幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

レストランでのそばアレルギーの食事前の確認 ”せっかくアドバイスしても変わらず!”

2019-12-26 14:56:48 | 社会
病院内のレストランでラーマ念をいただきました。
食べ終わった後に、お蕎麦が短く切れたのが残っていました。
ひょっとして、ラーメンの麺をお蕎麦と一緒に茹でているのかもしれないと思い、店員に確認しました。
「お蕎麦のお湯と一緒です。ですので、お料理の見本を展示してところにそのことを表示しています」とのことでした。
「表示を見逃すこともあるので、口答で確認された方が確実ではないですか?」と伝えました。
「その通りですね。今後検討します」と。

帰りにお料理の展示のところに、その注意事項があるか確認しました。
なんと、お蕎麦のところに、「おうどんはお蕎麦と一緒のお湯で茹でています」と書いてありました。

おうどんの見本のところにはありませんでした。
おうどんの人はお蕎麦のところはみません。

かつ、ラーメンはお蕎麦を茹でているお湯と一緒とありませんでした。

お客様の立場で考える、お客様の立場で見ることが弱かったのでしょう。
店長も店員さん誰も気づかれていませんでした。


2週間後に再度、そのレストランに入りました。

前回は店長/料理長?が出て来られ、アドバイスありがとうございます。
改善しますと言われました。

改善しているかなと思って再度利用したら、
1)お蕎麦アレルギーの確認なし
2)相変わらず、お蕎麦のところに「おうどんはお蕎麦と一緒のお湯で茹でています」の注意は変わらず、うどんとラーメンのところにはありませんでした。

お蕎麦アレルギーの人はお蕎麦がメニューにあると近づかないので問題はないのでしょうか?
「藍屋」でおうどんを注文すると必ず蕎麦アレルギー有無を尋ねられるのですが。

【伊藤詩織さん事件】現場ホテルのドアマンが目撃した山口敬之の「連れ込み現場」 ”警察、検察はこの証言をどうみたのでしょうか?”

2019-12-26 13:13:18 | 社会
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191225-00599866-shincho-soci&p=1 12/25(水) デイリー新潮
伊藤詩織さん事件に判決! 闇に葬られた「ドアマンの供述調書」
 準強姦逮捕状が握り潰されて4年半。安倍官邸と次期警察庁長官を援軍とする総理ベッタリ記者とのレイプ裁判は長く苦しいものだった。が、その過程で闇に葬られた「ドアマンの供述調書」が浮かび上がってきた。それこそが控訴審のカギを握っているのである。
 ***
 世の中で怖いものの通り相場は地震雷火事親父だが、親父の権威失墜を踏まえて更に当世風に言えば、最後の4文字は「安倍官邸」となるだろうか。

 去る12月18日の10時30分、東京地裁709号法廷。時の宰相とそれにかしずく官邸官僚トップを巻き込んだ裁判に審判が下った。

 安倍総理に深く食い込み、全幅の信頼を得ていた“総理ベッタリ記者”こと山口敬之(のりゆき)・元TBSワシントン支局長(53)、そして彼に「レイプされた」と主張するジャーナリスト伊藤詩織さん(30)との間で係争中の損害賠償訴訟の判決が言い渡されたのだ。

 山口記者は、今年2月、詩織さんを相手取り、「名誉を毀損し、プライバシーを侵害した」として、1億3千万円の損害賠償を求めた。詩織さんは2017年9月、「支局長の立場に乗じ、就職斡旋をチラつかせ、レイプした」と、山口記者に1100万円の損害賠償を請求していたから、彼は「反訴」したことになる。

 12月18日に東京地裁が下した判決は、山口記者は詩織さんに対し、330万円の金員を支払えというもの。詩織さんの全面的な勝訴であるが、会見で山口記者は控訴の意向を示している。だから、2020年以降に両者は、東京高裁で更なるお上の裁きを待つことになる。

 その控訴審の帰趨を決するのが、ある陳述書の存在である。

 陳述書の作成者の氏名を明かすことはできないが、事件のあった東京・白金のシェラトン都ホテルに勤務し、事件当夜の15年4月3日、ドアマンとしてエントランスに立っていた人物である。

 陳述書の提出日は19年10月23日。準強姦発生から実に4年半の歳月が流れている。なぜ、これだけの時間を要したのだろうか。

 ドアマンは、その理由について、〈裁判所から何の連絡もないまま、もうすぐ(本件の民事裁判が)結審するというニュースを知り、このままでは私の見たことや私の調書の存在は表に出ることなく葬り去られてしまうと考え、9月末に伊藤詩織さんを支える会に連絡をし、ようやく伊藤さんの代理人に連絡が取れ〉たからだと綴っている。

 もっとも、裁判は10月7日に結審してしまっていたため、詩織さん側は弁論再開の手続きを求めたが、認められなかった。つまり、今回の裁判官の判断に、作成されたドアマンの陳述書は宙に浮き、1フレーズも考慮されていない。

 ではここで、事件当日から係争に至る経緯を駆け足で振り返っておこう。

 15年4月3日、TBSのワシントン支局長だった山口記者が一時帰国した折、ニューヨークで知り合い、TBSに働き口を求めていた詩織さんと会食した。山口記者のホームグラウンドである東京・恵比寿で2軒目までハシゴしたところから意識を失った彼女は、その後タクシーに乗せられた。タクシーはシェラトン都ホテルへ。山口記者の部屋に連れ込まれ、翌日未明、性行為の最中に目が覚めた。

 4月30日に警視庁高輪署が詩織さんからの刑事告訴状を受理。捜査を進めた結果、裁判所から準強姦(当時)容疑で逮捕状が発布された。6月8日、アメリカから日本に帰国するタイミングで山口記者を逮捕すべく署員らは成田空港でスタンバイした。しかし、その直前に逮捕は中止。捜査員は目の前を行く山口記者をただ見つめることしかできなかった。中止の命令は、当時の警視庁刑事部長で現・警察庁ナンバー3、官房長の中村格(いたる)氏によるもので、彼自身、「(逮捕は必要ないと)私が決裁した」と本誌(「週刊新潮」)の取材で認めている。

 中村氏は菅義偉官房長官の秘書官を長らく務め、その絶大な信頼を得てきた。ベッタリ記者逮捕の中止を命令する一方、安倍総理元秘書の子息による単なるゲームセンターでのケンカに捜査1課を投入し、相手を逮捕するという離れ業もやってのけたのは本誌既報(19年11月28日号)の通りだ。官邸絡みのトラブルシューター・守護神・番犬たる部長。その命を受け、捜査の仕切り直しを担った警視庁本部からの書類送検を受けた東京地検は、ほぼ1年後の16年7月に不起訴と判断。詩織さんは17年5月、検察審査会に審査申し立てを行なったものの、9月に「不起訴相当」の議決が出ている。

幼児の片言みたいに
 高輪署からドアマンに、「本件で話を聞きたい」とアプローチがあったのは、事件から少し経った頃だった。まだ逮捕状は握り潰されていないどころか、むろん出ていないし、中村部長も気付いていない。やってきたのは高輪署の強行犯係の刑事ら2人だった。社内の人間からその要請を聞かされたドアマンは最初、何のことだか思い当たるフシがなく、「記憶力があまり良い方とは言えず、思い出せる自信がない」と思ったという。

 捜査員はドアマンのところへやってくる前に、山口記者と詩織さんをホテルまで乗せてきたタクシー運転手から話を聞いていた。当の運転手は、「僕よりもホテルのドアマンさんの方が話を聞いているんじゃないですか」と告げたというのだ。

 そんなやりとりを聞きながら、ドアマンの頭に当日の光景が生々しく蘇ってきた。聞かれもしないのに山口記者の風采を話し出した彼に捜査員は虚を衝かれたことだろう。「記憶力があまり良い方とは言えない」彼がどうして「15年4月3日のこと」を詳細に覚えているのか。それは、「ドアマン生活の中でも忘れられない出来事だったから」だ。

 では、ドアマンの「私の見たこと」や「私の調書」について述べていこう。

 2人が乗ったタクシーがホテルの玄関前に滑り込んできた時、日本のドアマンなら誰もがそうするように、彼もまた後部座席の左側のドアの方へ出向いた。陳述書にはこうある。

〈その時に手前に座っていた男性と目が合い、怖い印象を受けました。そして、奥に座った女性に腕を引っ張るようにして降りるように促していた〉

 遠のく意識の中でも詩織さんは懸命に運転手へ「近くの駅まで」と言ったが、山口記者は「部屋を取ってある」と返し、タクシーは彼の指示に従ってここまでやってきたのだ。

〈女性の方は(中略)「そうじするの、そうじするの、私が汚しちゃったんだから、綺麗にするの」という様なことを言っていました。当初、何となく幼児の片言みたいに聞こえ、「何があったのかな」と思っていたら、車内の運転席の後ろの床に吐しゃ物がありました〉

 車内で戻してしまったのだ。それから、山口記者は詩織さんの腕を引っ張って、無理やり車外へ連れ出そうという動きを取る。

〈女性は左側のドアから降ろされる時、降りるのを拒むような素振りをしました。「綺麗にしなきゃ、綺麗にしなきゃ」とまだ言っていたので、座席にとどまって車内を掃除しようとしていたのか、あるいはそれを口実に逃げようとしているのか、と思いました。それを、男性が腕をつかんで「いいから」と言いました〉

 車寄せからホテルのエントランスまでの僅か10メートルほどの距離も詩織さんには遠すぎたようで、

足元がフラフラで、自分では歩けず、しっかりした意識の無い、へべれけの、完全に酩酊されている状態でした。「綺麗にしなきゃ、綺麗にしなきゃ」という様な言葉を言っていましたが、そのままホテル入口へ引っ張られ、「うわーん」と泣き声のような声を上げたのを覚えています〉

不本意に連れ込まれて
 むろん、ドアマンがこのことを刑事に話している際に、男女が何者であるか、刑事が何の捜査をしているのかは知る由もない。だから、本誌がこの件を記事にし、詩織さんが記者会見をする17年5月になって初めて、あれは〈この事件だったのか〉と気付き、ドアマンは会見を通して素面の詩織さんを初めて“目撃”することになる。

〈まるで別人でした。自分では歩けないから、男性が手を強引に引っ張ってホテルの玄関に入って行きました。私はそれを唖然として見送りました〉

 まさに我を失ったこの状態について、詩織さんは「デートレイプドラッグを山口記者に何らかの形で飲まされた可能性」とかねて主張し、山口記者はこれを全否定している。今となっては残念ながらこれを調べる術はないが、尋常ではない前後不覚ぶりだったことが陳述書を通じて浮き彫りになってくるのだ。

 正体を失った詩織さんとは対照的な山口記者の横柄な態度もドアマンには強く印象に残っている。

〈驚いたのが、男性がタクシーの運転手さんに一言の謝罪も無く、女性に対して言った「いいから」という言葉以外は無言で立ち去ったことでした。「え、何もしないで行ってしまうのか」と驚きあきれ、こういう場合、たいていは、運転手さんにクリーニング代のチップくらい渡すものなのに、運転手さんはかわいそうだな、今日はもう仕事にならないだろうな、と思ったのです〉

 世界に冠たるホテルチェーンの、経験豊かなドアマンの目を射たのは、山口記者の振る舞いのみならず、「吐しゃ物」にも及んでおり、

〈吐しゃ物はたいてい、周囲に広がっていくものなんです。ところが、その時の吐しゃ物は客席の足元に敷かれたフットマットの上に、こんもりと固形に近い形でありました。「へえ、珍しいな」と思い、せめて散らばらなくて運転手さんのためには良かったな、と思いました〉

 改めて、この日のことを詳細に記憶しているのは、

〈男性(山口記者)の運転手さんへの態度がひどいと憤りを感じたこと、女性の「綺麗にするの、綺麗にするの」というセリフを言って逃げようとする素振りをしていたこと、その声のトーンが何となく奇妙に感じられたこと、女性がその言葉を口実に相手の男性を拒否しているように見えたこと、さらに車外に出た後に女性が泣き声のような声をあげたことが、ものすごく印象的に残ったから〉

 だとし、

〈客観的に見て、これは女性が不本意に連れ込まれていると確信しました〉

 と答えた。それを受け、

捜査員は、「これだけはっきりした証言なら行けるな」と2人で話し、「じゃあ、次回は調書を取らして下さい」「ああ、わかりました」というやり取りをしました〉

 そして後日――。改めてやってきた捜査員の手で、ドアマンの供述調書は作成されたのである。


「これだけはっきりした証言」に基づいた調書のはずが、山口記者が逮捕されることはなかった。警視庁から東京地検へ本件が書類送検される際にはこの調書も含まれており、担当検事もこれを見ている。しかし、検察官自らドアマンから事情を聞いて、それを調書にした形跡は見当たらず、検察は不起訴と判断した。その後、詩織さんは検察審査会に審査を申し立てるのだが、これも「不起訴相当」の議決が下る。それは、これからも刑事裁判が開かれることはないとの宣告であり、検察が証拠とどう向き合ったのかを我々は知る術がなくなってしまった。

 ともすれば、ドアマンが、〈このままでは私の見たことや私の調書の存在は表に出ることなく〉と言うように、闇から闇へ葬られていた可能性が高いのだ。
「週刊新潮」2019年12月26日号 掲載

感想
タクシーの運転手の供述、そしてホテルマンの供述が第三者による客観性ある証拠ではないでしょうか。

なのに何故逮捕されなかったのか?
何故検察は不起訴処分にしたのか?
日本の法治国家が歪められているのではないかと思われます。

国民が黙っていることは、それを認めることになります。
一人でも、「おかしい」と声を上げることではないでしょうか?
詩織さんの勇気ある行動を支援しなければ、「おかしな」ことが当たり前になり、それがいつ自分にも降りかかってくるかわかりません。

「来場者4倍のV時回復!サンリオピューロランドの人づくり」小巻亜矢著 ”人を育てる! & 自分も学び続ける!”

2019-12-26 01:46:11 | 本の紹介
・V字回復の秘密
1)麺ターゲットを「大人女子」に変える
2)キャラクターの輪郭をなくす
3)オリジナルグッズを来場動機につなげる
4)「屋内型+キャラの個性」を生かしたイベントを増やす
5)ウォーミングアップ朝礼と「対話ふぇす」で笑顔を増やす

・私の強みを生かせることは「人をはぐくむこと」

・たくさんの「想定外」を乗り越えながら、今に至るまでの軌跡を綴っています。

・伝えたいこと
1)仕事の本質は「人として成長する」ことにある
2)人はいくつになっても変われるし、無限の可能性がある 
3)「自分となかよく」するのが大切
4)「人生は想定外でできている」

・課題イコール、すべて伸びしろです

・15年ぶりに訪れたピューロランドは全体的に暗く、どんよりしていました。入場してまず思ったのは、スタッフに笑顔が少ないこと。閑散として館内で、手持無沙汰な感じで立っているスタッフの姿ばかり目立ちます。ショップには色とりどりの商品が並んでいるのに、心に色が届きません。レストランの食事も、なんともいえない状況でした。温かくあってほしい料理が冷たいまま出てくる。それ以前に、食べたいと思えるメニューがありません。施設の老朽化も目立ちます。衝撃的だったのは、お客様用駐車場の壁の汚さです。ペンキ委が剥がれ、コンクリートにはシミが浮き上がっていました。駐車場は、お客様が最初にピューロランドに触れる場所です。それがこの薄汚い壁というのはないよね、と。
お土産買おうと思っても、商品にオリジナリティがないので「あえて買わなくてもいいのではん」と思ってしまう。
「これでは、人は来ないだろうな」
とても残念ですが、そう思いました。

・私のなかには「ピューロランドは絶対に良くなる」という思いも芽生えました。
1)天候に左右されない屋内型の施設
2)本格的なショーを開催できるシアターが整っている
3)「みんななかよく」という、サンリオ創業からずっと掲げてきた理念を発信できるという強み

・「マロンクリームの商品はありますか?」
「マロンクリームって、何ですか?」
これは本人たちの責任ではありません。きちんと教育がなされていないだけ。

・私だからできることは何か。
「社員全員の話が聞きたいです」

・面談やワークショップでは、5つの質問をしました。
1)なぜ、ピューロランドで仕事をしようと思ったのですか
2)なぜ、大変な時期でもピューロランドを辞めなかったのですか
3)あなたがこれまで「一番頑張ったこと」は何ですか
4)これまで「一番大変だったこと」は何ですか
5)ピューロランドを誰かに紹介するとき、アピールしたポイントはどこですか

・「やさしい話し方」「あたたかな聴き方」
この2つを心がけるだけで、社内の雰囲気はとても変わりました。

・挨拶だけで社内の雰囲気はぐっと良くなる
「館内でアルバイトさんを見かけたら、『寒くない?』とか『お疲れ様』と、積極的に声をかけてください」
正社員と非正規など、雇用形態の違いによる壁を壊すには、こまめな声かけが何より大切です。特に立場が上の人こそ心がけるべきです。

・「アルバイトさんをおもてなしするイベントをやりたいです」
私がピューロランドに来てから約3年。みんなの頑張りが実って、ピューロランドの経営はV字回復基調を見せていました。

・「どう?」
相手が抱えているモヤモヤや、私に伝えたいことを引き出せる魔法の2文字です。
:「バックヤードこそテーマパークに!」
「スタッフ用トイレをきれいにしたことが、職場改善のききかけになったそうですね」
サンリオ本社の辻社長に直訴に行きました。
「女性にとって、トイレはとても大切な場所です。修繕費は私のポケットマネーから出してもいいので、スタッフのトイレだけはどうしても直させてください」
すつお社長は、「それはいいね、支払いは僕が出しましょう」と言ってくれました。
最終的に「個人に出させるわけにはいかない」と、経理を担当している部長が渋々オーケーを出してくれました。振り返ると、予算外で計画の狂うことをお願いしてもう分けなかったと思います。そして、あらためて感謝しています。

・「いつでも遠慮なくメールを送ってください」
「皆さんが日々、何を感じ、どんなことを考えているのか知りたいので、何かあれば遠慮せずにメールしてください」

・ミッションはみんなの「お母さん」役になること

・悩んだら「三日坊主でもやってみる」

・人生は、人間についての学びの連続です。
生きるって何だろう。そんなことをずっと考えていました。

・人って、哀しくてかわいい、みんな愛おしい

・アロマ検定の資格取得に向けて勉強し、皮膚理論を学び、フェイシャルの学校にも通学していました。自分に足りない部分にばかり目がいって、「私には何もない」と思う。だから頑張って仕事をする。仕事をすると、知識が欲しくなる。睡眠時間を削ってでも、自分を高めなくてはいけない。常に欠乏感に苛まれていました。
車で自宅に到着した瞬間に発疹が出て、その場で倒れました。救急車で病院に運ばれました。・・・過労死寸前で危篤状態に陥りました。そのまま、2週間の入院生活が始まりました。次男を失ったときが私の1度目の死であるなら、このときが2度目の死でした。

・コーチング仲間から相談を受けました。
「子宮がんの検診を受けたいんだけど、婦人科の病院知らない?」
そう言えば、私も子宮がんの検査をしたことがありません。一緒に検診に行くことにしました。そして、待合室で偶然、「1か月以内に乳がんの件さを受けると1000円安くなります」という張り紙をみつけたのです。割安になるなら、一度受けておこうかな。・・・
左胸が乳がんに侵されているとのことでした。・・・
「限りある人生、悔いなく生きよう」と強く思うようになりました。

・私は「学び中毒」です。どんなに忙しい時でも、学びの予定を入れしまいます。
51歳で東大大学院で学ぶ。

・「PEST分析」
政治、経済、社会、技術の4つのマクロ環境を、網羅的に把握したいときに使います。

・私は「前例がない」という言葉が嫌いです。

・ピューロアンバサダーが社員に教えてくれたこと
ピューロランドのことが好きで、ピューロランドのことをSNSなどで積極的に発信してくださる方々に、アンバサダーとして応援をお願いしています。

感想
私はセミナーの最後に石碑に刻まれた「人が創る品質」を紹介しています。
人が品質を創っている。

まさに経営も人が創っているのでしょう。
お客様に喜んでいただくためには、社員が喜んで仕事をしているかどうか。
そしてそのための学ぶ機会があること。
皆が考えて行動する。
それができる風土がその会社にあることなのでしょう。
その風土を社長が醸成されているかどうかです。

著者のアイデアや改善をバックアップされた社長の存在も大きかったです。
何より、著者を抜擢されたことが大きかったです。

著者は学び続けてご自分を成長させて来られていました。
それが全て役立ったのだと思います。

女神の微笑みに気づくかどうか。
そのためには普段から自己成長に努めていくことなのだと思います。