弘前は、桜が満開です。
被災してから50日間そうしているつもりはなくてもいつのまにか縮こまっていた身体が、弘前城の桜と屋台を観ながら歩いていると、少しずつほぐれてくるような気がします。
雨上がりの桜はまだお堀に花びらを散らしておらず、しっかりと水面の上すれすれまで満開の花を咲かせていました。
花見だけのために、震災の東北を500キロ縦断するのもためらわれはしましたが、十分意義のある「花見」になりました。
普段なら強烈な渋滞があるはずなのに、今年は桜の目の前の文化センターまでまっすぐ、クルマで街中に入ってこれました。これも震災の影響(おかげ)なのかもしれません。
屋台の中に、仮設の食堂がたくさんでていて、屋根のかかった店の中はかなり奥行きのがあり、テーブル席と座敷で、何十人も宴会ができそうです。
それが花見用のいかにも仮設の焼鳥屋さんといった雰囲気ではなく、ごくふつうの食堂が城の祭りに転居してきた趣きがあり、なんだか不思議な感じがします。
いわゆる食品見本まで外には並んでいるのですから。
そう、小説『津軽百年食堂』(最近映画にもなったのかな?)さながら、でした。
弘前という街が好きで、つい、時間があるとこのまちまで500キロをクルマで飛ばしてやってきてしまいます。
なぜだかはわかりません。
老後を過ごすなら、もはや叶わなくなった夜の森公園そばの代わりに、弘前公園の近傍が第一希望になりました。
桜が好きだ、とは必ずしも思わない。
第二希望は阿蘇山だから、山が好きなのかもしれません。平地に岩木山がすっくと立っているのが安心できるのかもしれません。
いや、安心が第一義では無いのかな。なかなか理由を考えるのも難しい(笑)
ともあれ、3/11以降、初めて震災から離れる一時を得ました。
被災してから50日間そうしているつもりはなくてもいつのまにか縮こまっていた身体が、弘前城の桜と屋台を観ながら歩いていると、少しずつほぐれてくるような気がします。
雨上がりの桜はまだお堀に花びらを散らしておらず、しっかりと水面の上すれすれまで満開の花を咲かせていました。
花見だけのために、震災の東北を500キロ縦断するのもためらわれはしましたが、十分意義のある「花見」になりました。
普段なら強烈な渋滞があるはずなのに、今年は桜の目の前の文化センターまでまっすぐ、クルマで街中に入ってこれました。これも震災の影響(おかげ)なのかもしれません。
屋台の中に、仮設の食堂がたくさんでていて、屋根のかかった店の中はかなり奥行きのがあり、テーブル席と座敷で、何十人も宴会ができそうです。
それが花見用のいかにも仮設の焼鳥屋さんといった雰囲気ではなく、ごくふつうの食堂が城の祭りに転居してきた趣きがあり、なんだか不思議な感じがします。
いわゆる食品見本まで外には並んでいるのですから。
そう、小説『津軽百年食堂』(最近映画にもなったのかな?)さながら、でした。
弘前という街が好きで、つい、時間があるとこのまちまで500キロをクルマで飛ばしてやってきてしまいます。
なぜだかはわかりません。
老後を過ごすなら、もはや叶わなくなった夜の森公園そばの代わりに、弘前公園の近傍が第一希望になりました。
桜が好きだ、とは必ずしも思わない。
第二希望は阿蘇山だから、山が好きなのかもしれません。平地に岩木山がすっくと立っているのが安心できるのかもしれません。
いや、安心が第一義では無いのかな。なかなか理由を考えるのも難しい(笑)
ともあれ、3/11以降、初めて震災から離れる一時を得ました。