幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

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「経営はロマンだ!」小倉昌男著  "障がい者の月給1万円を10万円へ”

2020-09-14 04:14:44 | 本の紹介
・目的が決まる。目標が掲げられる。実現するための方法を考える。経営とは考えることである。でも考えても分からないことがある。そのときはやってみる。やってみれば分かることが多い。そうして試行錯誤しながら前進する。やれば分かる-私が経営者として体得したことの一つである。

・どんな人にも良いところがある。結局悪い人はいないと思う。私はどんな人にも親切にしようと心掛けてきたつもりである。座右の銘はと問われたら、「真心と思いやり」と答えることにしている。

・「家庭から荷物を集めて全国に配送しよう」。そう決断した時も、周囲の反応は同じだった。そんな小口の荷物では採算が合わない、と役員全員が反対した。同業他社も「赤字は必至。ヤマトはつぶれる」と見ていた。しかし、私には確信があった。運輸省が路線免許の申請を五年も棚ざらしにした時も、行政訴訟を起こして戦った。この事業は消費者が支持してくれる、と信じていた。今も心の中に宅急便の裏付けがある。福祉の分野でも「障害者は低賃金でもやむをえない」という固定観念を打破したい。それが経営者としての意地であり、ロマンだと思っている。

・1957年に米アライド・ヴァン・ラインズ社が「親子猫」のマークを使っていたのである。親猫が子猫を優しく口にくわえて運んでいる写美的なイラストで、「お客様の荷物をていねいに取り扱う」という同社の経営思想が込められていた。これを見た父親が委託共感し、アライド社の許可を得て、社内報を担当していた清水武氏に当社用のデザインを命じた。こうして誕生したのが「クロネコマーク」である。

・人は皆、神様に生かされながら互いに助け合っている。だから、生きること自体が大切なのだという教えだった。

・(そごうの東京店の配送は)日本運送社との二社体制だった。がっかりして父に報告すると、「大和運輸のためにはその方がいい」と言う。なぜかと聞くと、「一社独占だと競争がないので。労働組合が強気になる。二社体制ならストをしたり、サービスが低下するば仕事を着られる恐れがあるから、組合も緊張して無茶をしないものだ」と話してくれた。なるほど経営者は目先のことより、先を考える経営戦略が大事なのだと知った。

・営業部長になってみると、現場の管理が甘いのが気になった。会社の帰りによく営業所に立ち寄ったが、荷物を積む様子を見ていると積み残しが多い。これでは配達が一日遅れになってしまう。

・「トラックの守備範囲は百キロメーター以内。それを超えたら鉄道の領域」と思いこんでしまった。戦前の道路事情やトラックの性能を考えれば、当時としては正しい判断だった。
特に打撃が大きかったのが、東海道路線への出遅れだ。実に三年かかって1959年11月に免許が下り、翌年1960年3月にようやく大阪支店から東京行きの長距離便がスターとした。しかし、西濃運輸が東京-大阪間で長距離便を走らせたのが、1954年。先発組から5年以上も遅れてしまった。新規開業の売り込みに回っても、主要な荷主は既に豪業者が囲い込んだ後だった。

・アメリカ視察旅行は一か月以上にわたったが、実に実りが多かった。特に長距離大量輸送をメーンの仕事にしている会社が多いなかで、UPSという小荷物専門の運送会社が存在していることに強い印象を受けた。

・大口貨物を重視したところまではよかったのだが、小口をやめてしまったのが間違いだった。再び小口重視の指令を出したが、遅かった。いったん小口の荷物をことわっていたので、「また運ばせていただきます」と言っても個客は怒るばかり。私の朝令暮改ぶりに社内でも不信の声が上がった。

・宅急便を始めるうえで何が一番重要か。配達だろうか。ノーである。集荷である。荷物を集めなかったら、すべては始まらない。取次店の設置は宅急便の戦略上、重要な意味を持っていた。宅急便の客は主婦だから、主婦になじみのあるところがいい。候補として浮かんだのが酒屋さんだった。

・初日の取り扱い個数はわずか11個。最初の約1か月でも9千個に満たなかった(1976年)。
(2017年度のクロネコヤマトの宅急便のシェア/取扱量 46.9%/18億6756万個)
・「これから利益のことは一切言わない。サービスを最優先してほしい」と口を酸っぱくして話した。「サービスが先、利益は後」という標語もつくった。

・もう一つ、社員に強調したのが、「全員経営」である。上司が部下に命令、監督する従来の方式では駄目だと思ったからだ。第一線で働く運転手が自主的に行動し、客の信頼を得るようにならないと宅急便は成り立たない。この発想は、業界の勉強会で講演してくれた上智大学の篠田雄次郎先生の話がヒントになっている。

・家庭まで荷物を届けると、主婦から「ありがとう」「ご苦労様」と声を掛けられる。企業の大口荷主相手では「届けるのが遅い」などと怒られることの方が多かっただけに、大いに士気が上がった。セールスドライバーにとって最大の喜びだ。仕事で客から感謝されたり、労わられることがどれだけあるだろうか。宅急便を始めて良かったなと思った。話は逸れるが、ある時にスチュワーデスからこんな話を聞いたことがある。「飛行機を降りるお客様から『ありがとう』と声をかけてもらうことが唯一の生きがいです」。

・会長就任を機に、日常の経営は都築君(社長)に任せて、現場を見て回ろうと思った。私は現場主義で、トップは常に現場を見なければいけないと考えていたが、社長時代はなかなか時間が取れなかった。

・成果主義は考え方としては正しいが、測定が難しい、ある時期に上がった成果が現任者の功績か、前任者の種蒔きによるものか、はっきり分けられない体。それなら「誠実」「部下の面倒見がいい」といった人間性を重視した方がいい。これが企業風土になれば客に対しても誠実な社員が増えるはずだ。

・福祉の話に戻ろう。財団ではまず助成活動を始めた。第一が奨学金。生涯を持つ大学生に毎月5万円、年間60万円を4年間支給する。返済義務はない。2001年4月現在、30人の学生に支給している。
次に福祉施設への助成。年間4,700万円前後の予算を組んでいる。
福祉事業全体で約1億5千万円の予算を組んでいるのだが、金利が低いのには参った。
ところが、またもヤマト運輸の労働組合に助けられることになる。夏のボーナスが出ると、組合がカンパを募り、財団に持って来てくれる。1人千円だが、組合んは4万人もいるから毎回多額の寄付になる。もっとも、組合は昔から交通遺児救済基金にカンパしていたから、私の方に預けるのは半分である。それでも大きなカネでありがたいことである。

・現在の法定雇用率は1.8%だ(現在は2.2%)。ドイツは5%であり、日本は遅れている。さらに問題なのは実際の雇用率が2001年で1.49%にとどまっていることだ(2018年2.02%)。
法律があるのに罰則規定がないからだ。障害者の雇用数が不足している場合、1人につき月額5万円の納付金を払えば済んでしまう。

・スワンベーカリー1号店
タカキベーカリーの厚意で製造、販売を指導してもらい、1998年6月、東京・銀座にスワンベーカリー1号店をオープンした。障がい者には十万円強の月給を払っている(多くは1万円以下)。ある時、母親からこんな話を聞いた。「家に閉じこもってばかりいた娘が、働き始めてからよく笑うようになりました。休みの日にはピアノを習うようにもなりました」。
(現在は直営店5店、フランチャイズ25店を軸に350名以上の障がい者が、経済的な自立と社会参加をはたしています。http://www.swanbakery.co.jp/corporate/より)

・十条店の開店式典が催された日、厚生労働省の課長が祝辞を述べた。小島さん(十条店のフランチャイズ1号店の経営者)はすかさず、「課長さん、パンを売りに行ったら買ってくれますか」と聞いた。課長は「もちろん、買いますよ」まさか、本当に売りに来るとは思わなかったに違いない。

・私はセミナーで、「需要とは“ある”ものではなく、“つくり出す”もの」と強調しているが、彼女(小島さん)は不利な立地を見事に克服し、需要を想像した、並みの経営者では遠くに及ばない熱意と実行力である。

感想
失敗を恐れずチャレンジすることなのでしょう。
宅急便は、荷物を送るのに困っている人がいる。
そういう人は多くいるから必ずニーズがある。
米国ではUPSというサービスが既にある。

そして新しいことにチャレンジすると必ずトラブルが出てくる。
それにその都度対処してやっていく。

一人では限界があるが、志が社会の理的になりかつ強い志を持っていれば、仲間が助けてくれる。

宅急便を始めたは経営危機が発端だった。
リスクはチャンスになるのでしょう。

人生でも同じことが言えるのかもしれません。