世界に誇るプリママドンナ。150cmギリギリ。体重も変わっていない。
松山バレエ団。
1974年ヴァルナ国際バレエコンクールで金賞を受賞。私すごく不器用。飛行機の中でも練習。
不器用な森下さんがどうして世界のバレリーナになれたから。
50回/年舞台に出ている。海外も行っている。
今でこそ、世界に日本人が活躍しているが、その礎になった。
バレエを69年やっている。今でも毎日ストレッチをやっている。
サワコさんが気になった森下さんの名言
「1日休むと自分にわかる。2日休むと仲間にわかる。3日休むと観客にわかる」
踊れるようになるのに10年かかる。トゥシューズに慣れるまで10年かかる。最初足先の皮膚がはがれる。足先に牛肉を巻いて練習していた。
バレエ始めるきっかけは、病弱で弱い子だった。家の前にバレエ教室ができた。医者からも何か運動させた方が良いと言われていた。そこで夢中になった。小学5年生まで広島にいた。お金は出すが口は出さないとの親の考えがあった。バレエのことは分からないので。広島にも恐いバレエの先生がいたが、東京で学びたいと思ってバレエのために小6で上京した。
1曲目 「故郷」
故郷があるって素晴らしい。
家に帰りたいと思ったことがなかった。だから親が悲しんでいた。
毎日毎日レッスン、レッスンが幸せ。バレエで有名になりたいと思っていなかった。とても不器用だった。皆が新しいステップが出来ても私は出来なかった。先生は火のように怒っていた。家に帰って練習しているとその後出来るようになった。だからいつか出来るようになると信じていた。人と比べてコンプレックスになることはなかった。皆凄いなと思うことはあった。
ターニングポイントがあった。
日本でクラシックバレエが認められることがまだなかった。国際大会であるヴァルナ国際バレエコンクールで金賞をもらった。金賞は毎回与えられるものではなく、該当者なしのときもある。いまだに日本人ではいない。これにより世界の有名な人と出会えるようになった。エリザベス女王、モナコのグレース・ケリーさんなど。
エリザベス女王の戴冠式式典で国際的に有名な男性ダンサー ヌレエフスが相手役に誰を選ぶかと注目された時、私を選んでくれた。日本人のバレリーナを選んだと世界で話題になった。
何でも教えて欲しい。彼からたくさんのことを教わった。ヌレエフはホークとナイフで肉を食べ、私はミルクを。ヌレエフは食べながら多くのことを教えてくれた。お金を出しても教えてもらえないことを与えてもらった。海外にもよく出かけた。時差があるので、帰国したら楽屋に直行とかもあった。海外に拠点を移したらと言われたが日本人なので日本を拠点にした。
飛行機の中でバーレッスンをしていた。着いてすぐ舞台。飛行機の乗客が「おっとバレリーナだ」と言って通り過ぎていた。
稽古稽古を積み重ねてきた。やっていればできる。祖母は左半身を被爆した。もう亡くなると思われてお経をあげられた。でもプラス思考の人だった。こんな身体になってとか愚痴をいっさい言ったことがなかった。祖母は左手がくっついていてもまだ右手があると出来ないことより出来ることを見つけていた。お経をあげられたけど生きていると。祖母から大切なことをもらった。私の背中に羽が生えているわけではないが、世界に平和を与え続けたい。「ぜったい諦めない。その代わり続けてね。やっていくことでしか結果はでない」とこれからの人に言いたい。
バレエの教室に80歳の方もいる。50歳から初めてトウシューズを履いた人が履けるようになる。バレエ衣装着て喜びに満ち溢れている。皆から背中がきれいになったねと言われたとか。バレエやっていて腕が上がるようになったとか。
2曲目、夫と初めて踊った曲 「ヴァイオリン協奏曲 第1番イ単調/バッハ」
パリオペラ座に日本人として初舞台。
最初の振り付け今でもおぼえている。“真・善・美” “美”は結果。“真・善”を怠ると“美”は出て来ない。
感想;
知るは好きに如かず
好きは楽しむに如かず
と言いますが、森下洋子さんは本当にバレエがお好きで、バレエの練習も含めて楽しい時間なんだということが伝わってきました。
ご自分のことを不器用と言われていました。
でもいつか出来るようになると信じて練習を積み重ねて来られました。
そうすると出来なかったことが出来るようになると。
150cmと小さな体が大きく輝いて見えました。
それにしても背筋がピンとしていてとても美しかったです。
松山バレエ団。
1974年ヴァルナ国際バレエコンクールで金賞を受賞。私すごく不器用。飛行機の中でも練習。
不器用な森下さんがどうして世界のバレリーナになれたから。
50回/年舞台に出ている。海外も行っている。
今でこそ、世界に日本人が活躍しているが、その礎になった。
バレエを69年やっている。今でも毎日ストレッチをやっている。
サワコさんが気になった森下さんの名言
「1日休むと自分にわかる。2日休むと仲間にわかる。3日休むと観客にわかる」
踊れるようになるのに10年かかる。トゥシューズに慣れるまで10年かかる。最初足先の皮膚がはがれる。足先に牛肉を巻いて練習していた。
バレエ始めるきっかけは、病弱で弱い子だった。家の前にバレエ教室ができた。医者からも何か運動させた方が良いと言われていた。そこで夢中になった。小学5年生まで広島にいた。お金は出すが口は出さないとの親の考えがあった。バレエのことは分からないので。広島にも恐いバレエの先生がいたが、東京で学びたいと思ってバレエのために小6で上京した。
1曲目 「故郷」
故郷があるって素晴らしい。
家に帰りたいと思ったことがなかった。だから親が悲しんでいた。
毎日毎日レッスン、レッスンが幸せ。バレエで有名になりたいと思っていなかった。とても不器用だった。皆が新しいステップが出来ても私は出来なかった。先生は火のように怒っていた。家に帰って練習しているとその後出来るようになった。だからいつか出来るようになると信じていた。人と比べてコンプレックスになることはなかった。皆凄いなと思うことはあった。
ターニングポイントがあった。
日本でクラシックバレエが認められることがまだなかった。国際大会であるヴァルナ国際バレエコンクールで金賞をもらった。金賞は毎回与えられるものではなく、該当者なしのときもある。いまだに日本人ではいない。これにより世界の有名な人と出会えるようになった。エリザベス女王、モナコのグレース・ケリーさんなど。
エリザベス女王の戴冠式式典で国際的に有名な男性ダンサー ヌレエフスが相手役に誰を選ぶかと注目された時、私を選んでくれた。日本人のバレリーナを選んだと世界で話題になった。
何でも教えて欲しい。彼からたくさんのことを教わった。ヌレエフはホークとナイフで肉を食べ、私はミルクを。ヌレエフは食べながら多くのことを教えてくれた。お金を出しても教えてもらえないことを与えてもらった。海外にもよく出かけた。時差があるので、帰国したら楽屋に直行とかもあった。海外に拠点を移したらと言われたが日本人なので日本を拠点にした。
飛行機の中でバーレッスンをしていた。着いてすぐ舞台。飛行機の乗客が「おっとバレリーナだ」と言って通り過ぎていた。
稽古稽古を積み重ねてきた。やっていればできる。祖母は左半身を被爆した。もう亡くなると思われてお経をあげられた。でもプラス思考の人だった。こんな身体になってとか愚痴をいっさい言ったことがなかった。祖母は左手がくっついていてもまだ右手があると出来ないことより出来ることを見つけていた。お経をあげられたけど生きていると。祖母から大切なことをもらった。私の背中に羽が生えているわけではないが、世界に平和を与え続けたい。「ぜったい諦めない。その代わり続けてね。やっていくことでしか結果はでない」とこれからの人に言いたい。
バレエの教室に80歳の方もいる。50歳から初めてトウシューズを履いた人が履けるようになる。バレエ衣装着て喜びに満ち溢れている。皆から背中がきれいになったねと言われたとか。バレエやっていて腕が上がるようになったとか。
2曲目、夫と初めて踊った曲 「ヴァイオリン協奏曲 第1番イ単調/バッハ」
パリオペラ座に日本人として初舞台。
最初の振り付け今でもおぼえている。“真・善・美” “美”は結果。“真・善”を怠ると“美”は出て来ない。
感想;
知るは好きに如かず
好きは楽しむに如かず
と言いますが、森下洋子さんは本当にバレエがお好きで、バレエの練習も含めて楽しい時間なんだということが伝わってきました。
ご自分のことを不器用と言われていました。
でもいつか出来るようになると信じて練習を積み重ねて来られました。
そうすると出来なかったことが出来るようになると。
150cmと小さな体が大きく輝いて見えました。
それにしても背筋がピンとしていてとても美しかったです。