2012年3月、ビビット始まる前にも出演
4年半務めた朝の番組を終わって2度目の出演
理想の女性上位ランキング1位にも。
53歳の時に高卒認定試験に合格
4年半務めて、最初は3時半、後半は5時くらいに局に入った。スタートは8時半。
51歳で司会を引き受けた。できるかと迷った。自分が持っていないものをやってみようとの気持ちがあった。やってみて、同じことも人によって見方が違うことが面白かった。
国分太一さんは時間を几帳面だった。私はそれに気を使わずに楽しんで貰おうと思った。
宝塚歌劇100周年記念式典で、歴代の先輩を話を聴こうと思って、終了を1時間伸びてしまった。お客さんの帰りの時間、売店で買い物の時間がなく売り上げが落ちたなど多くの迷惑をかけることを教えられた。
司会を始めた頃は発言を控えたけど、開かずの踏切は人は大変とのコメントに電車の運転手さん大変ですね。安全を考えないといけないのでと発言したら、運転手さんから多くの感謝の気持ちを貰った。お店で前から品物取りましょう(使用期限の短いもの)と発言したら、お店の人から感謝が寄せられた。
一番遠回りだったと思ったことが一番勉強になることを実感した。赤坂の局に感謝の気持ちで手を合わせている。
高校卒業認定試験を受けた。中学卒業して宝塚に入ったので中卒だった。役で東大、京大をやっているので卒業した気持ちに。
少しでも知識を付けたいな。そのためにはさかのぼらないといけないな(基礎から学ばないと)。
何かゴールがないとやらないな。だったら受験しよう。
勉強も暗記でしょうと思った。役のセリフも暗記でしょうと。
書店で参考書みたがちっともわからなかった。
私が塾行って勉強していることがビビットのスタッフにわかるようになった。参考書をキャリーバックで引いて来ていたので。撮影させてほしいと言われて、落ちたら恥ずかしいし。
撮影が入るのは塾の人にも迷惑かけるし。
ビビット終わってマンガ喫茶で勉強。
中学校卒業後に宝塚。当時は高卒の資格は要らなかった。
そして多い時は塾で1日5時間。
そして勉強して8か月。
受験した5科目全部合格。泣いてきた。
達成感、自信になった。
いろんなしがらみが良かった。落ちられない。
塾の先生を悲しませたくなかった。
塾に合格通知を見せにいけた。
受験の日、1枚目が手が震えてできなかった。
試験では全体を考えると短文1問3分、長文20分とか。
宝塚は母親のすすめ。叱咤激励された。
トップスターは自信ないと走れない。
自分にはったりみたいなものが必要。
今ははったりだけではだめ。
当然今も緊張しているが、前はよく見せたいとの緊張があった。
ビビットの間に母が去年10月に亡くなった。
忘れが増えて認知が弱くなった。
親が壊れていくのがつらかった。パニック起きたときにブログに書いた。書くと少し収まることを感じた。
今日母が私を忘れていた。
https://ameblo.jp/maya-miki-blog/day-20180820.html
何処かの貴方へ 2018-08-20
今日、母が私を忘れていた。
今年で米寿を迎える母
母の夫、
私にとっての父が他界してから約14年が経つ
あの父が亡くなった夜から、
母は少しづつ悲しみを忘れたいのか、
現実逃避していった気がする
私は敢えて認知症なんて言葉は使いたくない
悲しみを忘れたかった母の気持ちがわかる気がするから
だけど
今夜は一人
ただ、どこまでも歩きたかった
泣きたいと言う衝動的な娘としての感情と
それで良いんだ
といいきかせる、大人になっている自分がいることに気づいた夜だった
母の人生
母の思うままに
あたたかい日々であってくれたらいいな
何処かで、そんな思いをしている方がいたら、
そんな事
伝えたいなと思った。
今日も一日、お疲れ様でした。
明日も笑顔で、
お互いに朝を迎えたいですね
存在はしているけど母はいなくなったか。
と思ったら元に少し戻ったり、そして認知が進んだり。
それも含めてその時間が良いのかなと。
母の妹がはるこ。私のことを“はるこ”と。
そうしたら、その日は“はるこ”になりきることにした。
母に十分育ててもらったのに何を期待していたんだろうと思った。
シャルル・アズナブール「忘れじのおもかげ(シー)」
歌っていない。曲を背景に語っているような感じ。
Sheが母のように感じ。
https://enterstage.jp/news/2019/07/012524.html エンタ・ニュースより
フランスの劇作家ヤスミナ・レザによる4人芝居『正しいオトナたち』
歌も踊りもない台詞劇。ビビット終わったら2週間旅に出ようと。
しかし、台詞が多いので翌日から台詞を覚えることを始めている。
感想;
真矢みきさんのコメントがステキだと思っていましたが、その理由がわかったように思います。
ご自分の人生をとても大切にされて生きておられる方なんだとの印象を受けました。
少しでも見習えたらと思いました。
「一番遠回りだったと思ったことが一番勉強になる」
それを実践されたからこそ、出てきた言葉なんでしょう。
言葉に重みを感じました。