シンガーソングライター。絵本作家。お絵描き歌をサワコさんを描いてくれた。サワコさんはハート顔。
お美しくなって(イルカ)。お変わりなく(サワコ)。
20歳の時フォークグループの一員。なごり雪が大ヒット(1975年)。20年にわたる夫の闘病生活。
46年、なごり雪を歌い続けている。春はお休み期間。花粉症がひどく、歌うことはしない。鼻声になるのでお客さんに悪い。その期間は曲作りや絵本描いたり。コンサートを再開すると歌っていて嬉しいと思う。
1曲目 「ヴァイア・コン・ディオス」
初めて歌った。1歳半か2歳。歌うと周りのおばさんが喜んでいた。歌うとよろこんで貰えると知った。聴くとホッとする。
つなぎをその時も着ていた。今も着ている。60歳を越えても着ている人はいない。さまざまなバリエーションで着ている。
父はジャズマンで作曲やアレンジをいつもやっていた。
父が書いた楽譜で捨てた紙に言葉を書いていた。そうしたら、父が音に言葉を当てはめると良いんだと。遊びの一種でやっていた。3歳で作曲、作詞をしていた。環境は大きかった。
音楽が好きで音楽の道かと思ったら、女子美術大に進学した。とっても人見知りするタイプだったので、一人で出来る仕事を、何か作るのが好きだった。でも親戚の集まりでは落語をやっていた。初めて会う人にはとても苦労していた。知っている人の中では問題なかった。石ころと話したりするタイプだった。
歌手になりたいとは思ってはいなかった。中、高、大とバンドを組んでいた。
その頃、フォークソングが流行り出した。内気だけど音楽はずっと好きだった。ボブディランとか。ロックからフォークも良いなと思うようになった。
女子美のフォークグループのサークルに入った。新人で先輩の後を付いていた。皆ギターケースを持っていた。それがまるでいるかがたくさんいるようと言ったら、皆振り返って本当だと言った。
そうしたら、この前「いるかみたいといった子でしょう」と言われ、それからイルカに。
21歳の時、神部和夫さんと結婚。「シュリークス」の夫のグループに入った。
夫は早稲田のフォークグループの幹事長。遅れてそこに行ったら、懐かしい人がいると思った。グループが解散するというので、そこに入って、2人でやっていたが3年まったく売れなかった。夫はプロジュースをやりたかった。
なごり雪はかぐや姫の歌だった。かぐや姫の前座で歌わしてもらっていた。
かぐや姫がなごり雪を歌うと観客の雰囲気が変わった。すごい歌だなと思っていた。そうしたらかぐや姫が解散することになった。そして私がなごり雪を歌うことになった。そんななごり雪を歌ったら、かぐや姫のなごり雪を聞いてきたファンに悪いなと思っていた。録音のところに伊勢正三さんがふらっと来て、「イルカが歌いたくなければ歌わなくても良いけど、イルカが歌ってくれるなら嬉しい」と言ってくれて、歌おうと思った。
夫がずっと歌わせたいと思っていた。夫が亡くなってから、夫がプロデュースしたことを知った。それを知ってとても嬉しかった。夫が難病、パーキンソン病。3年間病名が分からなかった。そのため対人不安になった。まだ息子が3歳だったので家庭が暗くなったらいけないと思い、一日かならず笑わそうと思った。歌手を辞めて看護をしようと思ったが、夫から「イルカが歌を辞めると僕もしぼんでしまう」と言われた。
帰ったら夫と息子がぎくしゃくしていた時があった。息子が夫を殴ったと。子どもが薬を飲めと言っても夫が飲まないので、それで殴り合いになった。それができたことはよかった。
90歳の父と息子の3人でコンサート活動をやっている。
人生フルコースの歌を作った。60歳過ぎると人生終わってしまうのではないか。そうでなく、60歳はデザート時代だと。“還暦過ぎたらデザート世代”。
孫は20歳になった。好きなことしなさい。
2曲目はけやき坂46「風に吹かれて」
アイドルが可愛い。あそこをここを失ったと気付いた。失って気付く。
10代の時に、中性的な部分を自分は出していた。それがけやき坂にも感じて、かっこいいな。音楽はそんなものですね。この歳になって気づいた。イルカさんに元気を貰いました。
感想;
人生をお食事のフルコースに例えると、60歳過ぎは”デザート”だそうです。
なるほど、デザートか。まさにこれまでを味わうようなものです。
「好きなことをしなさい」
まさに好きなことができる年代なのかもしれません。
これまでできなかったことをチャレンジしてみることができるのかもしれません。
人との出逢い。
出逢いをどう生かすかが大切なんでしょう。
お美しくなって(イルカ)。お変わりなく(サワコ)。
20歳の時フォークグループの一員。なごり雪が大ヒット(1975年)。20年にわたる夫の闘病生活。
46年、なごり雪を歌い続けている。春はお休み期間。花粉症がひどく、歌うことはしない。鼻声になるのでお客さんに悪い。その期間は曲作りや絵本描いたり。コンサートを再開すると歌っていて嬉しいと思う。
1曲目 「ヴァイア・コン・ディオス」
初めて歌った。1歳半か2歳。歌うと周りのおばさんが喜んでいた。歌うとよろこんで貰えると知った。聴くとホッとする。
つなぎをその時も着ていた。今も着ている。60歳を越えても着ている人はいない。さまざまなバリエーションで着ている。
父はジャズマンで作曲やアレンジをいつもやっていた。
父が書いた楽譜で捨てた紙に言葉を書いていた。そうしたら、父が音に言葉を当てはめると良いんだと。遊びの一種でやっていた。3歳で作曲、作詞をしていた。環境は大きかった。
音楽が好きで音楽の道かと思ったら、女子美術大に進学した。とっても人見知りするタイプだったので、一人で出来る仕事を、何か作るのが好きだった。でも親戚の集まりでは落語をやっていた。初めて会う人にはとても苦労していた。知っている人の中では問題なかった。石ころと話したりするタイプだった。
歌手になりたいとは思ってはいなかった。中、高、大とバンドを組んでいた。
その頃、フォークソングが流行り出した。内気だけど音楽はずっと好きだった。ボブディランとか。ロックからフォークも良いなと思うようになった。
女子美のフォークグループのサークルに入った。新人で先輩の後を付いていた。皆ギターケースを持っていた。それがまるでいるかがたくさんいるようと言ったら、皆振り返って本当だと言った。
そうしたら、この前「いるかみたいといった子でしょう」と言われ、それからイルカに。
21歳の時、神部和夫さんと結婚。「シュリークス」の夫のグループに入った。
夫は早稲田のフォークグループの幹事長。遅れてそこに行ったら、懐かしい人がいると思った。グループが解散するというので、そこに入って、2人でやっていたが3年まったく売れなかった。夫はプロジュースをやりたかった。
なごり雪はかぐや姫の歌だった。かぐや姫の前座で歌わしてもらっていた。
かぐや姫がなごり雪を歌うと観客の雰囲気が変わった。すごい歌だなと思っていた。そうしたらかぐや姫が解散することになった。そして私がなごり雪を歌うことになった。そんななごり雪を歌ったら、かぐや姫のなごり雪を聞いてきたファンに悪いなと思っていた。録音のところに伊勢正三さんがふらっと来て、「イルカが歌いたくなければ歌わなくても良いけど、イルカが歌ってくれるなら嬉しい」と言ってくれて、歌おうと思った。
夫がずっと歌わせたいと思っていた。夫が亡くなってから、夫がプロデュースしたことを知った。それを知ってとても嬉しかった。夫が難病、パーキンソン病。3年間病名が分からなかった。そのため対人不安になった。まだ息子が3歳だったので家庭が暗くなったらいけないと思い、一日かならず笑わそうと思った。歌手を辞めて看護をしようと思ったが、夫から「イルカが歌を辞めると僕もしぼんでしまう」と言われた。
帰ったら夫と息子がぎくしゃくしていた時があった。息子が夫を殴ったと。子どもが薬を飲めと言っても夫が飲まないので、それで殴り合いになった。それができたことはよかった。
90歳の父と息子の3人でコンサート活動をやっている。
人生フルコースの歌を作った。60歳過ぎると人生終わってしまうのではないか。そうでなく、60歳はデザート時代だと。“還暦過ぎたらデザート世代”。
孫は20歳になった。好きなことしなさい。
2曲目はけやき坂46「風に吹かれて」
アイドルが可愛い。あそこをここを失ったと気付いた。失って気付く。
10代の時に、中性的な部分を自分は出していた。それがけやき坂にも感じて、かっこいいな。音楽はそんなものですね。この歳になって気づいた。イルカさんに元気を貰いました。
感想;
人生をお食事のフルコースに例えると、60歳過ぎは”デザート”だそうです。
なるほど、デザートか。まさにこれまでを味わうようなものです。
「好きなことをしなさい」
まさに好きなことができる年代なのかもしれません。
これまでできなかったことをチャレンジしてみることができるのかもしれません。
人との出逢い。
出逢いをどう生かすかが大切なんでしょう。