闘病中の佐伯チズさんが、最後に伝えたい33の言葉をまとめたムック「夢は薬諦めは毒」を発売
https://news.yahoo.co.jp/articles/e6ac2126f32b021b6026c29c0ae7c924a82b6a07 ENCOUNT6/6(土)
佐伯チズさんが、遺言として残したいメッセージを33の言葉
美容家・佐伯チズさんのムック「夢は薬諦めは毒」(C)宝島社
株式会社宝島社は、美容家・佐伯チズさんのムック「夢は薬諦めは毒」を7月9日に発売する事を発表した。
「夢は薬諦めは毒」は、2020年3月にALS(筋萎縮性側索硬化症)を公表し、闘病を続ける佐伯チズさんが、遺言として残したいメッセージを33の言葉とともにつづったもの。
またムックには「佐伯チズヒストリー」や、美のカリスマとして名を馳せる事となった「佐伯式美肌メソッド」、美食家の佐伯さんお気に入りの「お取り寄せ」などを収録する予定。
発売に向けて編集担当者はムックを制作するきっかけについて次のように語った。
「佐伯チズさんのもとに取材・撮影で伺った日のことです。彼女が開口一番私に言った言葉は『私、理(ことわり)のないことは言いたくないの』でした。取材を続けるうちに、物事は一つ一つつながっているということや、私たち人間は生き物であり自然の一部であり、きちんと理由があって形を成し、すべきことがあるということを学びました。正直にその感想をチズさんに述べたところ、『私が得てきた世の理や考えてきたこと、感じたことを皆さんにもっと伝えたいの。特に親や祖父母の世代から教わる機会を失ったり、人生について改めて考え直している人に気づいてほしいことがいっぱいあるの』 その答えを聞いた日から『大人のおしゃれ手帖』という月刊誌でエッセイを掲載し、チズさんの格言にのせて、読者に一番伝えたいという人生哲学を最終的に本としてまとめようという計画が走り出しました」
「そんな矢先に、彼女の身にALS(筋萎縮性側索硬化症)という病が潜んでいることがわかりました。残念ながらご自身も驚くほど早く進行していく病状が、私たちの紡いでいこうと考えていた時間を奪っていきました。そんな中でも、前向き女王のチズさんは、本を制作することに力を注いでくださいました。『夢は薬。諦めは毒』。そんなチズさんの想いを残したい。その一心で私たちも制作にあたりました。『簡単ではない日々が蓄積していくのが人生。でも、考え方一つで乗り越えられるんです。人間ってうまくできてるんです。一緒にがんばりましょうね』そう寄り添ってくれたチズさんの言葉を皆さんにお届けしたく思います」
また、佐伯チズさんは、誌面で次のようにコメントを残した。
「私にはまた夢が一つ増えました。それは、このALSという病気を世間の皆さまにもっと知ってもらうこと。最新の医療技術をもってしても、進行を遅らせるしか術がないこの病気を、たくさんの方に知ってもらうことでALSの治癒、寛解という希望の光がこの先の未来に差すことを祈っています」「幸せになりたい人、キレイな肌を手に入れたい人……いろんな願いが人の数だけあります。私自身、強く願うこと、夢を追いかけ続けることで、目標や夢を現実にしてきました。そんな私から、皆さんに届ける最後の一冊になれば嬉しいです」
(『夢は薬 諦めは毒』~はじめに~ より 佐伯チズ)
□佐伯チズ(さえき・ちず) 1943年生まれ。OL経験を経て美容学校で学び、美容室勤務ののち、67年、フランス化粧品メーカー、ゲランに入社。その後、渡米などを経て88年、パルファン・クリスチャン・ディオールに入社、インターナショナル・トレーニング・マネージャーに就任。2003年6月、同社を定年退職後、エステティックサロン「サロン・ドール・マ・ボーテ」を開業。講演、テレビ、雑誌などのメディアを通じて“キレイ”への道を伝え続けている。
ENCOUNT編集部
感想;
夢を持つことはまさに自明灯なのでしょう。
今までの夢は諦めざるを得なくなったと思います。
新しい過酷な状況でさえ、夢を持ちそれを実現出来ることをこれから実践されて行かれるのでしょう。
人生に意味を見つけるのではなく、人生の方から問いかけがあると、ロゴセラピーでは考えます。
まさに佐伯チズさんは人生からの問いかけに応えて行こうとされているのだと思います。
ロゴセラピーはナチスの強制収容所を体験したオーストラリアの精神科医ヴィクトール・フランクル(「夜と霧」著者)が始めた心理療法です。
http://inorinohinshitu.sakura.ne.jp/logo.html
人が創る品質 -ロゴセラピー(ヴィクトール・フランクル「夜と霧」)-
追記;ご冥福をお祈り申し上げます。
https://news.goo.ne.jp/article/dot/entertainment/dot-2020060900032.html
裏切られ2億円が消えた…佐伯チズさんが生前に語った“頑張る理由”2020/06/09 14:36
佐伯チズ(さえき・ちず)/1943年生まれ。定年退職後にサロンドール マ・ボーテ、チャモロジースクールを開業。「佐伯式」の美肌術が大評判となった(撮影/大野洋介・写真部)
(AERA dot.)
美容家の佐伯チズさんが5日、筋萎縮性側索硬化症(ALS)のため亡くなった。76歳だった。9日に事務所が発表した。
2003年に化粧品会社を定年退職した佐伯さんは、同年の著書「佐伯チズの頼るな化粧品! 顔を洗うのをおやめなさい!」(講談社)がベストセラーになるなど、「佐伯式」の美肌術を広めて一躍話題となった。08年にはエステサロン「サロンドール マ・ボーテ、チャモロジースクール」を開業し、12年には大学の客員教授を務めるなど、活躍の場を広げてきた。だが、今年の3月にALSと診断されたことを公表。以降は車イスでの生活を余儀なくされるなど、メディアで闘病生活が報じられてきた。
活躍の裏には苦難が絶えなかった。生前に自身の半生を振り替えったインタビューでは、42歳のときには最愛の夫をがんで亡くし、「信頼していた女性の裏切りに遭いました」とも告白していた。週刊朝日2018年8月17−24日合併号での佐伯さんのインタビューを再掲する。
* * *
3年前、信頼していた女性の裏切りに遭いました。彼女には、10年ほど私のマネジメントや会社の経営を任せていました。
彼女と、彼女が連れてきた男性に会社を乗っ取られたんです。言われるがままに出資した個人の2億円も、使途不明金のまま消えてしまいました。物販会社は私の手を離れ、「佐伯チズ」の商標の大半や、顧客名簿も持っていかれました。
手元に顧客名簿がないから、私を信じてくれていたお客さまに、事情を知らせることができないのがつらかった。済んだことをあれこれ言うのは好きではありませんが、私がこうして表に出て話すことで、わかってもらうしかないんです。
それまで第二の人生は順調だと思い込んでいました。ところが、人生ってそう甘くはないものですね。
――オードリー・へプバーンに憧れて美容家を志した。一つの転機は、42歳のとき。最愛の夫をがんで亡くし、お肌もボロボロになってしまった。
私は父母の愛情を受けずに育ったから、結婚したときは本当にうれしかった。チャーミーグリーンのコマーシャルがあったでしょ。おじいさんとおばあさんが手をつないで歩くシーン。ふたりでよく「ああいう夫婦になろうね」って言ってたの。
結婚したときに「私はせいいっぱいあなたに尽くしますけど、ひとつだけお願いがあります」って言ったの。「朝起きたときと、お出かけするとき、そして寝る前にはチューさせてください」って。主人はずっとさせてくれてたわ。ほら、私はヘプバーンに憧れてたから。
夫が進行したがんだとわかったとき、それまで長く勤めていた外資系の化粧品会社を辞めて、看病に専念しました。余命3カ月という宣告でしたが、1年半寄り添って過ごせました。最後のお別れのときは、手を握って、生まれ変わってもまた結婚しようねって約束しました。
夫を亡くして、痛いほどその存在が身に染みました。最愛の人を亡くすというのは、こんなに寂しいのか、心のスキマっていうのはこういうものかって。何もやりたくない時期が3年ぐらい続いたんです。お肌のお手入れもせず、友達には「そんな肌してたら、ご主人嘆くわよ」って言われましたね。
かつての同僚が、いつまでも泣いてちゃダメだって言って、クリスチャン・ディオールを紹介してくれて、45歳で東京で働き始めました。
美容部員の教育を任されて、会社のむちゃな要求もクリアしたけど、必要のない化粧品は売りたくないというのが私のポリシー。会社とぶつかって、何度か理不尽な「左遷」にも遭いました。
それでも定年まで歯を食いしばってがんばれたのは、主人のおかげです。絶対に愚痴は言うな、やりたいことを愚痴を言わずにやれば、必ずやり遂げられる。生前、いつもそう言ってたんです。それに昔、「社会のお役に立てる仕事ならがんばりなさい」と言ってくれた主人に、天国で再会したときに「私、定年までがんばりました」と報告したい。その気持ちがあったから、投げ出さずに済んだんです。
――美容家としてのブレークは、定年後。退職直後に出した本『頼るな化粧品! 顔を洗うのをおやめなさい!』が大ヒットし、テレビ番組など多方面から引っ張りだこに。あの女性の“裏切り”さえなければ、75歳で引退する人生のはずだった。
引退して、やりたいことがいっぱいあったの。ミニクーパーに乗って日本中を回って、おいしいおそばを食べるっていう夢もあった。今年で75歳になったけど、引退したらお客さまにも迷惑をかけた人にも申し訳ないから、しばらく先延ばしね。
私をだました女性を、私は後継者にするつもりだったの。美容師免許を取らせようとしたり、マニュアルを口伝で教えたりして、フランスにも連れていった。
でも、彼女は私のところにいて何ひとつ勉強していなかった。陰では「なんで私が継がなきゃいけないの」なんて言ってたらしいわ。
スタッフも次々に辞めていくし、「おかしいな」と感じてはいたの。どうやら彼女が私に近い人たちを追い出すようなことをしていたらしい。私はすっかり信用していたから、ぜんぜん気付かなかった。ほんとにバカよね。
2011年に東日本大震災があって、その影響で当時銀座にあったサロンは赤字が続いていました。でも、彼女が「先生の古希のお祝いは銀座にいる間にしてあげたい」なんてかわいいことを言うから、じゃあもう少しがんばろうと思ったの。
古希のお祝いは13年7月にグランドハイアット東京で盛大にやってもらったんだけど、そのときも首をかしげることが多くて。知らないうちに5人ぐらい発起人が増えてた。彼女が美容ライターとして世話になろうとしていた人たちなのよね。なんだか後継者のお披露目みたいになっちゃった。おめでたい席だから、何も言わずにニコニコしてたけど。
彼女は私に来た仕事を勝手に断って、自分が代わりに雑誌に連載を持ったり、テレビの収録に行ったりなんてこともありました。「佐伯はそういうことはしません」「もう歳なので無理です」なんて言って。
最終的には彼女が辞めて、それからいろんな人が「実はこうだった」って教えてくれました。もっと早く教えてくれればいいのにって言ったんだけど、「だって佐伯さん、すっかり彼女を信じていたから、聞かなかったでしょ」って言われて。
私は、世の中にそんな人がいるなんてことが、まったくイメージできなかった。怒りというより、悲しくて、そんな人を信じていた自分も情けなかった。経営者としては、まるで失格ってことよね。
こうなってしまったのは、相手を信用しすぎたからかしら。勝手に娘のように思って、会社の通帳や印鑑まで預けるようなことをしちゃダメね。親しくても、ある程度のところで線を引く必要もあるんだなってことは、とても勉強になったわ。
――人生は七転び八起き。思わぬ道をたどることになった美容家人生だが、今は再び輝きを取り戻し、さらにパワーアップしている。
きっと神様・仏様が「お前にはもう少しやることがある」と言ってくれているんだと思います。私は昔から、「諭吉さん(お金)を追わずに人を追い続けましょう」って言い続けてきたけど、それは間違ってなかった。事情を知ると「そういうことなら一緒にやりましょう」「佐伯さんとやりたいと思っていたんです」という話がたくさんきました。多くのものを失ったけど、私を信用してくださる人がたくさんいてくれる。インスタグラムっていうんですか。世界中の人が「佐伯式の美肌術できれいになりました」って写真をアップしてくれているみたいです。
美容道を通じた社会貢献も今の私の目標です。私が憧れたヘプバーンは晩年、世界の難民キャンプを回っていた。彼女のように、発展途上国に行って、女性の仕事を創り出したい。世界には、まだまだ女性の地位が認められていない国が多い。「佐伯式ローションパック」を伝えれば、そこからあらゆる広がりもでき、女性たちが仕事に自信を持てるようになれると思う。美容道の仕事には男性は口出しできないものね。
(聞き手/石原壮一郎)※週刊朝日 2018年8月17−24日合併号より抜粋
https://news.yahoo.co.jp/articles/e6ac2126f32b021b6026c29c0ae7c924a82b6a07 ENCOUNT6/6(土)
佐伯チズさんが、遺言として残したいメッセージを33の言葉
美容家・佐伯チズさんのムック「夢は薬諦めは毒」(C)宝島社
株式会社宝島社は、美容家・佐伯チズさんのムック「夢は薬諦めは毒」を7月9日に発売する事を発表した。
「夢は薬諦めは毒」は、2020年3月にALS(筋萎縮性側索硬化症)を公表し、闘病を続ける佐伯チズさんが、遺言として残したいメッセージを33の言葉とともにつづったもの。
またムックには「佐伯チズヒストリー」や、美のカリスマとして名を馳せる事となった「佐伯式美肌メソッド」、美食家の佐伯さんお気に入りの「お取り寄せ」などを収録する予定。
発売に向けて編集担当者はムックを制作するきっかけについて次のように語った。
「佐伯チズさんのもとに取材・撮影で伺った日のことです。彼女が開口一番私に言った言葉は『私、理(ことわり)のないことは言いたくないの』でした。取材を続けるうちに、物事は一つ一つつながっているということや、私たち人間は生き物であり自然の一部であり、きちんと理由があって形を成し、すべきことがあるということを学びました。正直にその感想をチズさんに述べたところ、『私が得てきた世の理や考えてきたこと、感じたことを皆さんにもっと伝えたいの。特に親や祖父母の世代から教わる機会を失ったり、人生について改めて考え直している人に気づいてほしいことがいっぱいあるの』 その答えを聞いた日から『大人のおしゃれ手帖』という月刊誌でエッセイを掲載し、チズさんの格言にのせて、読者に一番伝えたいという人生哲学を最終的に本としてまとめようという計画が走り出しました」
「そんな矢先に、彼女の身にALS(筋萎縮性側索硬化症)という病が潜んでいることがわかりました。残念ながらご自身も驚くほど早く進行していく病状が、私たちの紡いでいこうと考えていた時間を奪っていきました。そんな中でも、前向き女王のチズさんは、本を制作することに力を注いでくださいました。『夢は薬。諦めは毒』。そんなチズさんの想いを残したい。その一心で私たちも制作にあたりました。『簡単ではない日々が蓄積していくのが人生。でも、考え方一つで乗り越えられるんです。人間ってうまくできてるんです。一緒にがんばりましょうね』そう寄り添ってくれたチズさんの言葉を皆さんにお届けしたく思います」
また、佐伯チズさんは、誌面で次のようにコメントを残した。
「私にはまた夢が一つ増えました。それは、このALSという病気を世間の皆さまにもっと知ってもらうこと。最新の医療技術をもってしても、進行を遅らせるしか術がないこの病気を、たくさんの方に知ってもらうことでALSの治癒、寛解という希望の光がこの先の未来に差すことを祈っています」「幸せになりたい人、キレイな肌を手に入れたい人……いろんな願いが人の数だけあります。私自身、強く願うこと、夢を追いかけ続けることで、目標や夢を現実にしてきました。そんな私から、皆さんに届ける最後の一冊になれば嬉しいです」
(『夢は薬 諦めは毒』~はじめに~ より 佐伯チズ)
□佐伯チズ(さえき・ちず) 1943年生まれ。OL経験を経て美容学校で学び、美容室勤務ののち、67年、フランス化粧品メーカー、ゲランに入社。その後、渡米などを経て88年、パルファン・クリスチャン・ディオールに入社、インターナショナル・トレーニング・マネージャーに就任。2003年6月、同社を定年退職後、エステティックサロン「サロン・ドール・マ・ボーテ」を開業。講演、テレビ、雑誌などのメディアを通じて“キレイ”への道を伝え続けている。
ENCOUNT編集部
感想;
夢を持つことはまさに自明灯なのでしょう。
今までの夢は諦めざるを得なくなったと思います。
新しい過酷な状況でさえ、夢を持ちそれを実現出来ることをこれから実践されて行かれるのでしょう。
人生に意味を見つけるのではなく、人生の方から問いかけがあると、ロゴセラピーでは考えます。
まさに佐伯チズさんは人生からの問いかけに応えて行こうとされているのだと思います。
ロゴセラピーはナチスの強制収容所を体験したオーストラリアの精神科医ヴィクトール・フランクル(「夜と霧」著者)が始めた心理療法です。
http://inorinohinshitu.sakura.ne.jp/logo.html
人が創る品質 -ロゴセラピー(ヴィクトール・フランクル「夜と霧」)-
追記;ご冥福をお祈り申し上げます。
https://news.goo.ne.jp/article/dot/entertainment/dot-2020060900032.html
裏切られ2億円が消えた…佐伯チズさんが生前に語った“頑張る理由”2020/06/09 14:36
佐伯チズ(さえき・ちず)/1943年生まれ。定年退職後にサロンドール マ・ボーテ、チャモロジースクールを開業。「佐伯式」の美肌術が大評判となった(撮影/大野洋介・写真部)
(AERA dot.)
美容家の佐伯チズさんが5日、筋萎縮性側索硬化症(ALS)のため亡くなった。76歳だった。9日に事務所が発表した。
2003年に化粧品会社を定年退職した佐伯さんは、同年の著書「佐伯チズの頼るな化粧品! 顔を洗うのをおやめなさい!」(講談社)がベストセラーになるなど、「佐伯式」の美肌術を広めて一躍話題となった。08年にはエステサロン「サロンドール マ・ボーテ、チャモロジースクール」を開業し、12年には大学の客員教授を務めるなど、活躍の場を広げてきた。だが、今年の3月にALSと診断されたことを公表。以降は車イスでの生活を余儀なくされるなど、メディアで闘病生活が報じられてきた。
活躍の裏には苦難が絶えなかった。生前に自身の半生を振り替えったインタビューでは、42歳のときには最愛の夫をがんで亡くし、「信頼していた女性の裏切りに遭いました」とも告白していた。週刊朝日2018年8月17−24日合併号での佐伯さんのインタビューを再掲する。
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3年前、信頼していた女性の裏切りに遭いました。彼女には、10年ほど私のマネジメントや会社の経営を任せていました。
彼女と、彼女が連れてきた男性に会社を乗っ取られたんです。言われるがままに出資した個人の2億円も、使途不明金のまま消えてしまいました。物販会社は私の手を離れ、「佐伯チズ」の商標の大半や、顧客名簿も持っていかれました。
手元に顧客名簿がないから、私を信じてくれていたお客さまに、事情を知らせることができないのがつらかった。済んだことをあれこれ言うのは好きではありませんが、私がこうして表に出て話すことで、わかってもらうしかないんです。
それまで第二の人生は順調だと思い込んでいました。ところが、人生ってそう甘くはないものですね。
――オードリー・へプバーンに憧れて美容家を志した。一つの転機は、42歳のとき。最愛の夫をがんで亡くし、お肌もボロボロになってしまった。
私は父母の愛情を受けずに育ったから、結婚したときは本当にうれしかった。チャーミーグリーンのコマーシャルがあったでしょ。おじいさんとおばあさんが手をつないで歩くシーン。ふたりでよく「ああいう夫婦になろうね」って言ってたの。
結婚したときに「私はせいいっぱいあなたに尽くしますけど、ひとつだけお願いがあります」って言ったの。「朝起きたときと、お出かけするとき、そして寝る前にはチューさせてください」って。主人はずっとさせてくれてたわ。ほら、私はヘプバーンに憧れてたから。
夫が進行したがんだとわかったとき、それまで長く勤めていた外資系の化粧品会社を辞めて、看病に専念しました。余命3カ月という宣告でしたが、1年半寄り添って過ごせました。最後のお別れのときは、手を握って、生まれ変わってもまた結婚しようねって約束しました。
夫を亡くして、痛いほどその存在が身に染みました。最愛の人を亡くすというのは、こんなに寂しいのか、心のスキマっていうのはこういうものかって。何もやりたくない時期が3年ぐらい続いたんです。お肌のお手入れもせず、友達には「そんな肌してたら、ご主人嘆くわよ」って言われましたね。
かつての同僚が、いつまでも泣いてちゃダメだって言って、クリスチャン・ディオールを紹介してくれて、45歳で東京で働き始めました。
美容部員の教育を任されて、会社のむちゃな要求もクリアしたけど、必要のない化粧品は売りたくないというのが私のポリシー。会社とぶつかって、何度か理不尽な「左遷」にも遭いました。
それでも定年まで歯を食いしばってがんばれたのは、主人のおかげです。絶対に愚痴は言うな、やりたいことを愚痴を言わずにやれば、必ずやり遂げられる。生前、いつもそう言ってたんです。それに昔、「社会のお役に立てる仕事ならがんばりなさい」と言ってくれた主人に、天国で再会したときに「私、定年までがんばりました」と報告したい。その気持ちがあったから、投げ出さずに済んだんです。
――美容家としてのブレークは、定年後。退職直後に出した本『頼るな化粧品! 顔を洗うのをおやめなさい!』が大ヒットし、テレビ番組など多方面から引っ張りだこに。あの女性の“裏切り”さえなければ、75歳で引退する人生のはずだった。
引退して、やりたいことがいっぱいあったの。ミニクーパーに乗って日本中を回って、おいしいおそばを食べるっていう夢もあった。今年で75歳になったけど、引退したらお客さまにも迷惑をかけた人にも申し訳ないから、しばらく先延ばしね。
私をだました女性を、私は後継者にするつもりだったの。美容師免許を取らせようとしたり、マニュアルを口伝で教えたりして、フランスにも連れていった。
でも、彼女は私のところにいて何ひとつ勉強していなかった。陰では「なんで私が継がなきゃいけないの」なんて言ってたらしいわ。
スタッフも次々に辞めていくし、「おかしいな」と感じてはいたの。どうやら彼女が私に近い人たちを追い出すようなことをしていたらしい。私はすっかり信用していたから、ぜんぜん気付かなかった。ほんとにバカよね。
2011年に東日本大震災があって、その影響で当時銀座にあったサロンは赤字が続いていました。でも、彼女が「先生の古希のお祝いは銀座にいる間にしてあげたい」なんてかわいいことを言うから、じゃあもう少しがんばろうと思ったの。
古希のお祝いは13年7月にグランドハイアット東京で盛大にやってもらったんだけど、そのときも首をかしげることが多くて。知らないうちに5人ぐらい発起人が増えてた。彼女が美容ライターとして世話になろうとしていた人たちなのよね。なんだか後継者のお披露目みたいになっちゃった。おめでたい席だから、何も言わずにニコニコしてたけど。
彼女は私に来た仕事を勝手に断って、自分が代わりに雑誌に連載を持ったり、テレビの収録に行ったりなんてこともありました。「佐伯はそういうことはしません」「もう歳なので無理です」なんて言って。
最終的には彼女が辞めて、それからいろんな人が「実はこうだった」って教えてくれました。もっと早く教えてくれればいいのにって言ったんだけど、「だって佐伯さん、すっかり彼女を信じていたから、聞かなかったでしょ」って言われて。
私は、世の中にそんな人がいるなんてことが、まったくイメージできなかった。怒りというより、悲しくて、そんな人を信じていた自分も情けなかった。経営者としては、まるで失格ってことよね。
こうなってしまったのは、相手を信用しすぎたからかしら。勝手に娘のように思って、会社の通帳や印鑑まで預けるようなことをしちゃダメね。親しくても、ある程度のところで線を引く必要もあるんだなってことは、とても勉強になったわ。
――人生は七転び八起き。思わぬ道をたどることになった美容家人生だが、今は再び輝きを取り戻し、さらにパワーアップしている。
きっと神様・仏様が「お前にはもう少しやることがある」と言ってくれているんだと思います。私は昔から、「諭吉さん(お金)を追わずに人を追い続けましょう」って言い続けてきたけど、それは間違ってなかった。事情を知ると「そういうことなら一緒にやりましょう」「佐伯さんとやりたいと思っていたんです」という話がたくさんきました。多くのものを失ったけど、私を信用してくださる人がたくさんいてくれる。インスタグラムっていうんですか。世界中の人が「佐伯式の美肌術できれいになりました」って写真をアップしてくれているみたいです。
美容道を通じた社会貢献も今の私の目標です。私が憧れたヘプバーンは晩年、世界の難民キャンプを回っていた。彼女のように、発展途上国に行って、女性の仕事を創り出したい。世界には、まだまだ女性の地位が認められていない国が多い。「佐伯式ローションパック」を伝えれば、そこからあらゆる広がりもでき、女性たちが仕事に自信を持てるようになれると思う。美容道の仕事には男性は口出しできないものね。
(聞き手/石原壮一郎)※週刊朝日 2018年8月17−24日合併号より抜粋