・心に不調をきたした人の手記や体験談は多くあるが、クライエントをケアする立場にあるカウンセラーがどんな人たちで、彼らがどんな日々を送っているのかはほとんど知られていない。
・「心理三分の一説」という仮説がある。大学院で臨床心理学を専攻する学生とはどんな人種なのかを観察した結果、大きく分けて三種類に分かれることを発見したしたという。三分の一はこれまで普通の生活を送ってきた平均的な人、三分の一は過去にうつ病などを克服した経験がある共感性の高い人、残りの三分の一は今病んでいる人、なのだそうだ。
・スクールカウンセラーとは、いじめや不登校などさまざまな課題に対応するため幼稚園から高校までに配置される心理相談員で、子どもの相談に対応するだけでなく、教職員への助言や保護者との調整など組織の支援にもあたる高度なスキルが必要とされる専門職である。
・ユング派分析家河井俊雄
「この仕事がおもしろいのは、いくら優秀なセラピストでもうまくいかないことがあること。逆にいくらダメでミスばかりしていても、クライエントががんばってよくなってくれることがあること。それはとても不思議なことです」
・カウンセラーとクライエントの相性がいかに重要であるかは、実際にカウンセリングを受けてみるとわかる。
・村瀬佳代子(日本臨床心理士会長)が指摘したのは、愚痴をただ聞くのではなく、クライエントの言葉を手掛かりに、クライエントが現在置かれている立場や望んでいることを理解し、クライエントの生活の中で何ができるのか可能性を探りなさい、ということだった。たとえば、「自分のことを責めていらっしゃるけど、案外よくやってらっしゃるのではありませんか」といったポジティブな言葉を伝え、クライエントの自尊心を支えていく。
・「カウンセラーが一人前といわれるには、25年はかかるといわれています」
・実はこの「ノー・ルール」こそが、ファックスがシカゴ大学時代にカール・ロジャーズから学んだことの要諦だった。
「ノー・ルール」とは、教えられるのではなく、自ら学ぶということ。
・ロジャーズの技法はクライエントの言葉をオウム返しすることだという思い込みも広がっていった。
「先生、私、〇〇で困っているんです」
「〇〇で困っているんですね」
・来日した頃のロジャーズは、アメリカでは不遇の時間を過ごしていた。シカゴ大学から移ったウィスコンシン大学では、統合失調症の患者に対する大規模な研究を行おうとして十分な成果が得られず苦しみ、学内の人間関係にも悩まされていた。
・1962年にカリフォルニア大学大学院バークレー校に留学した村瀬佳代子は、ロジャーズが大学で講演を行うと知り、大学院の友人や指導教官に日本ではロジャーズが大変人気があって尊敬を集めていると熱をこめて話すと、「この国では、彼は少数派である、だがどんな話し方をするか、どんな人物かは関心があるから聴きに行く」と冷ややかな反応が返ってきたと手記『柔らかなここと、静かな想い』の中で回想している。
・河合隼雄
理論を知らなくてもカウンセラーの態度さえよければカウンセリングは成立するということを非常にはっきりいったのが、ロジャーズだと思います。だから、クライエントが来たときに、言っていることを聴いて、それは、母親に対するコンプレックスなのか、あるいは、兄弟の葛藤なのかそんなことを考えるよりも、ただむこうの言うことに対してひたすら耳を傾けて聞くという態度をわれわれがとれば、クライエントが自分の力で治ってゆくというわけです。
ロジャーズの理論が日本に入ってきたことは非常に大きい意味を持っています、日本ではカウンセリングはそんなに発達していなかった。何もそれを勉強していないのに、実際問題としてカウンセリングをしなければならない状態が多い。その場合に、ロジャーズの考え方を守ってやればあまり勉強していないものでもうまくゆくことが多い。このため、ずいぶん多くの人が助かったし、私もそのひとりです。
それと、もうひとつの大きな意味は、とかく日本の教育者とか宗教家など、りっぱな人は、説教するのが非常に好きでして、そういう日本の教育者の説教ぐせに対して、ロジャーズの理論はそれを真っ向からぶちこわす役割をもった。これは非常に意味が大きいと思います。それまで生徒に説教してがんばってきた先生が、ロジャーズの本を読んでがく然としたり、感激した人が多いと思います。だから、そういう意味をもってカウンセリングということが日本に広まるうえにおいては、非常に大きい役割をつとめたと思います。
・『未来への記憶』河合隼雄著(自伝)
ロジャーズの功績を大きく2つ指摘している。
1)カウンセラーの受け答えによってクライエントの話が左右されると説いたこと。
2)精神分析の理論を構えずともカウンセリングができることを逐次録をもとに明快に示して見せたことである。
・とはいえ、ひたすら共感し、受容するだけではどうにもうまくいかないケースが存在するのもまた事実である。
・中井久夫が見いだしたのは「臨界期」の存在だった。臨界期とは、急性期が終わりを告げて回復に転ずる一連の現象が観察される時期のことである。下痢や便秘、原因不明の発熱やめまい、薬物の副作用が強まることもある。さまざまな身体的な症状に加えて、夢も大きく変化する。日常を脅かしていた幻聴や幻想が、夢の中に「還ってゆく」。中井の観察した患者の中に、臨界期と呼べる転換期が存在しない患者は一人としていなかった。
・中井のこうした考察が、のちに、高江洲の「間合い」の視点や、近寄りすぎず離れすぎず、といった統合失調症の患者と接するときの基本姿勢につながっていったことは明白だろう。
・これは中井先生がご自身で発見されたことですが、風景構成法というのは、あいまいなものを提示して心理的特性を見出す”投影法”としての側面と、箱庭療法のように心理療法でありながら”構成法”でもあるという側面を併せ持つんですな。
・山中康裕
「沈黙に耐えられない医者は、心理療法家としてダメだとぼくは思います」
「患者さんは、沈黙が許容されるかどうかが、医師を選ぶ際の一つの目安だと思っているくらいです。でも、10分間の沈黙は本当に長いです。大丈夫かしらと思うくらいの長さです。でも中井先生はまったく平気でした。このまま、一時間ぐらい沈黙されるかもしれないと思うほどです。どうされましたが、みたいなこともおっしゃらない。だって、そんなものは必要ないです。患者さんはなにかあるから来ているに決まっていますから」
・中井久夫
「精神療法か薬物療法か、という二者択一はいくつもの点からして意味をなさない。薬物が適切に投与されるところには必ず精神療法がある。精神療法が適切に行われれば、必ず薬物療法が確実に行われるようになる」
・熱意をストレートにぶつけるのではなく、内に秘めて一歩退く。沈黙は沈黙のまま見守る。簡単なことのようで容易ではない。そんな治療者の姿勢を支えるものとしては箱庭療法や風景構成法がある。つまり、父権主義的な二者関係に対抗し、治療者の我を抑制するカウンターカルチャーでもあったということだ。
・神田橋・荒木の論文「『自閉』の利用」に記された「拒絶能力」に言及しながら次のように書く、
治療は、どんなよい治療でもどこか患者を弱くする。不平等な対人関係はどうしてもそうなるのだ。その不平等性を必要最小限にとどめ、患者が意思に幻想的な万能感を抱かず、さらりと「ノー」といえることが必要である。
両者は患者の後の生活のひろやかさの大幅な増大となってみのりうるものだ。このことの重要性は精神医学に限らない。
医師にへりくだりがちな患者が多いことをあらあじめ想定し、医師が自分自身をコントロールする。治療者の自立の大切さを説く一節である。
・中井久夫
「物語を紡ぐということは、一次元の言葉の配列によって二次元以上の絨毯を織る能力ですからね。そこに無理もあるのです。言葉にならない部分を言葉のレベルまで無理に引き揚げることですから」
「言語は因果関係からなかなか抜けないのですね。因果関係をつくってしまうのはフィクションであり、治療を誤らせ、停滞させる、膠着させると考えられても当然だと思います。河合隼雄先生と交わした会話で、いい治療的会話の中に、脱因果的思考という条件を挙げたら多いに賛成していただけた。つまり因果論を表に出すなということです」
「箱庭も、あれは、全部物語を紡がない。というこも重要なのでしょう。河合先生はよく、ふーんって感心していればいいとか、私はなにもしないことに努力しているのです、といっておられた。あれは、そういうことを念頭においておられたんでしょうね」
「セラピストとのやりとりを重ねるうちに、クライエントはあるまとまった物語をつくっていきますが、それは必ずしも、本当の物語ではないというか、本当の物語である必要はないというこおですね」
「ええ、本当の物語は不在かもしれません」
・学生相談の場で出会う学生たちに大きな変化がみられるようになったのは、2000年を過ぎたころからだ。変化は、大きく三つある。
1)「悩めない」学生の増加である。問題解決のハウツーや正解を性急に求める学生と、漠然と不調を訴えて何が問題なのかが自覚できていない学生に二極化しており、とくに後者については、内面を言葉にする力が十分に土だっていないために大学に適応できず、対人関係にも支障をきたし、いきなり、自傷、過食嘔吐、過呼吸、過敏性腸炎、つきまとい、ひきこもりなどの行動化、身体化に至ってしまう。
2)「巣立てない」ことである。近年増えつつあるのが、就職先が内定し、単位も取得しているにもかかわらず、社会に出る不安からうつ状態やパニック症状に陥る、いわゆる「内定うつ」と呼ばれる学生たちである。
3)「特別支援」を要する学生の増加である。特別支援を要する学生というのは、発達障害やその傾向をもつ人々のことだ。・・・学業に支障はなくても対人コミュニケーションに困難をもつ学生は、時としてトラブルに巻き込まれたり、逆にトラブルを引き起こしたりしやすい。
・新しい生き方を見出すとは、なんと苦しいことだろう。それに伴走するとは、なんと過酷なことか。「『深い』過程は文字どおり死にもの狂いにならぬと不可能」であるからこそ、医師やカウンセラーは、クライエントと関わることによって生じるすべてのことを引き受ける覚悟で臨まなければならないのだろう。
・「セラピストは自分を知っていないといけない。ただ、自分を知るといっても・・・」
河合はそういって、しばらく口をつぐんだ。
――この世界を取材するのであれば、あなたも自分を知らなければならない。
取材を始めた頃、木村晴子にそういわれた。この間、私はそのことについて折にふれ考え続けてきた。河合にその話をすると、木村がいおうとしたのは、こういうことではないかといった。
「自分はこう見てしまうといったバイアスや、相手にこういうことをしゃべらせたという自分なりのストーリーを自覚するということでしょうか」・・・
「ええ、同じです。事例研究会をしているとよくわかります。ケースにコメントするにしても、ケース自体がどうかということよりも、コメントしている人のほうがよく見える。三者三様がよく見える」
・双極性障害Ⅱ型。私(著者)に下った診断である。簡単なテストを含む問診票と、数回の診察を経ての診断だった。DSMのうつ病チェックリストを試すと即刻うつ病とされるところだろうが、そう診断されなかったのは、医師が私のこれまでの状況をよく聞き、親族の病歴とも照らし合わせたためだろう。
・「信頼できる医師 出会うまで5年」と題する記事があった。・・・
私自身、生まれて初めて心療内科を受診してからもう20年近くになるだろうか。自分の異変を自覚してから10年あまりと考えると、この調査結果に得心がいく。長い道のりであった。しかし、このような取材をしている最中に自分の病名を知ることになろうとは、全く想定外であった。
いや、違う。私も、知りたかったのだ。心について取材しながら、自分の心を知りたかったのだ。私は、自分のことなら知っていると思い込むことで、自分を直視することを避けてきた。人に話をしてもどうせわかってもらえないだろうと決めつけることで、人に心を開くことができない人生を生きてきた。中井久夫はそれを私に伝えようろしたのである。
「あなたが自分の心を考え始めたとき、ユングの理論はあなたにとってものすごく有用なときがあるんです。しかし、、あなたにとってですよね。すべてのすべての人にとってではないです」
河合隼雄はそう語っていた。
私にとって、それが、今だった。今、この世界の取材が必要だった。たぶん、これからも生きるために。
・カウンセラーや精神科医には、沈黙と向き合うことが必要な場面がある。沈黙に耐えることができなければ失格ともいわれる職業である。
・箱庭療法や
風景構成法は、数多ある心理療法の一つにすぎない。認知行動療法が隆盛の今、時間も手間もかかるふた昔前の療法を採り上げることにどんな意味があるのかという声も聞こえてきそうだ。
しかし、これらが日本で独自の発展を遂げ、数えきれないほどのクライエントを癒し、彼らの認知世界への理解を深め、心理療法の歴史を塗り替えたのは確かである。その担い手であるセラピストのことを胸に刻むために、私は本書を書いた。
自分の病について書くことを決意したのは、自分自身をつまびらかにすることなく、他者のプライバシーに踏みこむことはできないと考えたからである。また、心理療法の発展のために逐次録を公にし、自らをさらしてきた多くのクライエントとせらぴすとに敬意を表したかった。
診断結果を受け、今は、病気を理解した上で症状とうまく付き合えるよう、生活を工夫している。双極性障害者の名医でもある神田橋條治医師の「気分屋的生き方をすると気分が安定する」という言葉のように、行き当たりばったり生きることを楽しんでいる。
・心の病とは、暗闇の中で右往左往した揚げ句、ようやく探し当てた階段の踊り場のようなものかもしれない。踊り場でうずくまるクライエントのそばに、セラピストはいる。沈黙に耳を澄まし、クライエントから再び言葉が生まれるまで待ち続ける。クライエントが立ちあがったとき、彼らもまた立ち上がる。
・心の病を抱えて生きるのは心細いことだ。でも、岩のような不安のかたまりを一緒に担いでくれる人と出会い、自分も社会から必要とされていることに気づくことで自信は生まれる。働くとはどういうことなのか、地域で暮らす不安にどう折り合いを付けるのか、居心地のいい人間関係をどのように築いていくのか、親亡きあとにどう備えるか、当事者でなければ気づくことのなかった問いに、一つ一つ丁寧に向き合おうとしている人々がいる。回復の先に新たな道を切り拓こうと歩き始めた彼らの、しなやかな来いと勇気に私も励まされている。
感想;
後書きも含めて、文庫本で約500頁の大作です。筆者の『
絶対音感』も読みごたえのある本でした。
読んだ感想は主に以下でした。
1)精神の病の世界は広く深い。
2)セラピストやカウンセラーとクライエントの相性が大きい。
3)クライエントの自律性が回復のキーになる。
4)薬物療法と精神療法の療法の両方が必須である。
5)専門家でも治療はなかなか難しい。
6)患者が増えたので、箱庭療法や風景構成法を行っている余裕がなくなっている
7)クライエントに合った療法をそのよいタイミングで行うことが重要になる。
8)クライエントも医師やセラピストを選ぶ時代になっている。
9)沈黙の大切さを改めて知った。
10)病を抱えることはよりよく生きる機会にもなる。
この本では数多の心理療法の紹介はされていません。
・カール・ロジャーズ
・箱庭療法(河合隼雄)
・風景構成法(中井久夫)
を主に取り上げています。
今主流になっている認知行動療法も言葉だけの登場です。
クライエント側からすれば、そのセラピスト/カウンセラーがどんな心理療法を専門としているか、自分がそれに合っているのかどうかも知っておく必要があるのでしょう。
またクライエント側も自ら知る、学ぶこと、それは自分を知ることにもなるようです。セルフカウンセリングも必要なのでしょう。
自分の病を医師やセラピストに任せぱなしにせず、自らも自分に合った医師(お薬含め)とセラピストを選ぶことのようです。
著者の双極性障害Ⅱ型も、医師等には20年間分からなかったようです。精神科医自身が双極性障害Ⅱ型をうつ病と間違えて判断している医師が多いと本に書いてありました。それほどわかり難いようです。処方される薬が違うのです。
脳の電気信号を測定する装置だとうつ病と双極性障害はあきらかに脳波のパターンが違うようですが、日本ではそれはほとんどされていないようです。
自分で知り自分に合った医師、薬を自分も知ることも必要なのでしょう。
双極性障害にうつ病の薬を処方されていると、治すための薬が逆に悪い影響を与えている場合もあります。
自分の診断名、お薬を知ることも大切なのだと思います。
「気分屋的生き方をすると気分が安定する」
自分に合った生き方を見つけることなのでしょう。
これは精神的な病を持つ持たない関係なくとても大切なことだと思います。
社会が求める生き方ではなく、自分の生き方を見つけていく。
社会の評価のために生きるのではなく、先ずは自分のために生きることなのでしょう。
そしてそれが社会のためになっているとステキな人生、幸福感の持てる人生になるのでしょう。
そのためにも自分を知る、様々な心理療法を知る、薬も知る、医師やセラピストのレベルまで深くなくても話し合える程度の知識が自分を生き易くするのではないでしょうか。
著者は実際にカウンセリングを受けたり、いろいろな体験を積み重ねてこの本をまとめられています。単なるインタビューではないのは、著者自身も精神的な病を持っていたからのようです。
双極性障害Ⅱ型の著者だからこそこれだけの内容の本になったと思いました。