札幌市西区にある「二十四軒」。
明治4年(1871年)、開拓使が、近隣の農民や出稼ぎ者を集めて、現在の南4条以南に作った「辛未(しんび)一の村」から、24軒の移民が入植したことに由来するという話は、以前書いたことがあります(こちら)が、現在の「二十四軒」はそこそこ広い町なので、そのエリア内の一体どの辺りなのかということは、以前から気になっていました。
調べてみたところ、どうやら↑の辺りのようです。
明治6年の「札幌郡西部図」という資料をリンクします(こちら)が、拡大していくと、「琴似村」と書かれている辺りです。
この道路、「市道二十四軒第1横線」は、その当時からある古い道路で、この両脇に、二十四戸の家が集まって、集落を形成していました。
「大念寺」というお寺があるのだけど、ここ、以前にも紹介したことがあります。
かつて二十四軒でラベンダーを栽培していた「曽田香料」の札幌工場があったとされている場所です。
期しくも、二十四軒という地域の発祥の地付近に工場ができていたということなんですね。
ところで、西区民として普段当たり前に見ている「二十四軒」という表記ですが、実は、これとは違う表記になっている所もあることを先日知りました。
おやおや、「二十四軒」ではなく「24軒」になっていますよ。
数年前まで「ちびまる子ちゃん」のEDテーマだった、PUFFYの「すすめナンセンス」の歌詞じゃないけど、「なんでこうなったの いつからこうなったの」って思います。(笑)
場所はこちら。↓
住宅街に入ってみました。
あれま、電柱まで「24軒」になっています。
※この電柱が建ったのは平成14年(2002年)か・・・、先ほどの漢数字標記のは平成22年(2010年)・・・、何ゆえこうなっているのか、興味深いです。
※NTTの電柱は、全部が全部じゃないけど、「H14」「H22」のように、建てられた年次が書かれています。
最後に、二十四軒にある電柱について、以前こんなのを紹介していました。
この辺りで見つけた「日の丸」と書かれた電柱。
この「日の丸」って何なんだろうと以前書いていました(こちら)が、どうやらその答えに辿り着けそうです。
次の週末にでも、図書館で資料を探して、確証を得たいと思います。