としをへて はなのかがみと なるみづは ちりかかるをや くもるといふらむ
年をへて 花の鏡と なる水は ちりかかるをや 曇るといふらむ
伊勢
長い間、ほとりに咲く梅の花を鏡のように映し続けてきた水。その梅が散って水にかかることを、鏡に塵がかかったように「曇る」というのでしょうか。
私のような初学者には、直接的な解釈も言葉の奥に込められた想いを読み解くことも、なかなか難しい歌だと思います。美しく咲き誇る梅を静かな水面がまるで鏡のように映している。やがて梅が散って、落ちた花びらが水面を波立たせるともはや水は澄んだ鏡とはならない。掛詞の技法を用いて水面に「散り」かかる花を鏡につもった「塵」に見立て、それによって鏡が曇るというわけですが、単にそうした情景を歌ったというばかりの歌ではないのでしょう。恋多き女性であったと言われる伊勢がこの歌に込めた真情がどのようなものであったのか、それは私自身への宿題ということにしておきましょう。