龍の尾亭<survivalではなくlive>版

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5月10日(火)のこと明日から授業開始

2011年05月10日 23時55分56秒 | 大震災の中で
明日から授業開始。
3/11以後、校舎が地震で立ち入り禁止&危険状態となり、一度だけ体育館で始業式・入学式をやった以外は休業中だった職場が、ようやく再開される。
場所を大学に移し、設備をお借りしつつ3ヶ月ほどの居候生活が始まった。

彼ら高校生が、現役のうちに「大学」の匂いを肌で感じることができるのは大きな収穫になると思う。

一方、「高校生」としての彼らの生活の日常を保持しようとするのは大変だ。

どこまで「非常時だから」と認識・行動すべきなのか、はいろいろ難しい。

たとえば携帯電話の扱い一つにしても、福島県内の高校は敷地内使用禁止で統一されている。
持ってきてもいいけど、校内では使わないで、というスタンスですね。
でも、大学生とかそんなルールはない。さてどうする?
みたいなね。
些細といえば些細、どっちでもいいといえばどっちでもいいことの一つ一つの積み重ねが、「高校」という擬似制度的な共同体を構成し、その中で好むと好まざるとに関わらず、私達教師も生徒も保護者も周囲の人々も生きている。

大災害による避難、原発事故による避難のとき、もはやすでに具体的な事物としての「町」や「学校」はなくなっているのに、「町民」や「高校生」、そして「家族」は、それを容れる具体的な器としての「家」や「校舎」や「地域」を失っても継続していくのが分かる。

他方、継続していくのは確かだとしても、変質を被るのも避けられない。
だってもう、バーチャルなんだものね、ある意味。

避難所、にいくと、それが分かる。ほとんど全ての「生活物資」が、「物資」としてその都度供給される以外は、体育館に敷かれたシートの何平米かのみが生きる「場所」に過ぎなくなる。
たまたま「町民」や「集落民」、「家族」が多く揃っていれば、避難所もまた擬似制度的共同体として立ち上がる場合もあろう。しかしそれは例外的なことではないかなあ。

災害によって、居所を失うとはこういうことなのだ、と、「仮の住まい」で授業を始めようとする前日に、つくづく我が身のこととして切実に思う。

つまりは、全てを一から「意識」しなおさなくてはならない現実に直面するのだ。
そしてそれは、ほぼ不可能に近い。

「人為」の総体は、「意識」しえるものと「意識」しえないものが総ぐるみになって成立している、と言い換えても良い。

ただし、いそいで付け加えれば、人間は「意識」と「無意識」によって作られているわけではない。
そこに、「器(うつわ)」としての「箱モノ」があり、生活を支える水や水道や電気があり、その基盤を支える法律や行政の営みがあり、間を駆け抜ける物流があり、情報ネットワークがあり、そして何より人間の直接的・近接的な「おつきあい」がある。

私達はそれを人間の脳みそとしてバーチャルに受け止め、「基盤」として受け止め直し、それを前提とするよう脳みそのネットワークを張り直して、その上でそんなことを意識せずに、「意識」と「行動」をそういう基盤の上に成立させている。

考えてみれば当たり前のことだ。
「コモン・センス」
しかし、それを微細なレベルまで「意識」で再現することは不可能だ。

被災するという現実は、そういうものを「全て」失うということだ。
だからまず始まるのは「脳みそ」の認識の無意識的な空転、なのかもしれない。

バーチャルな「間借り」の場所で始められる前日の教師としての「私」の心的動揺は、そんなところから来ているのだと思う。

今まで、避難所になっていた学校に勤務し、宿直をしたりもしたが、その扉の向こう側の世界にはなかなか入れなかった。
自分の「脳みそ」がフリーズしてしまうのだ。
その「フリーズ」した向こう側に、これから足を踏み入れようとしている。

「人為」と「自然」を対立させたり、「市民」と「権力」を二分法で考えたりするだけでは足りない、というのは、そういうところにも関わっているのだと思う。

個人的に生活の前提を失うということはもちろんあり得る。
突然の家族の死、家計を担う家族の失業、交通事故死、借金返済による居住空間としての家屋を手放す、子どもにとっての離婚、不登校などによる休学・退学etc.
私達は今まで、そういう「不幸」を「個人化」し、「内面化」しつつ、「個人の人生」を生きて生きた。

そして気がついたら、「地域」の地縁的関係も「親戚づきあい」の血縁関係も以前からくらべたらかなり希薄な、
「社会化」され、「過剰流動化」した労働力もしくは労働力予備軍あるいはかつて労働力であった者たち、として、「社会的」な「扱い」をされるべき存在に成り下がってきたのだ。

まことに、いわき市が4月6日の小中学校「始業式」にこだわり、文部省が福島県の校庭で児童生徒が活動できる範囲の線量設定に手間取ったのも納得がいく。

「社会化」された「市民」を囲い込みえるのは「学校」か「職場」か「病院」・「施設」しかないからだ。

人間は、「本当は」「本来は」、などと呟いても今、意味は成立しないのかもしれない。

社会学者やNPO組織で活動している人のネット配信ラジオ番組を聴いていたら、興味深いことをいっていた。

退場不可な共同体(旧来からの地域とか学校とか家族とか)と、出入り可能な共同体(NPOとか)とがある。

前者はそこから「逃げる」ことができず、拘束性が非常に高い。そのために強制的に「居場所」は設定されるが、その敷居が高く参加できない場合がある。

他方、

後者は「出入り自由」だが、そのために「自由で自立したコミュニケーションスキルの高い」人でないとそこに居場所を見つけられない人が出てくる。

その二つをどちらか選択する、というのではなく、多層に組み替えながら生活基盤を支えていく必要がある、という話。

もう一つ興味深かったのは、今機能している代表的な共同体としては、

1,伝統的な地縁的共同体(お墓を守る昔からの歴史的集団)
2,近代的な市民意識の高いコミュニティ(行政に何を要求するか集団)

と2種類あって、どちらも「居場所はそこじゃねえよなあ」という人たちが参加できないものになってしまっている
という分析。

1・2におけるコミュニケーションスキルが低い引きこもった状態の人とか、子連れのシングルマザーは居場所がないが、それ以上に子連れのシングルファザーはもっと帰属しにくいんだよ、という話もそこに重ね得る。

となれば、WebやTwitter、SNSなどをそこにどう組み合わせていくか、ということも課題となってあらわれてくる。

携帯は使わせない、なんてばかり言ってるわけにも行かなかったりするのは、「高校」と「大学」の器の違いだけではなく、今日本が抱えている「集団帰属」の問題水準でもあるってことでしょうか。

ともあれ、被災者であることを「刻印」された「間借りの生活」が明日から始まります。
それが3ヶ月続くと、こんどは「仮設校舎」というスティグマを背負って「仮設での生活」が続いていくのですが。

そういう脳みその「刻印」抜きには、私達は一時も生きていくことができないのだ、ということ。

もしかすると、その「刻印」を内面化し、忘却することが「日常」なのかもしれません。

どんな「刻印」でも、人は慣れていきます。

慣れって、偉大でかつ愚かですね。