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首相「投票結果を真摯に」言ったその日、工事進む辺野古  ”安倍首相の「真摯」の理解力”

2019-02-26 08:28:08 | 社会
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/首相「投票結果を真摯に」言ったその日、工事進む辺野古/ar-BBU4dps?ocid=spartandhp#page=2 2019/02/26
 沖縄県民が米軍普天間飛行場移設による辺野古埋め立てに「ノー」を突きつけて一夜明けた25日、安倍晋三首相は工事を止めることもなく、移設の必要性をひたすら繰り返した。自ら約束した「普天間の5年以内の運用停止」も空手形に。工事の長期化は必至で、民意を軽んじられ続ける県民の政権への不信は募るばかりだ。

 25日朝、沖縄県名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブのゲート前。有効投票数の72・15%が反対票を投じた県民投票を受けて、市民ら約40人が座り込んだ。「県民投票の結果で大きなうねりをつくろう」と拳を突き上げたが、県警の機動隊に抱えられ排除された。資材を積んだダンプカーやミキサー車が続々と到着し、沿岸部にはこの日も土砂が投入された。

 安倍晋三首相は衆院予算委員会で「県民投票の結果を真摯(しんし)に受け止める」と神妙な面持ちではあったが、続けた言葉は普天間飛行場の移設の必要性ばかり。「危険なまま置き去りにされることは絶対に避けなければならない。地元の皆様との共通認識である」。埋め立て工事の中断や見直しには一切触れず、沖縄の民意を無視し、工事を続行する姿勢は変えなかった。

 政府は県民投票を当初から「意味がない」と軽視していた。自民、公明両党は告示後も賛成を訴えるわけでもなく、投票率が下がることを期待していたのが実態だ。その影響もあって投票率は昨年の知事選より下がったが、反対票は玉城デニー知事の票数を超え、自公支持層も反対票を投じたのは間違いない。投票率52・48%は、2017年衆院選全体の投票率と1・2ポイントしか違わず、不参加で投票の政治的効果を減じようとした与党の思惑は外れた。

 それでも政府が無視するのは、日米両政府の合意を変えたくないという判断がある。首相は「普天間の全面返還については、日米で合意をしてから既に20年を超えて、今もなお返還が実現しておらず、もはや先送りは許されない」と答弁した。ハガティ米国駐日大使も朝日新聞のインタビューに「現行案を追求し続けること以外、実行可能な選択肢はないと思っている」と語っている。

 首相は3月1日にも玉城氏と面会するが、これまで通り政府方針を一方的に伝達することになりそうだ。首相官邸幹部は「民主党政権でも結局辺野古になった。辺野古しかない。県も反対だけで代替策なんて何の提案もしていないでしょう。辺野古になれば基地の面積は今の半分になる」とさえ語る。

 移設の是非が争点となった2度の知事選に続き、埋め立ての是非を問うた県民投票の民意さえも無視されることに、沖縄県側は収まらない。玉城氏は25日の県議会で「辺野古埋め立てを決して認めないという断固たる民意を真っ正面から受け止め、辺野古が唯一という方針を見直すべきだ」と政府に迫る考えを示した。県幹部は首相の「真摯に受け止める」との言葉について、「また口ばかりだ。本土の国民向けに丁寧な言葉ばかり並べるが、実際に沖縄でやっていることは誠実さのかけらもない。沖縄県民を馬鹿にしている」と語った。(宮野拓也、岡村夏樹)

感想
goo辞書「真摯」
まじめで熱心なこと。また、そのさま。

「県民投票の結果を真摯(しんし)に受け止める」
受け止めそしてどうするかが問われます。
一般には、その結果を尊重して改善することなのだと思います。

”辺野古埋め立て反対”の多くのご意見を真摯に受け止め、辺野古埋め立てを継続いたします。
と安倍首相は受け止め行動されています。
おかしくないでしょうか?
安倍首相は美辞麗句を使われますが、正しく言葉の意味をご理解されて使われていないように感じます。
それとも美辞麗句を並べていれば、国民からの批判が減ると思われているのかもしれません。

今回のことは沖縄県民だけの問題ではないと思います。
「民意を無視した政策を行う」ことを行動で進められています。
それはいつ何時、私たちに降りかかってくるかわかりません。

沖縄県民を孤立させないこと。
孤独感を持たれないためにも、多くの国民が声を上げる必要があるのだと思います。
琉球王国のように独立国の方がよかったより、日本に併合されてよかったとの思いを持って貰うためにも、沖縄県民の民意を大切にしたいと思います。

福澤諭吉著「学問のすすめ」
愚民が愚政を生むので、学問をしないといけない。
その言葉が頭の中で警鐘のように響いています。



「母の教え-10年後の『悩む力』」姜尚中著 ”母の教えを今考えてみる!”

2019-02-26 03:24:00 | 本の紹介
・「明日はね、明日が考えてくれると。今日は今日で十分たい。何とかなるけんね」

・父や母、おじさんや心友、そして何よりも息子の死は、私を一条の光すら見いだしえない、黒い太陽の世界に閉じ込めてしまいそうだった。私も、彼らのいる黄泉の世界に赴こう、何度か、そうした誘惑に駆られたこともある。しかし、私はそうしなかった。私のどこかに、誕生そのものが生命のエネルギーに満ちていたという、言語以前の記憶があるからなのか。人間が生まれ、生きていることそのものが祝福されている。その確信が、私からなくなることは一度もなかった。

・「ほんなこつ、世の中にはひどか人がおるけんね。油断ならんばい。ばってん、ほんなこつ、よか人もおっとたい。そん人たちにどがん助けられたことか。その恩は決して忘れんけんね」

・彼ら(ハンセン病を発病し、その後は熊本の菊池恵楓園に収容されていた)が、「食べてごらん」としきりに勧めてくれたのに、私は首を横に振ったまま、逃げるように家の中に隠れてしまったのだ。恵楓園の金子さんとハンセン病とおにぎり。その連想は、私を恐怖に陥れた。おにぎりを食べたら、きっと体が蝕まれ、いつか顔も歪み、溶け出していくのでは・・・。中学生になったばかりの私は、妄想に追いかけられるように、金子さんを忌み嫌っていた。
亡くなる数年前、過去のことを詫びたいと、数十年ぶりに再会した私に、優しい言葉をかけてくれた金子さん。生きて、生き抜くことが、わしらの矜持だと、毅然と語ってくれた彼も、程なく、異国の地で骨を埋めることになった。

・その朝鮮戦争は、戦後復興にあえいでいた日本にとっては「天佑神助」だった。

・「情のない、ひどい人もいるが、情のある、いい人もいる」
 母は、自覚しないまま、どこかで「クレマチスのような国」の出現を願っていたのではないだろうか。

・金大中さん
 「姜さん、隣国の文化に門戸を閉ざした我が国は、恥ずかしいと言わねばならないね。そうでしょう。日本の文化に飲みこまれるぐらいなら、むしろそうしたほうがいいくらいだ。たったそれだけの値打ちしかないんだから。でもね、隣の大国・中国にも同化せず、長い歴史と伝統、文化を保ち続けてきた我が国が、そんなことで地上からなくなるなんて、考えられないでしょう。だから、私は積極的に日本の文化に門戸を開く方針をとったんです。そして、わが国も、大衆文化を世界に発信していくべきだと考えたのですよ」
その後、韓流、K-POPなど、音楽や映像などの大衆文化は、アジアのみならず、グローバルな規模で世界に広がった。金大中氏が始めた文化政策の転換は、韓国そのものを大きく変えた。

・「一生懸命、生きる場所が故郷たい」

・「人はね、裸で生まれて、裸で死んでいくと。お父さんもそうだったし、私もたい」

・「山」に棲もうと思い立ったのも、孤独が際立つ都会ではなく、孤独を愉しみながら、生きることを分かち合い、そして、別々の最期を迎えるための、絶妙な距離感を求めていたからだ。

・「一生懸命生き抜いた。もうよかばい。よう頑張った」
高原の庭のある終の住処で、私はそう自分に言って聞かせる時が来ることを、孤独の影を感じながら楽しみにしているのである。

感想
貧しい中、学問を学ぶ機会がなくても、生きるということは学ぶことであり、そこから学んで得た考え方は、それは素晴らしいものなのだと思います。
まさに、姜尚中さんのお母様もそのようなお一人だったのだと思います。

お母様から聞いた言葉を、今その言葉の意味を考えてみられた本です。
姜尚中さんの厳しい人生において、その時その時にお母様の言葉が支えになってこられたのでしょう。