この本は、幼い頃からワケもわからないままじぶんを否定され続け、そのためにじぶんには生きている価値がない、死んでしまいたいと感じ続けてきたひとりの少女の物語です。・・・
そのような暴力ではなくて、父親は教育、しつけという名の下に彼女にじぶんの価値観を押付け、妻や子どもの行動すべてをじぶんの思い通りにコントロールしようとし、母親はじぶんが犠牲になることで夫のそのような言動を支えようとしていたように思えます。・・・
最初の入院で出会った精神科医は、彼女に「あなたは病気ではないから、僕は治療はしません。あなたの成長のお手伝いをします」と宣言し、それが彼女の精神科医への信頼感を生みます。・・・
この物語を読んで、あらためて人を癒すのは薬ではなく人なのだということを実感します。
・・・ 最後にもうひとつ、「虐待は連鎖する」と言われます。この言葉を聞いたルカさんをずっと苦しめてきました。・・・ しかし、虐待は連鎖する運命なのだというこの言葉は、ほんとうは何の根拠もない言葉なのだということは、ルカさん自身んオ人生が証明しています。・・・
閉じた家族の輪が、この世界の他のたくさんの人々に開かれたとき、他者との出会いが生まれたときに、連鎖は断ち切られます。
・「虐待は連鎖する」 この言葉に、今までどれだけ縛られ苦しめられただろう。姉と二人で、一緒に泣いた夜を思い出す。「父親になぐられた娘は、いつか父親と同じような“なぐる男”と結婚してしまう。おまけに自分も虐待する親になってしまう。・・・
「あなたは絶対に虐待する親にはならない、百パーセント保証する」
そう何度も繰り返しはげましてくれたその言葉を、お守りのように出しては、大丈夫、大丈夫と」とお腹をさすっていた。
・それは私が二十二歳の冬のことだ。白いカーテンに仕切られたせまい観察室のベッドで目がさめた。体にはたくさんのチューブがついている。私は自殺をはかり、病院に運ばれたのだ。ふと顔を横に向けると、ひとりのお医者さんがベッドの横の椅子に腰かけ、かなしそうに私の顔をじっと見ている。・・・
「なんでこんなことしたんや」 先生は、たった一言、嘆くようにつぶやいた。私は何も答えられず、ただ天井を見ていた。けれど、その一言で自分がしてはいけないことをしたということが、やっとわかった。道徳や倫理などという理屈ではなく、心でわかったのだ。そのまましばらく、先生は何も話さずに、ただ一緒に居てくれた。その静かな時間の中で、私は恐れ多いほどに崇高で純粋な贈り物をもらった。それは、たとえ病気で寝たきりの状態であっても、生産的な活動が何もできなくても、どんな理由があろうとも「死ななくていい」「生きていていい」というメッセージだ。何も言わず、ただそばに座って、一緒に過ごしてくれたあの静かな時間が、私の命を肯定してくれた。
私の友達は、みんな死んでしまった。私だけ生き残ってしまった。
・父は常に体罰のチャンスを狙っているようだった。・・・
緊張感が支配する食卓では、食が美味しいと感じたことがなかった。いつも無言で怯えながら食べる。はしの持ち方が悪いとたたく、肘をつくとたたく、姿勢が悪いとたたく、食事中、ずっとたたかれてばかりだ。夕食が終わると、さらに緊張する時間がやってくる。父が私の勉強をみる時間だ。・・・
私は勉強が好きだ。でも無理に教えられて、暗記ばかりする学び方は苦手なのだ。一問間違うと目の前で鉛筆を折る、二問目、定規で体をたたく、三問目、硬い教科書の角で頭をたたく・・・。
・母は私の苦手な生き方をする人、受動的だ。価値観はいつも自分の外にある。
・父の怒りは火山が噴火したような勢いで「こんなに出来の悪いやつはうちの家系にいなかった、お前はうちの子じゃない」・・・ 「だれに食べさせてもらってるんや。出て行け」
・石川先生はいつも親身になって寄りそうように、しっかり話を聞こうとしてくれた。私も信頼していたけれど、自分の秘密を話すのは怖かった」
・「あなたは病気ではないから、僕は治療しません。あなたの成長のお手伝いをします」
その言葉は私の心にドーンとひびいた。この先生はふざけているけど、本当は思慮深い人だ、そして、もうすでに、私の心の中の何かを見抜いたのだ。
・「あなたは間違っとらん」
「あなたは正しい」
「あなたはホントは、明るくて素直な、ええ子なんよ」
親からずっと否定され続けてきた私にとって、どんなにありがたい言葉だったかわからない。それがたとえ、治療の技術をしての言葉であったとしても、この慈愛に満ちた言葉がなければ多感な時期を生き延びることはできなかっただろう。
・「私、お兄ちゃんにレイプされてから拒食になった。でもお医者さんにも看護師さんにも怖くて言えない」
「私のお父さん聴覚障碍者やねん。聴こえないと思って、お父さんの目の前でお母さんは不倫相手と電話する」
「小学生の時、お母さんが新興宗教にはまって幹部の男と駆け落ちしてしまった。私は棄てられたんや」
・病院からの通学
教師たちはタバコを吸いながら、私にこういう、「自由とは、自分の行動に責任をとることだ」 自己責任という冷たい響きは、悩み困っている生徒が目の前にいてもヘタに関わってめんどうになるのはゴメンだから学校は一切関与しない、と切り捨てられたように感じた。
・病院から学校へ通い始めて一か月ほど経ったある日、高校の担任教師が病院に見舞いに来て、熊本先生と私の三人で話をした。その場で教師は私に休学届を出して欲しいと言った。理由は「病院から学校に来る生徒はあなただけだから」という、スッキリとは納得できないものだった。結局のところ、学校は「精神科から学校へ通う」という前例のない生徒への対応がわからず、職務を放棄したようだった。そしてともだちから預かったという紙袋を置いて、さっと学校に帰って行った。紙袋にはクラスメート全員からの手紙が入っていた。・・・
手紙には私への気づかいに添えて、自分たちの悩みが書かれていた。・・・
差出人である友だちにはもう会えないのだ。絶望的な気持ちになって、大きな声で泣き叫んでしまった。
・”真の希望は絶望から生じる“ ある哲学者の言葉を思い出していた。
・シャドープロフェッサー“影の教授”と呼ばれる人物がいた。そうじのおばちゃんだ。
「あんた、ええ顔になってきた。ぼちぼち出してもらえるわ」
おばちゃんにそう言われた患者は、ぴたりと占いが当たるかのように、その日の内に開放病棟へ出ていく、私もおばちゃんに太鼓判を押してもらった直後、閉鎖病棟から出た。おまけに、おばちゃんは退院の予言もしてみせる。
「あんた、もうぼちぼち退院や。もう帰ってきたらあかんで。わかったな」黙々とホウキで床をはきながら、おばちゃんが私に向かってそう言ったのだ。
「あんた、どんなつらいことがあったんか知らんけど、こんなとこで若い大事な時を過ごしたらあかん。あんたは今、人生で一番ええ時や。これからどんどん歳をとっておばちゃんになる。あっという間や。おばちゃんみたいな年寄りでもな、毎朝四時に起きて五時から働いているんや、人間にはな、底力があるんにゃで、つらいことがあっても負けたらあかん。あんはもう退院や、帰ってきたら怒ったるしな」
そうじのおばちゃんは、人生は有限であることを日々かみしめて生きているようだった。”時“の大切さを知っているのだ。
・「ワシはあなたのことを信頼しとった。あなたは、こんなことせん子だと思うとった。あなたのことを元気にしてやりたいと思って処方した薬を、あなたは死ぬために使った。ワシは信頼していた人に裏切られた、ワシのかなしみがわからんのか。帰れ」
その日はそのまま、だまって帰った。夜も眠れずに一人で考え続けた。「信頼関係ってなんなの。私はどうして大好きな先生のことを信頼できないのだろう。どうすれば信頼できるのだろう。私は何を恐れているのだろう・・・」
数日後、もう一度熊本先生の外来に行った。・・・ 「先生、ごめんなさい」・・・
「あなたが元気になるまでの間、ワシがあなたを診る。治療を続けるか」
「うん、私、元気になりたい」
・リストカットを止めてくれたのは、男子病棟の患者さんの、次の一言だった。
「将来、産まれてくる子どもがかわいそうや。母親の手首に傷があるのに気が付い時の、子どもの気持ちを考えろ」
「私が子どもなんか産むわけないやん。結婚だってしたくないのに」
「いつか必ず結婚してお母さんになる。オレにはわかる。子どもが傷つくからもうやめろ」
そう力強く断言する彼も、私と同じく体だけ大きくなってしまった被虐待児だった。
・先生は大事に育てたそのポトスを、半分くらにハサミでチョンと切って、「育ててみたらどう?」と私に差し出した。・・・ 毎日そばで見ていると、だんだん愛おしく感じてきて、「もっとかわいがろう」「大事にしよう」という気持ちがわいてきた。
・「友達は死んでゆくのに、どうしてあの時、私は死ななかったのだろう。このまま生き続けて良いのだろうか。それは「許されることなのだろうか」
・「なあ、ルカちゃん。僕らの病気はな、思い通りにできひん病気や。いつか負けを認めなあかん。怖い野郎けど、一階勇気をだして太ってみいな。あと十キロ太ってもまだやせてるんやで、ルカちゃんは情緒不安定やからやせるんちゃうで。やせてるから情緒不安定なんよ」・・・
試しに一キロ太ってみる。二キロ、三キロ・・・。五キロほど増えたある日、思いがけないことが起こった。生理が来たのだ。
・体にに主導権をゆずる
私は心と体を分けて考えてみるようにした。すると、私が二人いることに気づいた。それは「心」という名の私と「体」という名の私。体こそが心の一番の友達だったのだ。私は今まで一番身近にいてくれる友達をないがしろにし、いじめ続けてきた。・・・
「かなしかったね・・・。痛かったね・・・。よく耐えてくれたね・・・。ごめんね・・・・。これからは、あなたをたいせつにするよ」
・徳島先生は「サバイバーズ・ギルト(生存者の罪悪感)」という言葉を教えてくれた。私がずっと感じていたい違和感とは、まさにこの罪悪感だった。
・私にはずっとおつき合いをしている男性がいた。彼とは私が十九歳の時、教会学校の幼なじみの結婚式で出会った。厭世観がいっぱいで自殺を考えていた頃だった。神父である幼なじみに招待されたわたしは、結婚式に参列していた。
「神様、あなたが教会を愛してくださったように、私たちも互いに愛し合えますように」
結婚式の礼拝で聞いた彼の祈りは、それまで聞いていたうんざりするような利己的な願い事ではなく、初めて聞いた希望の祈りだった。私はうれしくなって、礼拝後に彼に話しかけた。私たちは少しずつ仲良くなった。結婚を考え始めたとき、私は彼に打ち明けた。
「私、赤ちゃん産まないと思う。私、産んだらあかん人やねん」
彼は、それでもいいと言ってくれた。申し訳ない気がしたけれど、彼の言葉を信じてみようと思った。そして、私が二十六歳の時に、彼は私の夫になった。
・死者からの伝言
ある日、二歳の娘と昼寝をしようと、二人で布団に入っていたときのことだった。むすめが天井やカベのあたりを見渡して、ニコニコ微笑んでいる。
「どうしたん? 何見てるの?」
「キラキラの虫さん。いっぱい飛んでるねえ」
「え? キラキラのむしさん、見えるの?」
私には何も見えないけれど娘は何かが見えていて、声も聞こえているようだった。・・・
「お母さんに会いに来たんだって」
「キラキラの虫さん、何かお話してるの?」
「お母さんのことが大好きだって」
もしかしたら、亡くなった友だちが会いに来てくれたのかもしれない、そう思った。
「あとね、ごめんね、だって」
「え? ごめんて言ってるの?」
「うん『ルカちゃん、ごめんね。ルカちゃん、ごめんね』ってキラキラの虫さんたちが言ってる」
私は驚いた。罪悪感を抱えて苦しんでいるのは、生き残った私だけではなく、死んでしまった本人たちも同じなのかもしれない。私は心の中で彼らに伝えた。
「もういいよ」
すると彼らからも、こだまのように言葉が返ってきた。
「もういいよ。私たちのこと、もう、忘れていいよ」
もうこれからは、過去ではなく現在に焦点をあてて、そして人生を謳歌して欲しい、そんなふうに聴こえた。
・この本を手にとり、読んでくださって、ありがとうございました。さて、あなたは、読み終えたこの本を、どこに片付けますか? できれば、あなたの部屋の本棚のずっと奥のほうに、そっと置いてください。そして、ふと思い出したときに、友達を招くように、本棚から取り出して私を呼んでください。友達に会いに行くように、心を開いて読まれたいと思います。
生き続けている私が、この本を通して伝えたかったことは、死さえ選ばなければ、人は自由に生きてよいということです。もし、あなたが、うつで寝たきりの状態でも、手首を切ったばかりでも、過食の真っ最中で太っていても、ひきこもっていても、刹那的な人間関係に溺れたり、薬物やアルコールに依存していても、それが生きつづけるための手段であるなら、どうぞ続けてください。本棚のずっと奥のほうから、そっと、あなたを応援しています。
2017年 吉田ルカ
感想;
生きることとはどういうことかを教えてもらえたように思いました。
それにしても、自己否定の言葉などの虐待は、これほど大きな苦しみを与えるものだということが伝わってきました。
人に傷つけられるのですが、人が癒されるのは、結局人によってしかないのではないでしょうか。
言葉の暴力、言葉はあらためて大切なんだなと思いました。
その言葉に愛が伴っているとさらに大きいのでしょう。
そのような暴力ではなくて、父親は教育、しつけという名の下に彼女にじぶんの価値観を押付け、妻や子どもの行動すべてをじぶんの思い通りにコントロールしようとし、母親はじぶんが犠牲になることで夫のそのような言動を支えようとしていたように思えます。・・・
最初の入院で出会った精神科医は、彼女に「あなたは病気ではないから、僕は治療はしません。あなたの成長のお手伝いをします」と宣言し、それが彼女の精神科医への信頼感を生みます。・・・
この物語を読んで、あらためて人を癒すのは薬ではなく人なのだということを実感します。
・・・ 最後にもうひとつ、「虐待は連鎖する」と言われます。この言葉を聞いたルカさんをずっと苦しめてきました。・・・ しかし、虐待は連鎖する運命なのだというこの言葉は、ほんとうは何の根拠もない言葉なのだということは、ルカさん自身んオ人生が証明しています。・・・
閉じた家族の輪が、この世界の他のたくさんの人々に開かれたとき、他者との出会いが生まれたときに、連鎖は断ち切られます。
・「虐待は連鎖する」 この言葉に、今までどれだけ縛られ苦しめられただろう。姉と二人で、一緒に泣いた夜を思い出す。「父親になぐられた娘は、いつか父親と同じような“なぐる男”と結婚してしまう。おまけに自分も虐待する親になってしまう。・・・
「あなたは絶対に虐待する親にはならない、百パーセント保証する」
そう何度も繰り返しはげましてくれたその言葉を、お守りのように出しては、大丈夫、大丈夫と」とお腹をさすっていた。
・それは私が二十二歳の冬のことだ。白いカーテンに仕切られたせまい観察室のベッドで目がさめた。体にはたくさんのチューブがついている。私は自殺をはかり、病院に運ばれたのだ。ふと顔を横に向けると、ひとりのお医者さんがベッドの横の椅子に腰かけ、かなしそうに私の顔をじっと見ている。・・・
「なんでこんなことしたんや」 先生は、たった一言、嘆くようにつぶやいた。私は何も答えられず、ただ天井を見ていた。けれど、その一言で自分がしてはいけないことをしたということが、やっとわかった。道徳や倫理などという理屈ではなく、心でわかったのだ。そのまましばらく、先生は何も話さずに、ただ一緒に居てくれた。その静かな時間の中で、私は恐れ多いほどに崇高で純粋な贈り物をもらった。それは、たとえ病気で寝たきりの状態であっても、生産的な活動が何もできなくても、どんな理由があろうとも「死ななくていい」「生きていていい」というメッセージだ。何も言わず、ただそばに座って、一緒に過ごしてくれたあの静かな時間が、私の命を肯定してくれた。
私の友達は、みんな死んでしまった。私だけ生き残ってしまった。
・父は常に体罰のチャンスを狙っているようだった。・・・
緊張感が支配する食卓では、食が美味しいと感じたことがなかった。いつも無言で怯えながら食べる。はしの持ち方が悪いとたたく、肘をつくとたたく、姿勢が悪いとたたく、食事中、ずっとたたかれてばかりだ。夕食が終わると、さらに緊張する時間がやってくる。父が私の勉強をみる時間だ。・・・
私は勉強が好きだ。でも無理に教えられて、暗記ばかりする学び方は苦手なのだ。一問間違うと目の前で鉛筆を折る、二問目、定規で体をたたく、三問目、硬い教科書の角で頭をたたく・・・。
・母は私の苦手な生き方をする人、受動的だ。価値観はいつも自分の外にある。
・父の怒りは火山が噴火したような勢いで「こんなに出来の悪いやつはうちの家系にいなかった、お前はうちの子じゃない」・・・ 「だれに食べさせてもらってるんや。出て行け」
・石川先生はいつも親身になって寄りそうように、しっかり話を聞こうとしてくれた。私も信頼していたけれど、自分の秘密を話すのは怖かった」
・「あなたは病気ではないから、僕は治療しません。あなたの成長のお手伝いをします」
その言葉は私の心にドーンとひびいた。この先生はふざけているけど、本当は思慮深い人だ、そして、もうすでに、私の心の中の何かを見抜いたのだ。
・「あなたは間違っとらん」
「あなたは正しい」
「あなたはホントは、明るくて素直な、ええ子なんよ」
親からずっと否定され続けてきた私にとって、どんなにありがたい言葉だったかわからない。それがたとえ、治療の技術をしての言葉であったとしても、この慈愛に満ちた言葉がなければ多感な時期を生き延びることはできなかっただろう。
・「私、お兄ちゃんにレイプされてから拒食になった。でもお医者さんにも看護師さんにも怖くて言えない」
「私のお父さん聴覚障碍者やねん。聴こえないと思って、お父さんの目の前でお母さんは不倫相手と電話する」
「小学生の時、お母さんが新興宗教にはまって幹部の男と駆け落ちしてしまった。私は棄てられたんや」
・病院からの通学
教師たちはタバコを吸いながら、私にこういう、「自由とは、自分の行動に責任をとることだ」 自己責任という冷たい響きは、悩み困っている生徒が目の前にいてもヘタに関わってめんどうになるのはゴメンだから学校は一切関与しない、と切り捨てられたように感じた。
・病院から学校へ通い始めて一か月ほど経ったある日、高校の担任教師が病院に見舞いに来て、熊本先生と私の三人で話をした。その場で教師は私に休学届を出して欲しいと言った。理由は「病院から学校に来る生徒はあなただけだから」という、スッキリとは納得できないものだった。結局のところ、学校は「精神科から学校へ通う」という前例のない生徒への対応がわからず、職務を放棄したようだった。そしてともだちから預かったという紙袋を置いて、さっと学校に帰って行った。紙袋にはクラスメート全員からの手紙が入っていた。・・・
手紙には私への気づかいに添えて、自分たちの悩みが書かれていた。・・・
差出人である友だちにはもう会えないのだ。絶望的な気持ちになって、大きな声で泣き叫んでしまった。
・”真の希望は絶望から生じる“ ある哲学者の言葉を思い出していた。
・シャドープロフェッサー“影の教授”と呼ばれる人物がいた。そうじのおばちゃんだ。
「あんた、ええ顔になってきた。ぼちぼち出してもらえるわ」
おばちゃんにそう言われた患者は、ぴたりと占いが当たるかのように、その日の内に開放病棟へ出ていく、私もおばちゃんに太鼓判を押してもらった直後、閉鎖病棟から出た。おまけに、おばちゃんは退院の予言もしてみせる。
「あんた、もうぼちぼち退院や。もう帰ってきたらあかんで。わかったな」黙々とホウキで床をはきながら、おばちゃんが私に向かってそう言ったのだ。
「あんた、どんなつらいことがあったんか知らんけど、こんなとこで若い大事な時を過ごしたらあかん。あんたは今、人生で一番ええ時や。これからどんどん歳をとっておばちゃんになる。あっという間や。おばちゃんみたいな年寄りでもな、毎朝四時に起きて五時から働いているんや、人間にはな、底力があるんにゃで、つらいことがあっても負けたらあかん。あんはもう退院や、帰ってきたら怒ったるしな」
そうじのおばちゃんは、人生は有限であることを日々かみしめて生きているようだった。”時“の大切さを知っているのだ。
・「ワシはあなたのことを信頼しとった。あなたは、こんなことせん子だと思うとった。あなたのことを元気にしてやりたいと思って処方した薬を、あなたは死ぬために使った。ワシは信頼していた人に裏切られた、ワシのかなしみがわからんのか。帰れ」
その日はそのまま、だまって帰った。夜も眠れずに一人で考え続けた。「信頼関係ってなんなの。私はどうして大好きな先生のことを信頼できないのだろう。どうすれば信頼できるのだろう。私は何を恐れているのだろう・・・」
数日後、もう一度熊本先生の外来に行った。・・・ 「先生、ごめんなさい」・・・
「あなたが元気になるまでの間、ワシがあなたを診る。治療を続けるか」
「うん、私、元気になりたい」
・リストカットを止めてくれたのは、男子病棟の患者さんの、次の一言だった。
「将来、産まれてくる子どもがかわいそうや。母親の手首に傷があるのに気が付い時の、子どもの気持ちを考えろ」
「私が子どもなんか産むわけないやん。結婚だってしたくないのに」
「いつか必ず結婚してお母さんになる。オレにはわかる。子どもが傷つくからもうやめろ」
そう力強く断言する彼も、私と同じく体だけ大きくなってしまった被虐待児だった。
・先生は大事に育てたそのポトスを、半分くらにハサミでチョンと切って、「育ててみたらどう?」と私に差し出した。・・・ 毎日そばで見ていると、だんだん愛おしく感じてきて、「もっとかわいがろう」「大事にしよう」という気持ちがわいてきた。
・「友達は死んでゆくのに、どうしてあの時、私は死ななかったのだろう。このまま生き続けて良いのだろうか。それは「許されることなのだろうか」
・「なあ、ルカちゃん。僕らの病気はな、思い通りにできひん病気や。いつか負けを認めなあかん。怖い野郎けど、一階勇気をだして太ってみいな。あと十キロ太ってもまだやせてるんやで、ルカちゃんは情緒不安定やからやせるんちゃうで。やせてるから情緒不安定なんよ」・・・
試しに一キロ太ってみる。二キロ、三キロ・・・。五キロほど増えたある日、思いがけないことが起こった。生理が来たのだ。
・体にに主導権をゆずる
私は心と体を分けて考えてみるようにした。すると、私が二人いることに気づいた。それは「心」という名の私と「体」という名の私。体こそが心の一番の友達だったのだ。私は今まで一番身近にいてくれる友達をないがしろにし、いじめ続けてきた。・・・
「かなしかったね・・・。痛かったね・・・。よく耐えてくれたね・・・。ごめんね・・・・。これからは、あなたをたいせつにするよ」
・徳島先生は「サバイバーズ・ギルト(生存者の罪悪感)」という言葉を教えてくれた。私がずっと感じていたい違和感とは、まさにこの罪悪感だった。
・私にはずっとおつき合いをしている男性がいた。彼とは私が十九歳の時、教会学校の幼なじみの結婚式で出会った。厭世観がいっぱいで自殺を考えていた頃だった。神父である幼なじみに招待されたわたしは、結婚式に参列していた。
「神様、あなたが教会を愛してくださったように、私たちも互いに愛し合えますように」
結婚式の礼拝で聞いた彼の祈りは、それまで聞いていたうんざりするような利己的な願い事ではなく、初めて聞いた希望の祈りだった。私はうれしくなって、礼拝後に彼に話しかけた。私たちは少しずつ仲良くなった。結婚を考え始めたとき、私は彼に打ち明けた。
「私、赤ちゃん産まないと思う。私、産んだらあかん人やねん」
彼は、それでもいいと言ってくれた。申し訳ない気がしたけれど、彼の言葉を信じてみようと思った。そして、私が二十六歳の時に、彼は私の夫になった。
・死者からの伝言
ある日、二歳の娘と昼寝をしようと、二人で布団に入っていたときのことだった。むすめが天井やカベのあたりを見渡して、ニコニコ微笑んでいる。
「どうしたん? 何見てるの?」
「キラキラの虫さん。いっぱい飛んでるねえ」
「え? キラキラのむしさん、見えるの?」
私には何も見えないけれど娘は何かが見えていて、声も聞こえているようだった。・・・
「お母さんに会いに来たんだって」
「キラキラの虫さん、何かお話してるの?」
「お母さんのことが大好きだって」
もしかしたら、亡くなった友だちが会いに来てくれたのかもしれない、そう思った。
「あとね、ごめんね、だって」
「え? ごめんて言ってるの?」
「うん『ルカちゃん、ごめんね。ルカちゃん、ごめんね』ってキラキラの虫さんたちが言ってる」
私は驚いた。罪悪感を抱えて苦しんでいるのは、生き残った私だけではなく、死んでしまった本人たちも同じなのかもしれない。私は心の中で彼らに伝えた。
「もういいよ」
すると彼らからも、こだまのように言葉が返ってきた。
「もういいよ。私たちのこと、もう、忘れていいよ」
もうこれからは、過去ではなく現在に焦点をあてて、そして人生を謳歌して欲しい、そんなふうに聴こえた。
・この本を手にとり、読んでくださって、ありがとうございました。さて、あなたは、読み終えたこの本を、どこに片付けますか? できれば、あなたの部屋の本棚のずっと奥のほうに、そっと置いてください。そして、ふと思い出したときに、友達を招くように、本棚から取り出して私を呼んでください。友達に会いに行くように、心を開いて読まれたいと思います。
生き続けている私が、この本を通して伝えたかったことは、死さえ選ばなければ、人は自由に生きてよいということです。もし、あなたが、うつで寝たきりの状態でも、手首を切ったばかりでも、過食の真っ最中で太っていても、ひきこもっていても、刹那的な人間関係に溺れたり、薬物やアルコールに依存していても、それが生きつづけるための手段であるなら、どうぞ続けてください。本棚のずっと奥のほうから、そっと、あなたを応援しています。
2017年 吉田ルカ
感想;
生きることとはどういうことかを教えてもらえたように思いました。
それにしても、自己否定の言葉などの虐待は、これほど大きな苦しみを与えるものだということが伝わってきました。
人に傷つけられるのですが、人が癒されるのは、結局人によってしかないのではないでしょうか。
言葉の暴力、言葉はあらためて大切なんだなと思いました。
その言葉に愛が伴っているとさらに大きいのでしょう。