-中野さんが東大を選んでよかったと思うことありますか。-
中野 面白い人たちに出会えたのが財産ですね。どうあがいても勝てない天才とか。自分の性格はおかしいと思っていたけど、もっとおかしな人たちがたくさんいた(笑)。
親との葛藤がある人は多かった印象です。良い子でいようという気持ちがすごく強いとか。摂食障害になる人もちらほらいました。
-中学進学を機に親元を離れ、東京の祖父母宅から私立校に通うことに。-
中野 地域の公立という選択肢はなく、かといって私立も家が貧乏だったので、特待生になれそうな学校を受験するという賭けに出て、難関校でもないけど成績上位者なら東大に行ける水準の学校に入りました。
-工学部を選んだ理由は?-
中野 自分が周りと違うという苦しさが中学生の頃には募っていて、私の性格がおかしい原因は脳だから、そこを何とかしないと生きていけないと。けどコミュニケーションの領域はまだ科学(で明らかに)されていないと知り、自分で研究しないとだめだと考えたんです。
-鉄門は男性の”聖域” 中野さん自身もそういう目に遭ったことは?-
中野 セクハラなんて腐るほどありますよ。たとえば先生から抱きつかれて、やめてくださいよと言うと、評価が下がって奨学金を受けるのに不利になるとか、だから次にまた抱きつかれた時には、先生も疲れているんですねってやんわりと腕をほどいて。
『東大卒の女性-ライフ・リポート』「東京大学女子卒業生の会 さつき会」編
さつき会とは、1961年創立で現在まで続く、東大女子卒業生・女子学生の同窓会だ。
評論家の樋口恵子(1956年文学部卒)は在学中、新聞部の顧問(中屋健一・東大教授)から
「君、東大に女子学生が半分にならないと日本は変わらないよ。いずれそういう時代が来るだろう」と言われたとも語っている。
平成が終わってもなお、女子が学部生の二割に達していないことを想像しただろうか。
『女・東大卒、異国で失業、50代半ばから生き直し』栗崎由子著
-次の世代にバトンを渡す-
赤松良子 女性の解放というのは、たとえば平塚らいてうとか市川房枝とか、苦労してきた女性たちの長い列があるんです。そういう列に私も加わった。後から来る人には言いたい。あなたにもその列に加わってほしいと。それが若い女性たちに私から伝えたい言葉です。
山口真由 ずっと自分は自己肯定感が低いと思っていたんです。水が入っているコップを見たら「ここまで水がある」と思うのではなく、「ここまでしかない」と捉えるような自分の性格が嫌だったんです。大学の成績も、優を取りたいというより、「良があったらどうしよう」という不安が強くて、優以外が一つでもあればずっと引きずるだろうと感じていました。でも、そういう自分の性格があってこそ、総長賞(オール優で法学部の成績優秀者)という結果につながったのかなと。そんな自分をまるごと認めようと、最近ようやく折り合いをつけてきたところです。
今は、朝起きたくない、ずっとお風呂で本を読んでいたい(笑)。でも本当にやりたいことは、「人の期待に応えたい」ですね。期待に応え続けたい。
「期待コウモリ」になりたいです。
ある時は哺乳類みたいな顔で、あっちの期待からこっちの期待へと飛び回るんです。
ある方のアドバイスで、テレビに出ている時は「私はこの業界の人間じゃない」という顔をしていればいいし、別の場所にいる時も同じようにしていればいいと言われて、気が楽になったことがあって、コウモリでいいのかなと思ったんです。
米国の大学では非大学卒の親を持つ「ファースト・ジェネレーション」へのサポートを行う。
たとえばハーバード大学では、出願の段階から支援があり、奨学金など様々な相談に乗ってもらえる。その結果、同大学では低所得層の学生を増やし、今では学生の15%がファースト・ジェネレーションだという。
外資系社員のあられ(ハンドルネーム、2008年工学部卒)は、自身の婚活ブログが人気を博したブロガーだ。30歳から2年半にわたって婚活し、「人生で一番苦戦した」という。
人気ブログ「トウダイリケジョの婚活記」
東大のテニスサークル事情だ。あられの在学時、テニスサークルが100あったが、東大女子が入会できるのは三つだけだった。それ以外はすべて、東大男子と女子大の女子によって構成される、”東大女子お断り”のサークルだったのだ。
「学歴ロンダリング」という(冷めた目で見る)言葉だ。(大学入学の試験ではなく帰国子女枠や大学院から東大へ)
あられ 婚活ほどではありませんが、結婚生活も苦戦しています。だから次は別のブログ「第二章」を書こうかなと思っています(笑)。
中野信子は、37歳頃にようやく自分に自信が持てた、としてこう語った。
「多くの女性はそれくらいの時期まで漠然とした不安があると思うんですよ。女は若いうちしか売れないよと呪いのように言われ続け、自分の価値がどんどんだがるという価値観を埋め込まれているので」
こんな「呪い」を彼女たちにかけるのは誰なのか。取材から、二つの大きな存在を感じた。
母親と、東大男子だ。
弁護士の三輪記子(ふさこ;2002年法学部卒)
『おっぱいがほしい! 男の子育て日記』樋口毅宏著(夫;帝京大出身)
-なぜ三輪さんは、親と一線を引いたところに立つことができたのでしょう-
三輪 勉強によるものだと思います。たとえば憲法を学ぶと、個人の尊厳とか自己決定とかを知るわけです。そういう法律の概念を自分に置き換えると、親が何を言おうが、理屈で考えると気にしなくていいものなんだと思えて、親との距離も置ける。勉強って法律だけじゃなくて、科学とか、自分が蓄えてきた知識や概念とか。
-課外活動というのか、学外での酒も男も、人生勉強-
三輪 そう。本当にそれで学んだことは多いですね。いろんな人がいましたからね。
『東大なんか入らなきゃよかった 誰も教えてくれなかった不都合な話』池田渓著(2006年農学部卒)
『「東大に入る」ということ 「東大を出る」ということ』
東大を卒業して間もない男性三人が、自身の迷いや失敗を書き綴った一冊。
(東大を卒業して)仕事に就いてみると、青年には、敷かれたレールの先に待っている世界が魅力的だと思えなかった。結局、(大銀行に)入行して一年足らずで辞める決断をする。・・・
「ねえ、母さん、振り返ってみると、なんで僕はこんなに偏差値に集約してきたんだろう? なんで少しの寄り道もしなかったんだろう?」
母親の期待を背負った男子にも「内なるマミー」は宿る。期待を推しばかり、それに応えることが彼の行動原理になっていた。・・・
同書が出た二年後、彼は会社を設立。・・・
会社の名前は、ユーグレナ。東証一部上場企業となった同社の代表取締役社長こそ、東大を出て銀行を一年足らずで辞めた元青年、出雲充なのだ。
上野千鶴子
「ダグラス・有沢の法則」
1980年代には、夫の年収と妻の有業率がきれいに逆相関していた。
高学歴女性は結婚後の専業主婦率が高くなる、傾向が当てはまりました。
ところが、2000年代に入ると、この法則が崩れた。・・・
「働くべきか、働かざるべきか」だったのが、・・・
「いかなる働き方をするか」になった。
小説『彼女は頭が悪いから』は、院生を含む東大の男子学生五人が他大の女子学生一人に対する強制わいせつ容疑で逮捕された、2016年の事件をモチーフにしている。・・・
今に始まった話ではない。90年代には、社会学者の宮台真司(1982年文学部卒)が「硬派な私立男子校から東大に入ったウブな優等生が、いわゆる大学デビューをした途端にキレて、女漁りをはじめるというのは、東大生には昔からありがちな傾向なのである」と指摘している。
上野千鶴子は、インタビューの終わりに言った。
「女子が東大に入るとどんないいことがあるか、言っておかないと」
「・・・望んで努力したら手に入ると思えることだった。・・・私の言葉で言うと、『選択肢が増えること』です。東大女子は、東大に入ったことで自信を得る。社会に出たら努力しても手に入らないものがたくさんあることを思い知るのだけど、少なくとも在学中は、自分の選択肢を狭めなくていい。私は大人が子どもに与えられる最大の贈り物は、選択肢を増やしてあげることだと思っています-」
東大女子である彼女たちの魅力は、再起力=レジリエンスにあった。・・・
彼女たちのレジリエンスこそ、不確実なこの時代、学歴よりもはるかにまばゆい輝きを放つものだからだ。
文春新書『東大女子という生き方』秋山千佳著
「女性が学歴をつけても結婚できないね」
「東大なんか行ったらお嫁に行けないからやめた方がいい」
これは、本書に登場した東大女子たちが実際に母親から言われていた言葉です。
著者は取材を始めるまでは、東大女子のインタビューを通して、職場での出世を阻む日本社会の「ガラスの天井」が見えてくるのではないかと想定していました。ところが実際には、もっと手前の段階で、母親や周囲の男性から「女性」として位置づけられることで生まれる生きづらさが彼女たちを苦しめていたことが分かってきました。
しかし、そのような生きづらさを感じたときに、泣き寝入りしないのが彼女たちの強さでもありました。
人生の「壁」にぶち当たっても、何度でも人生をやり直して立ち上がるレジリエンス(=再起力)を持っていたのです。
一つの企業・組織で一生を終える旧来の価値観で言えば、企業や組織を離れていく女性たちは「道を変えざるを得なかった」というふうに見られてきました。
しかし、彼女たちは、組織を離れて自ら違う道を選んだことで、個を磨き、何度も環境を変えながら道を切り拓く力を身に着けていきました。
一見、道を閉ざされたかに見えた彼女たちの生き方は、これからの時代に求められている働き方の先駆けでもあったのです。
孤独や挫折、ジェンダーの問題など、誰もがぶつかる「壁」に彼女たちがどのように乗り越えたか。
彼女たちの生き方を通して、誰もが自分らしく生きるヒントを見つけていただければ幸いです。
中野信子
「出世と人生の満足度は違う」37歳頃にたどり着いた境地
赤松良子
「なにさ」「頭にくる」。〝均等法の母〟が感じた不条理
山口真由
「自己肯定感を持たなきゃ、持たなきゃと思っていた」
栗崎由子
53歳でリストラ 200通の履歴書も「なしのつぶて」
北村紗衣
「学問は裏切らない」という考えでやってきた
三輪記子
東大進学は「親の支配から逃れられるアイテム」
豊田真由子
「絶望の中で、人間の本性も絆の真贋もはっきりと見えました」
藤田優
「人の価値はテストの点数だけでは測れない」
宮下里美(仮名)
親が非大卒の学生への「サポートが手薄」だった
あられ(ハンドルネーム)
「本当に私は結婚できないのか」婚活ブログで検証
上野千鶴子が語る「セクハラ」と「学生間ストーカー」の実態
第一章 東大女子は第二東大生?
第二章 均等法の前と後
第三章 過剰適応の果てに
第四章 優等生という病
第五章 少数派の地方公立出身者
第六章 結婚の「王道」
第七章 東大男子もつらいよ
第八章 新しい世代へ
感想;
東大に入れ将来はすべてハッピーということではないということです。
女子にはさらに、いろいろなハードルがあるようです。
秋山千佳氏は主な文献として、24冊本を読まれていました。
インタビューするときも、その人の出している本があれば、それを読んだ上で質問されていました。
立花隆さんは、インタビューするとき、相手の全ての本を読み、何を質問するかまとめてから質問されていました。
自分の人生をどう生きるかを考えて、自分に与えらた才能を活用して生きることなのでしょう。
与えられた才能は努力しないと開花しませんが・・・。
自分に与えられ才能と他の人の与えられた才能を比較して、文句言っても自分の人生にはなにもプラスしません。
インタビュー受けられた東大女子の人も努力をされて来られているということがひしひしと伝わってきました。
東大に入れた。この思いが、自信になって、何かトラブルがあっても再起する力=レジリエンスになっているのでしょう。
中野信子さんがフランス留学、博士課程で博士号を取得されましたが、アカデミックでは女性では未来が見えなかったので、自ら発信する道を選択されました。
お薦めの本です。