幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

晴れ着の写真撮影。一般的に撮影料や着物のレンタル料など10万円以上かかる中、この撮影を無償で行っている

2023-05-02 13:13:13 | 社会
2,013 回視聴  2023/04/30  #松岡修造 #サンデーLIVE #みんながん晴れ https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=sqqGh3rDhUI&feature=youtu.be
(2023年4月30日放送) 春先に行われることの多い晴れ着の写真撮影。一般的に撮影料や着物のレンタル料など10万円以上かかる中、この撮影を無償で行っているのが、山本昌子さん。無償でサービスする対象者は児童養護施設の出身者や、虐待、経済的な理由などで晴れ着を着ることができない若者。なぜこのようなサービスをするのか―そこには山本さん自身の経験が大きく関係していた。

感想
 支援というと、生活とか最低の生活を確保することが多いです。
 晴着を着る、これは贅沢だと。
しかし、贅沢ではないとの視点で支援を多くの方がされています。
それを取りまとめられているのも素晴らしいです。

 晴着を着るだけでなく、心に人の温かさを感じたり、さらに前に向かおうとのエネルギーを与える活動でもあるように思いました。

野党議員も称賛、地方出身のたたき上げ「森山裕」自民選対委員長の演説が示す「今の政治に欠けたもの」  ”党派の先にある国民のための目線があるかどうか”

2023-05-02 11:44:22 | 社会
 
 自民党の森山裕・選挙対策委員長が国会議員永年勤続の表彰で行った演説が与野党の議員らから称賛されている。ノーカット版のYouTubeも話題になっている。
 働きながら学び、地方議員を経て参院、衆院の国会議員となり、党の国会対策委員長として歴代最長の在任を記録。「国の基本は地方と第1次産業」「野党の意見に耳を傾ける」という訥々とした訴えは、今の政治が失ったものは何かを教えてくれる。  森山氏は4月27日の衆院本会議で細田博之議長から勤続25年の表彰を受けた後に登壇。約6分間の短い演説をした。鹿児島市議、参院議員、衆院議員の計48年間の政治活動を支えてくれた地元の支援者にお礼を述べた後、「ほとんど家庭を顧みなかった私を支えてくれた家族に感謝を伝えたい」と語り、言葉を詰まらせた。

■小中学生のころは自転車で新聞配達  
 森山氏は1945年4月、鹿児島大空襲の日に鹿児島県鹿屋市内の防空壕で生まれた。実家は農業と新聞配達業を営んでいた。  「小中学生のころは朝6時から眠い目をこすり、錦江湾に浮かぶ桜島に一礼し、自転車で新聞を配っていた」「中学卒業後はつらい農業はやりたくないと思い、鹿児島市内の会社に就職。会社の理解があったおかげで、働きながら夜間高校に通うことができた」という。
  自民党にはもともと、森山氏のような「苦労人」「たたき上げ」がたくさんいた。田中角栄、鈴木善幸、竹下登、渡辺美智雄各氏……。それが、自民党政権が長く続いて、世襲議員が増えるようになった。
 安倍晋三、石破茂、岸田文雄、林芳正、鈴木俊一、河野太郎、福田達夫、小泉進次郎各氏……。東京生活が長く、地方の実情にも疎い世襲議員が増える中で、「苦労人」の声が政治に届いていないのではないか。それが自民党の政策の行き詰まりにもつながっているのではないか――森山氏の訴えは、そんな現状を映し出している。  森山氏は30歳で鹿児島市議に初当選、23年間務めた。「日本を支えているのは地方であり、第1次産業であると実感した」という。

1998年、参院議員に初当選。53歳、政治家としては「遅咲き」である。2004年には衆院に転じ、2015年に農林水産相に就任。農業分野の市場開放を進めることになるTPP(環太平洋経済連携協定)が大筋合意した直後で、「農林族」の森山氏としては、農業や畜産の関係者をいかに説得するか、手腕が問われていた。  森山氏は演説で振り返った。  「大臣室の椅子に座り、目に浮かんだのは、農家に不安の声がある中で、郷里の先輩や後輩たちの姿でした」
 「汗水流して田畑を耕し、家畜を育てていく。農業から逃げた私は、政治家としてその奮闘に応えなければならない。現場を回りながらTPPの説明を尽くし、安心安全な日本の農林水産業は強いこと、若者が誇りをもって働ける産業に育てることを訴えました」

 ■歴代最長の党国対委員長、野党からの信頼も厚い  
 森山氏は農水相在任中、TPPの重要性を説く一方で、農業の基盤を守るための施策を強化する考えを説明し続けた。市場開放や負担増などは関係者にとっては厳しい政策だが、粘り強く説得を続けることが政治家の大切な仕事である。岸田首相をはじめ政治のリーダーが耳を傾けるべき姿勢だ。
 森山氏は2017年8月、自民党国対委員長に就任。歴代最長の1534日間の在職を記録している。「譲れない一線を守りつつ、野党の皆さんの意見にはできるかぎり耳を傾け、合意形成を図ってきたつもりです」。  安倍晋三、菅義偉両政権下の国対委員長であり、首相官邸からは強硬な国会運営を求められる場面も多かった。それでも立憲民主党の国対委員長だった安住淳氏や辻元清美氏らを相手に粘り強い折衝を進め、野党の言い分を聞き入れて衆参両院の予算委員会などを頻繁に開催した。野党が反対した法案を森山氏の判断で廃案としたケースもあった。
 政府・与党が作り上げた予算案や法案でも、野党の声を聞き、合意作りをめざす。国権の最高機関である国会の機能を尊重することが、森山流国会運営の基本である。そうした経緯もあり、森山氏に野党の信頼も厚い。  森山氏は演説では触れなかったが、苦い経験を持っている。森山氏は、小泉純一郎政権で進められた郵政民営化に反対し、衆院本会議では反対票を投じた「造反組」だ。「郵便局が民営化すれば、地域の金融サービスの担い手が弱くなる」という理由だった。

2005年の郵政選挙では自民党の公認が得られず、無所属で出馬。自民党は「刺客」と呼ばれる対抗馬を擁立した。私は当時、森山氏の選挙区(鹿児島5区)を取材したが、森山氏の後援会が「刺客を撃退しよう」と沸き立っていたのを覚えている。

 ■持論を明確に打ち出す姿勢の大切さ 
 選挙結果は森山氏の圧勝。第1次安倍政権の2006年12月に自民党に復党した。小泉政権は郵政民営化をはじめ、市場原理優先の新自由主義的政策を進めたが、森山氏は地方の生活を重視して異議を唱えた。
 自民党は時に議論をまとめきれず、強引な政策運営を進めることがある。森山氏の「造反」は、時の流れに抗して持論を明確に打ち出す姿勢が政治家にとって何よりも大切であることを教えてくれている。  新型コロナウイルスの感染拡大への対応や景気対策として財政出動が拡大する中で、森山氏は財政再建を重視する立場でも知られている。自民党内の論議では「将来世代へのツケとなる借金を減らす方策を考えるのが政権与党の責任だ」と説いている。だが、アベノミクスから続く「財政頼み・国債増発」に歯止めがかからない。
 森山氏の演説には与野党から大きな拍手が沸いたが、拍手だけではなく森山氏の訴えを生かす方策を考えることこそが、政治家の責任である。
星 浩 :政治ジャーナリスト

感想
 今の自民党には、おかしなことにおかしいという人がいなくなっています。
おかしいというと”批判”受取り、次回の選挙で自民党公認が得られないからです。
 おかしなことをおかしいといって、そして国民のために何をすべきかを考える、そういうことが大切なのだと思います。
 アベノマスクに534億円の税金無駄遣いは典型です。
 安倍元首相、岸田首相は海外にお金をばら撒いています。
 日本国は貧困国に。
 フードバンクは大繁盛!
 困窮しているシングルマザーの子どもに貧困の連鎖
日本の将来が不安です。
将来のためのことがされていないです。
結局、国民の選択の結果なのでしょう。

一人では力が弱いです。
森山議員の方が増えると、森山議員ももっと発言できたのかもしれません。

「無人島のふたり 120日以上生きなくちゃ日記」山本文緒著 ”膵臓がんステージ4で余命4~6か月と宣告され”

2023-05-02 03:06:03 | 本の紹介
・2021年4月、私は突然膵臓がんと診断され、そのとき既にステージは4bだった。治療はなく、抗がん剤で進行を遅らせることしか手立てはなかった。
 昔と違って副作用は軽くなっていると聞いて臨んだ抗がん剤治療は地獄だった。がんで死ぬより先に抗がん剤で死んでしまうと思ったほどだ。医師やカウンセラー、そして夫と話し合い、私は緩和ケアへ進むことを決めた。
 そんな2021年、5月からの日記です。

・最初は胃が変だと思ったんです。2020年の終わりくらいに緊張する仕事があって(テレビ出演)、それで胃をやられたと思って、自分でガスター10を買って飲んで、一時的によくなったように感じていました。
 でも年が明けるとまた痛みと胸やけが続くようになって、ちょうど人間ドックを予約していたので、その際に問診で不調を伝えたところ、近いうちに胃カメラをやった方がいいと言われました。痛みは継続的ではあるものの、激しいものではなかったので、とりあえず人間ドッグの詳細結果が出るのを待つことにしました。
 2月の頭、その結果が郵送で送られてきて、「イレウス疑い」と書いてあるのを見て青くなり、すぐに家の近所にあるC総合病院へ駆け込みました。
 その病院でまずは造影剤入りCTで腸を検査したところ問題なさそうだとわかり、腫瘍マーカーも心配なさそうで、その後胃カメラを飲みました。そこで慢性胃炎だろうと診断が下り、なんだ胃炎かと私はほっとしました。胃炎の薬を飲んで様子を見ようということになりました。それが3月上旬です。
 服薬して食事に気を付けていれば治るだろうと気楽に考えていたのですが、痛みはあまりよくならず、徐々に背中のほうまで痛むような気がしてきました。夜中に痛みで目が覚めるようなこともあって、次の予約を待たずにC病院へかかったところ、医師は首を傾げるばかりでした、それまでより強い胃薬を出してもらって飲み始めましたが改善が見られなくて、その1週間後、痛みで一睡もできなかった朝、夫に頼んで急患としてC病院へ連れて行ってもらいました。
 そこで血液検査をしたところ、C病院の医師が急患用のベッドで点滴されている私のところへ走ってきて「γ(ガンマ―)が!」と言いました。私のγ-GTPが1000を超えていると聞いて私も耳を疑いました。急遽MRIを撮り、その画像を見ながら、どうやら胆管が詰まっている、胆石かもしれないし違うかもしれない、どちらにせようちでは処置できないので、B医療センターへ行ってくださいと言われました。・・・造影剤入りCT,PET検査を受け、あれよあれという間に膵臓がん、ステージ4という診断を受けました。
 腫瘍の位置が悪いことで手術はできず、転移していなければ放射線治療も考えられたそうなのですが既に転移もあり、残された道は抗がん剤したありませんでした。しかし抗がん剤でもがんが治るわけではなく進行を遅らせるだけだということでした。
 そんなことを急に言われても、というのが正直な気持ちでした。
 私は毎年きちんと人間ドッグを受けてきたし、煙草とお酒は13年前にやめて一度も飲んでいないし、食生活だってそう無茶をしたものだとは思いません。
 膵臓がんってそんなに見つからないものなの?

・(築地のガンセンターでセカンドオピニオンをもらった)帰りの新幹線のホームで、それまであまり言われたことにピンときていなかったのか、「4か月(余命)ってたった120日じゃん」と唐突に実感が湧いて涙が止まらなくなった。・・・
 しかし泣きながらも『120日後に死ぬフミオ』って本を出したらパクリとか言われるかなとも考えた。
 帰宅してシャワーを浴びる気もせず、パジャマに着替えてベッドに入った。もうすぐ死ぬとわかっていても、読みかけの本の続きがきになって読んだ・
 金原ひとみさんの『アンソーシャル・ディスタンス』、死ぬことを忘れるほど面白い。

・何も考えたくない。
 過去のことも未来のことにも目を向けず、昨日今日明日くらいのことしか考えなければだいぶ楽になれるのにと思いつつ、気が付くと過去の楽しかったことや、それを失う未来のことで頭がいっぱいになって苦しくなっている。
 今だけを見つめるという技は、宗教を極めた高僧のような人にしか出来ないことなのかもしれないと思う。あとすごい職人さんとかは無意識にできそう。

・どんなにいい人生でも悪い人生でも、人は等しく死ぬ。それが早いか遅いかだけで一人残らず誰にでも終わりがやってくる。
 その終わりを、私は過不足ない医療を受け、人に恵まれ、お金の心配もなく迎えることができる。
 だから今は安らかな気持ちだ・・・、余命を宣告されたら、そういう気持ちになるのかと思っていたが、それは違った。
 死にたくない、なんでもするから助けてください、とジタバタするというのとは違うけれど、何もかも達観したアルカイックスマイルなんて浮かべることはできない。
 そんな簡単に割り切れるかボケ!と神様に言いたい気持ちがする。

・何の予兆もなく私は生まれてから一番の寒気の発作に襲われ布団の中で痙攣するように震え、慌てた夫が訪問医療をお願いしているクリニックに電話をし、慌てふためきやってきたクリニックの方もこれはもう救急搬送でしょう、と119番に電話をする事態となった。
 急変とはまさにこのこと。奥歯をガチガチ鳴らしながら、エヴァンゲリオンのフォントで「容態急変!」「救急搬送!」と私の頭の中を文字が横切っていくのを見ていた。

・未来のための読書がなくなったらもう読みたいものはないのかもと思ったけれど、私の枕元には未読本が積んであるコーナーがあって毎晩その中からその日の気分に合わせて本を選んでいる。未来はなくとも本も漫画も面白い。とても不思議だ。

・7月17日(土)
 58歳の夏、私は腹水が溜まってお腹が苦しい。
 腹水が溜まるなんて、なんと言うか末期感がすごい。

・9月2日(木)
 一週間、日記が書けなかった。

・9月7日(火)
 かなりの確率でこれが最後になるであろう、兄と母の見舞いを受ける。・・・
 帰り際、母は泣いていた。・・・
 それにしてもがんって、お別れの準備期間がありすぎるほどある。

・10月4日(月)
 昨日から今日にかけてたくさんの妙なことが起こり、それはどうも私の妙な思考のせいのようだ。・・・
今日はここまでとさせてください。明日また書けましたら、明日。

・2021年10月13日10時37分、山本文緒さんは自宅で永眠されました。

感想
 膵臓がんは発見が難しいようです。
会社の同期が、お腹の調子が悪いということで胃カメラ飲んでも問題ないということで、そしてひどくなってから膵臓がんとわかり数か月で亡くなりました。
 製薬会社で、かつMRで病気のことはよく知っていて、病院のことも知っていたけど発見が遅くなりました。

 ガスター10はスイッチOTC(医療用医薬品がOTCに)で効果が高いです。
しかし、それにより、山本文緒さんのように医療機関への受診が遅れる場合があります。また受診してもなかなか発見できないようです。
 長引く胃腸の不具合と背中の痛みがあれば、すい臓がんを疑った方が良いようです。

 いつ余命宣告されることがあるかわかりません。
それがなくてもいつか死んで逝くことを自覚しなければならなくなります。
それを自ら前もって体験することはできません。
山本文緒さんが死ぬ間際まで、その状況と感情を遺して下さっています。
それを知り、今自分がどうするかなのでしょう。
 平均余命とすると、私は16年です。16年の余命宣告と言えるかもしれません。
16年の内自分で行動できる健康余命は10年でしょう。
でもこれは保証されていません。
少しでも健康余命を長くすることと、やりたいことは”今”することなのでしょう。

自分で好きな場所に歩いて行ける。
食べたいものを食べることができる。
トイレも一人でできる。
あたり前のようですが、実は当たり前でなく、神様から与えられているプレゼント(prezent)なのです。
presentには”今”との意味もあります。

まさに今どうするかなのでしょう。



一般的なγ-GTP検査値の基準値としては、男性が50IU/l以下、女性が30IU/l以下とされます。
γ-GTPだけが基準値を超えて高いときには、アルコールが原因の肝障害かすい臓の病気(すい炎やすい臓がん)の可能性があり、GOT(Glutamic Oxaloacetic Transaminase:グルタミン酸オキサロ酢酸トランスアミナーゼ)・GPT(Glutamic Pyruvic Transaminase:グルタミン酸ピルビン酸転移酵素)なども高い値ならアルコール性肝障害以外の肝臓の病気が疑われますので、さらに詳しい検査が必要です。

症状
膵臓は、がんが発生しても小さいうちは症状が出にくく、早期の発見は簡単ではありません。進行してくると、腹痛、食欲不振、腹部膨満感(おなかが張る感じ)、黄疸おうだん、腰や背中の痛みなどが起こります。その他、急に糖尿病が発症することや悪化することがあり、膵臓がんが見つかるきっかけになることもあります。ただし、これらの症状は膵臓がん以外の理由でも起こることがあります。また、膵臓がんであっても起こらないことがあります。
検査
腹痛や食欲不振などの何らかの症状、膵臓がんの危険因子となる疾患(糖尿病や慢性膵炎など)の有無や、血液検査、超音波検査の結果などから膵臓がんが疑われる場合には、造影CT検査、腹部MRI検査、超音波内視鏡検査(EUS)を受けます。これらの検査によって診断が確定できなかった場合には、内視鏡的逆行性胆管膵管造影(ERCP)などを受けます。また、可能な限り細胞や組織を採取して、病理検査が行われます。
がんの進行の程度である病期(ステージ)を診断する検査では、必要に応じて、造影CT、造影MRI、EUS、PET、審査腹腔鏡が行われることがあります。