北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
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既に後半突入だったとは・・・

2010-09-12 15:02:04 | 特撮作品鑑賞
「仮面ライダーW」の最終回と旅行のため、2週間空いちゃったけど、日曜日のこのコーナーは続きます、ハイ。


(戦隊日記)

宮崎から帰ってきて一番最初に観たDVD、何にしようかなと色々考えたあげく、すぅちゃんと臨ちゃんがナビゲーターの、「スーパーヒーローMAXナビ」を観た。
で、その次に観たのが何かと言うと、7年前にリリースされた、「忍風戦隊ハリケンジャーVSガオレンジャー」。
「~MAXナビ」で紹介されていたのを観て急に観たくなったというのが正直なところなんだけど、ハリケンジャーと(百獣戦隊)ガオレンジャー、どちらも物凄く久しぶりだったので、懐かしいながらも何だか新鮮に感じられて面白かった。
両戦隊共、最近余り観なくなったなあと思う役者さんが多いけど、たまにどこかで近況を見聞きすると、特にファンでなくても、何だか嬉しい気持ちになるので、両戦隊のレギュラーの方々にも、今後の活躍を期待したいです。


話は変わってゴセイジャーだけど、今週の放送で、早くもEpic30(第30話)なんですねえ・・・。
シンケンジャーを引きずっているせいで感情移入できない状態が続いているのは相変わらずなんだけど、気がついたらそんな時期なのかというのは、ちょっと寂しい気もする。
先週の放送、当初の予告で、武レドランが膜インに反旗を翻すと聞いて、「ああなるほど。例年だとそろそろそういう時期だよなあ」と思っていたんだけど、その武レドランがああもあっさりやられたというのは、意表を突かれたけど、今後の展開が読みずらくなった気がして、その点では良かったのかもしれない。
この間友人との会話の中で、ラストに向けて、どなたか大物の役者さんを起用した新キャラが出るのではないかなんて話が出たのだけど、個人的には、どうせなら女性の新キャラが出てほしい。
身勝手を承知で言うと、やっぱり、感情移入できない一番の原因は、ヒロインが自分にとって今一つってことなのかなって思うわけで・・・。

ヒロインと言えば、昨年の今頃の日記の中に、「すぅちゃんの来年のカレンダーを予約した」というのがあったので、今年もそろそろかなと思って各通販サイトをハシゴしたところ、カレンダーはまだだけど、今月20日に最新DVDがリリースされるとの情報があってビックリ。
本体価格だけだと某A社が安かったんだけど、手数料込みだと、セブンネットショッピングの方が安かったので、そっちで予約。
早く入荷してほしいなあ・・・。
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五万一千石の歴史ロマン

2010-09-12 09:32:38 | 道外旅行記
日南ドライブ第三弾。
本当は、道の駅の後にもう一つあるんだけど、先にこちらをご紹介。





「九州の小京都」と呼ばれる、日南市飫肥(おび)。
歴史の授業では聞いたことがない名前だけど、かつては五万一千石の城下町として栄えた町。
かの藤原家南家の流れを汲む伊東家という一族の城下町で、鎌倉時代に、後に伊東姓となる工藤祐経(すけつね)が、源頼朝より日向地方の地頭に任ぜられて以来、この伊東家がこの血の支配権を握ることとなった。
天正5年(1577年)、かの島津家に敗れて国を失い、一旦豊後(現在の大分県)に落ちるも、天正15年(1587年)、十六代目義祐(よしすけ)の子祐兵(すけたけ)が豊臣秀吉に仕え、九州侵攻に従い功績を立て、飫肥城を賜ったのを着に日向に帰り、以後280余十四代に渡って、「飫肥藩」として当地を治めることとなった。

しかし、幕末になると、藩は極度の財政難に陥り、嘉永4年(1851年)には藩士の家禄を3分の1に減じ、更に安政4年(1857年)には倹約令を出すほどとなった。
その後、明治4年(1871年)廃藩置県により飫肥県となり、都城県、宮崎県、鹿児島県を経て再置県(分県)された宮崎県に編入され、現在に至っている。





飫肥城の大手門。
飫肥城は、寛文2年(1662年)をはじめ、3度の地震に見舞われたために大規模改修を余儀なくされ、明治6年(1873年)には、城内の建物全てが取り壊されてしまったのだが、大手門は、昭和53年(1978年)6月に、当時樹齢100年の飫肥杉を使用して復元され、飫肥城の玄関として勇壮を誇っている。





これは、飫肥の中でも最も格式が高いとされる武家屋敷である、「豫章館(よしょうかん)」。
明治2年(1869)、三十二代藩主の伊東祐帰(すけより)が、知事に任ぜられて城内より移り住んだ屋敷である。





これは、藩主の御殿を再現した、「松尾の丸」。
江戸時代初期の書院造りで、中では、建物の再現にとどまらず、当時使われていた道具なども保存されている。





飫肥の歴史を今に伝える「飫肥歴史資料館」。
初代藩主伊東祐兵愛用の甲冑や刀剣、それに一族の愛用していた生活道具などが多数保存されている。
これまでも色々な地で同じような資料館を多数観てきたけれど、飫肥藩は、戦火によって陥落した地ではないということもあるのか、他の地の資料館よりも、展示されている資料の数も多く、特に生活道具の保存状態は、他の地よりも充実しているように見受けられた。





飫肥城の石垣。
天守閣は存在しないけれど、これを見ているだけで、勇壮な雰囲気が伝わってくる。





これは、日本の近代外交の礎を築いた明治の外交宮・小村寿太郎の遺徳を顕彰し、国際交流、教育文化活動及ぴ世界に飛躍する人材育成に寄与することを目的に平成5年に開館した、「国際交流センター小村記念館」。
彼の生い立ちや遺品、ポーツマス会議に望んだ時の様子を再現した絵などが展示されている。





当地の豪商であった、山本猪平(いへい)が居住していた、「旧山本猪平家」。
飫肥の商人屋敷を現代に伝える遺構として貴重な存在となっている。


行ってみての感想だけど、ガイドブックを見るまで全く聞いたことがない町だったこともあって、有名な地と違い、凄く新鮮な気持ちで見ることができたと思う。
現地でもらったパンフレットには、「江戸時代にタイムスリップ」という趣旨のことが書いてあったのだけど、本当にそんな感じがしました。
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