幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

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橋本氏「五輪の神様が使った」=病を公表の競泳・池江選手に関連付け発言 ”神様はそんなことはされない!”

2019-02-17 13:08:48 | 社会
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019021700014&g=spo jiji.com 2019年02月17日
 日本オリンピック委員会(JOC)の橋本聖子副会長が16日に東京都内で行った講演で、競泳の池江璃花子選手が白血病を公表したことに触れ、「五輪やパラリンピックに神様がいるとすれば、池江璃花子の体を使って五輪、パラリンピックというものをもっと大きな視点で考えなさいと言ってきたのかな、と私は思った」と発言した。

 また橋本氏は最近のスポーツ界の不祥事と関連付け、「ガバナンス(組織統治)、コンプライアンス(法令順守)で悩んでいる場合じゃない。スポーツ界全体が前向きにしっかりやりなさいという発信を、池江選手を使って、私たちに叱咤(しった)激励をしてきてくれているのかなとさえ思った」と述べた。

 参院議員の橋本氏は講演後、池江選手がツイッターで「神様は乗り越えられない試練は与えない」と記したことを踏まえた表現と説明。「スポーツ界全体が新たな気持ちで立て直していかないといけないということを、池江選手のメッセージから受け取った」と述べた。

 講演で橋本氏は池江選手に「頑張ってほしい」とエールを送り、スピードスケート選手だった高校時代の自らの闘病体験なども語っていた。

感想
なんか違和感を感じました。
JOC副会長として、やるべきことをしてこなかったということなのでしょうか?
「神様が池江選手の体を使って・・・」
そこまでしないと、JOC副会長の要職にありながら、気づかれないのでしょうか?
もし、そう思われるなら、ぜひ実践していただきたいと思います。

神様がそんなことをされないと思っています。
神様にもコントロールできないことがあるのではないかと思います。
「神様は乗り越えられない試練・・・」は他人がどうこういうことでなく、自分がそう思ってやっていくと、そこにはその試練が試練だけに留まらずに、大きな飛躍や多くの人に気づきや感動を与えることができるのだと思います。
それはまさに、池江選手だけができることなのだと思います。
それが神様からの一人ひとりへの使命なんだと思って生きるしかないのだと思います。

池江選手に「頑張ってほしい」とのメッセージ。
池江選手は頑張られます。
「頑張って!」はそれに追い打ちをかけるように思います。
「これ以上、頑張れない」時もあると思います。
無理をなさらずにできることで十分だと思います。

入院児と遊ぶボランティアをしばらくしていました。
多くの子どもたちは白血病か固形癌でした。
子どもたちがホッとできる、病気を忘れて楽しむ時間が遊びでした。
遊んでいる時は笑いや笑顔になれる時間でした。
そんなお時間が池江選手にもあることを願います。
そして回復を祈っています。



「わかりあえないことから コミュニケーション能力とは何か」平田オリザ著 ”人間は演じわけることができるサル!”

2019-02-17 08:42:58 | 本の紹介
・企業が求めるコミュニケーション能力は、完全にダブルバインド(二重拘束)の状態にある。
 「きちんと意見が言えること」
 「人の話が聞けること」
 「空気を読むこと」
たとえば「わが社は、社員の自主性を重んじる」と。
何かの案件について相談に行くと
「そんなことも自分で判断できんのか! いちいち相談に来るな」
いったん事故が起こると
「重要な案件は、なんでもきちんと上司に報告しろ。なんで相談しなかったんだ」と怒られる。

・一番いいのは体験教育だ。障害者施設や高齢者施設を訪問したり、ボランティアやインターンシップ制度を充実させる。あるいは外国人とコミュニケーションをとる機会を格段に増やしていく。とにかく、自分と価値観やライフスタイルの違う「他者」と接触する機会を、シャワーを浴びるように増やしていかなければならない。
ただこれには、予算や人員の制約がある。セキュリティの問題もあって、なかなか子どもたちを簡単に学校の外に出すことはできない。ここに、演劇、あるいは演劇的な授業の大きな役割がある。演劇は、常に他者を演じることができる。

・コミュニケーション問題を大きく2つのポイントから見ていくべきだと考えている。
1)「コミュニケーション問題の顕在化」
 コミュニケーションが求められる仕事が増えてきて、「無口な職人」のようなコミュニケーションより技術が求められる仕事が減ってきた。
2)コミュニケーション能力の多様化
 いま、中堅大学では、就職に強い学生は二つのタイプしかないと言われている。一つは体育会系の学生、もう一つはアルバイトをたくさん経験してきた学生。要するに大人(年長者)とのつきあいに慣れている学生ということだ。
ここで求められているコミュニケーション能力は、せいぜい「慣れ」のレベルであって、これもまた、人格などの問題ではない。

・人間は何かの行為をする時に、必ず無駄な動きが入る。たとえばコップをつかもうとするときに、最初からきちんとコップをつかむのではなく、手前で躊躇したり、一呼吸置いたりといった行為が挿入される。こういった無駄な動きを、認知心理学の世界ではマイクロスリップと呼ぶそうだ。すぐれた俳優もまた、この無駄な動き、マイクロスリプを、演技の中に適切に入れている。要するに私たちが、「あの俳優はうまい、あの俳優はへただ」と感じる要素の一つに、この無駄な動きの挿入の度合い(量とタイミング)があるということがわかってきた。この無駄な動きは、多すぎても少なすぎてもいけない。うあみ(と言われる)俳優は、これを無意識にコントロールしているのだろう。
この無駄な動きは、練習を繰り返すうちに少なくなっていく(埋没していく)という点だ。

・日本語は、
 ・強弱アクセントを(ほとんど)使わない
 ・強調したい言葉を、語頭に持ってきて繰り返すことができる
一方欧米の言語は、感情を強弱アクセントによって表現する。

・私は日本社会独特のコミュニケーション文化を、「わかりあう文化」「察しあう文化」と呼んできた。
「柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺」
ヨーロッパは「説明しあう文化」と呼んでいる。

・演劇は他者を必要とし、「対話」の構造を要請する。

・本「くりかえしの文法」

・「対話」を意識する
 ・日本語はまだ「対話」の言葉を確立していない
 ・近代演劇は、「対話」の言葉を重要視する

・コミュニケーションをデザインする、コミュニケーションの環境をデザインするという視点を持つということだ。私は、医師や看護師の技量を高めてあげることはできないし、そんなことは期待されていない。しかし、がん告知の朝に、部屋の花瓶の花を活けかえる心遣いを持った看護師を育てている、そのお手伝いくらいはできるかもしれない。

・新しい時代には、「バラバラな人間が、価値観はバラバラなままで、どうにかしてうまくやっていく能力」が求められている。私はこれを、「協調性から社交性へ」と呼んできた。

・科学哲学が専門の村上陽一郎先生は、人間をタマネギにたとえている。タマネギは、どこからが皮でどこからがタマネギ本体ということはない。皮の総体がタマネギだ。人間もまた、同じようなものではないか。本当の自分なんてない。私たちは、社会における様々な役割を演じ、その演じている役割の総体が自己を形成している。演劇の世界、あるいは心理学の世界では、この演じるべき役割を「ペルソナ」と呼ぶ。ペルソナという単語には、「仮面」という意味と、personの語源となった「人格」という意味が含まれている。

・人間のみが、社会的な役割を演じ分けられる。私たちは、演じる猿なのだ。

・若山牧水
いざ行かむ 行きてまだ見ぬ 山を見む このさびしさに 君は耐ふるや

・演劇は、人類が生み出した世界で一番面白い遊びだ。きっと、この遊びの中から、新しい日本人が生まれてくる。

感想
”人は演ずるサル”
まさにいろいろな立場でそれぞれの状況で最適な言動を演じることなのだと思います。

協調性より社会性。
違う価値観の人々が対話を通してより良い社会を築いていくのでしょう。

演劇を通して演じることを学ぶことができれば、上手く社会の中で生きやすい環境を作れるのでしょう。
”対人関係療法”
上司や周りとの対話を具体的なシチュエーションで、どう言葉を返したらよいかを練習し、そして実際の場で使っていくことで、関係性を悪くすることを減らすことを目的としています。