龍の尾亭<survivalではなくlive>版

いわきFCの応援、ソロキャンプ、それに読書、そしてコペンな日々をメモしています。

「フーコー再考」大澤真幸・萱野稔人(その3)

2011年05月20日 23時20分11秒 | 大震災の中で
「フーコー再考」大澤真幸・萱野稔人(その3)

もう一つの龍の尾亭「メディア日記」で、4月30日に聴いてきた対談メモのまとめの3回目(最後)をこちらにアップしました。

よろしければこちらもご覧くださいませ。

メディア日記「フーコー再考」

この対談で、一貫して大澤真幸氏は晩年のフーコーはプレ・フーコーに戻ってしまった、と主張しています。
萱野稔人氏は、ドゥルーズを引用したり、初期考察『監獄の誕生』の後半を引いたりして、フーコー自身の「退却」というか「退行」という大澤説を、そのまま肯定はしていないようです。

今、フーコー思考集成の「パレーシア」の部分を読み始めたばかりなので(ドゥルーズのスピノザ論も中途半端なのに!)私はまだよく分かりませんが、二人の対談の中で浮かび上がってきたフーコーの思考の軌跡は、そのまま今回の大震災における
「人為」の裂け目から「自然」の闇=空白をのぞき込まされた恐ろしさの地点、今私たちが「フクシマ」の名を背負って立ち続けている場所に、繋がっている印象を持っています。

少しもフーコー的なる営み(つまり「知」と「権力」の偏在=遍在を指し示す仕事)は、全く古びていないどころかたった今、何よりも必要とされ続けているように思われてなりません。

私の中では、声高に政治とか科学とかに「要求」することによって、逆にその「状況定義力」の磁場のありようから瞳をそらしてしまうことになりかねない危険を察知する上で、フーコーフラグは立てておくべき基本的「避雷針」か「魔除け」の作用は持っているのではないでしょうか。
どうすればいいのか、なんてことには絶対答えてはくれませんけれど。

でも、フーコーが亡命弁護士の強制送還に反対して口にしたといわれる言葉(萱野氏による)、

 政治的には私は原則主義者だ。権力には何を使っても徹底的に抵抗する。
 これからはセキュリティが主権・政治を凌駕していく。セキュリティが法を越えていく。
 セキュリティを理由にして原則がふみにじられていく。

この「セキュリティ」を比喩的に捉えてしまうのはまたそれはそれで「危険」かもしれませんが、いろいろに考えさせられることばだと思います。「安全だ」と主張することも「危険だ」と主張することも「非常時」における「セキュリティ」をめぐった「状況定義力」=権力のせめぎ合いを示しているといえるでしょう。

政治的には原則主義者だ、というフーコーの言葉を、私は実践的に捉えていきたい、と考えています。
原則的だからフーコー的になれるって話じゃないからね、もちろん(笑)。原則的、もフーコー的、もそれだけじゃ意味はない。

むしろ、その「セキュリティ」をめぐる「状況定義力」=権力の磁力の作用状況について、その細部に偏在する偏りを感知しつづけつつ、それが編制されて大きなベクトルになる動きの「裏」に出ることで、微細な力であっても「他者の言説」の欲望を内面化してそれを自らのものと取り違えることだけはせめて回避できるのではないか、ということだ。
その一瞬の動きの連続でしか「ゴールは割れない」ってことでしょう。

責任が東電経営陣にあるのか、会社自体なのか、株主が出資の限りにおいて責任を背負うのか、貸し付けた銀行の責務は?国策として関与した政府の責任は?

そういう垂直的な統合軸をいくら求めても、「そこより他の場所」に権力は維持されていくという「印象」「感触」があたかも老人の「残尿感」のように残っていうだけのことだろう。

いや、そういう真実の追及はされるべきだと思う。それは大切だと繰り返し思う。

でも、本当に求められているのは、「帰ることのできない家に戻りたい」という失われた町・ふるさと・生活そのものを希求する「切ない思い」の「対象」だ。真理も権力も、その空白の中に瞳によって絵を描くその絵の中の「生活」を求めるような事柄に関しては、直接的に関与できるはずがないだろう。

実際には、原発事故の近くの町には、戻るまでに相当の時間が必要だろう。避難場所で別の仕事を見つけ、新たな生活を営み始めた後で「戻れる」ことになったとしても、そのときすでに、避難場所で生活を立て直した人たちと、「空白の中に存在しない生活」を求めた人との間には、溝が広がっていはしないか。
そういう「亀裂」をも潜在的には抱えて私達は生きていかねばならない。

たしかにフーコーが見事に分析したのは、17世紀から20世紀にかけて資本主義が生み出していった近代における「権力」の様態だった。

でも、どうなんだろう。震災以後も、フーコーの考察が時代に追い越された感は全くないなあ。むしろ、きちんとフーコーを踏まえなければ見えてこないことばかりじゃないだろうか。

ああ、週末暖かくなったから冬物をしまって夏物を出さなきゃならないけど、本も読みたいし。犬の予防注射もあるし、米も買わなくちゃならないし、精米もしてこなくちゃならないし、忙しい……。

勉強し、瞳を凝らそうとすればするほど、課題や疑問ばかりが深まっていく。
そういうもの、なんでしょうけれど。




ポンペイ展に行ってきた(仙台博物館)

2011年05月20日 22時50分06秒 | 大震災の中で
先日、仙台博物館で開催中の「ポンペイ展」に行ってきました。

今回の大震災で一時期展示が中断していたが、ゴールデンウィークから再開。6月上旬まで延長して開催されているとのこと。

ポンペイはご案内のようにイタリアにあるベスヴィオ火山の噴火によって、ごく短時間のうちに火山灰に町が埋もれ、その瞬間に中断された「人為」が長く地中に保存され、結果として貴重な人類の「記録」となった都市です。

ゲーテの
「世界にはこれまで様々な災厄が起きたが、後世の人々にこれ程歓迎されたものはない」
というような言葉が引用されていました。
現状、ちょっと笑えない「キャプション」ですね。
でも、営まれていた「平和な人為」としての人間の営みが一瞬にしてその様を変えてしまったという意味では、さまざまに共感できます。それを鑑賞し、あるいは日常的に使用していた人間が突然まったくいなくなり、残された遺物たちは、そのまま私が目の当たりにした瓦礫そのものに他なりません。

そこに暮らした人間がいなくなれば、それは歴史的遺物としてゲーテのいう「歓迎」を受けるのででしょうか。
しかし、私たちが直面しているのは人為的営為の象徴としての「モノ」が一瞬で瓦礫になってしまった、というショックばかりではありません。そこに人が住むことができるのか。自分のこれからの生活をその場所に重ねて生きることができるのか、という現実的な重い問いです。
その上、放射線量におびえる現状。


今日、双葉町から避難してきた学生さんの話を少しだけ聞くことができました。
中学校に避難していたけれど、夜が明けたら避難の話になっていた、とのこと。
着の身着のままに近い状態で「日常」を置き去りにして「避難」せざるを得ない体験、想像するのも大変です。

展示場には、壁画、床の装飾、庭園の噴水、彫刻、絵画、食器、装飾品、闘技場の戦士の甲冑などなどさまざまな出土品がたくさん並んでいました。
美の女神(アフロディーテ?ヴィーナス?いやいや呼び方が違ってたなあ)とかアキレスとか、都市を象徴する神の絵や彫刻がたくさんあったのも印象的。中でも天使(これもエンジェルという呼び方とはちょっと違うけれど)の像や絵画が多数描かれていたのが特徴的なことでした。
総じて、よくわからないけれど古代的なもの匂いが残っている(ギリシア的なるものの模倣的な側面?あるいはローマ文化を新興のお金持ちが模写模刻させたりしてたのかな?)。

不思議な魅力が満載でした。

これも1000年単位で起こるような大災害と人間の営みが遭遇した結果としての廃墟の瓦礫、だと思うと、いとしさが増すような気もしたりして(笑)。

でも、1000年前の遺品を見て歴史に思いをはせるだけでは済みません。

家に戻ってきたら、近所の家では瓦が払底しているので鋼板屋根に葺き替えたら、300万円もかかったとか年寄りが話をしていました。
うちの瓦礫と化した文字通りの瓦屋根は、ずれてしまっていて、新たに屋根を葺くのと同様のお金がかかる、と診断されてもいます。一通り屋根をやり直せば150万から200万ほど。それでまた地震で壊れれば元のモクアミ。
今流行りの鋼板なら割高でも地震には強そうだし。

「人為」の裂け目を目に焼き付けたはずなのに、明日の生活を支える「家」の修復のために資金のことばかりに頭が行く……。

今週は、「日常」の中に深く静かに潜航していく日々だったようです。

そういう日常の修復もしていかねばなりません。
他方では、いまだに「フクシマ」は新聞の一面をにぎわせ、TVのトップニュースを飾ってもいます。
それも含めて「日常化」してしまう、というのは、なんだか居心地の悪いものを正直感じます。
本当はそれ、「日常」って呼ばないよっていう「日常性」。

ここ最近は、あまりに早く「慣れてしまわない」ことが大切な課題の一つになってきました。
へそ曲がりをしたいわけじゃありません。
ポンペイの人々も、あの日あんな風にすべてが火山灰に埋もれてしまう、と知っていたら、もうちょっと違った選択ができたのでしょうけれど、そんなことが分かるはずもありません。

今は福島第一原発1号機の水素爆発に関してベント実施のタイミングの遅れが「原因」として取りざたされています。

与謝野さんとか亀井さん、石原さんみたいに「天罰」だとか「神のみぞ知る」だとか、よそ者の政治的言説を弄するモノたちにしゃらくさいことを言われたくないと思うけれど、問題の本質は「ベント実施のタイミング」じゃないと思うよ。

どうなんだろう。
そういうのは、部分的かつ線状的な、一本の筋道を探し出すことが「論理的」であり「科学的」だ、みたいな発想に支えられた説得の方法じゃないかしらん。

原発の設計思想(30年以上前のものだから、っていうならさっさと廃炉にしておけって話だしね)とか、エネルギー政策の問題とか、日本における「安全神話」がどうしてこんな「知」の偏在を招いたのかとか、さまざまな分析を重ねていく以外にないのだろうね。
「フェイルセイフ」とかいう発想を教えてもらったのも実は東京電力で作った、富岡町の原発展示館みたいなところに行ったときのことだった。
間違ったときに安全側に触れて止まるようになっている、っていう話を聞いて、「へー、すごいなあ、さすが」と素朴に感心した記憶がある。

ま、結局それもある程度まで、だったってことなんだけどね。
こういう「事件」によってエピステーメーが亀裂を生じ、変質を余儀なくされ、新たな「人為」の基盤ができてくるのかしらん。
永遠に続くはずもない人の営みであってみれば、大きく考えると、この大震災もそういう大きな「知」の断層に直面する一こま、なのかもしれません。