漢検一級 かけだしリピーターの四方山話

漢検のリピート受検はお休みしていますが、日本語を愛し、奥深い言葉の世界をさまよっています。

古今和歌集 1011

2022-08-06 05:56:05 | 古今和歌集

うめのはな みにこそきつれ うぐひすの ひとくひとくと いとひしもをる

梅の花 見にこそ来つれ 鶯の ひとくひとくと いとひしもをる

 

よみ人知らず

 

 梅の花を見にやって来たのに、鶯が「人が来た人が来た」と嫌がっている。

 「ひとくひとく」は「人来人来」で、鶯の鳴き声がそう聞こえたということ。鶯が花見にやってくる人の邪魔をして、梅の花の美しさを独占しようとしているとみなした詠歌です。

 ここから巻末の 1068 まで「諧謔歌」が続きます。「諧謔歌」とは滑稽な歌の意で、風変わりな掛詞や卑俗な語句、奇抜な着想などで、正道から外れた歌とされます。


古今和歌集 1010

2022-08-05 05:45:17 | 古今和歌集

きみがさす みかさのやまの もみぢばのいろ
かみなづき しぐれのあめの そめるなりけり

君がさす みかさの山の もみぢ葉の色
神無月 時雨の雨の 染めるなりけり

 

紀貫之

 

 あなた様がさす御笠と同じ名を持つ三笠山のもみじ葉の色は、十月の時雨の雨が染めているものなのです。

 古今集に四首だけ採録されている旋頭歌の四首目は、撰者紀貫之の歌。ここまでの三首は前半の五七七と後半の五七七が対の問答になっていて、それが本来の旋頭歌の形のようですが、この貫之歌はそうではなく、普通の短歌が少し長くなったというイメージですね。


古今和歌集 1009

2022-08-04 05:44:33 | 古今和歌集

はつせがは ふるかはのへに ふたもとあるすぎ
としをへて またもあひみむ ふたもとあるすぎ

初瀬川 布留川の辺に 二本ある杉
年をへて またもあひ見む 二本ある杉

 

よみ人知らず

 

 初瀬川と布留川とが合流するあたりに立っている二本の杉の木。あの二本の杉のように、年が経ったらまた会いましょう。

 二本の川と二本の杉、本来別々のものが合わさっている地を、遠く離れる二人(おそらくは愛しく思い合っている異性でしょう)の再会を期する象徴ととらえての詠歌ですね。


古今和歌集 1008

2022-08-03 05:13:43 | 古今和歌集

はるされば のべにまづさく みれどあかぬはな
まひなしに ただなのるべき はなのななれや

春されば 野辺にまづ咲く 見れどあかぬ花
まひなしに ただ名告るべき 花の名なれや

 

よみ人知らず

 

 春が来ると野辺でまっさきに咲く、見飽きることのない花です。御礼もしないままにただ名告るべき花の名前ではありません。

 1007 で「そこに白く咲いているのは何の花でしょうか」と問いかけられての返しの歌。本当に花の名を知りたかったわけではなく、一目で心を奪われた女性に語り掛けることが目的だったであろう 1007 に対して、見飽きることはないかもしれませんが名乗るほどの者ではありませんと、戯れに返答したというところでしょうか。


古今和歌集 1007

2022-08-02 05:25:43 | 古今和歌集

うちわたす をちかたひとに ものまうすわれ
そのそこに しろくさけるは なにのはなぞも

うちわたす 遠方人に もの申すわれ
そのそこに 白く咲けるは 何の花ぞも

 

よみ人知らず

 

 はるか遠くにいるお方に私は申し上げます。そこに白く咲いているのは何の花でしょうか。

 ここから四首、旋頭歌(せどうか)が続きます。旋頭歌は「五・七・七・五・七・七」の六句からなる和歌で、万葉の時代にはすでに古い形式の歌と見なされていたようです。同じく六句からなる古い形式の和歌で、「五・七・五・七・七・七」の形を取る仏足石歌(ぶっそくせきか)という歌体もありますが、こちらは古今和歌集には採録されていませんね。
 さてこの歌、直接の歌意はわかりやすいですが、単体で見ると「だからなに?」と言いたくなる、と言っては失礼でしょうか。^^;;  実は次の 1008 と問答をなす歌で、対で読むと本当に花の名を知りたいわけではなく、ふと見かけた女性への問いかけとそれに対する戯れの返事であることがわかります。