国道5号沿いに、「手稲追分」というバス停があります。
なんだけど、このバス停があるのは、西区宮の沢で、「手稲追分」というのは、正式な行政地名ではありません。
そこから少し離れた所に「追分通」というバス停もあります。
位置関係はこのとおり。
赤丸が「手稲追分」で、黒丸が「追分通」です。
「追分」というと、一般的には「街道の分岐点」という意味で、例えば北海道でも、胆振地方に「安平町」という町があり、ここは、「早来(はやきた)町」という町と「追分町」という町が合併してできた町なのだけど、こちらの「追分町」も、JR室蘭本線と石勝線という、二つの路線が交わり、分岐する場所であることが由来だそうで、全国的にも、同じような由来で、通称も含めて「追分」を名乗っている地名はたくさんあります。
そういう点からすると、この「手稲追分」も、地図のとおり、現在の国道5号と、「追分通」バス停のある大きな幹線道路が分岐していることに由来しているのかなと一瞬考えてしまいます。
結論からいうと、この二つの道路は地名の由来には関係ないのだけど、「分岐点」ということに関しては、全国の他の同地名の所とはちょっと違う意味があるようです。
「追分川」という小さな川が流れているのだけど、この「追分」の由来は、現在のこの川の周辺に、開拓使の時代に馬の放牧場があり、そこで馬を「追い分けた」ことが地名の由来になっているそうです。
再この地図。
赤線が、西区と手稲区の区界の線(東側が西区宮の沢、西側が手稲区西宮の沢)で、「手稲追分」と呼ばれる地域は、この両地域に跨るエリアだそうなので、この辺りに放牧場があったということなのでしょう。
ところで、先ほど、ここでいう「追分」の由来について、「『街道の分岐点』という意味とはちょっと違う」と書いたけど、放牧場があったということなんだから、ちょっとどころか全然違うのではと思われたかもしれません。私も最初はそう思いました。
しかし、調べてみたところ、確かに「追分」というのは、現在では「街道の分岐点」という意味なのだけど、元々は、ここのように、「牛馬を追い、分ける場所」という意味だったのが、そこから転じて「街道の分岐点」を指すようになったのだそうです。
そう考えるとこの地名は、現在全国各地にある「追分」という地名のルーツというか、こちらこそが本来の「追分」という意味を背負っているということになるということですね。これはまた一つ勉強になりました。