龍の尾亭<survivalではなくlive>版

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5月13日(金)のこと<昨日の愚痴がきこえたみたい>

2011年05月13日 22時30分05秒 | 大震災の中で
今日、職場に人員加配検討の話が来ました。どうなるかは分からないけれど、検討してもらえるのとそうでないのとは全く違いますから。

愚痴が聞こえたかな?

結局いろいろ追いつかないのが被災という現状なんだよね、きっと。

いろいろがんばるんだけれど、どこまで頑張ればいいのか、だんだん見当がつかなくなってくるのです。
誰かに何かをしてほしいという感じはあんまりなくて、自分たちでなんとかできるもの、あるいは忍耐で乗り切れることは、なんとかしてしまいたい気持ちになります。
でも、気がつくと頑張りがきかなくなっていそうで怖い。

特にふつうじゃないときは、ぼちぼち行くのが一番ですね。

先月、体調不良で断念した温泉旅行を再チャレンジです。

なんだかんだいっても寿命が縮む思いをしたので、少しはのんびりしたいですね。何年か前、両親を連れて3人で行った温泉に今度は母と二人で。

父親が亡くなって二月ほど。もういなくなった家族なんだけれど「全然いない」ってわけでもないところが面白い。
むしろ、人の不在の方が「断片的」なリアルだったりします。

誰であっても、普段から24時間その人と一緒に過ごしてきた、と言う人はそう多くはあるまい。

だから、家族が死んで居なくなったとはいっても、常に「不在」を意識しているわけではない。

無論、頭ではいないと分かってはいる。

だが、身体に深く刻まれた記憶によって、私たちは時折不意打ちのように、故人がいたときの振る舞いを行動に一瞬蘇らせ、その後に「不在」を再認識させられる。

思わず表情を緩めて隣に同意を求めたとき、戸棚まで歩いていき、無意識に湯飲み茶碗を一つ多く手にしてしまったとき、テレビを見ながらふともういなくなった場所に視線を巡らせてしまうとき、人の「不在」はむしろ、そういう身体的な断片的不意打ちとして意識させられるのだ。

懐かしく思い出すためには、もう少し忘却に沈む時間が必要らしい。まだ私と母の間には、境界線上に佇む父親の痕跡が、時折領域を飛び越してこちら側にやってくる。

そういえば、彼は生きているとき
「死んだら淋しいから化けて出るよ」というたびに、「そんなことできんもんならやってみな」と母に軽く流されていたものだった。

しかし、一人でテレビを観ている母親の背中は、まだ何かぎこちない。それは寂しさ、というのとはちょっと違う。まだ身体的な世界が新たな秩序を未だ纏い得ていない、とでもいう感触だろうか。

「喪に服す」とは、この身体的空間像の組み換えに時間をかける、ということだったのかもしれない。
脳みその無意識に組み上げられた存在感
=「日常性」。
そこにしっかりと根を張った人物像は、ゆっくりと退場していくのだろう。急ぐ理由は何もない。毎日お茶を一緒に飲みながら、少しずつ変化していけばいい。

葬、喪、鎮魂とは、本当に「遅れた」モノたちの心のケアそれ自体なのでした。