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E. S. ガードナーの The Case of the Lame Canary 読了。
カナリアが入った鳥かごを持って事務所に来た若い女性。
どう聞いても妹の離婚話にしか聞こえないのだが、そのカナリアがびっこ("lame")なのがどうしても気になるペリー・メイスン。
彼女とその妹の周辺を辿ろうとした矢先に殺人事件が起こり、事態はますます複雑になっていく。
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どこかに必ず何かトリックがあるはずと思いながら読んでいても、プロットの妙に乗せられて気付くと終盤、そしてお決まりのどんでん返し。
これで5作目のペリー・メイスンものだが、ひとつとして同じパターンがない。
飽きないなぁ、まだまだ。
E. S. Gardner,
The Case of the Lame Canary
(Ankerwycke)
残念ながらLame Canaryは未読でした。
とうとうペリーメイスンにはまりましたネ。
まだまだこれからも持続されると思います。
弟子文泉は読み残しのG.K.ChestertonのブラウンやThe
Resurrction of Rome等数冊を例のごとく
破りつつ楽しんでいます。
文泉
残念ながらどこを探してもペーパーバックが見当たらず、
どうしたもんかなぁと思案中です。
あと80作近くあるようですが、この調子なら
どこまでもこのペリー・メイスン読めそうな勢いです。
チェスタトンはギブアップですが、私も実は柄にもなく
最近は Ovidius の "Metamorphoses" を机の横に置いています。
バッハの宗教音楽や美術館で西洋絵画に接していると、
彼らヨーロッパ人には生まれながら備わっている教養が
自分には明らかに欠けていることを痛感するので、
何かあるたびに頁をめくっては原典に当たるようにしています。
とまぁこんな調子ですから、破りながら読むなんてとてもとても・・・