幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

「私たちはどう生きるか」姜尚中氏 (講演会より)”誰のために生きるか、誰と共に生きるか” 

2019-12-02 02:44:14 | 生き方/考え方
 引き受けることに関して逡巡した。どういう人がどういう思いで参加されるのか、お一人おひとり尋ねたい。約300名の方、様々な思い、関与の仕方があるのではないか。俯瞰的に学術的にみることはできない。当事者の方がいらっしゃるので。でもやはりお話した方がよいのではないかと思って引き受けた。

 フランシスコ教皇が長崎と広島を訪問された。学長をしている長崎にある鎮西学園の学生がローマ教皇にバチカンで逢った。鎮西学園の学生も何百人が原爆で亡くなった。全ての命を守る。命を守らなければならない。原爆、被災地の犠牲者だけでなく、さまざまな抑圧されている人々の命を守る。上から受けた抑圧を下に発散、それが虐めになっている。正しい答えはない。正しい問題を提起することしかない。我々はどう生きるかの一義的な答えはない。どういう質問をしたらよいか。我々は誰のために生きるのか。誰と一緒に生きるか。
人から愛されず、憎まれるが一番の貧困である。開発途上国でそれがはびこっている。それが形を変えて暴力になり人々を不幸にする。

 日本社会も不幸な時代になっている。私自身が幸福な時代を生きたかどうか、そう思えばそう思える。誰と生きるか。虐めや暴力を受けている人々はいつの時代もあった。ゲーテの「若きウエルテルの悩み」。ゲーテは自ら自殺を選んだ。時代の空気がある。

 1950年 昭和25年の熊本県の辺鄙な街で生まれた。あるときに高名な心理学者、河合隼雄さんと対談したときに、「なぜ(自分は)引っ込み思案になったのか?」と尋ねた。これはありふれたこと。高校時代、学校が選抜で優勝したり、野球部にいて私は体育会系だった。16歳から引っ込み思案になり、悶々とした。自分の城に閉じこもって外を見ていた。強い自尊心をもつほど、ブライドも高い。

 15歳~18歳は皆が丸太の上を歩いている。通常は霧が立ち込めているので丸太の下がどうなっているかは見えず、丸太の上をスーッと渡る人が多い。しかし、その丸太の上をなぜか渡れない人がいる。ほとんどの人は丸太が谷の上にあることがわからない。一部の人は谷の上にかかっていることがわかる人がいる。そうすると歩けない。谷底を見ているから。谷底は死だった。

 親しいおじさんが事故で死ぬところを見た。大人になりきれない子ども。丸太の上で逡巡している。思春期の危うさ。これが普通か普通でないかはわからない。スムーズに大学に行って、結婚して子どもを育てる人がいる。しかし、なぜ自分の子どもがそうならないのかはわからない。丸太の上を余裕を持って歩けるか。
どの環境で生まれるかである程度人生が決まっている。東京6大学の6割は東京圏内の人々。私の頃は田舎から東京にでて安定な生活ができるのが信じられる時代だった。。私が学生の時はドロップアウトを積極的にやろうという時代だった。ところが今はカエルの子はカエル。固定化されている。どこの大学に入るかで人生が決まる。決定論が支配的に決まっている。誰のところに生まれるかで決まってしまう。そういう時代は遠大な希望を持てなくなっている。私たちの時代は希望が持てた時代だった。

 当時は自分自身の内側にあった問題が社会の問題だと思った。内側ではなく外側。外側へのエネルギーになっていた。そしてそれが外側に向いていたのがまた内側に戻って来ている。

 三島由紀夫が割腹自殺した。問題の所在がわかって、変えていくことができた時代だった。
今は貧困、学歴がないのは個人、自己責任の問題として見られている。社会の問題ではなく自分の問題にされている。そして結果として自死を選んでいる。ライフリンクの清水君は教え子。彼が、自殺した中高齢の男性の遺族から遺書を見せてもらった。皆生きたいと思っていた。そして書いてあるのは、「申し訳ない」だったと話していた。社会に文句を言っていない。亡くなって逝く人は自己責任ではない。なぜこうなったのか?

 歴史的には説明できる。多くの問題が個人の問題になっている。なぜ私たちは社会を作っているのか。そして考えるようにしているのか。それはお互いが支え合う。そして生かされることを願っている。

 教皇が孤立を言われていた。他者との結びつき、相互認証。どんな実績がなくてもここにいてよい。それが考えられなくなっている。やまゆり園のように社会に要らない人々は生きる価値がないとのことで殺害した。私の職場の教授が、「社会貢献ができていない人はいない方がいい。早く社会から退場して欲しい」と発言したが、とても残念なことだが、その言葉は無言の圧力を感じる。日本だけでなく世界でもその考えがはびこっている。
ベルリンの壁崩壊から希望が芽生え、楽観論が広がって行った。労働の自由があるように幕を閉じる自由もあるという人もいる。

 そういう中でこのようなボランティア(いのちの電話)があって、人をつなげている。傷ついた人と人を癒さないといけない。

 苦しくてSOSを発している若者や大人がいる。どうキャッチすればよいかわからない。
悲観的な考えをもっているだけではない。文豪夏目漱石が熊本に住んでいた家が記念館になっている。寂しさを味わなければいけない。自由、個性を磨けが多くの人にあると思われた。今は自由闊達にできる幸せな時代だが、ある人には不幸な時代。今は全ての問題は家族が、個人が責任を持たないといけないようになっている。社会の中で生かされていることがなくなった。

 ネット上にばらまかれる罵詈雑言。生きづらい時代。社会を修復しないといけない時代になっている。我々がやっていることはささやかなこと。しかし、世界中に同じ思いを持っている人がいる。ローマ教皇13億のカソリックのトップ。その人たちが考え行動する。

 一つひとつのいのちがかけがいのないいのちである。時代の空気がどういうものかを知る必要がある。
結論を出すのは私の能力を超えている。この後のシンポジウムでも話し合いたい。
ここにいる人がその証明(どう生きるか)であるということを最後の言葉として残したい。

感想
「どう生きるか」が問われているのでしょう。
一人ひとりのその結果が自分の人生を、そして社会を創り出しているのだと思います。


https://blog.goo.ne.jp/egaonoresipi/e/bd0463a3be5fa5820911f96ac75f9035
「母の教え-10年後の『悩む力』」姜尚中著 ”母の教えを今考えてみる!


https://blog.goo.ne.jp/egaonoresipi/e/12e83aec979a5094275fddff91e64ba2
「逆境からの仕事学」姜尚中著 ”自分にとっての仕事の意味を考えよう”