龍の尾亭<survivalではなくlive>版

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5月22日(日)のこと<フクシマと福島の違い>

2011年05月22日 23時43分56秒 | 大震災の中で
親しい知人からメールがあった。

>巷にあふれるフクシマという表記が、気になる。私の家は福島だもの…。

>東京にいるときには、やれマスクだ帽子だと言っていたけれど、
>帰省したら露地アスパラをバクバクたべて、一日中外で田植えの手伝いした。
>でも、知人が福島市に行くって言ったら、やっぱりマスクだの帽子だのって言う。

そう、「フクシマ」は、世界に向かって発信され、流通する外部の表象ですね。
私達の「福島」は「福島」だから。

外からみたら大変な放射能汚染の場所「フクシマ」は、
中にいると、その中でも日常の時間が流れる「福島」に外ならない。

>ふっ…と、また地震があればいいのに、と思っている自分に気づく。
>不謹慎極まりない。人間としてどうかと思う。 でも、確実にそう思う瞬間がある。

強く同意。
他人の言説にこと寄せて同意するのは卑怯千万、とも思うが、私の中にも余震があるたびに世界の底が抜けてしまうような、この日常がどこかに飛んでしまうような恐怖を感じ、それでいて、その恐怖の中にある種の「親しみ」を同時に覚えてしまうことを止められない現実が存在する。

今度きたら終わりだな、と冷静そうに思いつつ、実は恐怖を感じつつ、なおもその「恐怖」にはどこか「非日常」に自分をスライドさせていく「空白感」があって、日常に自分を埋没させていく忘却装置がもたらす「空白」とは全く違った、しかしそれもまた何かを「飛ばして」くれる「力」として惹かれているのかもしれない。


もう一つ、付け加えることがあるとすれば、二ヶ月経ってから、余震に対してより強い「恐怖」を抱くようにもなってきた。これは明らかな変化である。地震直後は「非日常」に自分の身体が「包まれている実感」があったせいか、むしろ「おお、きたか」みたいな感じさえあったような気がする。
しかし、今は一見非日常性がもう一度日常性の薄皮に隠され始めている。そのときにその薄皮が剥がれてしまうかもしれない予感をもたらす「余震」は、私達の再度油断しはじめた心をかなり強く「挫く」力を持つ。
今は震度1ぐらいでも、以前より気になるようになってきてしまった。

PTSDとかいうほど大げさなことじゃないだろうけれど、心の動きは単純じゃない、と思うね。