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ウィシュマさん入管死 当時の入管局長ら不起訴処分 名古屋地検 ”人が亡くなり、医者にも見せずに、過失がないことはない”

2022-06-17 18:00:00 | 社会
https://news.yahoo.co.jp/articles/d3dc55ed865ae4bd8335592e74ba50894425d66a 6/17(金) 16:13毎日新聞

 名古屋出入国在留管理局(名古屋市)でスリランカ人女性ウィシュマ・サンダマリさん(当時33歳)が収容中に死亡した問題で、名古屋地検は17日、当時の入管局長ら全員を不起訴処分にしたと遺族側に伝えた。

 妹のポールニマさん(28)が2021年11月、告訴状を提出。当時の名古屋入管局長や次長、死亡当日の看守責任者らがウィシュマさんに適切な医療を提供せず「死んでも構わない」という未必の故意があったと訴えていた。

 ウィシュマさんは21年1月中旬以降、嘔吐(おうと)などの症状を訴え、同3月6日に死亡。出入国在留管理庁は同8月、職員の危機管理意識が乏しかったなどとする調査報告書を公表したが、死因は特定されなかった。【藤顕一郎】

感想
ウィシュマ・サンダマリさん欧米人だったら対応が異なったでしょう。
苦しんでいる人がいて、管理している人が医者に診せない。
これは殺人と同じです。

もし、子どもが苦しんでいて、親が子どもを医者に連れて行かなかったら、管理監督不備が指摘だれるのではないでしょうか。

どう考えてもおかしな判決です。
国は戦うと言っていました。
ということはきちんと管理監督していなかったことが合法と国が認めていることになります。
国は岸田首相です。
アジア人に冷たいですね。
岸田首相の一面を見てしまったようです。

将棋で取った駒を使うのは捕虜虐待? 1947年、升田幸三がGHQに呼ばれた件 ”チェスと将棋の違い/取った駒が活用できるかどうか”

2022-06-17 10:04:44 | 社会
https://news.yahoo.co.jp/byline/matsumotohirofumi/20220616-00301245 6/16(木) 21:01
「升田幸三がGHQを論破した! だから将棋は禁止されなかった!」
 そんな調子の話が、ネット上では周期的にバズるようです。事実なのか。それとも創作なのか。まず最初に筆者の見解をまとめると、次の通りです。

・1947年に升田幸三八段(当時、のちに名人)がGHQに呼ばれたのは事実と見るのが妥当。

・升田八段が将棋とチェスの比較論を展開し、GHQ高官たちの度肝を抜いた話は具体的かつ詳細で、大筋で本当ではないかと思われる。

・ただし伝わっているのは升田本人の証言のみ。相手方の速記録などは知られておらず、どこまで本当かは現在のところ、確かめようがない。

・「升田がGHQの高官たちを『論破』したから将棋は禁止されなかった」という史実はおそらくない。升田自身もそんなことは言っていない。


 筆者がいま参照できる資料の限りでは、升田著『歩を金にする法』(1963年、講談社刊)での一文が、この件に関するもっとも古い記述と思われます。また後年広く読まれた自伝『名人に香車を引いた男』(1980年、朝日新聞社刊)ではさらに詳しく書かれてあります。

 本稿では本人の証言に沿う形で、当時の将棋界の状況を踏まえながら、経緯をまとめてみたいと思います。

僕はアメリカ人によばれて、GHQでいろいろ質問されたことがあった。木村さんが名人を塚田さんにとられた直後で、たしか昭和22年だったと記憶する。

(出典:『歩を金にする法』)

 升田幸三は戦争中、南洋のポナペ島(ポンペイ島)に出征。前線で生死の境をさまよいました。戦争が終わって日本に帰ってくると、将棋界で実力通りの華々しい活躍を始めます。1947年当時は八段に昇段したばかりで、年齢は29歳でした。(以下同様に年齢は当時)

 戦前から長く将棋界の第一人者として君臨していたのは木村義雄名人(42歳)です。升田八段の目標は木村名人を倒すことでした。両者は盤上だけではなく盤外でも激しくぶつかり合う仲となりました。

 1947年、升田八段に先んじて名人戦七番勝負で木村名人に挑戦したのは塚田正夫八段(32歳)でした。木村名人は2勝4敗(1持将棋2千日手)で敗退し、名人位を失冠。将棋界は名実ともに新しい時代を迎えることになりました。

 木村前名人は運営面では将棋大成会(同年に日本将棋連盟に改称)の会長に留まります。木村前名人は将棋が強いだけではなく、人格的にも傑出した存在でした。

 升田八段は木村前名人とは人間的にも相性が合わなかったようです。そのため、木村前名人に関するいろんな批判もしていますが、客観的に見れば、将棋界のまとめ役は依然、木村前名人の他にはいなかったでしょう。

 そんなときになぜか、木村前名人ではなく、升田八段がGHQ(General Headquarters、連合国軍最高司令官総司令部)に呼ばれることになります。

GHQは終戦後の日本で大変な権限を持っていました。そうした状況で、武道などは禁止されていた時期もあります。

 では日本古来のボードゲームである将棋はどうだったか。筆者がこれまで過去の文献などを読んできた限りでは、将棋を禁止しようという具体的な記録は見た記憶がありません。

「将棋界はその存亡をかけ、新時代の旗手にして論客の升田を代表に立て、GHQとの論争の場に送り込んだ」

 もしそんな筋書きがあればドラマチックです。しかしおそらくは史実とは遠いように思われます。実際、升田著にもそうした旨は書かれていません。

 升田八段は朝日新聞の嘱託を務めていました。東京の朝日新聞に出向いた際、業務局次長から声をかけられます。

「GHQでお前にこいといっている。いろいろ将棋の話が聞きたいそうだ」

 という。将棋界には大成会という組織があり、木村義雄という立派な会長がおられる。将棋の話なら、そっちから聞くのが筋だろう。だがアメリカさんのご指名とあれば、いやでも出向かなくちゃならん。

(中略)

大阪を本拠地にしとる私が、なぜGHQに指名されたのか、いまもって理由はわかりません。

(出典:『名人に香車を引いた男』)

 その経緯からすれば朝日新聞のルートで打診された話と推測するのが自然でしょうか。

 GHQの本部は皇居のお濠の手前、いまの第一生命ビルにあった。部屋に通されると、ベタ金の軍服を着たエラそうなのが4、5人、脇に通訳がいる。

「酒を飲ませてもらいたい」

 開口一番、私はこういった。

(出典:『名人に香車を引いた男』)

 酒を飲みながら人と話をするのが升田八段の習慣であり、また難しい質問をされたらトイレに立つという作戦でもありました。以下、升田八段とGHQ側のやり取りすべてが面白いところですが、それは著書を読んでいただくとして、以下が核心の部分です。

「われわれのたしなむチェスと違って、日本の将棋は、取った相手の駒を自分の兵隊として使用する。これは捕虜の虐待であり、人道に反するものではないか」

 おいでなすったな、と思った。たぶんこれをいってくるだろうと、覚悟をしておった。

「冗談をいわれては困る。チェスで取った駒をつかわんのこそ、捕虜の虐殺である。そこへ行くと日本の将棋は、捕虜を虐待も虐殺もしない。つねに全部の駒が生きておる。

(中略)

「あなた方はしきりに民主主義を振り回すけれど、チェスなんてなんだ。王様があぶなくなると、女王を盾にしても逃げようとするじゃないか。古来から日本の武将は、落城にあたっては女や子供を間道から逃し、しかるのちにいさぎよく切腹したもんだ」

 升田元名人は将棋も天才ならば、話術もまた天才的でした。その面目躍如、というところでしょうか。(もちろんチェスと将棋、どちらが文化的など優劣がつけられるような話ではなく、どちらも奥が深く優れたゲームです。念のため)

 以上は波乱万丈な升田の生涯の中でも異彩を放つエピソードで、将棋を題材とした小説や漫画などでも、少しずつ形を変えながら出てきます。

 長くなりますので多くの部分は割愛しますが、興味を持たれた方はぜひ、升田元名人の著書をご覧ください。

「ま、どうしてああいう質問をしたのか。いろんな角度から、日本人の意識というか、精神構造を、調べてみたかったんでしょうな」

(升田幸三『勝負』1970年刊)

「将棋を禁止する前に、棋士に弁明の機会を与えた」というわけではなく、GHQ側がそれほどの目的はなく話を聞く場であったと考えるのが妥当と思われます。

「私の放談のおかげで、吉田茂さんはやりやすくなったんだと思う」

(出典:『名人に香車を引いた男』)

 いかにも升田節という一文で、この話は締められています。もし本当にそれで吉田首相がやりやすくなったのなら、なるほどGHQをやりこめた升田幸三はすごい・・・となりますが念のため、本当かどうかは確かめようがありません。升田元名人はサービス精神からか、そんな調子で話をする人物であった、というわけです。

 惜しむらくは筆者の知る限りでは、升田八段とGHQ高官とのやり取りを裏付ける記録は見たことがありません。どこかでそうした速記録などが発掘されれば、将棋界にとっては一大ニュースとなるでしょう。

 繰り返しとなりますが、升田八段がGHQに赴いたのは事実でしょう。

これが機縁となって2年後の昭和24年には『アサヒグラフ』の企画で「日米将棋とチェス大手合」が行われ、写真と棋譜が載った。升田と対戦したのは、ニューヨークタイムズ東京支局長のリンゼイ・パロット。将棋は四枚落ち、チェスは平手で、いずれも升田が勝った。(東公平『升田幸三物語』1994年刊)

 升田-パロット戦は『将棋とチェス』1950年2月号にも掲載され、国会図書館のサイト(要登録・ログイン)でも見ることができます。「捕虜を戦争に使用するとは何たる事だ、日本人は国際法を・・・」というチェスプレイヤー側の言葉も紹介されています。また、ネクタイにスーツ姿の升田八段の姿がカッコいいので、ぜひご覧ください。

松本博文
将棋ライター
フリーの将棋ライター、中継記者。1973年生まれ。東大将棋部出身で、在学中より将棋書籍の編集に従事。東大法学部卒業後、名人戦棋譜速報の立ち上げに尽力。「青葉」の名で中継記者を務め、日本将棋連盟、日本女子プロ将棋協会(LPSA)などのネット中継に携わる。著書に『ルポ 電王戦』(NHK出版新書)、『ドキュメント コンピュータ将棋』(角川新書)、『棋士とAIはどう戦ってきたか』(洋泉社新書)、『天才 藤井聡太』(文藝春秋)、『藤井聡太 天才はいかに生まれたか』(NHK出版新書)、『藤井聡太はAIに勝てるか?』(光文社新書)、『あなたに指さる将棋の言葉』(セブン&アイ出版)など。

感想
将棋界で異彩を放ったのは、坂田三吉さん。
この人はプロではないですが、プロを打ち負かし、あわや名人に勝つ寸前までいきました。
プロのトップがアマチュアに負けることが起きそうでした。

プロで異彩を放った人は升田幸三さんです。
名人も取りました。
私がまだ高校生で将棋の本を読み漁ったときはまだ現役でした。
強かったです。

チェスは取った駒は使えません。
中国将棋も使えません。

ところが将棋が日本に来て、将棋が改良される中で、取った駒が仕えるようになりました。
チェスは同じルーツのインドから来ていますが、取った駒は使えないままです。
そのため、将棋の方が複雑と言われています。
また敵の陣地に入ると、歩が金になったら、他の駒を強くなります。

相手の兵隊を取って使えないのは、捕虜をそのままにしていることになります。
日本では捕虜の虐待や殺害も行われました。

相手の兵隊を使えるということは、今度はこちらの戦力として活用できます。
その時は自分の駒とまった同じ扱いです。

インドで始まった将棋は、戦争を駒で表して、殺人をせずに戦いを楽しむことから始まったようです。
今残っているのは、日本の将棋、チェス、中国の「シャンチー」、朝鮮半島の「チャンギ」、タイの「マークルック」です。
シャンチーは王様は限られた場所から出られません。
その国の文化が現れているようです。

鈴木宗男氏、ウクライナ側に「物価高で世界中が悲鳴を上げていることを考えるべき」「勇気ある決断を」 ”鈴木氏はプーチンの手先? 問題起こしたプーチン大統領に何も言えず”

2022-06-17 01:10:00 | 社会
https://news.yahoo.co.jp/articles/42f797f045bc47eeda416e046c33cfaab72fb9cd 6/16(木) 17:38 スポニチアネックス

 ロシア通で知られる日本維新の会の鈴木宗男参院議員が16日、自身の公式ブログを更新。ロシアによるウクライナ侵攻を念頭に「ゼレンスキー大統領は『武器を供与してくれ、少ない』と訴えている。欧米諸国は協力する姿勢を示しているが、それでは戦争が長引き、犠牲者が増えるだけではないか」とし、「自前で戦えないのなら潔く関係諸国に停戦の仲立ちをお願いするのが賢明な判断と思うのだが」と続けた。

 2月24日に始まった侵攻から約4カ月が経過しようとしているが、まだ終結は見えない。鈴木氏は「名誉ある撤退は『人の命を守る』上で、極めて大事なことである。また、物価高で世界中が悲鳴を上げていることを考えるべきだ」とロシアではなくウクライナに訴えかけ、「『ウクライナは負けない』と強弁してきたが、国力からしてロシアと1対1の戦いでは、その差は明らかである。ここはゼレンスキー大統領の勇気ある決断を願ってやまない」とした。

感想
虐められた子どもに、学校来ずに家に引きこもるか、転校しなさいと言っているようなものです。
虐める方が悪いのです。
虐める方に問題があるのです。

鈴木氏はもう少しまともかと思っていましたが、冷静な判断が出来なくなっているようです。
プーチン大統領に何も言えないようです。

決して許してはいけないし、ウクライナの国土をロシアに割譲してはいけないのです。
ロシアの蛮行を認めると、ウクライナの次は、バルト3国。
その前にモルドバへの侵攻でしょう。
そしてフィンランドの領土も一部占領。
その後はポーランドへ。