幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

「今、生きているいのち ~そのかけがえのなさ~」柳田邦男氏 ”物語る&死後生”

2017-12-22 19:15:18 | 生き方/考え方
レジメ
1.人は物語を生きている
 1)進行を持つ人からの学び
  ・原崎百子さん「
 2)たとえ信仰を持たずとも
 3)傾聴の力
  ・徳永進さん「ホスピス通りの四季」
 ・河辺貴子さん山崎章朗さん「河辺家のホスピス絵日記」

2.いのちの2面生
 1)身体的ないのちと精神的ないのち
  ・田中俊一さん「歯と瞼」
  ・折傘美秋さん「死出の衣は」
 2)いのち(生と死)の人称性
  ・1人称のいのち、2人称のいのち、3人称のいのち
  ・「2.5人称の視点」
  ・「死後生」への気づき
  ・人生のライフサイクルの新しいとらえ方

3.価値観の180°転換
 1)自殺寸前からの再生
  ・中村智志著「あなたを自殺させない」
 2)原発事故と小林麻里さんの人生
  ・小林麻里さん「福島・飯館 それでも世界は美しい」

4.「生」を支える絵本の力
  ・「星の王子さま」
  ・葉っぱのフェレディ」
  ・だいじょうぶだよ、ゾウさん

みなさんこんにちは。いのちを考える思いテーマに関わらず多くの方にご参加いただきありがとうございます。いのちに関わるものには、病気、例えば癌、災害、戦争などがあります。今は子どもの育て方に関係する絵本にもかかわっています。栁田はこれまでと違う絵本に関心を持っているといわれますが、この絵本はすごくいのちに関わっています。根っこは同じです。赤ちゃんが生まれ育っていく中でいのちに関わっています。病気だけでなく、人間形成/家庭環境にも大きくかかわています。

命とは何か?1.8万人が東北大震災で亡くなりました。その後関連死まで含めると2万人が亡くなっています。災害を体験して遺された人もどう生きていくかの課題もあります。

「テロで今日も百人亡くなった」とニュースが流れてきます。でもそれでご飯を食べられなくなることはありません。それは顔を知らないしその亡くなった一人ひとりの人生、家族が見えないからです。数でいのちを考えています。いのちはこのように普段見えて来ません。

災害や事故、戦争を考えると、それが人の中でトラウマとして残っているか。それを作家として考えていきます。家があり、普通に過ごしているかと思える人が、実は大変な問題を抱えて生きていることもあります。親が認知症、子がまだ若いのに親が進行性がんにかかわっていることもあります。いじめにあっていても見えません。景気が良いとか表向きにしか見えて来ません。

埼玉は全国のセンターの中でも活発に活動されているとうかがっています。いのちの電話という窓口だけでも様々なものが見えて来ます。老人病院、精神病院の窓口からでも大変なことがあり、社会はダメになるのではと思ってしまいそうです。それに対して一生懸命取り組んでいる人々がいるので何とか社会が維持されているのではと思います。

私自身が出逢った、学んだこと、体験したことをお話したいと思います。

「生きる」ことを考える4つの視点でお話したいと思います。
1.人は物語を生きている
2.いのちの2面生
3.価値観の180°転換
4.「生」を支える絵本の力

人は物語を生きている 言葉の力
人には物語があります。この人は物語のどこを生きているのか。失恋した、子どもを亡くしたというその時のショックだけでなく、人生の全体の流れの中で、人生は70年の中、これがこれからどういう意味を持つのか。今どの人生の中で起きているか。それをいつも考えながらやっていく必要があります。
臨床心理でも、河合隼雄先生が、「人は物語らないとわからない」その人の人生の文脈の中でその出来事を捉えないとその人を理解できない。見えてくるものにアクセスしないと対応できないと言われています。

ガンで死におびえている人の話を聴く、傾聴ボランティアが広がっています。ご希望があれば話を聴きます。1時間/1回あたり。数回聞くとその人の人生を聴くことになります。家族、仕事、おばあちゃんがゆったりと話をします。ガンがお腹にありパンパンに腫れています。医者に私は何のガンだと尋ねます。医者にぽつりぽつりと悩み、不安を語り出します。
それとなく昔話を聴きます。戦争が終わったころの話になりました。漁師町に育って、魚が取れたら手伝ったと、えんえんと話しだします。医者は「他の患者さんがいますから」と席を立つとフラストレーションが残ります。その医者はずっと聴いてあげました。そうするとおばあちゃんが安定して来ました。安心感を無意識のうちに掴んでいったのです。そして、「あとどれくらい持つでしょうか?」医者はひと月くらいしか持たないけど言えません。そこで「桜が見えるといいですね」と言いました。そしたらおばあちゃんは「そうですか、サクラが見えますか。ありがとうございます。今日はいろいろ話を聴いて貰えてありがとうございました。早くお迎えが来て欲しいと思います」と言いました。傾聴はふしぎな力を持っています。語ることで死を受け入れるようになった例です。
人は遺伝子ですべて決められているものではありません。遺伝子で決められていないのは、その人の精神性です。動物と人間の大きな違いです。

もちろん動物に精神性がないわけではありません。
京大の京極先生がアフリカのマウンティンゴリラを観察して来られました。いつも来ていた人間をゴリラも観察していたのでしょう。
落語に「たぬき」というのがあり、その人が良い人なので、最後にたぬきが「たぬきの仲間に入れてやろうか」と言ったくだりがあります。まさにそのような心境だったのでしょう。ゴリラが京極先生を思えていて近づいて来ました。

昔、家の近くにたぬきがいて、子どもを産んで、子どもを見守っているのを見ることができました。6匹を見ていると兄弟がわかりました。しっかり育てているんだな。なんて立派に育てているんだろう。ところがお母さんが交通事故で亡くなってしまいました。兄二人は巣を出て行ってしまいました。長女は下の兄弟を世話するようになりました。1か月後にお母さんが亡くなった後、一番末っ子がまた撥ねられて亡くなりました。
動物から学ぶことが多いなと思いました。

いのちの二面性を考えると、遺伝子を繋いで行くだけでなく、精神面、喜び悲しみ、それを見ないとよくわからないことがあります。人が大きな壁にぶつかった時、それまでの価値観を変えないといけない。そうしないと生きていけないことがあります。

絵本とは子供たけのものではありません。絵本に人生経験を重ね合うことができます。

兄夫婦と母から学んだこと
12歳上の兄が亡くなりました。私は末っ子。私自身も空襲体験しました。父は肺結核で50歳過ぎから自宅で療養していました。そして57歳で亡くなりました。一番上の兄が父親代わりの役割を果たしてくれました。兄は当時22歳。旧制中学、師範学校、教師、兵役で帰った後、どう生きようかと考えたようです。陸軍の連隊で宇都宮にいました。私は12歳。私の育ったところも軍需工場があり、空襲を受けました。

司馬遼太郎さんが、こんな戦争をしたのは何だったのかを明確にしないといけないと思ったそうです。

兄は、先人たちの記録が何もない。もっと歴史を学ばないといけない。それで郷土史を仲間と始めました。そのため、古書店を開きました。古書店で本を集めたり、寺の古文書を発見したりとか、生涯それをやりました。兄が結核を患って宇都宮の病院に入院しました。肋骨を6本取って肺を手術して潰しました。片肺での生活になりました。

その病院の看護師と恋愛し、結婚しました。彼女の親の大反対があったそうです。兄は半世紀郷土史を調べました。肺結核の人はC型肝炎ウイルスを患い、肝炎になり肝臓がんになり亡くなった人が多くいます。兄も同じでした。35年経って、56歳で肝炎、77歳が肝臓がん、そして83歳で亡くなりました。

弟として見ていて「たいしたもんだな」と思ったのは、兄は淡々としていました。兄は手術した時、「50歳以上は生きられない」と言われたそうです。なので50歳を過ぎてからは、これからはおまけだと思ったそうです。
兄からの手紙に川柳が添えられていました。65歳でC型肝炎発症。
社会でC型肝炎が騒がれた同じ時でした。

そのさがを知りたるC型肝炎、よそごとのように聴く
C型肝炎、肝がん、***、3点セットのお声が来る。

こういうユーモアは、母も好きで、なにかにつけて笑うようにしていました。
その安定感は何によってたのか?
それは手術を受けた時、50歳以上は生きられないと言われたこと。
それと生きるためのやりたいことを持っていたこと。
死ぬ前にそれまでの資料をまとめて完成させました。江戸時代から人口が増えないのはどうしたかも調べました。貧しいので生まれても水子として殺していました。
生き甲斐を持っていました。ガンとわかっても淡々としていました。83歳で亡くなりました。
かなり身体が弱ってからも鹿沼の資料探しに頼まれて行ったりしました。家で転んで骨折してそのまま亡くなりました。
生き甲斐を持っていると強いなと思います。

兄嫁もユニークな人でした。
兄は病気が進んで、嫁に家から住所録を持って来てくれと頼みました。600人ほどの名簿でした。
そして〇は必ず死んだら挨拶状を。二重丸は直筆でお礼を述べて欲しい。そして妻にその人々とどんな付き合いがあったと話しました。80人に直筆でお礼状を出しました。一週間かかったそうです。それが彼女のグリーフワークになったようです。心を安定させることに役立ちました。
もう一つ遺言を言ってました。おれはこれからの社会や友だちのその後を見ることができない。だから、俺が死んだとき、それを俺に言ってくれ。兄が亡くなって10年経ち、3年後胃がんになりましたが手術も上手く行き、兄に伝えるために日記を毎日書いています。
金銀財宝よりも、こういうことを残す方が大切かと思います。

母は41歳で夫に先立たれました
子どもは6人いました。仙台は丸焼けになり、栃木県の宇都宮まで歩いて避難しました。それから電車に乗って郷里?まで帰りました。
長男が亡くなったこともあり、父はその後すぐに亡くなりました。
母は動揺を見せませんでした。母の口癖は、「仕方なんべさ」「なんとかなるべさ」「たいしたもんだ」でした。
「地道に頑張っていればなんとかなる」。
子どもに何か問題があっても、褒めることしかなかったです。「・・・たいしたもんだ」とありのままを認めてくれていました。それは僕にも影響を与えてくれたと思います。
人を差別したり、叱咤したりすることが希薄な人でした。
それもあり妻から「あなたは嫉妬したりすることはないの?」
「あんまりないな」と思います。
心に沁み込むように、私を育ててくれました。

作家活動に入ってから、いろんな人からお話を聴かせて貰いました。
一人ひとりの人生の話を聴かせて貰いました。
本を読むとか、紹介されるとかして学びを持ちました。

信仰を持っている人が立派な最期を迎えるかというと、そうでもない。
返って素晴らしい最期を送る人は少ない。もちろん、宗教で素晴らしい支えを持っている人も少なくないです。

三重県の桑名市の牧師さんの奥さん原崎百子さん。
ドラマにもなりました。百子さんが亡くなった後、原崎牧師さんにお話を伺いました。
肺がんで後3か月。それをご主人が告知しました。当時はガンの告知は多くありませんでした。本人が知らない内にひどくなっていくのが多かったです。
牧師(夫)は告げるべきか悩みました。そして告げました。

その日の百子さんの日記。
「ありがと。よく話してくださったわね。私の生涯はこれからが本番なのだ。これまでの一切は、これからの日々のためのよい準備でもあった」
今まで生きてきた40年は準備だと言い切っています。
「それでもやはり私はりんごの木を植える。二郎には助動詞を復習してやること。忠雄の勉強の相手をすること-」

「たとえ明日、地球が終わりであっても、私はリンゴの木を植える」M.ルター
この考えをしっかりと受け取っていました。
毎日を大切に遣わされた人生を生きる。
妻として、女性として、母として何をやるかを述べています。
信仰の力とはこういうものかと学びました。

高田正圓さん
「和尚が亡くなって10年、今も一緒にいると思っています」「乳がんとわかっても、死を恐く思う気持ちはいっさいありません」
江戸川区の唐泉寺。
全国行脚していた人。
正圓さんが亡くなった後、乳がんになりました。やはりストレスが乳がんを発症されるのかと思われます。
結婚して、和尚は1年で癌になり、どうしてここに嫁いだのか。
亡くなった人のことは自分の心の中でその人の思いが大きくなっています。
死は生きることへの通過点。笑みさえ浮かべながら話してくださりました。
仏教徒の中の仏性はこのような中にみるのかと思います。

たとえ信仰をもっていなくても、その人の人生観がその人の死につながるのかなと思います。

村越化石さん ハンセン氏病 18歳で発病しました。
差別され、村を追い出され、施設に隔離差別されました。
「籠枕」村越化石著
静岡市のちょっと西(藤枝市)で生まれ育ちました。
すばらしい句集を遺されました。
地元の町の人が、2002年の春先、俳句界の最高の名誉、蛇笏賞(だこつしょう)を受賞されたのを記念して記念碑を建て除幕式に化石さんを招待しました。

「除夜の湯には肌触れあへり生くるべし」
「生き堪えて七夕の文字太く書く」
必至になって生きる決意を俳句で表しています。
自分の気持ちを表現するものを持っている人、自己表現をすると絶望のブラックホールに落ち込むのを食い止めることができます。
人は闘病記を書くのもその一つになります。
この世で何十年生きたことを知って欲しい。それが原動力。ありのままを自分が客観的に見る。それが生きる力になります。俳句の5・7・5、俳句の持っている意味が強くなります。
いのちの循環をたんたんと受け入れています。
「忘れられ また蘇る 曼殊沙華」
「茶の花を心に灯し帰郷せり」
「よき里に よき人ら住み 茶が咲けり」
白い目で見、排除した目で見、差別の目、どれだけ恨んでも仕方がない。ところが一点の曇りもなく“よき人ら”を読でいます。
人生をしっかりと到達した人生全体を受け入れた心境に到達していました。
河辺近くに石碑があり、そこに自分の俳句が出されています。
大きな石と小さな石の句碑。大きな石は、母親が死ぬまで自分を抱えてくれた母を、小さな石は自分を表現しています。
「望郷の目覚む八十八夜かな」
望郷はいつも頭から離れませんでした。
化石さんは除幕式の時、既に目が見えませんでした。
唇でその文字を触れながら読みました。そして「あったかいね」と言いました。
風邪が吹きおろしさむい時期だったのにも関わらず、人々の気持ちがあったかいとの感想でした。

かけがえのない人生を生きました。
自分の内面を表現する手段を持つことの深い意味。
理解し合える他者がいること。
続けること。

兄の場合は郷土史、町のことを最後まで書き続けました。
表現する場がありました。

聴いて貰えることの素晴らしさ。
おばあちゃんが漁師町で育っての話は、鳥取でホスピスをながらくされていて、忘れられない患者50人のお一人。

傾聴だけでなく、それを本にする。
聴き書きボランティア。
そのボランティアを学ぶ学校の校長を担っています(柳田邦男さん)。
皆さんの修了書に名前を書いて印鑑を押します。100人近くの時は、夜中の3時くらいまでかかりました。

聴くだけでなく、一回きりなのに深い傾聴があります。
河辺龍一氏とシスタ―
山崎先生がシスターに話をしてみませんか?
かなり年を取ったシスター(外国の人)
それを奥さんが傍で記録され日記にされました。

「こんなに痩せてしまって」
「そうね、やせてしまったね。こんなにね」
「本当はもっと働きたいんです」
「働きたいね。若いんだもの」
「どうしてこんなに「悲しいでしょう」
「かなしいね」
「ぼくが死んだ後、妻のことが心配ですね」
「(奥様は)あなたに (天国から)見守られて もっと幸せなる」

聴き役がどんな人格の持ち主でどのような態度で接するか。
言葉は誰が発するかによって重みが全然違います。
シスターだからこそ、シスターとしての重みがあります。
言葉に人格が裏付けられていると重みが全然違ってきます。

平凡な会話のように見えたが、主人の顔から全てが洗い落とされたようなスッキリした顔になっていました(妻)。
こういう形の傾聴があります。

どう対応するかが難しいです。
上っ面だけで対応してると見ぬかれてしまいます。
「おかわりありませんか」と言われても、「おかわりなければ、病院に来ない」と思います。
柏木先生(ホスピスの先駆者)が、「おかわりありませんか」と聴くと、全然違う、信頼関係があると同じ言葉でも全然違って聞こえてきます。

今日はいかがですか?
そしたら、患者さんが”青色の色紙“を出しました。
さすがの柏木先生も意味が分からなくて尋ねました。
そうしたら患者さんが青色紙の隅を切って「すみきった青空のような心境です」(隅切ったで気持ちがすっきりしたを表して)

共感してきてくれる人がいると、それは孤独、疎外感からの解放につながります。自分の人生全体を対象化してみる。つらかったこともまるごと受容し、納得する。
人生の最終章は自分で書くという意識を持つ。それが真の人生の始まりとなります。

様々起こったことで意味のない人生と思ったことが、それではなく様々なことがあったことに気づく。どんなことがあっても、長い人生の一部の章で、それがあったからこそ、それが後の人生に大きく影響していたことに気づく。あの時死にたいほど辛いことがあったが、それに持ちこたえたから今があると思える。
最終章、これからどう生きるかが重要になります。
これからは自分の死を創ることになります。
最後の形を自分で作っていくか。それが大事になる。

死に逝くための十箇条。
その一つにユーモアを書いています。
死んだらそれを出したらベストセラーになるかなと思いながらメモしています。人生を多面的に見ることで“かげかえのなさ”が見えてきます。

二面とは 身体的な痛み VS 精神的な痛み

ALS難病の田中俊一さん 愛媛県
亡くなった後、友人たちが歌集を作りました。
ALSはだんだん機能が衰えて行きますが、脳細胞は最後まで正常に動いているので余計に辛いです。今はPCが発達し、顔の表情でセンサーが働く、そのようにして短歌を読んでいます。「病み伏せど なほも登らん 思ひあり 手鏡に見る 今朝の雪山」
PCを使うのは大変な作業であきらめるのですがでも次の歌を歌っています。
「歌詠まぬ 日々の虚しさ 身に沁みて 亦も文字指す 書き留め頼み」 

正岡子規も連載が中断して、正岡子規が怒りました。
「俳句があるから生きていられるんだ」と。
精神性があるからこそ生きられる。また精神性があるから悩む。
自分で出来ない時、家族、親友、プロの人が必要になります。
家族ではなく家族以外の人が良い場合もあります。
家族が傾聴するのは止めた方がよいと言われています。
家族は難しいです。娘は感情を持って聞いています。
お母さんが夫の悪口を言う。それを見ていた娘は、お母さんだって悪いのよというと傾聴はダメになってしまいます。

いのちの人称性
哲学者 ジャンケレヴィッチの“死の哲学”に啓発される
「死とはなにか」ヴラジミール ジャンケレヴィッチ著
一人称の死は、どんな死を選ぶか。
最後まで先端医療を受けたいか、ゆったりした死を迎えるか。
三人称の死は自分の人生に直接かかわらない。
二人称は大きくかかわる。それでグリーフワークが必要になります。
これからぽっかり穴が開いて人生を過ごす虚しさ。
三人称
二人称に近い形でかかわる。医者や看護師に必要。
お役所は心配事や被害があって相談に行くと、「今の法律では無理ですよ」
自分の仕事のマニュアルだけでやっていると冷たくなります。
もしそれが自分の家族なら何とかしようと思うのではないでしょうか。

ボランティアの人はなおさら2.5人称が大切なのではないかと思っています。その身になって考えます。
「乾いた3人称から2.5人称の視点へ」

障碍児出産した親と医療者の対応
否定的対応VS肯定的対応
医者は良かれと思って「思い病気です。これまでの文献では長く生きた例は24カ月です」と医学的に説明します。お母さんアショックを受けます。重度のダウン症です。病名診断なので言わないといけません。
「こういうときご両親はショックを受けて、とんでもないことを考えます。だからと言って仕事を辞めてはいけません。こういう障害があってもきっと立派に育てられる家族を神様が選んで授けられたのですよ」その病院はカウンセリングプログラムがありました。
「障碍があるから可愛い面もあります。お仕事はしっかりされて子育てに参加してください」
YKKという大手の会社。その人は大阪に戻って部長職に就きました。社長が大阪に来た時に直訴しました。「障碍者雇用に会社が反している。具体的な提案があります。子会社を作って。トータル1.8%達成してはいかがでしょうか? 製品の説明書の量がたくさんあり、30億円もあります。障碍者でPCを使える人を雇います」。
そうしたら社長から、「お前に2億円やる。お前が社長をやれ」と。
社長(自分)ともう一人だけが健常者で、13人が障碍者。単年度で黒字化を果たしました。会社としてもすごく貢献しました。

ショックを受けた人にどう説明するかが重要な課題です。
2.5人抄の仕事はカウンセリングがそうです。
河合隼雄先生は2.2人抄と言われていました。
2.0人抄になると感情移入が強くなって仕事ができなくなります。

「純子 とんでもないことを考えているのではないか? 子どもは可愛い。可愛いと思うならお前がしっかりしないといけない」それで気持ちが変わりました。
二分脊椎の子は20歳を過ぎて元気に頑張っています。お母さんも福祉の資格を取って施設の長にもなっています。

「死後生」への気づき
人の一生をどう捉えるか、いのちの精神性に焦点を当てます。
生物的な命は衰えて行きます。精神性のいのちは最後まで高まって行きます。精神性のいのちは緩やかに少しずつ上昇して行きます。
思い病気になるとその時は精神性が生長する機会です。精神性は死ぬことで終わりません。死後もその人の残した言葉とか、その人が亡くなっても残ります。
「肉体はなくなっても、人の生きた証は大切に思ってくれた人の心の中で生き続けます」

 生と死の境界で人の感性は鋭敏になります。死への不安、苦悩が、日常的な雑事を超えて、生死や人生や人間関係の根源的なことへの思索を深めさせます。

映画を楽しんだり、交友関係を大切にする。より深い、人下が生きるとは死後生を意識したときに変わる。死後生をよりよいものにするために自分は今如何にいきるか。

死後生は遺された人の人生を豊かに膨らませてくれます。
今最後の人生の大切な時期を生きている。予備校の先生「今でしょう」、そう今どうするかです。

人は物語りを生きています。
自分の人生のこれからの物語をどのように作るか
とくに自分はどのような死後生を残せるか。

・星の王子様
・葉っぱのフレディ
・だいじょうぶだよ そうさん
自分が抱えていたものを絵本に掛け合わせてみる

葉っぱのフレディ
木に最後に残った二つの葉っぱ。ダニエルはフレディにいろいろなことを教えます。
夏に葉が茂り人の日かげになり、秋は紅葉になり人の目を楽しませ、散ってもそれが肥やしになりそれを吸い上げて次の木に引き継がれます。
ダニエルが先に散りました。その時初めてフレディは木のしっかりした姿を見ました。ダニエルの言葉をその時思い出します。
人間は生きている時、自分の人生全体を見ていません。大河小説のように見ていません。
傾聴ボランティアで語る、あるいは書くことで全体がわかります。
その時初めて自分の人生が豊かだったことを知ります。
これだけたくましいがっしりした木ならば命が続くと気づきます。
絵本はこのように大切なことを語っています。
それがわかるかはその人の生き方によります。

大丈夫だよゾウさん
ぞうさんは自分の死期を悟ります。歩いて行くとゾウさんの国があります。そこへ行くつり橋が壊れていました。ネズミさんは直してあげることができます。直すとゾウさんはそのつり橋を渡るともう帰って来られません。ねずみさんはゾウさんをケアします。でも、どんどん弱ってきます。
ネズミさんは成長してゾウさんが今行かないと行けなくなってしまうと思い、つり橋を直してあげました。ゾウさんが嬉しそうにします。ねずみさんはゾウさんに「恐がらないで、頑丈にできている」と。ゾウさんは「わかっている。君ならしっかり作ってくれている」と。ゾウさんが無事わたって行きます。
小学生から70歳の老人まで皆に大きな力になっています。
弟はいなくなったのではない。あたしの心の中で弟が生きていることがわかった。
この絵本を思い出して読んだ。
車椅子に乗った人がこの絵本を抱えて、「この絵本から安心して死んでいくことができます」と。

絵本に自分の人生を重ねることでより良い人生を生きることができるようになります。人は物語りを生きている。

死後生を生きる
 その人が亡くなっても、遺された人の心の中でその人が死んでからも生き続けています。

ご参考;
「10の心得」
https://www.c-notes.jp/articles/217
①「病気だから休む」から「病気だから働く」へ
②働かせる身体の機能と知的機能を活かす
③やりたいこと、やっておきたいこと(=生きる目標)を絞る
④他者のためになることをする
⑤病気がもたらす「いい面」に目を向ける
⑥いろいろな人との「出会い」の幸運をかみしめる
⑦自分の人生の主な出来事(エピソード)を思い出として、1つ1つ章にする
⑧「雲の写真集」と「雲の写真絵本」を編集する
⑨好きな音楽を聴き、絵本や童話を読む
⑩ユーモアの心を忘れない ユーモア語録のノートを作る

感想
自分の物語は最終章に近づいています。
その最終章をどう物語るか。
考えさせられました。

「ほの暗い永久から出でて 生と死を巡る対話」上橋菜穂子&津田篤太郎共著 ”読みながら考える”

2017-12-22 09:34:28 | 本の紹介
・オオミノガの雌の姿は、触角も複眼も口器も退化消失し、翅も脚もほとんだ跡形なく消失し、腹部は数千個の成熟卵がつまった卵巣小管で満たされて消化器もなく、腹部の末端には交尾孔と産卵器がある。つまり、見ることも、食べることもなく、ただ次世代を産むだけの機能に特化した、ある意味で「雌」という性の機能のみで全身を満たされている。
雌はひっそり成熟すると、夕暮れ時に、あの蓑の底の皮をやぶって頭胸部をだし、フェロモンを発して雄を呼ぶ。雄は交尾を果たし飛び立つ。メスはひたすら卵を産み、蓑の中を満たしていく。一齢幼虫が孵化するまでは生き、その後は小さいく縮んで蓑の下の穴から落ち、その一生を終える。

こういう在り様を見ていると、生き物は遺伝子を伝える乗り物に過ぎないという言われ方も、そうであろう、と思わざるを得ません。

なんのために生まれ、なんのために生き、なんのために死ぬのか。
そういう問いかけは、「生物としての人間」の在り様にとっては、問うても意味がないものなのに、なぜ、問うように、脳ができているのか。

・女優の樹木希林さんは、自分ががんに罹ったことで、家族を含め周囲の人々が一段と真摯に自分に向き合ってくれるようになったと。

・水木しげるさんは、太平洋戦争で左腕を失う重症を負って生死の境をさまよい、現地民に助けられ生活を共にしたのに帰国した。水木しげるさんは、「幸福の七か条」をいうものを残されました。その中に、「目に見えない世界を信じる」というものがありました。

・私は今年五十五歳になります。長年頑張って生きてきて、作家になり、学者になり、多くの物語を生み、その物語が世界中で翻訳され、アニメやドラマにもなって・・・子ども頃、焼けつくような思いで夢見ていたことは、すべてかなってしまいました。とても幸せな人生だったと思います。でも、これから先、これ以上、何か望みがあるかと問われれば、正直、さしてないのです。
なんと私は、とうとう、いつ死んでも良い、という状態になったのです。
人間ドックで頭部に何か腫瘤があるので再検査を言われ検査を受けていたら、鼓動が早くなったのです。あれ?私、怖がっている。なぜ?
わずかなりとも命の危機の可能性を感じ取った瞬間、体の方は、あっという間に、生き延びるための臨戦態勢に入ってしまったのです。

気になった言葉&本
・「悉皆成仏(しつかいじようぶつ)」
  心のあるものだけでなく心のないもの(木や石)まで全てが成仏するということ。
・「不思議な生き物 生命38億年の歴史と謎」池田 清彦著
・「ユマニチュード」
  認知症介護の技術(人間らしいケア)
  「愛情」に「技術」を添える
   技術の基本・見る・話す・触れる・立つの4つ
・風樹之嘆(ふうじゅのたん)
 木は風が吹くと揺れてしまう。揺れたくなくても揺れてしまう。
 そこから、親孝行をしたいと思っても、その頃には親はいなくて孝行できないという嘆きをいうことばに。
・「単純な脳 複雑な私」池谷裕二著
・「面白くて眠れなくなる生物学」長谷川 英祐著

感想
上橋菜穂子さんの作品は惹きつけられました。
ファンタジーでありながら、そこには人生での大切なメッセージが多く込められているのを感じました。

対談した相手の津田篤太郎先生は、上橋菜穂子のお母様を診ていただき、最後までお世話になられたようです。

お二人の手紙のやり取りを拝見しながら、人は何のために、自分は何のために生きているのかを考える時間でした。