5月1日(日)のこと
千葉県のホキ美術館に行ってきた。
写実絵画中心の絵画の感想はこちら。
メディア日記「ホキ美術館を訪ねて」
(http://blog.foxydog.pepper.jp/)
震災から1ヶ月、父の死から40日経ち、久しぶりに「教養・娯楽」に目がいった。
「フーコー再考」の講座(4/30朝日カルチャーセンターin 新宿)の帰りである。
考えてみると、大震災からこのかた、本をほとんど読んでいなかった。
「読むべきものは目の前の現実」
だったわけだ。その過程で、目の前の現実を「読む」ためには、経験している断片だけでは足りない、ということも知った。
自分も被災者の端くれだが、自分の生活で「被災」を実感することはできるけれど、それは「大災害」のごくごく一部の断片でしかない。共通性は持つし、その時空間を共有し、それなりの体験をしてはいるけれど、そんなものはどうってことはないレベルのものだ。
むろん、「悲惨なのはどっち?」という競争をしても始まらない。
とすれば、「情報戦」が勝負になる。事件を情報において捉え直し、他人の分析を分析し、言説の匂いをかぎわけ、多層多岐にわたる「本当らしさの散乱状態」を泳ぎ抜けて行かねばならない。その上「真実の向こう岸」はどこにもない、と来ている。
本など悠長に読んでいる暇はなかった。
いや、こういう非常時に書見をじっくりできるぐらいの「肝っ玉」があれば、こんな風な「多動児」にはもともと育っていないわけで(苦笑)。
まあ、多動児には多動児の流儀がある。
というわけで、見聞きしたこと、というより、不足と過多が同時進行する情報の嵐の中を、生き延びるために、妄想や空想、感想をとりまぜて日記を書き続けてきた。
ようやく、一定程度距離が取れるようになった、ということだろうか。
とはいえ、未だに水もこない避難所が私の職場のすぐ近くにはある。
自分だけが余裕かましていていいのか懺悔気分は当然ある。
そこはぐっと乗り越えて「遊び」に出た。
遊びに出るにも「大震災」には縛られている。
当然だ。スティグマを身に受けるとはそういうことだ。
この感覚は、必ずしも「フクシマ」や「東日本」の地域だけのものではおそらくないだろう。
「どっちが大変か競争」
をするのでなければ、大なり小なり日本人の多くが、そしてもう大風呂敷を広げれば、世界中の人々が、幾分かは他人事感覚であっても、どこかで「傷」を受けたのだと言い切ってそうははずしていないと思う。
私もまた、水も電気も復旧し、家もとんだ瓦を捨ててビニールシートになったものの、そして犬は揺れるたびにキャンキャン吠えるようになったものの、日常が戻って来つつある。
そういう意味ではもう前(元?)被災者みたいなものだ。
しかし、戻ってきているのは「忘却装置」が作り出した幻影としての「日常性」ではない。
スティグマを受けた、という大げさな、ほとんど誤用に近い表現を敢えてしているのは、そこを敢えて「特別な傷」として捉え直すことで、しばしの間「忘却装置」の作動に乱れを作り出したいがためである。
娯楽や教養も、そういう意味に変わってしまっった。
以前は娯楽は日常の面倒や困難、うさを忘れて、その結果として日常への回帰や適合をよりスムーズにする「機能」として了解されていた側面がある。
また、教養も世界解釈の提示によって、理解を深め、結果としては不適応も含めた「適応」をコーディネートする「役割」を自分の中で担ってきたところがある。
しかし、絵を観ていて、桜を観ていて、その役割が私の中で確実に変化しているのを感じる。
これは「個人的な体験」になのかもしれない。思い込みの結果にすぎないといえば言える。
しかし、この「思い込み」=断片的な観念には、ある種の「普遍」が埋め込まれた「断片」としての感触もあるのだ。
そこを考えて、考え続けていきたい。
まちがっても、エンタメやムダ知識・自己満足的教養にも意義がある、なんて物騒な話じゃありません。
全てが裂け目を通してしか感得できないという「強迫症状」、という見方もできる。
適応を宗とする治療ならそういうのかな。
しかし、治療なんぞは無用。
だって、みんながかかった病気は病気じゃないわけだし。
ただ、みんながかかっているのにかかっていないと多くの人が言い張る場合と、
みんなかかっていないのにみんなが罹患したと少数が言い張る場合と、
どう区別するかは、「真実」だけ考えていると見えなくなる。
今は、そういう「情報戦争」の中で、受けた傷を抱えながら生き抜いていかねばならない、比喩的には「戦闘状態」に陥っているとも言える。
ここでの「戦闘状態」の比喩のカギ括弧を外す作業をしておくと、それは私の定義では
「人為と人為の間に人の命がこぼれ落ちる状態」
ということになる。
それを「人為」で捉え直そうとすればするほど、命がこぼれ落ちる量と速度が速まっていくアポリア。
だから、原発事故は「人為」=&≠「自然」というねじれた関係だけれど、それを「人為」だけに押し込めようとすると、擬似的な「戦争状態」が起こる、と言う分析にも必然的になるわけだ。
そういうことは、TVは教えてくれない。写実絵画は教えてくれる。
そういうことを、新聞は教えてくれない。大澤VS萱野の対談は教えてくれる。
そういうことなら、雑誌は教えてくれない。弘前の目の前の桜と、観られなかった富岡の桜のつながりは教えてくれる。
そう、富岡の桜と、弘前の桜は、「フクシマ」の原発と「ロッカショ」の処分場の地下茎で繋がっていたのだ。
なんでも震災震災原発原発いいやがって状態、になっているだろうか。
そうかもしれない。なにせスティグマですから(笑)。
でもね、とりあえずは裂け目をしばらく固定することも必要なんだと思う。
それは
「原発を巡礼地にする」(國分功一郎)
って発想にも繋がっていると思います。
そのミニアチュアとしての聖痕。
「原発事故聖痕跡バッチ」とか売り出す……ってのはいくらなんでも不謹慎ですよねえ、はい。
すみません。そういうことを言っているから父親には生きているときに
「おまえほど当てにならんものはない。真面目に人の話を聞け」
といって空手チョップをされてました。
父親はある半面では真面目な人でしたから。
でも、自分が受けた傷に、どんな形で瞳を凝らすか、はその後を大きく分けると思う。
その手応えに間違いはないのです。
「あなた」は、この「聖痕」に、どんな角度から、どんな風に瞳を凝らして何を見分けていきたいですか?
それとも「傷」はただの「傷一般」ですか?それとも「傷」なんて言説の網の目をかぶせられてくないですか?
では、どんな言説の網の目をかぶせられたいですか?それとも、何一つ定義されたくはないですか?
そんなことを、何も分からないけれど、もう少し書きつつ考えていきたいです。
相変わらずまとまりがないけれど、とにかくメモを続ける、のが第一目的なもので。
ではまた。
千葉県のホキ美術館に行ってきた。
写実絵画中心の絵画の感想はこちら。
メディア日記「ホキ美術館を訪ねて」
(http://blog.foxydog.pepper.jp/)
震災から1ヶ月、父の死から40日経ち、久しぶりに「教養・娯楽」に目がいった。
「フーコー再考」の講座(4/30朝日カルチャーセンターin 新宿)の帰りである。
考えてみると、大震災からこのかた、本をほとんど読んでいなかった。
「読むべきものは目の前の現実」
だったわけだ。その過程で、目の前の現実を「読む」ためには、経験している断片だけでは足りない、ということも知った。
自分も被災者の端くれだが、自分の生活で「被災」を実感することはできるけれど、それは「大災害」のごくごく一部の断片でしかない。共通性は持つし、その時空間を共有し、それなりの体験をしてはいるけれど、そんなものはどうってことはないレベルのものだ。
むろん、「悲惨なのはどっち?」という競争をしても始まらない。
とすれば、「情報戦」が勝負になる。事件を情報において捉え直し、他人の分析を分析し、言説の匂いをかぎわけ、多層多岐にわたる「本当らしさの散乱状態」を泳ぎ抜けて行かねばならない。その上「真実の向こう岸」はどこにもない、と来ている。
本など悠長に読んでいる暇はなかった。
いや、こういう非常時に書見をじっくりできるぐらいの「肝っ玉」があれば、こんな風な「多動児」にはもともと育っていないわけで(苦笑)。
まあ、多動児には多動児の流儀がある。
というわけで、見聞きしたこと、というより、不足と過多が同時進行する情報の嵐の中を、生き延びるために、妄想や空想、感想をとりまぜて日記を書き続けてきた。
ようやく、一定程度距離が取れるようになった、ということだろうか。
とはいえ、未だに水もこない避難所が私の職場のすぐ近くにはある。
自分だけが余裕かましていていいのか懺悔気分は当然ある。
そこはぐっと乗り越えて「遊び」に出た。
遊びに出るにも「大震災」には縛られている。
当然だ。スティグマを身に受けるとはそういうことだ。
この感覚は、必ずしも「フクシマ」や「東日本」の地域だけのものではおそらくないだろう。
「どっちが大変か競争」
をするのでなければ、大なり小なり日本人の多くが、そしてもう大風呂敷を広げれば、世界中の人々が、幾分かは他人事感覚であっても、どこかで「傷」を受けたのだと言い切ってそうははずしていないと思う。
私もまた、水も電気も復旧し、家もとんだ瓦を捨ててビニールシートになったものの、そして犬は揺れるたびにキャンキャン吠えるようになったものの、日常が戻って来つつある。
そういう意味ではもう前(元?)被災者みたいなものだ。
しかし、戻ってきているのは「忘却装置」が作り出した幻影としての「日常性」ではない。
スティグマを受けた、という大げさな、ほとんど誤用に近い表現を敢えてしているのは、そこを敢えて「特別な傷」として捉え直すことで、しばしの間「忘却装置」の作動に乱れを作り出したいがためである。
娯楽や教養も、そういう意味に変わってしまっった。
以前は娯楽は日常の面倒や困難、うさを忘れて、その結果として日常への回帰や適合をよりスムーズにする「機能」として了解されていた側面がある。
また、教養も世界解釈の提示によって、理解を深め、結果としては不適応も含めた「適応」をコーディネートする「役割」を自分の中で担ってきたところがある。
しかし、絵を観ていて、桜を観ていて、その役割が私の中で確実に変化しているのを感じる。
これは「個人的な体験」になのかもしれない。思い込みの結果にすぎないといえば言える。
しかし、この「思い込み」=断片的な観念には、ある種の「普遍」が埋め込まれた「断片」としての感触もあるのだ。
そこを考えて、考え続けていきたい。
まちがっても、エンタメやムダ知識・自己満足的教養にも意義がある、なんて物騒な話じゃありません。
全てが裂け目を通してしか感得できないという「強迫症状」、という見方もできる。
適応を宗とする治療ならそういうのかな。
しかし、治療なんぞは無用。
だって、みんながかかった病気は病気じゃないわけだし。
ただ、みんながかかっているのにかかっていないと多くの人が言い張る場合と、
みんなかかっていないのにみんなが罹患したと少数が言い張る場合と、
どう区別するかは、「真実」だけ考えていると見えなくなる。
今は、そういう「情報戦争」の中で、受けた傷を抱えながら生き抜いていかねばならない、比喩的には「戦闘状態」に陥っているとも言える。
ここでの「戦闘状態」の比喩のカギ括弧を外す作業をしておくと、それは私の定義では
「人為と人為の間に人の命がこぼれ落ちる状態」
ということになる。
それを「人為」で捉え直そうとすればするほど、命がこぼれ落ちる量と速度が速まっていくアポリア。
だから、原発事故は「人為」=&≠「自然」というねじれた関係だけれど、それを「人為」だけに押し込めようとすると、擬似的な「戦争状態」が起こる、と言う分析にも必然的になるわけだ。
そういうことは、TVは教えてくれない。写実絵画は教えてくれる。
そういうことを、新聞は教えてくれない。大澤VS萱野の対談は教えてくれる。
そういうことなら、雑誌は教えてくれない。弘前の目の前の桜と、観られなかった富岡の桜のつながりは教えてくれる。
そう、富岡の桜と、弘前の桜は、「フクシマ」の原発と「ロッカショ」の処分場の地下茎で繋がっていたのだ。
なんでも震災震災原発原発いいやがって状態、になっているだろうか。
そうかもしれない。なにせスティグマですから(笑)。
でもね、とりあえずは裂け目をしばらく固定することも必要なんだと思う。
それは
「原発を巡礼地にする」(國分功一郎)
って発想にも繋がっていると思います。
そのミニアチュアとしての聖痕。
「原発事故聖痕跡バッチ」とか売り出す……ってのはいくらなんでも不謹慎ですよねえ、はい。
すみません。そういうことを言っているから父親には生きているときに
「おまえほど当てにならんものはない。真面目に人の話を聞け」
といって空手チョップをされてました。
父親はある半面では真面目な人でしたから。
でも、自分が受けた傷に、どんな形で瞳を凝らすか、はその後を大きく分けると思う。
その手応えに間違いはないのです。
「あなた」は、この「聖痕」に、どんな角度から、どんな風に瞳を凝らして何を見分けていきたいですか?
それとも「傷」はただの「傷一般」ですか?それとも「傷」なんて言説の網の目をかぶせられてくないですか?
では、どんな言説の網の目をかぶせられたいですか?それとも、何一つ定義されたくはないですか?
そんなことを、何も分からないけれど、もう少し書きつつ考えていきたいです。
相変わらずまとまりがないけれど、とにかくメモを続ける、のが第一目的なもので。
ではまた。