サワコの朝は2011年スタート。イラストレーター和田誠さん。
オープニングのイラストが和田さん
三谷幸喜さん、大竹しのぶさん、南伸坊さん
タバコのハイライト、週刊文春など。
1955年多摩美術大学に入学。
広告会社に入社して1年目にハイライトのデザイン採用。
イラストレーターという言葉を根付かせたのは和田さん。映画監督も。
マルチ・クリエイターのパイオニア。妻は料理家の平野レミさん。愛妻家。
私の愛した和田誠のスペシャル版
記憶の中で今も残る作品
三谷幸喜さんとの共著もある。
誕生日に自分のイラストをプレゼント。
和田さんのイラスト、エッセイが好きで。中学時代から憧れていた。
三谷幸喜さんが真似して大竹しのぶさんの似顔絵をプレゼントしてくれた。
麻雀放浪記で一緒して大のファンに。チャリティコンサートでイラストをお願い。
私は絵心ないので、「あいの歌」のイラストをいろいろなものに使った。和田さんのタダ働き。
中学校の時になんとなくイラストの仕事をしたいなときに、和田さんのピースの広告のイラストにあこがれた。
雑誌「話の特集」の中心が和田さん。編集も和田さん。篠山紀信さん、横尾忠則さんが出てきた。それまでイラストレーターは黒子だった。それを表に出されたのは和田さんだった。それは大変なことだったと。
妻のレミさんがビデオ出演。
少しは悪い旦那と結婚するのがよいよ。和田は何もない。
何か欠点があると亡くなった時に少し救いになるけど、和田はそれがなかった。
とても悲しい。
華厳の滝 イラストの中の言葉に、「滝に目がなく眺めに来た」があった。回文になっている。
あるとき、イラスト見ていて気がついた。
一番好きな人はレミ、二番目はサワコさん。実際はサワコさんだったのではないか。私に気を使って。
レミさんとサワコさんは似ている。(三谷幸喜)
映画監督として超一流。第43回日本アカデミー・会長特別賞を受賞した。映画「麻雀放浪記」。大竹しのぶさんが女優、和田さんが監督。その時、お腹に子どもがいて、すごく和田さんが優しくて。和田さんが毎日絵コンテを描いて来られて、それを見るのが楽しくて。
しのぶさんのコンサート。和田さんが企画して、ゲストとして出た。「歌こそドラマ」(2001年)。ピアノ、ドラムも大竹さんが演奏。タイム・ファイブも。ギターも弾いた。和田さんは”音楽“や“司会”も行った。
「私は和田誠です」と普通は言えない。
30歳の時、最初の夫が亡くなって、和田さんから「遊びにおいで」と言ってくださって、ずーっと子どもと遊んでくれた。慣れていないのに絵本を読んでくれたりと。
この番組を始めるのを相談したとき、これがいいあればいいと言ってくださった。TVに出るのが苦手。「ぼくは2曲考えているんだ」と。あのときもっと積極的に言えばよかった。
「オンエアーしないのでと出てもらえばよかった」(三谷幸喜)
感想;
いろいろなところで、和田さんんオイラストを見ていたことを知りました。
多くの人を愛し、愛された方なのだと知りました。
そしていろいろなことにチャレンジされて来られた方でした。
オープニングのイラストが和田さん
三谷幸喜さん、大竹しのぶさん、南伸坊さん
タバコのハイライト、週刊文春など。
1955年多摩美術大学に入学。
広告会社に入社して1年目にハイライトのデザイン採用。
イラストレーターという言葉を根付かせたのは和田さん。映画監督も。
マルチ・クリエイターのパイオニア。妻は料理家の平野レミさん。愛妻家。
私の愛した和田誠のスペシャル版
記憶の中で今も残る作品
三谷幸喜さんとの共著もある。
誕生日に自分のイラストをプレゼント。
和田さんのイラスト、エッセイが好きで。中学時代から憧れていた。
三谷幸喜さんが真似して大竹しのぶさんの似顔絵をプレゼントしてくれた。
麻雀放浪記で一緒して大のファンに。チャリティコンサートでイラストをお願い。
私は絵心ないので、「あいの歌」のイラストをいろいろなものに使った。和田さんのタダ働き。
中学校の時になんとなくイラストの仕事をしたいなときに、和田さんのピースの広告のイラストにあこがれた。
雑誌「話の特集」の中心が和田さん。編集も和田さん。篠山紀信さん、横尾忠則さんが出てきた。それまでイラストレーターは黒子だった。それを表に出されたのは和田さんだった。それは大変なことだったと。
妻のレミさんがビデオ出演。
少しは悪い旦那と結婚するのがよいよ。和田は何もない。
何か欠点があると亡くなった時に少し救いになるけど、和田はそれがなかった。
とても悲しい。
華厳の滝 イラストの中の言葉に、「滝に目がなく眺めに来た」があった。回文になっている。
あるとき、イラスト見ていて気がついた。
一番好きな人はレミ、二番目はサワコさん。実際はサワコさんだったのではないか。私に気を使って。
レミさんとサワコさんは似ている。(三谷幸喜)
映画監督として超一流。第43回日本アカデミー・会長特別賞を受賞した。映画「麻雀放浪記」。大竹しのぶさんが女優、和田さんが監督。その時、お腹に子どもがいて、すごく和田さんが優しくて。和田さんが毎日絵コンテを描いて来られて、それを見るのが楽しくて。
しのぶさんのコンサート。和田さんが企画して、ゲストとして出た。「歌こそドラマ」(2001年)。ピアノ、ドラムも大竹さんが演奏。タイム・ファイブも。ギターも弾いた。和田さんは”音楽“や“司会”も行った。
「私は和田誠です」と普通は言えない。
30歳の時、最初の夫が亡くなって、和田さんから「遊びにおいで」と言ってくださって、ずーっと子どもと遊んでくれた。慣れていないのに絵本を読んでくれたりと。
この番組を始めるのを相談したとき、これがいいあればいいと言ってくださった。TVに出るのが苦手。「ぼくは2曲考えているんだ」と。あのときもっと積極的に言えばよかった。
「オンエアーしないのでと出てもらえばよかった」(三谷幸喜)
感想;
いろいろなところで、和田さんんオイラストを見ていたことを知りました。
多くの人を愛し、愛された方なのだと知りました。
そしていろいろなことにチャレンジされて来られた方でした。