北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
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いやな話だこと

2010-09-23 16:03:12 | 日々のもろもろ



写真は、今日買ってきた折り畳み傘。
前に使ってたのが壊れちゃったので、某ホームセンターで新しいのを買ったんだけど、これがいともあっさりおかしくなちゃったので、やっぱり安物はいかんなということで(ホームセンターで買ったのは、780円の物)、多少高くてもいい物をと思い、3,300円の物を買ってきた。

で、この傘を選んでいる最中のこと。
同じコーナーで傘を選んでいたご婦人に話しかけられた。


ご婦人「いやあ、折り畳みの傘ってあんまり種類ないんですね~」

私「そうですね、そんなに本数は多くないですね」

ご婦人「うちの子供がですね、高校生なんですけど、学校に折り畳みの傘を持っていってもすぐに失くなっちゃって、それで新しいのを探してるんですけど・・・」

私「すぐに失くなっちゃう?」

ご婦人「盗られちゃうんですって。カバンに入れておけばいいものを自転車の籠に入れたままにしてて。」

私「それは酷い話ですね・・・」

ご婦人「そうなんですよ。全く近頃の子供のモラルはどうなってるんでしょうね・・・」


この後も少し会話を続けたんだけど、自転車の籠に入れておいた物が盗まれるという話は、私が高校生や大学生だった時も確かにあった。
大学生の時は、自転車のサドルだけが盗まれるということも頻発していて、実は私もやられたことがあるんだけど、そのせいで、バイト先の後輩なんかは、サドルを外して店に入り、帰るまで、店のロッカーに預けてたことがあったし。

確かに、いやな話ですね本当に。
コメント (4)
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島津家と謎の姫

2010-09-23 09:24:04 | 道外旅行記



宮崎では、宮崎市、日南市に続いて、都城市にも行ってきました。
人口約16万8千人、県内第二の都市だそうです。





駅の中に、興味深い物を見つけた。
「島津発祥の地」?
「島津」って、「篤姫」などで有名になった、あの「島津氏」だよね?
それって、薩摩、今の鹿児島県が発祥じゃなかったの?





ということで、早速謎の解明へ。
ここは、都城駅から徒歩30分くらいの所にある「祝吉御所跡」という史跡。








ほほう、このような立派な碑が。

「島津」という一族は、薩摩藩主の一族にして、琉球までをも支配下に置いた強大な勢力であったのだが、遡ること鎌倉時代に、全国に守護・地頭を置いた源頼朝が、平安時代末期に開発された荘園で「島津庄」の地頭に、惟宗忠久という人物を任命し、この忠久が、荘園の名前である「島津」姓を名乗ったことが、その始まりとされている。

後に忠久は、薩摩の出水(現鹿児島県出水市)に城を築き、拠点を移したことから、歴史関係の書物やテレビでは、この出水地方が、「島津発祥の地」とされたこともあったようだが、近年では、NHKの大河ドラマでそのように紹介されたことに対して、都城市が異議を唱えた論争があった。
その件については、「都城市は島津姓の発祥の地であり、出水市は島津氏の実質的な支配の始まりの地である」というNHK側の説明で落着したそうであるが、なるほどなかなか興味深い話だなと感じさせられました。





御所跡の次は、近くにある公園へ。
こういう形の橋って、実はすごく好きだったりする。





「かみながひめ」?
昔話でそんなお姫様は聞いたことがないような・・・?








「髪長姫」とは、遡ること5世紀頃(古墳時代)、現在の宮崎県地方に当たる諸県(もろかた)郡の国造であった牛諸井(うしもろい)という人物が、この地方の豪族の娘と結婚し、その間に生まれた娘である。
後に姫は、絶世の美人であるということで朝廷に召され、時の皇太子大雀命(後の第16代仁徳天皇)がその美しさに心を打たれ、父である応神天皇に請願して、皇太子妃となったとされている。
写真の湧水は、姫が産湯を使ったた井戸と申し伝えられ、以来、この湧水を飲み、また顔や手を洗うと美人になるとの言い伝えが残っているのだという。

へぇ~、って感じがすごくする話だけど、こんな風に、歴史の授業では決して触れられないような部分に触れるのも、旅の大きな醍醐味なんだなと、改めて感じました。
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