな会だと思わなかった。当時は生意気だった。俺は歌手じゃない。俳優だと。俳優なのに歌手と思われた。最初は嫌だったがその気持ちがなくなったのは親父が亡くなってからだった。そして「お父さんに似てきましたね」と父親が亡くなるまでは嫌だったが亡くなってからは言われると嬉しくなった。しかし、父が生きている時はそのような気持ちになれなかった。40歳の時に父、宇野重吉が他界した。父親から。「100人が100人の読み方がある。最後にさよならがあるだろう。その前の人がどういうさよならを言うかによって違うんだよ。その人がそのさよならをどういう気持ちで言ったか」。台本を“さかのぼって”意味を掴むことを教えて貰った。
黒澤明「雨あがる」に主演することが決まっていた。父からの遺言だった。父からの言葉はいくつかあり、“居合抜きを3段まで取っておく”など。黒澤明からいっぱい学んだ。父の凄さを感じた瞬間、「舞台には映画のようなアップがない」と言ったら、父から「観客全員の目が自分一人に向かう」と言われた。
日曜劇場「仰げば尊し」が始まる。自分の体験に重なっている。
2曲目エリック・クラプトンの「枯葉」。聴くと心が落ち着く曲。イブモンタンとは違った良さがある。同い年くらいかと。少し枯れてくると良いなと。「もうなっていますよ。まだまだお元気です」笑。
同い年の人にあったら、蛭子さんに逢ったら同い年で、えっ、もうこんな歳かと思った。
感想;
俳優が歌を出したと思ったら、もともとは歌手としてバンド出身でした。
偉大な親を持つと子どもは大変と言われています。
お話を聴いていて、素直に父親と接して来られたのだと思いました。
人生も人との出逢い、病気との出逢いをきっかけにされたようでした。
まさにロゴセラピーで言う「人生からの問いかけにYesと答えてできることをやっていく」の生き方をしてこられたように思いました。
[ルビーの指輪]が12週トップだったのはまだ破られていない。
134万枚のヒット。
19歳の時、ザ・サべージのメンバーとしてバンドに参加した。
「雨あがる」で日本アカデミー最優秀男優賞受賞した。
2人の初対面はサワコさんの実家。父の作品のドラマ化で出演者が集まった。「あひるの学校」の打合せで50数年前。20台の前半だった。
デビューが学生バンド。実は3年連続で高校1年生を体験した。最初は野球で入ることになったがある理由で入れなくて、別の高校に翌年入った。進級できない息子に両親は。父親はそろそろ進級は?母親は進級できないのは人さまにはなかなかできないことだからと赤飯を炊いてくれた。
1曲目エルトン・ジョン「悲しみのバラード」 朝に聴くと癒される曲。
違うバンドに移ったら、人生を変えた人に出逢った。俳優を目指した“きっかけ”になった。
三保さんが「俳優になった方がよい」言ってくれた。そして「黒部の太陽」で俳優デビュー。父は石原さんと仲が良かった。石原プロに入った。渡哲也さんには病気の時も大変お世話になった。29歳で瀕死の重病を経験。胃穿孔で4日間意識がなかった体重が20kg減った。胃を80%取った。元気が20年戻らなかった。友だちは元気に頑張っている。自分はもうだめだなと思った。
「ルビーの指輪」34歳の時134万枚の大ヒット。仕事をセーブした時にできた。
仕事がなく収入がなかったので、自分の作った曲をまとめて、レコード会社の何社かに持って行ってレコード化になった。松本隆さんに作詞をお願いした。松本さんは「木綿のハンカチーフ」の作詞をされていた。作詞の内容のおかげで「ルビーの指輪」が売れた。
ジュエリー協会で感謝状とルビーの指輪をプレゼントしてくれた。そんな大げさな会だと思わなかった。当時は生意気だった。俺は歌手じゃない。俳優だと。俳優なのに歌手と思われた。最初は嫌だったがその気持ちがなくなったのは親父が亡くなってからだった。そして「お父さんに似てきましたね」と父親が亡くなるまでは嫌だったが亡くなってからは言われると嬉しくなった。しかし、父が生きている時はそのような気持ちになれなかった。40歳の時に父、宇野重吉が他界した。父親から。「100人が100人の読み方がある。最後にさよならがあるだろう。その前の人がどういうさよならを言うかによって違うんだよ。その人がそのさよならをどういう気持ちで言ったか」。台本を“さかのぼって”意味を掴むことを教えて貰った。
黒澤明「雨あがる」に主演することが決まっていた。父からの遺言だった。父からの言葉はいくつかあり、“居合抜きを3段まで取っておく”など。黒澤明からいっぱい学んだ。父の凄さを感じた瞬間、「舞台には映画のようなアップがない」と言ったら、父から「観客全員の目が自分一人に向かう」と言われた。
日曜劇場「仰げば尊し」が始まる。自分の体験に重なっている。
2曲目エリック・クラプトンの「枯葉」。聴くと心が落ち着く曲。イブモンタンとは違った良さがある。同い年くらいかと。少し枯れてくると良いなと。「もうなっていますよ。まだまだお元気です」笑。
同い年の人にあったら、蛭子さんに逢ったら同い年で、えっ、もうこんな歳かと思った。
感想;
俳優が歌を出したと思ったら、もともとは歌手としてバンド出身でした。
偉大な親を持つと子どもは大変と言われています。
お話を聴いていて、素直に父親と接して来られたのだと思いました。
人生も人との出逢い、病気との出逢いをきっかけにされたようでした。
まさにロゴセラピーで言う「人生からの問いかけにYesと答えてできることをやっていく」の生き方をしてこられたように思いました。