龍の尾亭<survivalではなくlive>版

いわきFCのファンです。
いわきFCの応援とキャンプ、それに読書の日々をメモしています。

あまりにひどいので書いておきます。

2011年05月12日 22時18分55秒 | 大震災の中で
>福島県教委は「教えるべき学校がない皮肉な状況。教師をリストラするわけにもいかず、
>予算上、『加配』という形をとらざるをえない」と別の問題も生じている。
(産経新聞5月12日21時3分配信)

そりゃないよぉ。あんまりなので書いておきます。

福島県では、原発事故の影響で児童生徒が数千人の規模で県外避難をしています。
ですから、電卓を叩けば教師の総数が「余ってしまっている」状況が全体としてはおきているのかもしれません。

でも、対応の失敗もあると思うのです。
福島県では、震災に伴って、人事を凍結しました。転任の凍結ですね。
ですから、転勤の内示を受けていた人たちも、教諭は現任校に4月以降も勤務しています。

しかし一方、新採用は4月に配属されます。
新採用とは、教諭として正式採用された人ばかりではありません。臨時の講師も全て、4月1日から新任校に配属されています。
その結果、転勤するはずだった教諭の補充に新採用や講師がたまたま配属されたところは教員数が余剰となり、講師が転出して、教諭がくるはずだったところは教員数が不足することになったのです。

分かりやすい話ですね。

それでも、1年間凍結ならば、不足する学校に通年で講師を配置することでしのげます。
ところが、数ヶ月だけ、ということになると、そのままアンバランスは放置されて、被災の中で7月までは人員不足のまま仕事を強いられることになりかねません。

余っている分、不足している場所も多いはず。

現に私の部署は授業スタッフが1人不足のまま、避難場所での授業が始まりました。
1人が3ヶ月不在っていうのは、ボディブローのように効いてきます。

いちおうナンチャッテ被災者なんだけどね(最近の口癖かっ<笑>)。




それで新聞には教師が余っているかのごときコメントを出すとは。
「怨嗟の声」の一つも書いてみたくなりました。

やれやれ。


5月12日(木)<避難場所で授業がようやく始まった>

2011年05月12日 21時50分21秒 | 大震災の中で
3月11日以来2ヶ月。始業式から数えても3週間以上たち、授業が始まった。
双葉地区からの避難師弟20人以上を受け入れた私の勤務校自体が、地震で建物が壊れ、大学に間借りをすることになった。

被災地でかつての「日常」を立ち上げ直すのは大変だ。何が大変かといって、全てが「非日常」であるなかで、何ができるのか、そして何が無理なのか、全て手探りなのが辛い。
避難場所として私達を受け入れてくれた先に本当に感謝しつつも、悪態を「百万陀羅」吐かねばならぬほどの難行である。
津波に小言を言っても始まらないし、かといって私どものところに社長も部長も首相も王様も来ちゃくれない。来られても困るが。
てめえらでなんとか校舎という「家」を失ったマイナスを飲み込み、「仮設」ができるまで踏ん張らねばならない。

さて、またこういうことを書くと叱られてしまいそうだが、私個人についていえば、この、学校が再開できない「被災」を、あまりマイナスとだけ捉える気にはなれないのだ。

生徒たちは夏休みを前倒しした結果になり、8月上旬まで休み無く授業が続くことになって気の毒ではある。
大学の教室は出席率100%を前提として作られていないし(学生の数に見合った座席はあるけれど、実際に全席座ると「非人間的状況」だ)、講義中心だから大教室が比較的多い。
現況、120人が一クラスにひしめいて一日を暮らす「クラス」が出てきた。そうでなくても80人クラスがほとんどである。
いわゆる「高校生活」は成立しない。


いわき市内の高校は、数校そういう状態になっている。それでも3月に被災した学校はプレハブ建設が着工しているが、4月11日の余震で壊れた高校は、避難する場所もなく、体育館をパーティションで区切って、ほんとうに「避難所」的授業を強いられてもいるのだ。

体育館を区切って授業をすれば、「規律訓練」的側面は幸か不幸かほとんど成立しない。隣の音は聞こえまくりだし、壁で仕切られていない中での授業は、集中力を欠き、散漫になることが予想されるだろう。

さて、それがマイナスとだけ感じられるわけではない、というのは、ちょっと申し訳ないというか失礼なというか、バカな話、だろうか。

でも、そういう「不幸」は、人を結びつけもし、共有基盤を再確認させられもし、大きく成長する端緒ともなり得る。彼らはぐっと大人になった。

不幸が人を大人にする、なんてセリフ自体、戦争帰りの大人の捨て台詞のように私は若い頃受け止めていたから、あまり口幅ったいことは言えない。

「フクシマ」や「東日本大震災」は、戦後の焼け野原以来59年ぶりに生活保護200万世帯超をもたらそうとしている。
でもね、東北の人だから、とか日本人だから、とかいうんじゃなくて、人はどんなにひでえ状況でも、そこから状況に適応し、状況を変化させ、あるいは自らの立ち位置・姿勢を変えてでも、それを糧にして自分を動かしていくように出来ているのだと思う。

以前から書いている「日常性」の忘却装置とは似ているが、違う。

「日常性回帰」の欲望によって作動する「忘却装置」は、世界をプラスかマイナスかでしか計算できない。

でも、「非日常」は、「日常」的価値を重んじる眼鏡をかけるものにとってだけ「マイナス」に見えるにすぎない。

もちろん、家がつぶれれば生活は立ちゆかない。現代人、水とガスと電気が本当に長期間断たれれば生きて行かれない人が増えるだろう。

当たり前の話だ。

ただね。

どういう生活様式や水準、姿勢、価値観が「あり得るのか」が、「非日常」の中では全て問い直しを迫られる。

逆に言えば、我々凡庸な輩がにもかかわらず「コモン・センス」を問い直せるのは、こういう「聖痕」が「人為」に裂け目を示した瞬間だけなのだ。

だから、何の解決もしていないのに、「無力」である「王」に慰撫されるだけでは足りないのだ。
あるいは、補償を求めて怨嗟を声を出すだけでは足りないのだ。

もちろん、慰められなければこころは石のように固まってしまう。
とうぜん補償されなければ、津波や原発事故の瞬間の中で凍り付いたまま置き去りにされ、生活が破壊されてしまう。

だから、癒されることも大事だし、恨みを忘れずに相手にその怒りを突きつけることも大切だ。

しかし、その中で世界を縮減してしまうのでは何にもならない、と私は思う。

他の人の体験ではない。
何か理屈が分かって言っているのでもない。
具体的かつ個人的に、私は3/11以降、むしろ世界に対する視界が圧倒的に晴れ上がったのを本当に「確実」に感じるのである。

真実が見えた、という方向性ではない。
そっちではなく、「真実」が全てではないのだなという手触り、異質さゆえの共鳴を、その「負の聖痕」から波動のように感じ続けているのだ。


この「晴れ上がり」の感触についての言及は、被災された方に対して「失礼」だというか「傲慢」だというか、そっちの方向に受け止められてしまうと本当に不本意である。あるいは、これほどの苦しみを受けている人間を前にして、

「それはマイナスばかりじゃない、なんてどの面さげて言えるのか」
と言われればその通り。

ごめんなさい、である。

でもね、考えてみると自分自身もそれなりにナンチャッテ被災者とはいえ、被災者ではあるんだよね。

職場が2ヶ月封鎖されて開店休業状態。
その2ヶ月を取り戻すべく、仮住まいで仕事を立ち上げるのは、正直結構しんどいのです。

家だって一部損壊5%は下りるけれど、査定は10%程度。保険金と補修の金額差はざっと4~5倍。
全部現状復帰するには100万単位でお金はかかる。むろん全部借金です。

ローンも残っている家なのにさっ。

にもかかわらず、これはマイナスばかりではない、と感じるのです。

単なる不安への過剰適応症状?そういうタイプ?
はたまた誘拐犯に人質が恋愛感情を抱くたぐい?ダメンズに惹かれる娘的心境?
いやいや、個人の「変態性」には還元できないと思う。

そういうプラスとマイナスの「隙間」でバランスを取るという「心理主義的な考え方」では、これは測れないんじゃないか。

マイナスとかプラスとかいうその根底にある場所に触れて、皮膚が深いやけどをしたのだけれど、その痛みが「覚醒」をもたらした。

つまり、プチ「地獄」、プチ「死への漸近体験」みたいな。

日常性が瀰漫している時なら、無用の長物なのかもしれない。
そして「非日常性」が今はやっているのは間違いない。

でも、もう、物心ついたときから求めてきたものだから、この体験によって世界が「晴れ上がった」感触を、なんとかして「伝えたい」のだ。

これ以外に、人に伝えるべき事柄は、私にとってはもう存在しない。

「啓蒙について」(カント)について書かれた「啓蒙について」(フーコー)を読むにふさわしい時は、今をおいてない、のも道理かもしれない(笑)。


5月12日(木)のこと<大量の水が漏れ続けている>

2011年05月12日 21時02分31秒 | 大震災の中で
 福島第一原発一号機で、圧力容器に穴があき、燃料は底に溶けて固まった状態になっていて、そこに注入された水は万トン単位になっていて、うち行方不明の水が3000トンにも上るという。

 どの話に驚いたらいいのか素人には分からないほど、驚きだ。

 そして、三号機では取水口から海に、セシウム134についていえば法定基準の62万倍の濃度の汚染水が漏れていたのだという。

 水位が思ったほど上がっていないという話は聞いていたから、そりゃあ漏れていたんだろうさ、と想像はできる。
 その想像が確認されるまでは、「確認できていない」という話にとどまる。
「確認できていない」→「可能性を否定できない」
に変化するまでには、かなりの時間がかかる。「可能性を否定できない」というのは、こちら側で聴いていると
「認めたくはないが、どう考えても認めないでは記者会見を乗り越えられないから、ぎりぎり相手が疑っているところにはボールを投げておこう」
という姑息さが見え隠れしてしまう。

ともあれ、何に驚けばいいのか、だんだん分からなくなってしまうよ。通常規定値の62万倍、とか言われても、ああまたか、みたいになりかねない自分の脳みその「適応力」を考えると、嫌になっちゃう(苦笑)。

一号機の炉心圧力容器の底に塊状になって燃料が水の中にあると、表面積が小さいから内部に熱を持ちやすく、冷却がしにくい上、その水が漏れているとなると、高濃度汚染が心配されるため、作業工程に支障をきたすかもしれない……

とか言われても、もう私達にはどうすることもできないです、はい。
正直なところ、現場は話を聞いているだけでも、どんどん高濃度汚染が炉心から外に広がりつつあって、もう廃炉やむなしというレベルではなく、施設を含めた周辺地区に帰るためには相当な年月を要するのではないか、という危惧が頭をもたげてくる。

双葉地区からいわき地区に避難してきた人たちは、もう簡単には戻れないことを「覚悟」している、という話も聞く。
その「覚悟」を強いられる心中を察すると、言葉もない。

「フクシマ」の「聖痕」は、そういう幾多の「受苦」を世界に発信しつづけているのだとすれば、私達は、この大惨事と出会ったことから目をそらさずに、どこまでも命のあるかぎり、瞳を凝らし、耳を澄ませ、触れ続けることによってその「裂け目」をふさいでしまおうとする力に抗い続けなければならない、と改めて思う。

さて、今眼前に進行しているこの事態に瞳を凝らし続けるためには、努力し力を込める「やり方」、「姿勢」についても考えていかなければならないだろう。

またトンチンカンなことになるのかもしれないけれど、
カントの『啓蒙について』についてフーコーが書いた『啓蒙について』を読んでいる。
どこがどう繋がるのか繋がらないのか、まだ分からない。
しかし、理性の私的使用と公的使用の一致する場所に「啓蒙」が置かれている、という指摘は、そしてそれがカントの3批判の「方法」「姿勢」を最もよく示しているのではないか、というフーコーの言及は、今晩ゆっくり考えてみるべき課題である。