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先日、例によって録りためてあるテレビの番組を見ていたら、何となくどこかで聞いたことのあるタイトルが目につきました。
それは「ラ・ストラヴァガンツァ」。楽器の名前か曲の名前か、一体何だったけなぁ・・・。そう思いながらその録画した番組を見始めると、まもなくそれがヴィヴァルディの作曲した作品の名前で、それを冠した日本の演奏家集団、「ラ・ストラヴァガンツァ東京」の演奏だということが分かりました。
その演奏は、一言で言えば、溢れんばかりの切れ味。これに尽きます。そしてそれは、同じ演奏家集団がリリースしているCD(その名も「ヴィヴァルディズム」)を聴いて、改めて思います。
ヴィヴァルディと言えば何と言っても「四季」が有名ですが、実は色々な編成の弦楽器による協奏曲をたくさん残しています。
この「四季」も正式には「和声と創意の試み」というタイトルのヴァイオリン協奏曲集(作品8)ですが、その他にも「調和の霊感」という合奏協奏曲集(作品3)があります。
この曲集は、後年(1678年生まれのヴィヴァルディに対し、1685年生まれの)バッハによって様々な楽器に編曲されたことでも知られています。
ヴィヴァルディは他に「ストラヴァガンツァ」(イタリア語で「風変わりな」の意らしい)というタイトルのヴァイオリン協奏曲集も残しているのですが、それがこのラ・ストラヴァガンツァ東京という演奏家集団の名前の由来。
そしてそのCDで私が繰り返し聴いてやまない曲が、12曲からなる「調和の霊感」の第2番、ト短調の協奏曲の第2楽章です。
圧倒的なスピードとリズム感、そしてキレ。緩むことのない緊張感。そして、内面に秘められた、溢れんばかりのエネルギー。
これは、以前も書いたイル・ジャルディーノ・アルモニコの演奏を初めて聴いた時にも思ったことですが(因みに「アルモニコ」は「調和」という意味)、古い曲だけど、演奏は新しい。いや、昔の曲だけど、決して古くない。
いずれにせよ、ただやみくもに奇をてらった解釈をしている訳ではなく、彼ら(演奏者)が「いま」感じるヴィヴァルディをただ素直に弾いているだけ。
こういう演奏を聴いていると、何が古くて何が新しいのか、そういう括りが何だか意味のない議論に思えてきます。
聴く人が「いま」それを聴いてどう感じるか。それだけのことなのかも知れません。
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