龍の尾亭<survivalではなくlive>版

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5月5日(木)のこと。世界全体が裂けてしまったような

2011年05月05日 22時53分01秒 | 大震災の中で
世界全体が裂けてしまったような
そんな大きな時代の「断層」と向き合うとき、人は自分が何をすればいいのか、頼まれなくても問い直す。

自分に何ができるだろう。
自分は何をすべきだろう。

大震災の後、原発事故のさなか、私たちは給水場の行列の中で、瓦礫を一つ一つ拾いながら、避難所の扉を開けたとき、ふと自問自答してしまうことはなかっただろうか。

たとえばパピルス4月号のSuperflyの一ヶ月インタビューでも、震災のあと中断された時期に、彼女もまた、何をすべきか、何ができるか、を自問していた。歌い手は歌うことで示すしかない。結論はそうなるだろう。だが、興味深いのは、「Superfly」として、というところだ。

志帆ではなく、「Superfly」。ありうべきものとしてのパフォーマーたらんとするその向こう側にリアリティを感じようとするのだ。
表現者なら当然だ、と人はいうだろうか。

しかし、そういう意味でいうなら、裂け目を身に転写された私たちは一人一人が、負の聖痕を抱えた「表現者」であることを不可避的に選択せざるを得なくなっているのではないか。
歌い手は歌で、料理人は料理で、船大工は船大工として、教師は教室の身振りで、原発技術者は事態の収束において、警察の人は遺体捜索において、自分たちは今、それぞれ自分が何者であり、何をし得るか、を自らに問い直しながら、世界と向き合い直そうとしているのではないだろうか、

不安を鎮めるためには、手や足や身体に身についた「仕事」をするのが一番だ、という現実的効用はあるだろう。何かしないではいられない。
とすれば身についたこと以外には頼れるものはないからだ。
だが、その捉え直しは、不安ゆえの手仕事依存、という射程にはとどまらない「哲学的」な意義を持つのではないか。

私たちは「人為」の延長上の「日常性」に埋没して生きてきた。だが、一人一人が聖痕を受け、もはやその日常的忘却に埋没する道はたたれてしまった。
そのとき、交換可能性を前提にした労働力としての社会化され編制された「個」であることから身を引き剥がし、それとはまったく違った方法で「個」としての自己と出会おうとしているのだろう。
自分自身には選びようがない唯一性と身体性をかかえ、自ら不可避なものとして選択する「手」の中の仕事と改めて出会い直す、というような種類の出来事が、今、その聖痕の元で起こっているのではないか。

たとえば、私にとっては、この日記を書き殴りつづけることだったように。
私にはこんな風に書き続けることしかできない。

むろんそれ以外にも、食事を作ったり、保険屋さんに電話をかけて家の地震保険にいよる損壊の認定を交渉したり、車検になる車の代車を予約したり、避難所になっている職場の宿直をしたり、家族と旅行に出かけたり、年寄りを温泉に連れて行く予約をネットでしたり、教員免許状更新講習講座の申し込みをネットでしたり、いろんなことをしている。

でも、私が無数に選べる事柄の中から、選びようがなく不可避のものとして選択することがら、をこの聖痕に照らして探していくと、この日記を書くことしか結果として残らなかったのだ。
そうだからこそ、この二ヶ月ほど、ほぼ毎日日記をつけることができている。
ま、日記ぐらいセイコンだの何だのとぐずぐず言わずに書きたけりゃ書けばいいし、いやならやめればいいだけのことだ。

そういう偶然性というか恣意性の層は確かに存在するのだけれど、それと「平行」して、偶有性というか「必然」の層がたち現れる。
前者が「人為」と呼応し、後者は「自然」と呼応する。
ただし、二つの側面、という分析では決定的に足りない。

第3の層を前提にしなければならないことになるのだが、それは静的に捉えることは難しい。二つを結ぶのは地下水脈であり地下茎であり、断片が隣接性の連鎖によってつながるのは、「弱い共鳴力」においてだからだ。

かつて私は「間」とか「往復運動」とか指さしたことがある。
間を満たすものを「空間媒質」と名付けたこともある。
メビウスの帯のような、という比喩にもひかれたし、「境界線の近傍にたち現れる幽霊に瞳を凝らす」などと行ってみたこともある。
それらの全ては、この「聖痕」の受苦の表象と響きあう。

そのイメージに収斂する、のではなくて、いよいよ開かれた連結が始まった、という印象だ。

肯定の身振りをどこまで共振できるのか。

対立項目の一方にだけ立場を守るために縮減していくような党派性を生きる人には、最後まで見えてこない領野なのかもしれないけれど。








 




自民党の原発推進派

2011年05月05日 22時06分42秒 | 大震災の中で
自民党の原発推進派に動きが出てきた(5月5日付け朝日新聞による)。

「原発はやはり必要だった」と、自民党の原発推進派が動き出したのだという。

やれやれ。

ま、たぶん危機感を抱いた経済界の強行突破?ってところなんだろう。
とりあえず連休中にアドバルーンを上げておけ、みたいな。

でも、自民党では少数派らしい原発見直し派の河野太郎が朝日のインタビューに答えて言っていた
「まず自民党は国民に謝罪しなきゃ」
っていうスタンスが妥当な筋ではないか。

すくなくても「フクシマ」の空からみると、
そう感じられる。

たしかに国民が票を入れた原発推進、ではあったわけだけれど、結果としては大変な事故を招いてしまった。
その路線を突っ走ってきた先頭の機関車が自民党だったのだから、謝罪というか、きちんと落とし前をつけてから次にいけ、ということだ。


もちろん、民主党も原発は推進が基本だった。

その原発推進を問い直すべき時が来ているんだよね。

まずなによりも事故の徹底的な検証が必要不可欠だろう。推進とか反対とか廃止とか他エネルギーへのシフトとか、それからのことだ。

いくらなんでも早すぎる。今推進の声を挙げるのはいかにも筋が悪い。日本はいかにも筋の悪そうなタイミングで「失言」をすることによって、捨て身の橋頭堡の役割を果たす政治家が昔から多かった。今回もそれ、ですかね。
でも、原発事故の直接的被害もさることながら、そんな「捨て身」以前に、私たちが被爆の危険にさらされていることの方が重大でしょう。たかだか政治生命の「捨て身」なんて、今の現実にくらべれば、悪いけれどはなはだ軽い。
悪あがき、に近くはないかい?

経済界の原発エネルギー依存は、すぐに脱却できるものではないかもしれない。
でも、供給量の規制だってできるだろうし、省電力のキャンペーンをきちんとコントロールしていけば、原発依存からの脱出プログラムは現実のものになっていくのじゃないか。

結局、「確信犯」の匂いはするが、今の時点で推進派が集まって気勢を上げるのは到底容認しがたい。

国民の多数は、国内現役の原発をいますぐただちに全て停止して廃炉にすることなどできるはずはない、と分かってもいるはずなのに。

滅多に起こらないことが起こってしまったとき、人はその覚悟が試される。

必要だから原発を推進してきたのだっていうのは、後ろ向きの開き直りの印象をどうしても免れがたいのではないか?

とっつあんたち、ジタバタしねえで現実から世界を立ち上げていこうぜ。
推進とか抜かしているうちに、もう一回こんなことが起こったら、日本は終わるよ。
だから今は原発をとりあえず継続再開するためにであっても、いやそであればこそむしろ、細心の注意を払って安全側に振ったマネージメントが肝要だと思うよ。

例えば、直近の体験を踏まえて言うなら、青森を第二の「フクシマ」にしちゃいけない、と切実に思う。そのためにできることは全力を挙げて政治家が取り組むべきだ。
推進派こそ、原発の必要性なんて寝ぼけたことを口走る前に、動いてほしい。

悪いけれど、「反対していたのは社民党だけだ」という自民党原発推進派の「捨てぜりふ」は、自ら「55年体制の残骸です」との立場を暴露しているだけのこと。社民党が先に没落したけれど、それと見合った対立項として自己を規定していると、沈没しちゃうよ。

原発に代わる新たなエネルギー政策を強力に推進しつつ、同時に既存原発の安全性を見直し、高める努力があってこその「推進」じゃない?
ただノーガードで「推進」を語るのは、正気の沙汰とは思えないのだが。

それでもなお、ベタでひたすら原発推進だというのなら、命がけで抵抗するまでのことだ。

「覚悟?覚悟ならないこともないよ。」



「フーコー再考」講座を受講して(その2)<天皇の聖地巡礼>

2011年05月05日 11時25分42秒 | 大震災の中で
5月5日(木)の日記

「フーコー再考」大澤真幸・萱野稔人の講座を受講して(その2)
(4月30日 朝日カルチャーセンター新宿にて実施)

このあたり、面白くなってきました。
ハイデガーのテクネー論とフーコーの関係の指摘が大澤氏萱野氏両人からなされていて、勉強せねば、と思いました。
まとめというより自分の講義記録メモなので、意味不明の部分も多々。
それでもまあ雰囲気は多少あると思いますので、よろしければ。

メディア日記

ハイデガーのテキストは、何度チャレンジしても、意味不明。
不明でも読み切るのが哲学書のお作法なのは分かっているけれど、それが出来るテキスト(もしくは哲学者)と出来にくいテキスト(もしくは哲学者)があって、しかも読み切ったから分かるというわけでもなく、分かった気になったときはなにか偏ったり飛ばしたり、誰かの分かりやすい解釈に依存していたり、となんだか意地の悪いゲームに嵌ったみたいな感じである。

解説書を読んでも不明。
本文と解釈者の解釈を行ったり来たりしている間に、解釈者1と解釈者2と解釈者3のズレが見えてきて、もしかするとこのあたりじゃねえか?とズレからじわじわ見当をつける……までに10年はかかかっちゃう。

生きているうちに間に合うんだろうか……sigh。

それでも、講座を聴いて、フーコーの「規律・訓練」の像がはっきり掴めたのことは、既に十分な収穫でした。

今起こっていることは、「知」と「権力」が複雑に絡み合った基盤自体が「断絶」を迎えようとしていることなのだろう、ということは想像がつきます。

「パレーシア」に傾いた後期を大澤さんはかなり否定的にプッシュしてきて、萱野さんはそのたびにそれを「いなし」ながら話を深化させていく、っていう印象がありました。

大澤さんのそのこだわりが、萱野さんの前期フーコーからくみ上げるものの深さをもたらしているようでもありました。

ちなみに、講座修了後、大澤センセに天皇問題をちょっと質問しました。
大澤真幸編集の個人雑誌「O」の最新刊特集が「天皇の謎を解きます」で、そっちを読めば良かったのかもしれませんが、まだ未読だったので。

「天皇の避難所訪問とか観ると、こっちがどうしても情緒的に心が動かされたりするんですけど、あれはどう考えたらいいんでしょうか」
という、んなこた自分で検証しろい、って話のことを聞きました。

大澤センセは
「そうか、僕は特に心を動かされたりはしないんだけどね」
と当然の反応(笑)。

天皇は「無力」だからこそ惹かれるっていう自分の中での理解はもちろんあるにしても、大澤理論ではそれをどう捉えるのか興味があったので。

で、その後部屋を出て事務室のソファに座り、丁寧に説明してくれました。

「天皇はご承知のように何もしないんですね。答えを言わない。それだから、なんだろうね。」
「なるほど。私はやっぱり東電社長とか首相とかと違って、避難所で天皇が膝を折って一人一人と話しているのを観るとうるうるきちゃうんですが。そこで、この天皇を『日本人はみんな癒される』とか日本は一つ報道に回収しようとしますよね?それはちょっと納得いかないんですが、世界の天皇とか売り出すわけにはいかないんでしょうかね、宮台とか中沢新一とか的になっちゃいますけど」

とさらに暴論をふっかけて追いすがりました。思い出すと恥ずかしいなあ。

「そうだね、それはね、原発に行くことですよ。作業員の元に赴くの。そうなったら世界的になるかもしらんねえ」

「なるほど、分かりました!でも、行きませんよねえ」

「そうかなあ。白い服をきて、あ、これが三号機、とか説明を受けるの。行かないかねえ」

最後の大澤センセのつっこみは皮肉かなあ。その辺のノリは不明です。
(追記:考えてみると大澤社会学では、「贈与論」のエンジンがかなり強烈だ、という印象が以前からありました。その辺りと「天皇」の身振りを重ねて考えられないかな、というのは自分の中での思いつき。この項はもう少し後でまた。)


でも、「無力」を技として「何も人為について語らない」天皇が、身をもって放射能の源泉である「聖地巡礼」をすることによって、「日本人にとっての癒し」みたいな場所から「世界」に通じる回路が開くっていうイメージは、とても私としては腑に落ちるものでした。

5月11日、天皇夫妻は福島県を訪問されます。
浜通の20キロ圏内は警戒区域だから天皇夫妻も入れない、と考えるのが普通かもしれません。

でも、作業員の方々や、遺体捜索の警察・自衛隊・行政の人々はその禁断の区域に入って仕事をしているわけですよね。

特に東電の作業員の人は、さらに二重三重に傷を受けています。

一つは「人為」の究極としての「加害者」=東電の立場
二つ目は、地元に住んでいた東電の人は、同時に「被災者」でもある、という「被害者」の立場
三つ目は、その二つを抱えてさらに被爆の危険を抱えて原発事故の収束に向けて働かなければならないという「受苦」の最前線にいるという「犠牲者」の立場

天皇に今もっとも慰撫されるべき存在は、原発事故現場近くで、本当に身体に見えない「痕跡」を受けながらなおも最前線で働いている者たちではないでしょうか。

ただ、仕事とはいえ本当に自らの身体を、(「人為」の裂け目それ自体である)原発事故の真っ只中に投入している人々が今も現に不休で働いていることを考えると、平成天皇が向かうべきは「負の聖地巡礼」としての原発事故現場だ、という大澤センセの指摘(皮肉?)はうなずけるものがあります。

そこへ足を踏み入れたら、「世界」に向かって天皇は開かれていくでしょう。
むろんそれは周りに迷惑もかけるし、今の状態では困難を極めてしまい、現実的ではないとは思います。

が、理念の問題として。
今行くことは単なる無茶だとすれば、いつかそこにきちんとアクセスすることは考えられてしかるべき、ではないでしょうか。

広島・長崎がある種の「聖地巡礼」の対象となっていることは、間違いのない事態ですし。

「権力とは状況定義力のことである」とはフーコーの言葉だったと思います。
そういう意味ではいつだって天皇は「権力的」でありつづけている。

また、原発事故と大震災も、状況を強力かつ決定的に「定義」しつづけています。

大震災や原発事故を「権力」と取り違える人は私ぐらいでしょうか。

しかし、「人為」と「自然」の関係は、そうそう単純じゃないと思う。

私達の「可能性の条件」(それはとりもなおさず「人為」の限界ということだ)を左右するのは、言説とか明示的な権力だけではなく、「テクネー」の問題がそこには底流に流れていると思うのですね。

そういう意味で「状況定義力」の作動について、私(わたしたち)はかつてないほど鋭敏に耳を澄ませ、瞳を凝らしていくべき時を生きています。

天皇が安易に「一つの日本」に回収されてしまわないことを祈りつつ、見続けていきたい。
その祈りはとんでもなくトンチンカンなもの、なのかもしれないけれど。

P.S.
その後、雑誌「O]第9号
「天皇の謎を解きます」
を読みました。
佐伯啓思との対談で再論していた、北朝鮮援助の「荒唐無稽」な贈与論と、天皇「負の聖地巡礼」論は、私の中でなんだかシンクロしました。
敵も味方も、都合の悪い「国」や「集団」であっても、直接助けるべき相手に贈与をする、という身振りには、「無力」ゆえの強さが感じられますね。どこに着地するのか分からない「困難さ」をはらむという意味では、大澤社会学の中では「過激」な表面(内面じゃなくてね)を感じます。

何も答えない天皇という「空虚の中心」に、近傍にいる生身の側近が「意思」を奏上していく、という「天皇制」は、「世界帝国」に観られるような絶対的・超越的な中心を持たない。辺境らしいやり方だった。というポイントもそう新しい視点ではないけれど、一応納得。

たぶん、大澤センセが言っている意味とは違う意味が混じっているのかもしれないけれど、天皇の聖地巡礼は、興味の尽きない主題です。

そういえば一時期オバマ大統領の広島訪問が取りざたされたことがあります。
話題になるのはやはり「聖地巡礼」のフレームにおいてでしょう。
むろん、天皇と東電社長と菅首相とオバマは全然違うわけだけれど。

文化・伝統・政治において空虚な中心装置と、科学の粋を集めた結果としての負の中心装置とが出会ったら、どういうことが起きるのか。

この項、さらに続けなければ。