龍の尾亭<survivalではなくlive>版

いわきFCのファンです。
いわきFCの応援とキャンプ、それに読書の日々をメモしています。

二本松市長のインタビュー。必見です。

2011年05月30日 22時02分07秒 | 大震災の中で
友人から紹介されました。
二本松市長のインタビュー
http://www.youtube.com/watch?v=s9e8rslKFhc
福島県の首長として、もっとも見識の高い会見の一つだと思います。
必見。
山下俊一という福島県の福島県放射線健康リスク管理アドバイザー
に対する冷静な批判。
歴史の分水嶺において主権者がもっとも重要だという判断。
賛成に1票です。
http://www.youtube.com/watch?v=s9e8rslKFhc


なんだか泣けてくる。

2011年05月30日 21時16分41秒 | 大震災の中で
真夜中に、Twitterから流れてくる「福島」を眺めていると、なんだか泣けてくる(ウルフルズ)。
http://savechild.net/?p=1639
とか、
http://search.japantimes.co.jp/cgi-bin/nn20110526x2.html

福島産の牛乳が使われているのかどうか、を各乳業メーカーに問い合わせた電話のやりとりが記録されたサイトと、東電福島第一原発を、核廃棄物の最終処分場にしようとの案が日本原子力学会で検討中、とのジャパン・タイムズの記事のサイト。眺めているだけでツラくなる。

消費者が食べ物に付着したり混入した放射能の線量を気にするのは当然だ。
また、これだけ汚染が広がりかつ収束に時間がかかるなら、いっそ他の地域の汚染を防ぐというかかばう意味で、福島に危険を集中させる、というやり方だって、一理あるのかもしれない。まあ、そんな追い討ちをかけるように絶望的なことを考えているなんて、いくらなんでもあんまりじゃないか、とはおもうけどね。

とにかく、自分たちの営みの蓄積の全てが失われていくのをなす術なく見ているしかないのは、あまりにも辛い。

そして失われること自体も辛いが、「福島」が処理されるべき「対象」の記号となって流通することがさらに切ないのだ。
私たちの声はそこでは、まずもって「届かない」。汚染地域であることは事実で、それは個人の力ではどうすることもできないからだ。

避難しろといわれても、誰も住み慣れた環境を離れて避難などしたくはない。
しかし、放射線量が高いのだと言われれば避難するしかないし、その先はもう、精神的な基盤を失って漂流するばかりなのか?と不安と絶望が先に立つ。
加えて風評被害。でも、風評被害は腹立たしいが、愚かさは相手にあるのだからまだましだ。
問題は、自分のふるさとに帰りたいという素朴な思いを、ある種の断念しきれない「未練」として受け止められるのが苦しい。

加えて、次第に明らかになる高線量の実態、事態収束の困難さ、安定化日程の実現性への疑念を目の当たりにして、どうすればいいのか分からなくなってしまう避難者も少なくないだろう。

加えて情報は、正しいことであればあるほど、むしろ絶望的だとしたら?

もちろんそうはいっても、そっとしておかれて何も知らされないままなのはもっと恐ろしい。

ネット時代の「リアル」を生きることの困難さか。

その悩みは「フクシマ」(カタカナ表現)に違和感を覚える、ということとも関連している。

「対象」として流通し、「客体」として扱われ、処理されるべき存在になってしまった「福島」の状態が、あられもなくカタカナの「フクシマ」に表れてしまっているのではないか。

実際、へこんでばかりもいられないんだけどね……。

その疎外された対象としての「外部」の「中」にあって、私たちは、簡単には「届かない声」を、だからこそなおも発信していかねばならないのだと、誰に対してというのでもなく、言い聞かせる。

一体私たちは、「わたしは」という主語のあとに、どんな「対象」を、どんな「客体」を置き直し得るのだろう?

誰かに助けられたい、のではない。何かとひとつになりたいのではない。

どう「声」をだせばよいのか途方にくれつつ、そのことをも含めて書いていきたい。

ネットはそういうときも両義的(「両」というより「汎」かな、ふさわしい漢字は)だ。埋没するボトルメールで終わるかもしれないけれど、誤りや愚かしさ、偏りまで含めて、書きながらやり直し続けていこうと思う。公の道筋には乗らない泡のような声も、時に共鳴可能性を持つことはできるのだ、と信じつつ。


5月29日(日)のこと「山下俊一教授のコメントのこと」

2011年05月30日 02時32分12秒 | 大震災の中で
朝日ジャーナルで、鎌田實氏(「がんばらない」の著者)と、山下俊一氏(福島県放射線健康リスク管理アドバイザー)が対談していた。
詳細はそちらをごらんいただければ分かるが、年間100ミリシーベルト以下の積算被曝線量の影響は「不明」だと山下俊一氏自身が認めていて、

「あえて『大丈夫だ』というわけですよ」

「微量の被曝には過敏になるな、と言っているんです」

と述べている(『週刊朝日緊急増刊 朝日ジャーナル 原発と人間』P128-P129)。

福島県が政治的に要求する「状況定義」の文脈を汲んで、「あえて」語っているのだ、ということが確認できる。

だって、同時に
「いまの子どもたちが50,60歳になったとき、本当にこの被曝の影響が出ないのか。僕は広島・長崎を調査したような拠点を福島につくるべきだと主張しているんです」
とも言っているわけ。

グレーゾーンで分からない→敢えて過敏になるなと言っている→調査をして検証しろ

待て待て。「分からない→過敏になるな」がまずおかしい。
分からないのだから、安全側に振った行政の対応を求めるのなら、専門家の姿勢として分かる。
どうして市民の行動を規制・馴致する言説がそこから出てくるのか不審を抱く。

加えて、次の段階がホラーっぽい。
グレーゾーンだから、過敏になるな、と政治的な言説を弄しておいて、調査拠点を作れとか言う。
これは、まるでモルモット扱いじゃないかしら。

終始鎌田氏と山下氏の議論は噛み合っていないのだが、そのすれちがいぶりも含めて、お読みいただければ。

福島県の被曝状況の危険を懸念する鎌田氏に対して、「ロマンチストなあと思ってますから(笑)」とコメントする山下氏の感覚もどうかと思うが、まあ、危険だけを声高に言われても困る、という福島県の置かれた「政治的状況」も理解できないではない。だって、県民200万人のうち、浜通・中通りが危険だとなったら半分以上が避難対象になってしまう。それは「政治的」に明らかに「無理」だろう。原発即時全部停止と同様、やれればいいけど非現実的だ。

だが、だからといって、科学者が「政治的」の要求に応える形で「敢えて」「過敏になるな」というメッセージを県民に「アドバイス」するのは、妥当なのかどうか。

飛散放射能の線量ばかりではなく、政治家の挙動ばかりではなく、科学者ではあっても、公共的なるものに対して公の言説を発した者については、最後まで検証をし続けていく粘り強さが、私達の側にも求められるということですね。
「安全だ」、と言うのも、「危険だ」、というのも、それが公に発せられただけではむしろ単なる「権力」=「状況定義力」の行使として働いてしまいかねない。

でもね、もう誰かの定義を鵜呑み=内面化して生きることはできない、と私は考えます。
関係する機関や東電、研究者のみなさんにはしっかりしたデータを公表しつづけてほしい。

私達は素人ではあっても、世界と向き合って生きていかねばならない。
そういうことを、この二ヶ月で学んだような気がするのです。



5月28日(土)のこと「スマホの住所録が全て消える恐怖」

2011年05月30日 02時06分55秒 | 大震災の中で
携帯からスマートフォン(iPhone4)に買い換えて1年弱、毎日便利に使っていました。

最近ではPCを使う頻度が減り、wi-fiでサクッと検索やHP閲覧が可能なスマホ頼みの生活パターンが定着していた……のですが、ついに来ました、恐ろしいその時が。

土曜日の午後、出先でiPhoneを取り出したところ、なんだか動作がよろしくない。
メモリ管理ソフトがメモリ解放をしようとすると落ちてしまう。

で、いったんresetをかけて動きを試そうと、ボタン二つを長押しして再起動をかけたら、なんと、

「起動パスワードの画面が一瞬出てはアップルマークに戻る」

という動作を延々と無限に繰り返し始めたのです!

最初は
「ああ、スマートフォンはPCだからね、実質。もう一回リセットしろってことかい」
ぐらいに考えていたのですが、何度やっても同じ状態。

しだいに手の中に冷たい汗がにじんできました。

「バックアップって、最後に取ったのいつだっけ?」
「そういえばいつもつなぐと自動的に「同期」してたけど、もしかして今度つないだらバックアップも変になっちまうの?」
「ってか、旅先で立ち上がらないと、誰にも連絡取れない……家族の電話番号さえ実は知らないし……」
「というより、このまま立ち上がらないと結局初期化するしかない?」

しだいに本体が熱を持ち始め、いよいよやばい匂いがしてきたため、市内のsoftbankショップに持ち込んで見てもらうことに。

係の人は、ちょっと様子を見た後、やはり
「バックアップは取っておられますか?」
と当然の質問。
「え、なんか自動的に同期とかしてたみたいなんですけど、あれってバックアップなんでしたっけ?」
「お客様のituneの設定によるかと思いますが」
「はあ、今旅先で分からないんですが」
「そうですか。リセットで立ち上がらないということになりますと『復元』つまり初期化が必要になります」
「初期化って、中身のデータが無くなるってことですよね?」
「そうなります」
「でも、そうしないと立ち上がらないんですよね?」
「はい。」

「それでもダメなときには、もうデータは無くなるってことですよね(二度目の確認)」
「そうなります(二度目の返答)」

「でもしょうがないですよね、第一立ち上がらないんですから」
「そうですねぇ(三度目の返答、気の毒そうに)」

PC歴は長いので、パソコンのデータバックアップはHDDに何種類か取ってあります。肝心なものはクラウドにも置いてあります。一部のデータは紙に打ち出したり、CDやDVDに焼いてもありました。

スマホは自由度が高いんだから、携帯と違ってPCと同じデータの扱いだ、なんてことは、言われなくても分かっていてよさそうなものなのに、ついつい携帯的に考えてしまっていたのです。

で、iPhone4のせいとまでは言わないけれど、なんとなく、自分でデータを引き抜いて保存する(住所録など)手立てが簡単には見つからないまま、放っておいたのが現状でした。

「じゃあ復元=初期化してよろしいですか」
「しょうがないですよね?ねぇ。はあ。じゃ、やってください」

もう絶望的というか、どうにでもなれ的感じになりつつありました。

祈りつつ、待つこと数分。

「お客様、なんだか立ち上がったみたいなんですが、PWを入れてみてください」
の声。

なんと、初期化前にお店のお嬢さんがセットをかけたら、たまたま偶然立ち上がったのでした。

あとはこのまま家に戻って、バックアップを確認してから、ということになり、

「うまくいくといいですね」
とお店のお嬢さんに励まされて店を出ました。

ふぃぃ。
「でもさ、オレ、励まされてる場合じゃねんじゃね?」


そして翌日。
自宅に戻ってPCにiPhoneをつないだら、なんだか自動的に「同期」が始まっているもよう。

同期はバックアップではないのか?
仮に既に内部データがおかしくなっていたらこれってダメだよなあ、いう危惧ももちつつ、いやデータだけを取りだすんだろうから大丈夫じゃないか、と根拠なく自分を励ましつつ。

その後、緊張しながら初期化してOSを最新に直し、バックアップから戻してみると、結局なんのこともなく動き続けるではありませんか。

もう怖くてリセットはできません。
iPhoneは本当に便利だけれど、ituneのバックアップデータがそのままでは参照できず、自分で取り出せないため大層不安です。

アンドロイドだったら住所録データをPC側でテキストベースで閲覧変更保存とかできるんだろうか?
携帯電話を必要最低限プランで、バックアップ用にもう一台もつべきか?
など、心が千々に乱れる週末でした。

とにかくiPhone内部の住所録データを取り出しせるようなソフトを明日探してみなければ。