先日、中島公園を散策していて、一つの碑が目に留まりました。
「四翁表功之碑」とあります。
色々と書いてありますが、ぶっちゃけ、読み取れません。
調べてみたところ、札幌の開拓に当たって大きな功績を残した四人の人物を称える碑ということのようです。
その四人というのは、「水原寅蔵」、「大岡助右衛門」、「石川正叟(正蔵)」、「対馬嘉三郎」という人物だそうですが、ざっと調べてみたところ、次のような功績があるそうです。
【水原寅蔵】
明治4年(1871年)に札幌に移住し、開拓使御用請負人となる。
当時開拓使が果樹栽培を奨励していたのを受け、中島公園付近にリンゴ園を開設。「水原リンゴ」の名で知られ、北海道におけるリンゴ栽培の先駆けとなり、同14年(1881年)の明治天皇行幸のときには、そのリンゴを献上して金一封を賜ったとされる。
それ以前の同10年(1877年)には、現在の南1条西4丁目に、札幌で第一号の石造建築物を建て、開拓使から褒章を受けた。
【大岡助右衛門】
水原と同じ明治4年に、独立して開拓使御用請負人となり、豊平館、旧札幌農学校演武場(現在の札幌時計台)、豊平橋など、開拓使が発注した大規模工事の多くを請け負った。
札幌有数の地主でもあり、豊平区にある日蓮宗経王寺(こちら)の土地を寄進し、晩年は同寺で余生を過ごした。
【石川正叟(正蔵)】
東京日本橋の為替店に勤めていたが、明治5年(1872年)に札幌に派遣され、後に独立し、明治政府御用達の為替商となる。
同9年(1876年)には札幌~銭函間の馬車運送会社を設立したほか、同13年(1880年)には、札幌初の新聞「札幌新聞」を週刊で創刊した。
【対馬嘉三郎】
津軽藩の出身であるが、明治5年に開拓使の役人となり、会計、商工業振興などの職務に従事。
同9年に、商社「大有社」を創設して米穀雑貨の輸入販売、海産物の輸出を手掛け、膨大な資産をもとに、北海道製麻会社、北海道鉄道、北海道拓殖銀行などの設立に参画。後年は札幌区議会議員としても尽力した。
ということだそうですが、どこかで同じような話を聞いたことがあったなと思いました。
そう、函館でいう、「函館四天王」(こちら)のような存在というなんでしょうね。
さてさて、四翁の一人、水原寅蔵の功績である、札幌最初の石造建築の建物。
「南1条西4丁目」とあるので、どの辺かなと思って調べてみたら、こちらでした。
先日、惜しまれながら閉店した、「4丁目プラザ」の隣だったそうです。
今ではすっかりビル街となっていますが、ここにそんな歴史があったということは、何らかの形でもっとPRされてもよいように思いました。