田かへすところ
わすらるる ときしなけれは はるのたを かへすがへすぞ ひとはこひしき
忘らるる ときしなければ 春の田を かへすがへすぞ 人は恋ひしき
田を耕すところ
あの人を忘れるときなどありはしないから、農夫が春の田を返すのを見るにつけ、返す返すもあの人を恋しく思うのであるよ。
第四句「かへす」が「(田を)かへす」と「かへす(がへす)」の掛詞になっていて、本歌を印象づけていますね。私は古典和歌ばかりに興味があって、現代短歌は読んだことすらないのですが、現代短歌にもこうしたレトリックは生きているのでしょうか。掛詞はかな書きならではという面もありますから、あまり用いられることはないのかな?
この歌は、拾遺和歌集(巻第十三「恋三」 第811番)にも入集しています。