・生きとし 生けるものの すみか
人間は豊かな自然の恩恵を受け生きています。同時に、その世界は厳しい場所でもあります。豊かさだけに目がくらむと現実が見えなくなります。まずは現実を直視すること。それが本当の幸せにつながります。
・愛は 喜びと悲しみの はじまり
自分自身、そして世の中の現実についても本当の見る目をもつことが大切です。そうなることで、何が起きても受け入れる準備ができます。どのように生き、何が本当の拠りどころなのかを見つけてください。
・変化こそが 真のすがた
変化とは仏教でいうところの「無常」です。たとて家族が亡くなっても、いつまでも嘆かない。お経には、無常を正しく観(かん)じることができれば、苦しみから解放されると書いてあります。それが無常の智慧なのです。
・さからわず 執(とら)われず
悟りの境地は遥か彼方ではなく、みなさんのごく身近にあるのです。変にさからったり執われていては、観えません。
・縁(よ)って 起きている
「縁起」は仏教におけるキーワード。しかし、ことものすべてが「縁って起きている」ことを忘れ、どうしても「わがまま我」出てしまう。それが人間です。悟りの境地になると、敵味方、私と相手などという世俗的な関係を超えることができます。
・それはここ それはいま
いざというとき、泰然自若たりえないのが私たち人間です。しかし仏教の本質、つまりブッダによって悟られた真実は、五十億年後に地球が滅亡することがわかっていてもブレることがありません。その考え方に少しでも近づく姿勢が、尊いのです。
・自然(じねん)の ことわり
「いただきます」は大切な言葉。私たちは命をいただいて生きています。そして、最後は仏さまにお任せ。精いっぱい生き抜き、最後はお任せする。腹はすわらないままで、いい。お粗末なままで、いい。そういう人生がめぐまれます。
・なんの心配も いらない
それぞれの場で最善の努力を尽くし、一生懸命に生きる。結果が悪くても悲観する必要はありません。それは諦めではないのです。最後はみな、「自然」にかえる、迎え取られるのです。
・恵みの海は 非情の海
時として自然は、過激な姿で私たちを襲います。被害も大きくなります。防災対策は欠かせません。自然災害から逃れることはできない。すべての現象は、原因やさまざまな条件が互いに関係しあい、縁って起きている。私たちはその中で生き死にしているのです。
・自慢しない 粗末にしない
一日に一度は、自分のものを人に与える。しかも、それを自慢したり、見返りを求めない。人の悲しみ苦しみを、みずからの悲しみ苦しみとするなど、少しでも仏さまの真似ごとをさせていただくことで、世の中は住みよくなります。
・ごめんなさい ありがとう
かたくなに立場に固執し、人間どうしなぜ傷つけあうのか? これほど愚かな行為はありません。お互い仲良く共存するようにつとめ、相手に多くを求めない。そして「ごめんなさい」を忘れず、「ありがとう」の心をいただいて、「ありがとう」を言える身になっておく方がいいのです。
・怨みを すててこそ
世界中の人々が平和を願っています。それでも戦争は起ってします。すでに、核兵器という禁断の果実を口にしてしまった人間たち。仏さまの教えが広まれば、人類は争いという愚行から解放されるでしょう。平和への道を遠いものにしているのは、私たち自身です。
・「それで いい」ありがたい
泣いても、いい。不安が残るままでも、いい。老醜をさらしても、いい。人間、最後は成るようにしかならない。仏さまはすべてを受け入れ、「おsれでいい」とおっしゃってくださる。悟りの境地には、ただ、偉大なる真実があるだけ。悟りの真実に教え導かれれば、人生はもっと楽になるのです。
感想;
今、ここを生きる!
これだけでも人生が変わるように思いました。
今持っているものに感謝して生きることなのでしょう。
自然(じねん)に生きる。
人間は豊かな自然の恩恵を受け生きています。同時に、その世界は厳しい場所でもあります。豊かさだけに目がくらむと現実が見えなくなります。まずは現実を直視すること。それが本当の幸せにつながります。
・愛は 喜びと悲しみの はじまり
自分自身、そして世の中の現実についても本当の見る目をもつことが大切です。そうなることで、何が起きても受け入れる準備ができます。どのように生き、何が本当の拠りどころなのかを見つけてください。
・変化こそが 真のすがた
変化とは仏教でいうところの「無常」です。たとて家族が亡くなっても、いつまでも嘆かない。お経には、無常を正しく観(かん)じることができれば、苦しみから解放されると書いてあります。それが無常の智慧なのです。
・さからわず 執(とら)われず
悟りの境地は遥か彼方ではなく、みなさんのごく身近にあるのです。変にさからったり執われていては、観えません。
・縁(よ)って 起きている
「縁起」は仏教におけるキーワード。しかし、ことものすべてが「縁って起きている」ことを忘れ、どうしても「わがまま我」出てしまう。それが人間です。悟りの境地になると、敵味方、私と相手などという世俗的な関係を超えることができます。
・それはここ それはいま
いざというとき、泰然自若たりえないのが私たち人間です。しかし仏教の本質、つまりブッダによって悟られた真実は、五十億年後に地球が滅亡することがわかっていてもブレることがありません。その考え方に少しでも近づく姿勢が、尊いのです。
・自然(じねん)の ことわり
「いただきます」は大切な言葉。私たちは命をいただいて生きています。そして、最後は仏さまにお任せ。精いっぱい生き抜き、最後はお任せする。腹はすわらないままで、いい。お粗末なままで、いい。そういう人生がめぐまれます。
・なんの心配も いらない
それぞれの場で最善の努力を尽くし、一生懸命に生きる。結果が悪くても悲観する必要はありません。それは諦めではないのです。最後はみな、「自然」にかえる、迎え取られるのです。
・恵みの海は 非情の海
時として自然は、過激な姿で私たちを襲います。被害も大きくなります。防災対策は欠かせません。自然災害から逃れることはできない。すべての現象は、原因やさまざまな条件が互いに関係しあい、縁って起きている。私たちはその中で生き死にしているのです。
・自慢しない 粗末にしない
一日に一度は、自分のものを人に与える。しかも、それを自慢したり、見返りを求めない。人の悲しみ苦しみを、みずからの悲しみ苦しみとするなど、少しでも仏さまの真似ごとをさせていただくことで、世の中は住みよくなります。
・ごめんなさい ありがとう
かたくなに立場に固執し、人間どうしなぜ傷つけあうのか? これほど愚かな行為はありません。お互い仲良く共存するようにつとめ、相手に多くを求めない。そして「ごめんなさい」を忘れず、「ありがとう」の心をいただいて、「ありがとう」を言える身になっておく方がいいのです。
・怨みを すててこそ
世界中の人々が平和を願っています。それでも戦争は起ってします。すでに、核兵器という禁断の果実を口にしてしまった人間たち。仏さまの教えが広まれば、人類は争いという愚行から解放されるでしょう。平和への道を遠いものにしているのは、私たち自身です。
・「それで いい」ありがたい
泣いても、いい。不安が残るままでも、いい。老醜をさらしても、いい。人間、最後は成るようにしかならない。仏さまはすべてを受け入れ、「おsれでいい」とおっしゃってくださる。悟りの境地には、ただ、偉大なる真実があるだけ。悟りの真実に教え導かれれば、人生はもっと楽になるのです。
感想;
今、ここを生きる!
これだけでも人生が変わるように思いました。
今持っているものに感謝して生きることなのでしょう。
自然(じねん)に生きる。