幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

「障害者の個性楽しみ」パラリンピック開閉会式の仕掛け人 栗栖良依さん ”人生からの問いかけにYESと”

2020-02-02 11:33:11 | 社会
https://mainichi.jp/articles/20200129/k00/00m/050/124000c 毎日新聞2020年02月01日
 開催国の文化や伝統、芸術などを世界にアピールする機会でもある五輪・パラリンピックの開閉会式。クリエーティブディレクターを務める栗栖良依さん(42)は、開閉会式を通じて「共生社会」を描こうとしています。病気になってもあきらめず、夢を追い続けた半生を聞きました。【聞き手・芳賀竜也】

 ――クリエーティブディレクターの仕事を教えてください。
 ◆私は主にパラリンピックを担当しているのですが、障害のある人がセレモニーに出るために必要なアクセシビリティー(利用しやすさ)のケアや、キャスティングをしています。ステージ演出を手掛ける人たちは、日常的に障害者と仕事をしているわけではないので、必要な部分を補助しています。障害者が安全に舞台に立ち、最高のパフォーマンスができるために伴走する役割です。

 ――障害者と創作活動をするようになったきっかけは?
 ◆2010年に骨肉腫を患い、右脚が不自由になったことが直接のきっかけですね。いろんな障害がある人たち、誤解を恐れずに言えば面白い人たちに出会う機会が増え、自分が持っていない視点や気付きをたくさんもらえるようになりました。「障害者って大変」とか「頑張っているんだよ」などと伝えるつもりはさらさらなく、多様な個性から生み出される「楽しさ」を伝えたいです。

 ――五輪に興味を持ったのはいつですか?
 ◆高校1年の冬、リレハンメル冬季五輪の開会式をテレビで見て「五輪の開閉会式を自分で作りたい」と思いました。高校までバスケットボール部だったのですが、それとは別に仲間と年3、4回、舞台作品を作り、校内で発表していました。「平和に貢献する仕事がしたい」と進路を考え始めていた頃に出合ったのが五輪の開会式です。五輪は「平和の祭典」ですよね。すべてのピースがはまったのが五輪の開会式でした。

 ――その後の歩みは?
 ◆セレモニーは一番スケールの大きいアートと考えて、大学ではアートマネジメントを専攻しました。バレーボールなどの国際大会でアルバイトをして経験を積み、1998年長野冬季五輪ではボランティアで選手村の式典交流班を務めました。06年トリノ冬季パラリンピックの開会式も見に行くなど海外でも勉強しましたが、10年に病気をしてしまったんです。自分の人生の浮き沈みが、五輪の年表と並行している気がします。

衝撃的だったロンドン・パラリンピック
 ――転機となった出来事はありますか。

 ◆やはり12年ロンドン・パラリンピックですね。10年に骨肉腫が見つかり、手術は成功しましたが、5年生存率は高いとは言えず、一年一年を平和に過ごすことを目標にしていました。そんな中で迎えたのがロンドン大会です。テレビで開会式を見たのですが、衝撃的でした。ジェニー・シーレイさんという演出家が手掛けたのですが、彼女も聴覚障害を持ち、主役からマスキャストに至るまでとにかく多様な人々で作られている。十人十色の多様な人たちの掛け算によって、こんなに面白いことができるんだと思いました。

 ――横浜で活動されているのは?
 ◆障害を持つ人の個性を生かした現代アートの国際展「ヨコハマ・パラトリエンナーレ」ですね。ロンドン・パラリンピックで衝撃を受け、14年に横浜市とフェスティバルを開催し、その中で障害者と一緒にパフォーマンスをするコンテンツを作りました。ところが、実際にやってみると、参加者がなかなか見つからないという壁にぶつかりました。障害を持つ人のアクセシビリティーに問題があったのです。それをきっかけに、アクセシビリティーの専門家を養成し、参加しやすい環境作りに努めました。

 ――そして念願の東京五輪・パラリンピックですね。
 ◆昔から「五輪の開会式を作るのが夢」と公言していたこともあり、13年に東京大会の開催が決まった時には、友人から「おめでとう」と言われました。まだ何も決まっていないのに(笑い)。縁あって16年リオデジャネイロ・パラリンピック閉会式の旗引き継ぎ式にステージアドバイザーで関わり、今回もクリエーティブディレクターを務めます。

 ――演出は秘密でしょうが、どんなステージにしたいですか。
 ◆パラリンピックの開閉会式は、400人超のキャストを公募しました。特に障害がある人に応募を呼び掛けたところ、約2000組5000人超の応募がありました。イベントの規模は異なりますが、14年のヨコハマ・パラトリエンナーレの応募者はわずか5人、17年でも60~70人でした。17年は、全国の自治体や文化団体関係者から「どうしてそんなに集まるの」と驚かれましたが、パラリンピックは桁違いです。チャンスがあれば舞台に立ちたいと思っている人がこれだけいるんだ、という証明になりました。

魔法が使えても過去に戻りたくない
 ――東京パラリンピックを通じて、どんな社会になればいいと思いますか。

 ◆もし私に魔法が使えて「病気になる前の健常者に戻れるよ」と言われても、私は「戻してくれるな」と言います。つえが邪魔だとか、走れないとか、物理的な不自由さはありますが、今の方がよっぽど自由に楽しく生きています。今の社会の空気感って、行き詰まっているじゃないですか。同調圧力に押しつぶされそうで、皆さんつらそうな顔をしている。それよりも、みんなバラバラで、違いを認め合って生きているコミュニティーの方が幸せだし楽しい。誰のことも否定しないし、自分も否定しない。みんながお互いの違いを認め合い、生かし合える社会になればいいなと思います。

くりす・よしえ
 1977年生まれ、東京都出身。横浜市のNPO法人スローレーベル理事長。パラクリエーティブプロデューサー、ディレクター。2010年に骨肉腫を患い、右下肢機能全廃となったことをきっかけに障害福祉の世界と出合う。14年からヨコハマ・パラトリエンナーレ総合ディレクター。趣味は旅行、温泉巡り。

感想
骨肉腫を患い、右脚が不自由になりました。
骨肉腫ですから死ぬことも考えられたでしょう。
「もし私に魔法が使えて「病気になる前の健常者に戻れるよ」と言われても、私は『戻してくれるな』と言います。つえが邪魔だとか、走れないとか、物理的な不自由さはありますが、今の方がよっぽど自由に楽しく生きています。」
骨肉腫になっても生きる目的を見失わずに、努力を重ねて来られたからこそ、言える言葉なのでしょう。
まさに「人生からの問い(骨肉腫になったがどうするか?)」に”Yes”と受け入れて、できないことよりも、できることを探して来られた結果が今なのだと思います。

彼女は多くの人に勇気と元気と希望を与えてくれていると思います。

ロゴセラピーでは、「人生から問いかけてくる」と考えます。
そして自分がどうそれを受けいれて選択していくか。
できないことを”黒石”、できることを“白石”に例えます。
彼女は黒石を数えることより、その状況でも持っている白石を見つけ、それをやって来られたのでしょう。

ロゴセラピーについて
人が創る品質 -ロゴセラピー(ヴィクトール・フランクル「夜と霧」)-

「続『超』整理法・時間編 タイム・マネイジメントの新技法」野口悠紀雄著 ”なるほどなるほど”

2020-02-02 03:30:00 | 本の紹介
・タイム・マネイジメントの3要素
1) スケジューリング
・事前の予定をどのように立てるか
・実際にどのように仕事を進めるか
2) 時間節約
・連絡に関連する時間
・書類探しに要する時間
3) 時間増大
・他人の時間を分けてもらう
・他人に時間を盗まれ兄
・すきま時間の有効活用・

・スケジューリングの二条件
1) 自分の持ち時間
2) 自分のなすべき仕事

・まぎわシンドローム
1) 焦ると方向を間違えがちである。
2) 無理をして疲れ、疲れると能率が下がる。
3) 他人の協力が得にくくなる。

・時間を見る技術
1) スケジューリングの基本は、自分の持ち時間となすべき仕事を、「目に見える」形で把握することである。
2) このため、つぎの道具を用いる
 ・数週間が見渡せるスケジュール表
 ・仕事の配置を示すTO-DOボード
 ・その日の仕事を示す「すぐやるメモ」
3) 従来式の欠点
 ・一覧できないため、スケジューリングの補助手段にならない。
 ・不要になった部分も持ち歩かざるをえない。
 ・コピーを取りにくい
 ・A4時代に対応していない。

・スケジューリングの技術
1) 仕事の進め方五原則
 ・中断しない時間を確保する。
 ・案件が発生した現場で、少なくとも応急措置を講じる。
 ・拙速を旨とする。8割できたら、ほかの仕事を先に片付ける。仕事には、とにかく着手する。
 ・あるところまできたら、意識的に寝かせる。
 ・所要時間が不確実な案件を先にすませる。
2) スケジューリングのためのヒント
 ・昨年の記録を参照して、今年の場合を予測する。
 ・他人との約束などによって人為的な締切りを設定する。
 ・自分のスケジュールを関係者に知らせておく。
 ・ダブルブッキング防止のため、予定表を一つに限定する。
3) 不確実性への対処
 ・未来が予見できないのは、スケジューリングにおける本質的な問題である。これに対処するため、予備日を「過剰に」作っておく。一定期間(三か月程度)以上先のやくそくをしない。

・連絡時間の無駄をなくす技術
1) 電話の問題点
 ・仕事が中断される。
 ・受け手の態勢ができていないところにかかる。
 ・知りたいことがすぐに分からない。
 ・相手がつかまらない。
 ・「言った・言わない」問題が起きる。
 ・言い忘れ、聞き忘れ、早飲み込みなどのミスが起きる。
2) ファックスの利点
 ・上の問題はすべて解決される。
 ・ファックス受信紙を事後の事務処理に使える。
 ・予定表が自動的にできる。
 ・相手を判断できる。
 ・定型文書の送信は電話より早い。
3) 時間順の電話番号簿と住所録
 ・恒常的な連絡相手でなければ、手帳の習慣スケジュール欄に書く。
 ・過去の発信記録を番号簿、住所録として使う。

・組織内コミュニケーション革命
1) 組織内の簡単な連絡も、口答から文書に切り替える余地が大きい。これによって時間節約や時間差調整が可能となり、効率的なタイム・マネイジメントを表現できる。
2) 日本型組織は、口頭連絡に頼りすぎている。産業構造の変化や情報技術の発展方向を考えると、これは大きな問題だ。
3) 会議には整理すべきものが多い。ここでの要点も、文書に切り替えることである。
4) 電子メールが普及すると、事務処理をコンピューターの中で連続して行えるため、効率が飛躍的に上昇する。ただし、メールの受信量が処理能力を超えるという「電子メール地獄」のおそれはある。これにいかに対処するかが、今後の重要な問題となろう。

・押出しファイリング
 書類・資料等を最小単位でまとめ、角二型封筒に入れる。封筒裏面の右端に日付と簡単な内容を書く。それらを本棚の左側から格納していく。この際、内容による分類をしないで、時間順に並べてゆくことが重要である。使った封筒は、元に戻さずに左端に入れる。こうすると使わない封筒は右に押し出されてゆく。この過程で、不要なものは随時捨てる。

・「超」整理法の基本原理は、「ポケット一つ原則」と「時間順原則」である。

・シャーロック・ホームズは、「知りたいことを聞き出すこつは、こちらのいうことに意義を唱えさせることだ」と言っている。つまり、「真実を教えてもらいたい」という人間の本能を刺激するのである。「四人の署名」事件で、目的の船の外観を聞くのに、彼は、船の持ち主に対してあてずっぽで「古い緑色の船だね」と言って、「いえ、新しくて黒い船です」との答えを引き出している。

・時間を増やす技術
1) 時間は買うことができる。人的サービス以外の携帯でも購入できる。
2) 自分のほうが能率がよいという理由で部下に仕事を任せない上司は、組織全体の能率を下げている。
3) 教えてもらう、メモを書いてもらうなどの方法で、人の時間を分けてもらうこともできる。これらは、送付にメリットをもたらすことがある。
4) 時間泥棒を見分ける技術が必要である。余計な情報は最初から取り入れないほうがよい。
5) 通勤時間、待ち時間などのすきま時間の活用は、馬鹿にならない。

・人間の認知・記憶能力とタイム・マネイジメント
1) 人間が一瞬のうちに識別できる対象は七個程度でしかない。一週間を超える期間のスケジューリングが難しいのは、このためである。ただし、複数属性の対象の場合には、式月可能性が高まる。文書だと内容を把握しやすいのは、二次元配列になっているからだ。
2) ワーキングメモリ(短期記憶)に保持できる限度も、七個程度である。ただし、これは「袋」の数に関する制約である。符号化して袋の中に多くの情報を詰め込むと、記憶できる情報量が増える。
3) ワーキング・メモリはきわめて早く揮発する。このため、中断シンドロームが問題となる。
4) メモ手段として、入力の容易さでは録音が、編集・検索では電子的手段が優れている。神は、満遍なく優れている。紙のメモの場合、「ポケット一つ原則」を守ることが重要だ。

・他人の時間を大切にしよう
 ・定刻を守ろう
 ・予定を通告しよう
 ・待ち時間を知らせよう
 ・連絡先を知らせよう
 ・公衆電話は3分で切ろう
 ・「ご懇談」はやめにしよう
 ・「ご挨拶」もやめよう
 ・列車の席を別々に
 ・透明なルールの社会へ

感想
この本を読んで、いくつかやっていることがあり、やっぱりそうかと納得することがたくさんありました。

会社で多くの打ち合わせや会議(2~3/1日)、かつメールが120~150/1日来ていて、返事が必要なものもたくさんありました。
どうしたか?
会議中にPCを持って、自分に関係がないときはPCのメールを確認して、必要により返信していました。
ところがまだそれを誰もやっていない(一人だけ外人のGさんがやっていました)時でした。
数人の上司(役員)から何度も注意されました。
ある上司からは「会議中にPCやっているのはGさんとお前だけだ」と言われました。
Gさんは米国の医師だったので特別扱いされていました。
しかし、そうしないと仕事が終わりませんし、メールの中には早く指示が必要なものもありました。
なので、「会議中にPCでメールを確認しないと仕事が終わりませんし仕事に差し支えありますから」と返しました。その頃は組織長になり残業は少し減って60~70時間/1日でした。
きっと上司からはマイナス評価になったと思います。
雑誌に日本を代表する大手企業の役員が書いた記事がありました。
「会議中にPCを持ってきて仕事をしない人はよっぽど暇な人だと。会議は自分が関係がないことやきいていればいいものもあり、自分が関係するのは一部だと。なので、その関係がない時間を有効に活用することである」
その通りだと思いました。
それから少しずつPCを会議に持ってくる人が増えてきました。

事務局を7つほどしていました。2時間の会議だと議事録作成に2時間ほどかかります。
仕事が終わりません。
なので、会議前に議事録のスタイルに作成し、司会しながら記録をノートの代わりにPCに直接打ち込ました。
そうすると議事録の作成が格段に速くなりました。
そしてその日の内に関係者に議事録のドラフトを送付し、間違いがないかを確認しました。
参加者にとっても、話し合った内容が直ぐに手に入るとのメリットがありました。

米国にいたときに感心したのは、米国の学生は常に本を持ち歩き、ちょっとした時間ができると本を読んでいました。
それから本を持ち歩き、ちょっとした時間、通勤中、電車待ち、人を待つ時間などで読むようにしたら、読書量が各段に増えました。
かつ精神的なメリットもありました。
目の前で電車のドアが閉まっても、約束時間に人が来なくても、「読書タイムができた」と思うと嫌な気持ちが減っていきました。

ボランティアを始めたのは、当時70~80時間/月残業をしていて、とてもボランティアしている時間はないと思っていました。
大きな病気して「時間は限りあるものだ」と強く認識しました。
やりたいことが将来できる保証はないと思いました。
やりたいときにやらないときっとできない。
そこで残業が多かったのですが、ボランティアをやりだしたら、何とできたのです。
時間は創るものだとつくづく思いました。

https://blog.goo.ne.jp/egaonoresipi/e/3381634cbd0673a98031634b3502bbff
水口ロータリークラブ標語「他人の時間を大切に」 ”意味を尋ねたら回答いただきました”


会社員の現役の時にボランティアやっていて、ボランティア団体の事務局から電話があり、出られないと留守電に「折り返しお電話ください」とありました。
メールだと可能なので、「メールでお願いします」と送りました。
普段から「勤務中は電話に出られないからメールでお願いします」と言っているのにお構いなしでした。
何度お願いしてもそのボランティアの事務局からは電話でした。
逆に、対応が悪いとまで言われました。
まさに人の時間を取る行為だったのです。
相手の状況を想像することが弱かったのでしょう。

別のボランティアは連絡は全てメールでやり取りしていました。
そしてどうしても電話が必要な時は、相手の都合を確認して電話で行っていました。
それで十分連絡は取れました。