とどめあへず むべもとしとは いはれけり しかもつれなく すぐるよはいか
とどめあへず むべもとしとは 言はれけり しかもつれなく 過ぐる齢か
よみ人知らず
とどめることができないので、なるほど「疾し」と言われるようになったのだな。そのとおりに、無情に過ぎて行く年齢であることよ。
0893 と同じく、「疾し」と「年」が同音であることに着目し、なるほど「疾し」と言うだけあって「年」は早く過ぎ去っていく、と詠んだ機智ですね。
とどめあへず むべもとしとは いはれけり しかもつれなく すぐるよはいか
とどめあへず むべもとしとは 言はれけり しかもつれなく 過ぐる齢か
よみ人知らず
とどめることができないので、なるほど「疾し」と言われるようになったのだな。そのとおりに、無情に過ぎて行く年齢であることよ。
0893 と同じく、「疾し」と「年」が同音であることに着目し、なるほど「疾し」と言うだけあって「年」は早く過ぎ去っていく、と詠んだ機智ですね。
とりとむる ものにしあらねば としつきを あはれあなうと すぐしつるかな
とりとむる ものにしあらねば 年月を あはれあな憂と 過ぐしつるかな
よみ人知らず
引き留めることができるものではないので、感慨を持ったり、「ああ、辛い」と思ったりしながら年月を過ごしてきたことよ。
第四句が少しわかりづらいですね。「あはれ」はしみじみとした感情を表す語で、「あな憂」の「あな」は「ああ」「まあ」といった意味の感動詞です。
さかさまに としもゆかなむ とりもあへず すぐるよはひや ともにかへると
さかさまに 年もゆかなむ とりもあへず 過ぐる齢や ともにかへると
よみ人知らず
さかさまに年が流れてほしいものだ。つかまえられずに過ぎ去ってしまった年齢が、年月とともに戻って来るかとも思うから。
「年」には、古語でも「年月」「年齢」両方の意味がありますが、この歌では「年月」を「年」、「年齢」を「齢」と書き分けて対照していますね。
おいらくの こむとしりせば かどさして なしとこたへて あはざらましを
老いらくの 来むと知りせば 門さして なしとこたへて あはざらましを
よみ人知らず
老いというもが来ると知っていたならば、門を閉ざして「留守だ」と答えて会わなかったものを。
「留守だ」と答えてしまったら留守でないことが露見してしまうじゃないか、などというツッコミはなしなんでしょうね(笑)。
左注には「この三つの歌は、昔ありける三人の翁のよめるとなむ」とあります。0893から続いた、老いを嘆く三首をさしての注書きですが、何やら謎めいていますね。「三人の翁」とは誰なのかなど、この左注の意味するところ、詳細は不明です。
おしてるや なにはのみつに やくしほの からくもわれは おいにけるかな
おしてるや 難波の御津に 焼く塩の からくもわれは 老いにけるかな
よみ人知らず
難波の御津(みつ)で焼く塩が辛いように、つらいことに私は老いてしまったことよ。
「おしてるや」は「難波」にかかる枕詞。「御津」は港の意。「からく」は、塩が辛い意と年老いて行くことが辛いの両方の意味ですね。なお、左注によれば冒頭二句は「大伴の 御津の浜べに」とも伝わっています。