・「無私の日本人」
穀田屋十三郎は300年近く前に生まれた。仙台藩の重税にあえぐ宿場の民を救うため現在の価値で三億円の基金をつくって藩に貸し、年々藩から3000万円の利息をとって、30万円ずつ約100軒の家に配り宿場を衰退から救う制度をつくった。寒村だから基金三億円をつくるのが大変、穀田屋たち九人の商人が倒産覚悟で無償でお金を出し合った。そんなことをすれば当然、町の英雄になる。ところが穀田屋たちは「慎み」の約束を結ぶ。金を出して宿場を救った自分たちは子々孫々の代まで上座に座らない。やったことを人前で自慢しない。道の端っこを歩くように町で暮らす、というのである。
・昭和天皇は実父の大正天皇とはほとんど暮らしていない。父親代わりとなり絶大な影響を与えたのは、乃木・鈴木・桑野の三人である。桑野の自筆和歌集から、私は思った。昭和天皇は終戦時、関ヶ原の合戦を思っておられたのではあるまいか。昭和天皇は幼時、関ヶ原合戦の経緯を教わり、小早川秀秋の裏切りで事態が決したことを知り、桑野らに、自分は二心あるものを嫌う、と発言している。それで、北のソ連が参戦してきたとき、昭和天皇は30分もしないうちに幸福への行動をとっておられる。背後の松尾山に布陣した小早川=ソ連が襲ってくれば、西軍=日本はおしまいだ、という頭が、おありになったのではないか。終戦の夏、私は昭和天皇を育てた男の筆跡をみながらそんなことを考えた。
・この富くじはだいたい5%が当たりくじである。京都の東寺の富くじでいうと、三万枚発行して当たりくじが1,500枚。300両や150両は滅多に当たらないが、お金が二倍になる金一分(約8万円)の当選は776本もある。・・・ 決定的に違うのは控除率である。現代の宝くじの控除率(運営側=胴元などの取り分)は約55%で、かなりとられる。しかし、江戸時代の富くじは自社への奉納金が一割前後、販売手数料などを考えても、現代の宝くじよりずっと低かった。世の中はだんだん世知からくなっているということか。ちなみにそれを知る私は、一度も宝くじを買ったことがない。
・日本では仮名交じりの木版出版文化で、本で女性や庶民へ実学が広がった。識字率の高い、労働力の質の高い社会ができあがった。いわば「本」こそが日本を作ったといってよい。大砲が日本を作ったのではない。
感想;
古文書は歴史の教科書には出てこない、人々の生の声の宝庫のようです。
国が編纂した歴史書(例えば日本書紀など)はその時の政権(勝利した側)がまとめたものであり、その時の政権にとって都合の悪いことは記載せず、都合のよいこと、あるいは作話して掲載しています。
読む側はその可能性もあるとしてみます。
一方、古文書は書いた人の自由意志で書いています。
多くの人が書いた古文書を読み解くことで当時の状況がわかってくるのだと思いました。
穀田屋十三郎は300年近く前に生まれた。仙台藩の重税にあえぐ宿場の民を救うため現在の価値で三億円の基金をつくって藩に貸し、年々藩から3000万円の利息をとって、30万円ずつ約100軒の家に配り宿場を衰退から救う制度をつくった。寒村だから基金三億円をつくるのが大変、穀田屋たち九人の商人が倒産覚悟で無償でお金を出し合った。そんなことをすれば当然、町の英雄になる。ところが穀田屋たちは「慎み」の約束を結ぶ。金を出して宿場を救った自分たちは子々孫々の代まで上座に座らない。やったことを人前で自慢しない。道の端っこを歩くように町で暮らす、というのである。
・昭和天皇は実父の大正天皇とはほとんど暮らしていない。父親代わりとなり絶大な影響を与えたのは、乃木・鈴木・桑野の三人である。桑野の自筆和歌集から、私は思った。昭和天皇は終戦時、関ヶ原の合戦を思っておられたのではあるまいか。昭和天皇は幼時、関ヶ原合戦の経緯を教わり、小早川秀秋の裏切りで事態が決したことを知り、桑野らに、自分は二心あるものを嫌う、と発言している。それで、北のソ連が参戦してきたとき、昭和天皇は30分もしないうちに幸福への行動をとっておられる。背後の松尾山に布陣した小早川=ソ連が襲ってくれば、西軍=日本はおしまいだ、という頭が、おありになったのではないか。終戦の夏、私は昭和天皇を育てた男の筆跡をみながらそんなことを考えた。
・この富くじはだいたい5%が当たりくじである。京都の東寺の富くじでいうと、三万枚発行して当たりくじが1,500枚。300両や150両は滅多に当たらないが、お金が二倍になる金一分(約8万円)の当選は776本もある。・・・ 決定的に違うのは控除率である。現代の宝くじの控除率(運営側=胴元などの取り分)は約55%で、かなりとられる。しかし、江戸時代の富くじは自社への奉納金が一割前後、販売手数料などを考えても、現代の宝くじよりずっと低かった。世の中はだんだん世知からくなっているということか。ちなみにそれを知る私は、一度も宝くじを買ったことがない。
・日本では仮名交じりの木版出版文化で、本で女性や庶民へ実学が広がった。識字率の高い、労働力の質の高い社会ができあがった。いわば「本」こそが日本を作ったといってよい。大砲が日本を作ったのではない。
感想;
古文書は歴史の教科書には出てこない、人々の生の声の宝庫のようです。
国が編纂した歴史書(例えば日本書紀など)はその時の政権(勝利した側)がまとめたものであり、その時の政権にとって都合の悪いことは記載せず、都合のよいこと、あるいは作話して掲載しています。
読む側はその可能性もあるとしてみます。
一方、古文書は書いた人の自由意志で書いています。
多くの人が書いた古文書を読み解くことで当時の状況がわかってくるのだと思いました。