世界全体が裂けてしまったような
そんな大きな時代の「断層」と向き合うとき、人は自分が何をすればいいのか、頼まれなくても問い直す。
自分に何ができるだろう。
自分は何をすべきだろう。
大震災の後、原発事故のさなか、私たちは給水場の行列の中で、瓦礫を一つ一つ拾いながら、避難所の扉を開けたとき、ふと自問自答してしまうことはなかっただろうか。
たとえばパピルス4月号のSuperflyの一ヶ月インタビューでも、震災のあと中断された時期に、彼女もまた、何をすべきか、何ができるか、を自問していた。歌い手は歌うことで示すしかない。結論はそうなるだろう。だが、興味深いのは、「Superfly」として、というところだ。
志帆ではなく、「Superfly」。ありうべきものとしてのパフォーマーたらんとするその向こう側にリアリティを感じようとするのだ。
表現者なら当然だ、と人はいうだろうか。
しかし、そういう意味でいうなら、裂け目を身に転写された私たちは一人一人が、負の聖痕を抱えた「表現者」であることを不可避的に選択せざるを得なくなっているのではないか。
歌い手は歌で、料理人は料理で、船大工は船大工として、教師は教室の身振りで、原発技術者は事態の収束において、警察の人は遺体捜索において、自分たちは今、それぞれ自分が何者であり、何をし得るか、を自らに問い直しながら、世界と向き合い直そうとしているのではないだろうか、
不安を鎮めるためには、手や足や身体に身についた「仕事」をするのが一番だ、という現実的効用はあるだろう。何かしないではいられない。
とすれば身についたこと以外には頼れるものはないからだ。
だが、その捉え直しは、不安ゆえの手仕事依存、という射程にはとどまらない「哲学的」な意義を持つのではないか。
私たちは「人為」の延長上の「日常性」に埋没して生きてきた。だが、一人一人が聖痕を受け、もはやその日常的忘却に埋没する道はたたれてしまった。
そのとき、交換可能性を前提にした労働力としての社会化され編制された「個」であることから身を引き剥がし、それとはまったく違った方法で「個」としての自己と出会おうとしているのだろう。
自分自身には選びようがない唯一性と身体性をかかえ、自ら不可避なものとして選択する「手」の中の仕事と改めて出会い直す、というような種類の出来事が、今、その聖痕の元で起こっているのではないか。
たとえば、私にとっては、この日記を書き殴りつづけることだったように。
私にはこんな風に書き続けることしかできない。
むろんそれ以外にも、食事を作ったり、保険屋さんに電話をかけて家の地震保険にいよる損壊の認定を交渉したり、車検になる車の代車を予約したり、避難所になっている職場の宿直をしたり、家族と旅行に出かけたり、年寄りを温泉に連れて行く予約をネットでしたり、教員免許状更新講習講座の申し込みをネットでしたり、いろんなことをしている。
でも、私が無数に選べる事柄の中から、選びようがなく不可避のものとして選択することがら、をこの聖痕に照らして探していくと、この日記を書くことしか結果として残らなかったのだ。
そうだからこそ、この二ヶ月ほど、ほぼ毎日日記をつけることができている。
ま、日記ぐらいセイコンだの何だのとぐずぐず言わずに書きたけりゃ書けばいいし、いやならやめればいいだけのことだ。
そういう偶然性というか恣意性の層は確かに存在するのだけれど、それと「平行」して、偶有性というか「必然」の層がたち現れる。
前者が「人為」と呼応し、後者は「自然」と呼応する。
ただし、二つの側面、という分析では決定的に足りない。
第3の層を前提にしなければならないことになるのだが、それは静的に捉えることは難しい。二つを結ぶのは地下水脈であり地下茎であり、断片が隣接性の連鎖によってつながるのは、「弱い共鳴力」においてだからだ。
かつて私は「間」とか「往復運動」とか指さしたことがある。
間を満たすものを「空間媒質」と名付けたこともある。
メビウスの帯のような、という比喩にもひかれたし、「境界線の近傍にたち現れる幽霊に瞳を凝らす」などと行ってみたこともある。
それらの全ては、この「聖痕」の受苦の表象と響きあう。
そのイメージに収斂する、のではなくて、いよいよ開かれた連結が始まった、という印象だ。
肯定の身振りをどこまで共振できるのか。
対立項目の一方にだけ立場を守るために縮減していくような党派性を生きる人には、最後まで見えてこない領野なのかもしれないけれど。
そんな大きな時代の「断層」と向き合うとき、人は自分が何をすればいいのか、頼まれなくても問い直す。
自分に何ができるだろう。
自分は何をすべきだろう。
大震災の後、原発事故のさなか、私たちは給水場の行列の中で、瓦礫を一つ一つ拾いながら、避難所の扉を開けたとき、ふと自問自答してしまうことはなかっただろうか。
たとえばパピルス4月号のSuperflyの一ヶ月インタビューでも、震災のあと中断された時期に、彼女もまた、何をすべきか、何ができるか、を自問していた。歌い手は歌うことで示すしかない。結論はそうなるだろう。だが、興味深いのは、「Superfly」として、というところだ。
志帆ではなく、「Superfly」。ありうべきものとしてのパフォーマーたらんとするその向こう側にリアリティを感じようとするのだ。
表現者なら当然だ、と人はいうだろうか。
しかし、そういう意味でいうなら、裂け目を身に転写された私たちは一人一人が、負の聖痕を抱えた「表現者」であることを不可避的に選択せざるを得なくなっているのではないか。
歌い手は歌で、料理人は料理で、船大工は船大工として、教師は教室の身振りで、原発技術者は事態の収束において、警察の人は遺体捜索において、自分たちは今、それぞれ自分が何者であり、何をし得るか、を自らに問い直しながら、世界と向き合い直そうとしているのではないだろうか、
不安を鎮めるためには、手や足や身体に身についた「仕事」をするのが一番だ、という現実的効用はあるだろう。何かしないではいられない。
とすれば身についたこと以外には頼れるものはないからだ。
だが、その捉え直しは、不安ゆえの手仕事依存、という射程にはとどまらない「哲学的」な意義を持つのではないか。
私たちは「人為」の延長上の「日常性」に埋没して生きてきた。だが、一人一人が聖痕を受け、もはやその日常的忘却に埋没する道はたたれてしまった。
そのとき、交換可能性を前提にした労働力としての社会化され編制された「個」であることから身を引き剥がし、それとはまったく違った方法で「個」としての自己と出会おうとしているのだろう。
自分自身には選びようがない唯一性と身体性をかかえ、自ら不可避なものとして選択する「手」の中の仕事と改めて出会い直す、というような種類の出来事が、今、その聖痕の元で起こっているのではないか。
たとえば、私にとっては、この日記を書き殴りつづけることだったように。
私にはこんな風に書き続けることしかできない。
むろんそれ以外にも、食事を作ったり、保険屋さんに電話をかけて家の地震保険にいよる損壊の認定を交渉したり、車検になる車の代車を予約したり、避難所になっている職場の宿直をしたり、家族と旅行に出かけたり、年寄りを温泉に連れて行く予約をネットでしたり、教員免許状更新講習講座の申し込みをネットでしたり、いろんなことをしている。
でも、私が無数に選べる事柄の中から、選びようがなく不可避のものとして選択することがら、をこの聖痕に照らして探していくと、この日記を書くことしか結果として残らなかったのだ。
そうだからこそ、この二ヶ月ほど、ほぼ毎日日記をつけることができている。
ま、日記ぐらいセイコンだの何だのとぐずぐず言わずに書きたけりゃ書けばいいし、いやならやめればいいだけのことだ。
そういう偶然性というか恣意性の層は確かに存在するのだけれど、それと「平行」して、偶有性というか「必然」の層がたち現れる。
前者が「人為」と呼応し、後者は「自然」と呼応する。
ただし、二つの側面、という分析では決定的に足りない。
第3の層を前提にしなければならないことになるのだが、それは静的に捉えることは難しい。二つを結ぶのは地下水脈であり地下茎であり、断片が隣接性の連鎖によってつながるのは、「弱い共鳴力」においてだからだ。
かつて私は「間」とか「往復運動」とか指さしたことがある。
間を満たすものを「空間媒質」と名付けたこともある。
メビウスの帯のような、という比喩にもひかれたし、「境界線の近傍にたち現れる幽霊に瞳を凝らす」などと行ってみたこともある。
それらの全ては、この「聖痕」の受苦の表象と響きあう。
そのイメージに収斂する、のではなくて、いよいよ開かれた連結が始まった、という印象だ。
肯定の身振りをどこまで共振できるのか。
対立項目の一方にだけ立場を守るために縮減していくような党派性を生きる人には、最後まで見えてこない領野なのかもしれないけれど。