今体重は39kg。1940年生まれ、映画「緑はるかに」は14歳でデビューした。勝新太郎、石原裕次郎
小林旭と共演。映画158本出演。男はつらいよでもリリー役で。60歳で29年連れ添った石坂浩二さんと離婚した。小林旭さんはすてきだった。最近日経新聞に「私の履歴書」が話題になった。連載を読んだ経済人が私を呼んで話をしたいと言われて呼ばれた。
思い出の曲「ムーンライトバーモント(Moonlight In Vermont)」 中学1年性のころに聞いた曲。
曲だけ鮮明に覚えていた。初めてその訳詞を知った。
お父様は政治家の秘書も経験。身体を壊して麻雀店を経営した。女の子4人の家族6人暮らし。神田のガード下に住んでいた。そこを最近見てきた。まだ残っていて涙がぼろぼろ出てきた。麻雀店は3卓の小さな店。食べるものがなかったのにお客さんにあげる両親だった。世話好きだった両親。日活の傍に家を借りて住み、皆が来て食べた。若手のたまり場だった。高橋英樹さんもよくて来て、食べさせて欲しいと。お風呂に入って背中を姉が洗ったりとかした。映画42本、小林旭さんと共演した。小林旭さんと恋に落ちた。なんて素敵な青年。今みたいにでぶでない。スタイルがよくて、顔がよくて。その頃は忙しくて小林旭さんだけにこだわっていられなかった。ほかの映画とかも出ていた。一緒にいたいとか言っておられなかった。小林旭さんと両親が私の両親に会って、私をお嫁さんに欲しいと言ってくれた。父親がまだ結婚するのは早すぎる。今結婚して終わるのは惜しいのでと断った。そのことは教えてもらわなかった。私も無理かなとか思った。20歳くらいだった。全てを捨ててまで結婚したいとは思っていなかった。まだ大人になってなかった。阿川さん一回結婚してみたら。逆にインタビューされてしまった。
演技というのは、映画の監督とか先輩に叱られて、いっぱい言われた。いっぱいかわいがってくれた。お兄さん的で。石原裕次郎さんとの共演も、「夜霧を今夜もありがとう」。元恋人のヒロイン役評判を生んだ。理想の男性像は石原裕次郎さん。映画の競演は37本でラブシーンばっかりやっていた。恋心が沸いていたけど、石原さんはすでに結婚していたのでお邪魔してはいけないと思った。石原裕次郎さんを誰も嫌いと言う人はいない。撮影に1時間ほど遅れてくる。まだね。皆イライラしてきた。もう2時間。「ごめんな、ごめんな」と言いながら現れた。これで許される。
寅さんシリーズに4回も出た。寅さんの最終作に出演した。断ったけど松竹からぜひ出てほしいと言われた。記者会見前にあいさつに行ったら、寅さんがベットで寝ていた。寅さんがどこにもいないと思った。サインしてもらってよいですかとお願いして、台本にサインしてもらった。わんわん泣いた。もしかしたら、これが最後になるかもしれないと思った。映画で結婚させていただけませんかと言われたが、でも次があったのでそうならなかった。
蜷川幸雄さんから舞台のお話が来た。映画がちょっと落ちてきた時に声をかけられた。それまでは舞台が怖くてずっと断っていた。蜷川さんに怒ったら私は帰りますからと言っておいた。皆川さんは演技がご自分の思い通りでないと怒る人でむやみに怒っているのではない。
60歳で離婚会見に二人で出た。30年一緒に生活した。あの人がどれだけ私を成長させてくれたか。あなたは女優の才能があるからぜひ仕事は続けてくださいと言われた。お料理も自分でできる人で、何にもやらずに、ちょっとはしましたが、いろんなことを教えてくれた。絵も教えてくれた。人生の家庭教師だった。石坂浩二さんに感謝している。憎んだことは一度もなかった。あちらに好きな人ができたから別れた。好きな人ができることは仕方がないことだから。迷惑をかけなければそれは仕方がない。結婚する人がいるからとは一言も言わなかった。親を看る人が要るからと。
サミーデービスの。聴くと元気になる曲。「Night And Day」
Night and day, you are the one
Only you beneath the moon and under the sun
Whether near to me or far
It’s no matter, darling, where you are
I think of you, night and day
良いわね。どこにいようとあなたのことを思っている。好きな人は途切れたことがありません。でももう結婚しようとは思わない。思っているだけで良い。恋をしているとステキ。阿川さんぜひ結婚しなさいよ。もし相手が良くない人だったら、良くないかもしれないけど、阿川さんが好きになった人だから良いのではと言う。
感想;
綺麗な女優さんですが、こころもとっても可愛らしい方です。番組中、時々阿川さんの手を握りながら話をされていました。こころもとても美しい方だと思いました。
小林旭と共演。映画158本出演。男はつらいよでもリリー役で。60歳で29年連れ添った石坂浩二さんと離婚した。小林旭さんはすてきだった。最近日経新聞に「私の履歴書」が話題になった。連載を読んだ経済人が私を呼んで話をしたいと言われて呼ばれた。
思い出の曲「ムーンライトバーモント(Moonlight In Vermont)」 中学1年性のころに聞いた曲。
曲だけ鮮明に覚えていた。初めてその訳詞を知った。
お父様は政治家の秘書も経験。身体を壊して麻雀店を経営した。女の子4人の家族6人暮らし。神田のガード下に住んでいた。そこを最近見てきた。まだ残っていて涙がぼろぼろ出てきた。麻雀店は3卓の小さな店。食べるものがなかったのにお客さんにあげる両親だった。世話好きだった両親。日活の傍に家を借りて住み、皆が来て食べた。若手のたまり場だった。高橋英樹さんもよくて来て、食べさせて欲しいと。お風呂に入って背中を姉が洗ったりとかした。映画42本、小林旭さんと共演した。小林旭さんと恋に落ちた。なんて素敵な青年。今みたいにでぶでない。スタイルがよくて、顔がよくて。その頃は忙しくて小林旭さんだけにこだわっていられなかった。ほかの映画とかも出ていた。一緒にいたいとか言っておられなかった。小林旭さんと両親が私の両親に会って、私をお嫁さんに欲しいと言ってくれた。父親がまだ結婚するのは早すぎる。今結婚して終わるのは惜しいのでと断った。そのことは教えてもらわなかった。私も無理かなとか思った。20歳くらいだった。全てを捨ててまで結婚したいとは思っていなかった。まだ大人になってなかった。阿川さん一回結婚してみたら。逆にインタビューされてしまった。
演技というのは、映画の監督とか先輩に叱られて、いっぱい言われた。いっぱいかわいがってくれた。お兄さん的で。石原裕次郎さんとの共演も、「夜霧を今夜もありがとう」。元恋人のヒロイン役評判を生んだ。理想の男性像は石原裕次郎さん。映画の競演は37本でラブシーンばっかりやっていた。恋心が沸いていたけど、石原さんはすでに結婚していたのでお邪魔してはいけないと思った。石原裕次郎さんを誰も嫌いと言う人はいない。撮影に1時間ほど遅れてくる。まだね。皆イライラしてきた。もう2時間。「ごめんな、ごめんな」と言いながら現れた。これで許される。
寅さんシリーズに4回も出た。寅さんの最終作に出演した。断ったけど松竹からぜひ出てほしいと言われた。記者会見前にあいさつに行ったら、寅さんがベットで寝ていた。寅さんがどこにもいないと思った。サインしてもらってよいですかとお願いして、台本にサインしてもらった。わんわん泣いた。もしかしたら、これが最後になるかもしれないと思った。映画で結婚させていただけませんかと言われたが、でも次があったのでそうならなかった。
蜷川幸雄さんから舞台のお話が来た。映画がちょっと落ちてきた時に声をかけられた。それまでは舞台が怖くてずっと断っていた。蜷川さんに怒ったら私は帰りますからと言っておいた。皆川さんは演技がご自分の思い通りでないと怒る人でむやみに怒っているのではない。
60歳で離婚会見に二人で出た。30年一緒に生活した。あの人がどれだけ私を成長させてくれたか。あなたは女優の才能があるからぜひ仕事は続けてくださいと言われた。お料理も自分でできる人で、何にもやらずに、ちょっとはしましたが、いろんなことを教えてくれた。絵も教えてくれた。人生の家庭教師だった。石坂浩二さんに感謝している。憎んだことは一度もなかった。あちらに好きな人ができたから別れた。好きな人ができることは仕方がないことだから。迷惑をかけなければそれは仕方がない。結婚する人がいるからとは一言も言わなかった。親を看る人が要るからと。
サミーデービスの。聴くと元気になる曲。「Night And Day」
Night and day, you are the one
Only you beneath the moon and under the sun
Whether near to me or far
It’s no matter, darling, where you are
I think of you, night and day
良いわね。どこにいようとあなたのことを思っている。好きな人は途切れたことがありません。でももう結婚しようとは思わない。思っているだけで良い。恋をしているとステキ。阿川さんぜひ結婚しなさいよ。もし相手が良くない人だったら、良くないかもしれないけど、阿川さんが好きになった人だから良いのではと言う。
感想;
綺麗な女優さんですが、こころもとっても可愛らしい方です。番組中、時々阿川さんの手を握りながら話をされていました。こころもとても美しい方だと思いました。
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