『イワン・リッチの死』e-book https://ebookjapan.yahoo.co.jp/books/399304/A001725396/
一官吏が不治の病にかかって肉体的にも精神的にも恐ろしい苦痛をなめ,死の恐怖と孤独にさいなまれながら諦観に達するまでを描く.題材には何の変哲もないが,トルストイの透徹した観察と生きて鼓動するような感覚描写は,非凡な英雄偉人の生涯にもまして,この一凡人の小さな生活にずしりとした存在感をあたえている.
一官吏が不治の病にかかって肉体的にも精神的にも恐ろしい苦痛をなめ,死の恐怖と孤独にさいなまれながら諦観に達するまでを描く.題材には何の変哲もないが,トルストイの透徹した観察と生きて鼓動するような感覚描写は,非凡な英雄偉人の生涯にもまして,この一凡人の小さな生活にずしりとした存在感をあたえている.
・子供のように声をあげて泣きだした。彼は自分の頼りなさを思い、自分の恐ろしい孤独を思い、人間の残酷さを思い、神の残酷さを思い、神の存在しないことを思って泣いた。
『なぜあなたはこんな事をなさったのです? なぜわたしをここへ連れて来たのです? なんだってこんなに恐ろしいいじめ方をするのです?』
彼は答えを待とうともしなかった。答えはない。あるはずがないのだ、こう思ってまた泣いた。再び痛みが襲って来た。しかし、彼は身動きもしなければ、人を呼ぼうともしなかった。『さ、もっと、もっと打って下さい! しかしいったいなんの×なのです? いったわたしが何をしたというのです? なんのためです?』
やがて彼は静かになった。泣くのをやめたばかりでなく、息さえ殺して、全身注意に化してしまった。それは音によって語れる声ではなく、彼の内部に湧き上がる思想の流れ――魂の声に耳を傾けるかのようであった。
『いったお前は何が必要なんだ?』これが彼のはじめて聞いた、言葉で現すことのできる明瞭な観念であった。『いったお前は何が必要なのだ? 何がほしいとといのだ?』と彼は自分で自分に言った。『何が?――苦しまないことだ。生きることだ。』と彼は答えた。彼は再び全身注意に没入した。痛みによってさえまぎらわせれぬ緊張した注意。
『生きる? どう生きるのだ?』
『なに、今まで生きて来たのと同じように生きるのだ、気持ちよく、愉快に』
『今まで生きてきたように、気持ちよく愉快に?』と心の声がたずねた。で、彼は自分の想像のうちで、過去の愉快な生活の中でも、とりわけ幸福な瞬間を選り分けはじめた。しかし――不思議なkとには――こうした愉快な生活の瞬間が、今になってみると、前とはまるで別なふうに感じられた。なにもかも――幼年時代の最初の追憶は除くほか――ことごとくそうであった。幼年時代にはまったくなにかしら気持ちのいいものがあって、もしその時代が帰ってきたら、それを楽しみに生きてゆけそうな気がした。しかし、この愉快さを経験した人間はすでにない。それは誰か別な人間の追憶みたいなものであった。
今の彼イワン・リッチを造りあげた時代が始まるやいなや、その当時よろこびと思われたものが、今の彼の目から見ると、すべて空しく消えてしまい、なにかヤクザなものと化し終わり、その多くは穢らわしいものにさえ思えた。
・人生がこんなに無意味で、こんなに穢らわしいものだなんて、そんな事があるはずはない! よし人生が真実これほど穢らわしい、無意味なものであるにせよ、いったなぜ死ななければならないのだ? なぜ苦しみなが死ななければならないのだ? なにか間違ったところがあるに相違ない。
事によったら、おれの生き方は道にはずれていたのかもしれない? ふとこういう考えが彼の頭に浮かんだ。しかし、おれはないもかも当然しなkればならぬことをしたのに、どうしてそんあ理屈があるのだ? と彼はひとりごちた。そして、この生死の謎に対する唯一の解決を、なにかとうてあり得べからざるものとして、すぐさま追い払ってしまった。
・しかし、彼がどんなに考えてみても、答えを見つけることはできなかった。これはつまり、自分の暮らしかたが間違っていたからだ、こういう想念が心に浮かんだ時、彼はとたんに自分の生活の正しさを思い起こし、この奇怪な想念を追いのけるのであった。
・いぜん解決されぬ想念をひとち淋しく思っていた。『これはなんだろう、いったい本当にこれが死なんだろうか?』すると内部の声がこれに答えた。『そう、そうだとも』『いったこの苦しみはなんのためだ?』すると、また声が答えた。『なんのためでもない。ただこれだけのことだ』それから先は、これだけしかものなにもないのであった。
・「自分に与えられたすべてのものを台なしにしたうえ、回復の見込みがないという意識を持ちながら、この世を去ろうとしているのだったら、その時はどうしたものだ?」彼はあおむけになって、すっかり新しい目で自分の全生涯を見直しはじめた。夜が明けてから下男を見、それに続いて妻、さらに続いて娘、そして最後に、医者を見た時――彼らの一挙手一投足、一言一句が、夜の間に啓示された恐ろしい真理をことごとに確かめていた。彼はその中に自分自身を見た、自分の生活を形づくっていたすべてのものを見た。そして、それがなにもかも間違っていて、生死を蔽う恐ろしい大がかりな欺瞞であることを、はっきりと見てとった。この意識が彼の肉体上の苦痛を十倍にした。彼はうめき悶えならが、かけている夜具をひきむしるのであった。夜具が自分を押しつけて、息をさせないような気がしたのである。そして、そのために家人が憎くてたまらなかった。
・それは三日目の終わりで、死ぬ二時間前のことであった。・・・
ちょうどその時、イワン・リッチは穴の中へ落ち込んで、一点の光明を認めた。そして自分の生活は間違っていたものの、しかし、まだ取り返しはつく、という思想が啓示されたのである。彼は『本当の事』とは何かと自問して、耳を傾けながら、じっと静まりかえった。その時、誰かが自分の手を接吻しているのを感じた。彼は眼を見開き、わが子のほうを見やった。彼は可哀そうになってきた。妻がかたわらへ寄った。彼は妻を見あげた。妻は口を開けたまま、鼻や頬の涙を拭こうともせず、絶望したような表情を浮かべながら、じっと夫を見つめていた。彼は可哀そうになってきた。『そうだ、おれはこの人たちを苦しめている』と彼は考えた。『可哀そうだ、しかし、おれが死んだら、みんな楽になるんだ』彼はそう言いたくなったが、口に出す力はなかった。『だが、なんのためにそんな事をいうんだ、実行すればいいじゃないか』と考えた。彼は妻に目顔をしてわが子をさしながら、こう言った。
『連れて行け・・・可哀そうだ・・・お前も・・・』彼はまた『許してくれ』と言いたかったが、『ゆるめてくれ』と言ってしまった。そして、もう言い直す力もなく、必要な人は悟ってくれるだろうと感じながら、ただ手をひとふりした。
すると、とつぜん、はっきりわかった――今まで彼を悩まして、彼の体から出て行こうとしなかったものが、一時すっかり出ていくのであった。四方八方、ありとあらゆる方角から。妻子が可哀そうだ、彼らを苦しめないようにしなければならない。彼らをこの苦痛から救って、自分のものがれねばならない。『なんていい気持だ、そして、なんという造作のないことだ』と彼は考えた。『痛みは?』と自問した。『いったいどこへ行ったのだ? おい、苦痛、お前はどこにいるのだ?』
彼は耳を澄ましはじめた。
『そうだ、ここにいるのだ。なに、かまやしない、勝手にするがいい。』
『ところで死は? どこにいるのだ?』
古くから馴染になっている死の恐怖をさがしたが、見つからなかった。いったいどこにいるのだ? 死とはなんだ? 恐怖はまるでなかった。なぜなら、死がなかったからです。
死のかわりに光があった。
『ああ、そうだったのか!』彼は声に立てて言った。『なんという喜びだろう!』
これらはすべて彼にとって、ほんの一瞬の出来事であったが、この一瞬間の意味はもはや変わることがなかった。しかし、そばにいる人にとっては、彼の臨終の苦悶はなお二時間つづいた。彼の胸の中でなにかことことと鳴った。衰えきった体がぴくぴくとふるえた。やがて、そのことこと鳴る音もしわがれた呼吸も、しだいに間遠になって行った。
『いよいよお終いだ!』誰かが頭の上で言った。
彼はこの言葉を聞いて、それを心の中で繰り返した。『もう死はおしまいだ』と彼は自分で自分に言い聞かせた。『もう死はなうなったのだ』・
彼は息を吸い込んだが、それも中途で消えて、ぐっと身を伸ばしたかと思うと、そのまま死んでしまった。
感想;
それまでは自分のこと、自分のための人生で、自分中心でした。
治らない病に冒され、そして苦痛がだんだんと大きくなってきました。
「なぜ? 私にこんなことを?」と神様に尋ねても神様は無言です。
しかし、彼は最後に自分の視点から、周りを気遣う視点への変換が起き、周りの苦しみを除こうとした時点で、自分の苦しみからも解放されました。
ロゴセラピーでは「創造価値」「体験価値」「態度価値」の3つの視点から考えます。
態度価値は、創造も体験もできなくなっても死ぬ最後まで残ると考えます。
まさにイワンリッチの態度価値は、自分視点から、周りそれも自分を大切にしてくれ大切に思ってくれている人々への視点に変わったのです。
この本を読むのは2回目でした。
今回は「態度価値」の視点で読み、それに関係する箇所をメモしました。
最後の「コペルニクス的180度の視点の転換」があったように思います。
太陽が地球の周りを回っている⇒地球が太陽の周りを回っている
自分中心で周りの人を見る⇒周りの人の視点で見る
見える世界が変わったのです。
人は、死ぬ間際でも「態度価値」を変えることができます。
「最高の人生の見つけ方」日本版が吉永小百合&天海祐希でベストな理由 プロデューサーが明かす
死ぬ間際でベッドで寝たきりでなければ、「創造価値」「体験価値」を生みだすことはできるようです。