龍の尾亭<survivalではなくlive>版

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いわきFCの応援とキャンプ、それに読書の日々をメモしています。

美術館を訪ねて

2011年05月04日 22時35分20秒 | 大震災の中で
5月1日(日)のこと
千葉県のホキ美術館に行ってきた。
写実絵画中心の絵画の感想はこちら。
メディア日記「ホキ美術館を訪ねて」
http://blog.foxydog.pepper.jp/


震災から1ヶ月、父の死から40日経ち、久しぶりに「教養・娯楽」に目がいった。
「フーコー再考」の講座(4/30朝日カルチャーセンターin 新宿)の帰りである。

考えてみると、大震災からこのかた、本をほとんど読んでいなかった。

「読むべきものは目の前の現実」

だったわけだ。その過程で、目の前の現実を「読む」ためには、経験している断片だけでは足りない、ということも知った。
自分も被災者の端くれだが、自分の生活で「被災」を実感することはできるけれど、それは「大災害」のごくごく一部の断片でしかない。共通性は持つし、その時空間を共有し、それなりの体験をしてはいるけれど、そんなものはどうってことはないレベルのものだ。

むろん、「悲惨なのはどっち?」という競争をしても始まらない。

とすれば、「情報戦」が勝負になる。事件を情報において捉え直し、他人の分析を分析し、言説の匂いをかぎわけ、多層多岐にわたる「本当らしさの散乱状態」を泳ぎ抜けて行かねばならない。その上「真実の向こう岸」はどこにもない、と来ている。

本など悠長に読んでいる暇はなかった。
いや、こういう非常時に書見をじっくりできるぐらいの「肝っ玉」があれば、こんな風な「多動児」にはもともと育っていないわけで(苦笑)。

まあ、多動児には多動児の流儀がある。
というわけで、見聞きしたこと、というより、不足と過多が同時進行する情報の嵐の中を、生き延びるために、妄想や空想、感想をとりまぜて日記を書き続けてきた。

ようやく、一定程度距離が取れるようになった、ということだろうか。
とはいえ、未だに水もこない避難所が私の職場のすぐ近くにはある。
自分だけが余裕かましていていいのか懺悔気分は当然ある。
そこはぐっと乗り越えて「遊び」に出た。
遊びに出るにも「大震災」には縛られている。
当然だ。スティグマを身に受けるとはそういうことだ。

この感覚は、必ずしも「フクシマ」や「東日本」の地域だけのものではおそらくないだろう。
「どっちが大変か競争」
をするのでなければ、大なり小なり日本人の多くが、そしてもう大風呂敷を広げれば、世界中の人々が、幾分かは他人事感覚であっても、どこかで「傷」を受けたのだと言い切ってそうははずしていないと思う。

私もまた、水も電気も復旧し、家もとんだ瓦を捨ててビニールシートになったものの、そして犬は揺れるたびにキャンキャン吠えるようになったものの、日常が戻って来つつある。
そういう意味ではもう前(元?)被災者みたいなものだ。

しかし、戻ってきているのは「忘却装置」が作り出した幻影としての「日常性」ではない。
スティグマを受けた、という大げさな、ほとんど誤用に近い表現を敢えてしているのは、そこを敢えて「特別な傷」として捉え直すことで、しばしの間「忘却装置」の作動に乱れを作り出したいがためである。

娯楽や教養も、そういう意味に変わってしまっった。
以前は娯楽は日常の面倒や困難、うさを忘れて、その結果として日常への回帰や適合をよりスムーズにする「機能」として了解されていた側面がある。
また、教養も世界解釈の提示によって、理解を深め、結果としては不適応も含めた「適応」をコーディネートする「役割」を自分の中で担ってきたところがある。
しかし、絵を観ていて、桜を観ていて、その役割が私の中で確実に変化しているのを感じる。

これは「個人的な体験」になのかもしれない。思い込みの結果にすぎないといえば言える。

しかし、この「思い込み」=断片的な観念には、ある種の「普遍」が埋め込まれた「断片」としての感触もあるのだ。
そこを考えて、考え続けていきたい。

まちがっても、エンタメやムダ知識・自己満足的教養にも意義がある、なんて物騒な話じゃありません。

全てが裂け目を通してしか感得できないという「強迫症状」、という見方もできる。
適応を宗とする治療ならそういうのかな。
しかし、治療なんぞは無用。

だって、みんながかかった病気は病気じゃないわけだし。
ただ、みんながかかっているのにかかっていないと多くの人が言い張る場合と、
みんなかかっていないのにみんなが罹患したと少数が言い張る場合と、
どう区別するかは、「真実」だけ考えていると見えなくなる。
今は、そういう「情報戦争」の中で、受けた傷を抱えながら生き抜いていかねばならない、比喩的には「戦闘状態」に陥っているとも言える。

ここでの「戦闘状態」の比喩のカギ括弧を外す作業をしておくと、それは私の定義では
「人為と人為の間に人の命がこぼれ落ちる状態」
ということになる。
それを「人為」で捉え直そうとすればするほど、命がこぼれ落ちる量と速度が速まっていくアポリア。
だから、原発事故は「人為」=&≠「自然」というねじれた関係だけれど、それを「人為」だけに押し込めようとすると、擬似的な「戦争状態」が起こる、と言う分析にも必然的になるわけだ。

そういうことは、TVは教えてくれない。写実絵画は教えてくれる。
そういうことを、新聞は教えてくれない。大澤VS萱野の対談は教えてくれる。
そういうことなら、雑誌は教えてくれない。弘前の目の前の桜と、観られなかった富岡の桜のつながりは教えてくれる。

そう、富岡の桜と、弘前の桜は、「フクシマ」の原発と「ロッカショ」の処分場の地下茎で繋がっていたのだ。

なんでも震災震災原発原発いいやがって状態、になっているだろうか。
そうかもしれない。なにせスティグマですから(笑)。
でもね、とりあえずは裂け目をしばらく固定することも必要なんだと思う。
それは
「原発を巡礼地にする」(國分功一郎
って発想にも繋がっていると思います。
そのミニアチュアとしての聖痕。

「原発事故聖痕跡バッチ」とか売り出す……ってのはいくらなんでも不謹慎ですよねえ、はい。
すみません。そういうことを言っているから父親には生きているときに
「おまえほど当てにならんものはない。真面目に人の話を聞け」
といって空手チョップをされてました。
父親はある半面では真面目な人でしたから。

でも、自分が受けた傷に、どんな形で瞳を凝らすか、はその後を大きく分けると思う。
その手応えに間違いはないのです。

「あなた」は、この「聖痕」に、どんな角度から、どんな風に瞳を凝らして何を見分けていきたいですか?
それとも「傷」はただの「傷一般」ですか?それとも「傷」なんて言説の網の目をかぶせられてくないですか?
では、どんな言説の網の目をかぶせられたいですか?それとも、何一つ定義されたくはないですか?

そんなことを、何も分からないけれど、もう少し書きつつ考えていきたいです。
相変わらずまとまりがないけれど、とにかくメモを続ける、のが第一目的なもので。
ではまた。



5月4日水曜のこと(子どもみたいで恐縮だけれど)

2011年05月04日 19時59分24秒 | 大震災の中で
子どもみたいな発想で恐縮だけれど、災害復興に関わるヒトは、東電の社長でも首相でも官房長官でも、避難所暮らしを体験的にでいいから、やってみた方がいいのじゃないか、と思う。

衣食住全てを他者に依存し、プライベートの欠片もない状態。
そして、被災地内の避難所では、電気が届かない、水が出ない(トイレもいまだに仮設)という場所もある。
そういうことを目の当たりにして時間を過ごしてみるべきなんじゃないかなあ。

起こってしまったことは取り返しが付かないけれど、そういう体験をすると、離れていても体験のつながりを導きの糸にしながら、被災地のヒトの「生活の復興」の意味をふかいところでくみ上げていけるようにはなるんじゃないか。

戦争体験とは違う。戦後よくそういうことをいうおじいちゃんたちに私は違和感を抱いていた。
「今の若い者も戦争を経験してみればいいんだ」
「軍隊がなくなったから軟弱になった」
みたいなじいさんのたわごとを聞くたび、うんざりしたものだった。
戦争は「人為」の究極だから、「人為」と「人為」がぶつかり合い、その隙間に命がこぼれ落ちていく作業だから。
そんなものを再度体験する必要はない。
それじゃあ、まるで
「放射能をおまえも浴びてみろ」
ってなレベルの話になってしまう。

でも、避難所は違う。

当たり前の人々が否応なく体験する「非常の時空間」だ。

これは、為政者として、経営者として「体験」すべき範囲なんじゃないか。
放射能を浴びろとは言わない。津波にのまれてみろとは言わない。
放射能を明日止めろっていったって、社長だろうが神様だろうが首相だろうが、無理。

でも、避難所には泊まれると思うよ。

天皇が膝を屈して避難民の一人一人に耳を傾けてから、社長と首相の表情や振る舞いが変わったように思うのは私だけか。
宗教的・文化的・政治的装置として天皇は別物だから、比較するのはどうかと思う。

だから比較して批判されるのは社長にとっても首相にとっても不本意だと思うけれど、「人為」だけを背負って立っているみたいな「論理」を振りかざして武装してちゃ、この事態はトップとしては乗りきれないってことだと思う。
菅首相は表情に「理」が勝ちすぎているから、「降ろし」の対象にまでなっちゃうんだろうね。

「人為」の代表選手である今の政治家、誰がやってもこの1ヶ月はその人なりの不足が露呈したと思うけどなあ。

ここからはでも、違う。
事態が起こった後から、手遅れになって「知」は立ち上がってくる。これは判断の範囲内だろう。
政治家は「誰でもいい」
っていうのも情けないが、
「あの人でなくちゃ」
と一国の政治が個人に還元される雰囲気は個人としてもっと怖い。
「誰でも不足なのだ」
ということを深く認識した上で、為政者を選ぶ「退廃」に、今こそ私達は耐えてでも、事態をきちんと見つめ、判断していかなければ。
きちんっと、ってのがこれまた難しいんだけどさあ。
誰の主張する「真理」を選ぶか、っていうのも選びようがないけれど、キャラクタで選ぶのも怖い。

「誰かに選択を委ねておいて、そいつが間違ったら文句をいって首をすげ替える」
ような「民主主義的退廃」に耐える(上野千鶴子)だけではなく、自分たちも「人為」と「自然」の関係について、自立を目指す身振りが必要なんだろうね。

地域の自立。

思いがけない形で、東日本の「くにぐに」は、「聖痕」を背負わされ、、みずからの自立、つまり「地域の声を形にする」ということをしていく「チャンス」というかしていかざるをえないところに追い込まれた。

お金だけをねだっていると、また補助金ドーピング=麻薬的依存効果という負のスパイラルに陥り、未来の原発増設だけを「ビジョン」にするしかないようなところに追い込まれる。

貧乏でも、漁港の魚が食べられ、それをみんなに喜んで食べてもらえる。地元の桜をみんなが花見し、たくさんの地域からそれを愛でる人たちが集う。

水道・ガス・電気・道路・スーパーの日用品&食材流通・入院できる病院・救急患者の搬送ができる
そういう基本的な社会的基盤の成立と、その社会基盤に参加できるだけの最低限の雇用・保障・老人保健福祉施設

そういった共有しなければならない社会の基盤をどこまで再生していくのか。いけるのか。

「私的所有権を一部制限してでも、復興を優先にしなければならない」
という半面の真実と同時に、どこまでを強制的にではあっても共有するのか、どこからどのレベルで誰にバトンを委ねるのか。
仮設住宅の建設一つをとっても、難しい条件を解きほぐしながらの模索が続いているとの報道も。

でも、部分化できることは分散化し、様々なおもしろさを「てんでんこ」にやれる場所が地方にできていったらいいと思う。

私は学校のことしか分からないから、その範囲で話をする。
学校に全てのスポーツチームがある必要もない。
うちは野球、あっちはサッカーでもいいのじゃないか。
全ての高校に全ての部活動が揃っている必然性だってないだろう。
地域のクラブチームを支えていければ、学校という組織が学生を丸抱えにしなくてもいい。
これを機会に文化の発信装置としての学校という側面はコストをかけず、スポーツと文化は学校から個に主導権を返していったらいいと思うのだが。

では学校とは何をするところなのか。
「規律訓練」の様態を、現代の学校制度の中で精査しなおすことが急務、ということになるね。
今、文化とスポーツは「個」に主導権を返せばいい、と書いたが、そのあたり、微妙に難しい。
学校が背負うべきものじゃないものまでやっているなあ、とも思う。
このとき生徒の「個人」という概念を、丁寧に見直していく必要がありそうだ。

この項もこれから勉強、です。

地域の自立も個人の自立も、労働力供給装置・電力供給装置・食糧供給装置
として、都会の人々の求めるものを作り続け、提供しつづけてきた。

これって、「植民地化」ですよね、国内における。
植民地時代も、『ナショナリズムの由来』大澤真幸に丁寧な分析があるけれど、植民地の人々は、本国で教育を受けることが植民地の人よりもステータスを高くするもので、本国に搾取され続けているのに憧れ続ける結果になった、という現象が、東北と東京の関係にもある。

東京の構成員の少なからぬ比率は、実のところ東北人で占めている。
流動化した「人口」を管理する権力は、都市に労働力を集約して「成長戦略」を取ってきたのだから。
同時に
肥大化する電力消費を管理する権力は、都市に電力を集約するため、「フクシマ」に放射能装置を配置してきたのだから。

そして問題は、東京にも「東北人」は少なからぬ人数配置されているってことね。
単純に地方と中央の問題じゃなくて、文字通りフーコーが指摘する「人口」の管理、流動化し続ける大量の人を管理し、経済的な発展とそれを結びつけていくことが、この120年、ずっと為されてきたわけで、それは世界中の近代国家全てで同じことが起こってきたし、起こり続けてきた。


だからこそ「フクシマ」における「人為」が裂け目を生じてそこから「自然」がぬっと顔を出したことは、世界的事件になる。
あくまで「人為」こそが「自然の脅威」を生むのであって、その逆では決してない。
もし「人為」のつきつめがなければ、何がおこっても「自然すげー」で終わりである。
あるいはそのまま「神」の仕業の前にひれ伏せばいい。

「神の炎」をいじるまでに成長した「人為」だからこそ、壊滅の裂け目の中に「自然」を見てびっくりたまげ、畏れるのだ。

それなのに、原発事故が世界にとって共通する問題だから、といってしまうと、あたかもそれが産業「テクノロジー」の問題に限定されてしまうように私達は錯覚するだろう。

ここでも忘却装置が働き出す。

それはたしかに「テクノロジー」の問題ではあるけれど、しかし、単なる「経済的」「科学的」[産業的」テクノロジーの問題ではない。

ハイデガーが「テクネー」の問題を提起し、その問題提起を継承フーコーが「知」と「権力」の絡み合ったふくざつな問題として分析した、という大澤真幸のしてきしたポイントは、おそらくここに関わっている。

技術は同時に人間をコントロールする技術なのだ。

マクドナルドの椅子が固いと客の回転率が上がる、とかいったTipsみたいに矮小化(これはこれで大事だけど)して語られたり、「心理学」や「精神病理」の「学問」的な話としてのマインドコントロールだけが人間をコントロールする「テクネー」ではない。

一見部分化されたものとして動いていながら、実は大きな「知」と「権力」の共犯関係というか多層に、また微細な網の目状にからみあいつつ、人の上にあるいは中にあるいは基盤に、不可視の「権力」が作動するシステムとなって、今も動き続けている。

そういう社会のシステムが、この「裂け目」で一瞬動作不能に陥った、ことが「聖痕」の意味だとするなら、私達は、回復や復興を、そのシステムの単なる復旧に終わらせてはなるまい。

「黄昏」なら、それにふさわしい「哲学」の発動のさせ方がある。

そんな思いを改めて深くしている。



その文脈でさらに課題メモを書いておく。

東北の自立→独立。
それは沖縄の日本からの独立、というお話と共に、大震災と原発事故以降、急速にリアリティを増しているテーマだと感じる。

そのためには、独立を支える人材を教育しなければ。
教育の問題でもあるなあ。

あー課題満載だあっ。

「原発は人災だ」というのはそりゃそうなんだけど……。

2011年05月04日 18時34分43秒 | 大震災の中で
5月3日(火)のこと
「原発は人災だ」
というのはそりゃそうなんだけど……。

新聞・週刊誌・月刊誌に、
「原発は人災だ」(前・福島県知事佐藤氏)
「鳴らされていた警鐘・思考停止が生んだ惨事」(日経サイエンス6月号)

という見出しが出るたびに、なんだかなあ、と苦い気持ちになる。

原発事故の被災にあったヒトが、そういうのは分かる。だって、天災だってなったら補償とかされなくなっちゃうもの。
東電が訴訟に際して「想定外の自然災害」を言いつのるも当然だ。会社がなくなっちゃうもの。

だが、負けた政治家や売りたいメディアがそういう見出しを出しても、45%程度の同意しかできない自分がいる。
そんな単純な話じゃねえだろう。

まあ確かに、日本・いや世界のエネルギー政策におけるひとつの「人為」における究極モデルが「原発」だった。
未知の領域でかつ完全にはコントロールしきれないほどの物質たちを、果敢に「人為」がチャレンジしたのが原子力発電なわけで、それが限界を露呈したところで、こういうことをいうと物議を醸すのかもしれないけれど、その限界の露呈自体は「想像力の範囲内」だったと思う。
事実、危険の警鐘を鳴らした人たちは政治的にも科学的にもたくさんいた。
その警鐘を無視して政策は進行した。

だから、この災害は「人為」がもたらした「人災」だ、ということはむしろたやすい。

自分で枠組みを立てた「正しさ」の定義の範囲内で「真理」を語っているのだから。
この災害を止めることができたのに止めなかった。そういう意味でなら「人災」の側面は確かにある。

だが、現実には政治的にその政策を自民党を支持することで推進してきたのは国民一人一人だ。
「フクシマ」だけは絶対的被害者だ、みたいなことを福島県の首長たちは言うのだろうけれど、それはどうかな、と思う。「フクシマ」もまた、補助金や雇用の餌に転んだ面だってあるだろうし、国策としての原子力推進に逆らえば、現地雇用や現地補助金以外での不利益だって考えなければならなかっただろう。

他方逆に、単純にフクシマが原発利益を得ていた側だって言う短絡議論も×、ですよね。六ヶ所村にしても福島第一原発にしても、沖縄にしても、政治にターゲットを決められてしまうと、地元の選択肢はないに等しかった、と思うよ。

加えて、どこぞの愚民政策を重ねられた情報も与えられない不幸で無垢な国民とは違い、その警鐘は国民一人一人が十分にアクセスできる範囲内にあり、行政上その意見を取り入れられることはなかった(だって自民党も民主党も推進だったんだから、行政が反対派、警鐘鳴らす派のヒトの意見をとりいれるわけはない)にしても、私達はそれを「判断」できないほど政府とラブラブだったわけでもなければ、行政に抑圧されてぐうの音も出ないほど追い詰められていたわけでもない。

断っておくが、国民全員がが愚かだった、とかいう「人災論」の裏返しの「総懺悔論」を展開したいのでもありません、念のため。

原子力発電事故なんて、チェルノブイリとスリーマイルしか大規模なものは経験しておらず、それとは違うよ日本の安全レベルは、って聞かされれば「そういうものか」と思うのは「ふつーの市民」としてそんなに極端に「愚か」だとは思わない。

だが、普段起こらないことが起こると、えらいことになるかもね、という「普通の生活者」の感覚は、その「ふつーの市民」は失っていたのかもしれない、とは思うのだ。

かつての「普通の生活者」の感覚なら、自然災害が起こると、「人為」を積み重ねた人間の生活の様相は一変する、ということぐらい、長く生きていれば分かる。年寄りは、そういう記憶を持っていたはずだ。

いつのまにか「ふつーの市民」は、そういう歴史性とか自然と人為の関係における「人為」の限界と、だからこそ「人為」と「自然」がどんな風に幸福な出会いをしたり、不幸なせめぎ合いになったり、圧倒的に「人為」がずたずだになったりすることがある、ということも全て忘却していったのだ。

その「忘却装置」を「日常性」というのなら、そんな「日常性」は要らない。
つまり、「人為」に無限責任を負わせるようなヤツは「バカ」だろう。
そういう「ふつーの市民」を生むのは、法律上のテクニックとしては正しくても、人間として行うべき振る舞いの基準としての「倫理」からみれば不適切(な教育)だったのだと思う。

人々をどう教育するか、どう管理するかという「規律訓練」の課題はだから、きわめて今日的な課題なのですね。
前期フーコーは役に立たないなんて馬鹿なフーコー研究者は退場せよ、と言わぬばかりのお二人(大澤&萱野)の語気荒げた「フーコーをたく的研究者批判」は、首肯させられるものです(ちなみに、名前を聞きたかったなあ、その研究者たちの<笑>)。

もちろん、たいていの一大事の全容は後からしか分からない。
私自身が、そういう「日常」という忘却装置をぶんぶんフル回転させて「ふつーの市民」の幸福を目一杯享受して生きてきたのだ。

そして、「フクシマ」の聖痕を受けてしまった。
参ったなあ、という感じ。
ミネルヴァのフクロウに限らず、全ては後からしか分からないのだね。

前から警鐘を鳴らしていた人たちでさえ、安全派・推進派と「想像力の基盤」は共有していたのですから。

だって、小説ネタになるけれど、仮にこの「フクシマ」の痕跡を受けた私が1年前にタイムスリップし、事前にこの自分の感じたリアルを周りの「ふつーの市民」にいくら説明・啓蒙したとしても、結果は「忘却装置」よって「計算可能性の範囲」に追いやられて、「フツーの市民」は無意識の日常性を暮らしていったに違いない。

「後から-先行していた痕跡を読むしかない」という絶望的な人間の「理性」の限界は、ここにある。

むろん「原発事故は人災だ」と叫ぶヒトがいないのは問題だ。責任追及はがんがんやったらいい。

「人災」の側面は徹底的に議論して「責任」を示し、技術的・政策的・経営的・行政的・政治的な「正解」を目指して、後追いでも我々の文明的・文化的蓄積を重ねて「進化」を目指していくべきだ。

でもさ、「人災」とだけ叫んでことが十分に「真理」として把握できるか、というと、そういうことじゃあねえだろうな、と思う
「人災」という範囲に事態を縮減してしまい、その範囲での「真理」を追及するだけではあきらかに足りない。

同時に、いくら困難であっても「真理」については多面的思考を巡らせ続けていくこともまた、必要なんじゃないか。
もっと「開かれた世界」の仕組みと論理を徹底して瞳に焼き付けたいのだ。

手遅れを身をもって体験した者として。
(「フクシマ」の聖痕という概念も、そういうことから来ています)

範囲を特定して、一本の論理の筋を延ばしていくだけでは、真実には到達できない。

すでに現代の「知」は[権力」とさまざまな形で複雑に絡み合っている。
私達自身が行使している「知」と「権力」の全てが、偏った基盤を共有しつつ、「見えない場所」が偏在=遍在し維持されている、という形で日々(今現在も!)「忘却装置」が働き続けているのだ。

私達はその、「忘却装置」の唸りに耳を凝らし、「見えない場所」を見えるものの「遍在」から瞳を凝らして特定し、裂け目と網の目の関係を洗い出していかねばならない。

そのときの武器は、素朴な「真理」を隠蔽する権力者と無辜な市民という二項軸ではなく、間違いなくフーコーの分析だろう。

思いもかけないところで偏在を発見し、遍在するものに出会う。
そのためには、小さなことがらに刻まれた磁石の磁針の向き(それを「聖痕」と呼んでもよい)に敏感になるべきだろう。
傷ついた痕跡からしか、世界は見えてこない。
失われたものを後付けで跡付けることからしか、知の偏在を踏まえた「偏在する知」の配置図は立ち上がらない。

そう、思う。誰かが忘却を強いている、のではない。
権力者という犯人捜しだけをしていても、ほとんど有効な戦略にはならないのだ。

[知」と[権力]の関係に瞳を徹底的に凝らして、その基盤にある言語的あるいは非言語的な力学の基盤・そこにある決定的な偏在性を見つめ、そのわずかな瞬間ゆらぐズレ・偏差・微細な裂け目に、ありうべき未来の匂いが立ち上がるのを嗅ぎつけたい、そう思う。

届かない裂け目との関係について考え続けていくことが、その「裂け目」を身体に転写させられたわたしたち「フクシマ」の民のつとめなのではないかなあ。


地下茎で繋がった「青森」「フクシマ」「東京」5月2日(月)のこと(その2)

2011年05月04日 17時54分02秒 | 大震災の中で
弘前公園を出て、青森へ向かう。
さすがに弘前の安価なホテルはどこも満員だった。
まあ、当日ネット検索だから、やむを得ない。
青森のホテルは「旧~ホテル」と名前が併記されている、最近身売りしたとおぼしき小さな街中のビジネスホテルだった。
駐車場が2ブロック離れたさらに大通りの向こう側。
弘前の桜が招き寄せた観光客が中心かと思われる。
それにしても1泊朝食付きで4300円とは安い。
30キロ離れているとはいえ、東日本有数の桜の名所。
さらに言えばこのゴールデンウィークにこれほどの量の桜を瞳に焼き付けられるのは日本でもここ青森以外にそうはないだろう。

高速道路も1000円×2で往復可能。走行距離も半端ではない(1000キロ強)が、燃費も13キロ/リッターはいくから、ハイオク160円/リッターでも12,000円ほどの旅費で済む勘定になる。
締めて18000円ちょい。残りを道の駅の新鮮な野菜や果物ショッピングに当てても、20000円でお釣りがくる。

これで東北地方の高速道路が無料、なんてことになったら、土日ごとに温泉巡りをしようかな(^^)/

復興景気だ!
といっても、被災者同士、なんですけどね。

知り合いのテキ屋の息子さんの話によると、震災以降まったく仕事にならず、続けられるかどうかも疑問、ということだった。弘前公園の出店も出店のところの人出も、前回とは比べものにならないぐらい静かだったような気がする。
翌日の十和田も、思いの外屋台店は出ていない。町や商店街、お祭り実行委員会などの自粛が合ったのかどうか分からないが、人出も少ない上に、仕事をするヒトも様々に打撃を受けているのだろう、と思う。

経済的なことと、行政的なこと、自然的なることと、日々の生活の営み。

さまざまな歯車の動きが一端大災害で止まると、逆によく見えてくることがある。
今まで観光地をめぐるときは、ガイドブックのスポットをどれだけ回れるか、が最優先だったり、地元の人の「とっておき情報」を聞いて、素敵なお店に出会うのが楽しみ、にすぎなかった。

今年の花見は、間違いなくそれとは違う。
それはもちろん、被災したヒトのことを想う、ということもあり、自然的なるものの振る舞いをどう受け止めるか、が24時間頭から離れない主題となっているということもあり、自粛とか復興とか、ヒトの営みに関わることも気になるからだ。
それをまとめて言葉にしようとすると、
その土地の「霊」と挨拶を交わすような思い
とでも言うべきなにか、がいつもと違って加わっているように思うのだ。

そこに重ねられるのは、表面上交換されるお金の流通だけではない、離れているのに繋がっている「地下水脈」のイメージでもあり、地域を越えて無慈悲にあまねく降り注ぐ「負」の自然の恵み=慈愛としての放射能や地震・津波のイメージでもある。
むろん、縄文から北前船、近代以後の食糧基地、兵隊供給基地、労働力供給基地、そして電力供給基地、放射能処理の基地として、歴史的・文化的・政治的・経済的な営みがそこにはさらに重なっているだろう。

東北500キロ縦断して出会った青森は、間違いなく「フクシマ」とある部分ではことなり、ある部分では重なっていた。
今年はそれが、見えてきている。

繰り返す。
たとえば青森のこの「人為」=「自然」の営みを、「フクシマ」における「人為」=&≠「自然」というねじれた究極の裂け目の中に放り込まずに済む手立てを、

あるいは私は私自身の名において、
あるいはすでに聖痕を受けた「フクシマ」の名において、
あるいは共に災害を受けた受苦を共有する東北の名において、
あるいは一つではないけれど、共通する基盤をもっとも重ね持つ者たちであることは間違いない日本の名において、
あるいは、「人為」を「自然」と密接に関わり合った営みと考える全世界全ての人間の名において、

今真剣に考えるべきだと思う。
「フクシマ」はもう、遅い。
だが、たとえば青森はまだ間に合うのだ。
「フクシマ」はもう、遅い。
もう遅い、ということにおいてそれは時を前後して超えていく「聖痕」として「未来」を指し示し、照らすだろう。
「フクシマ」はもう、遅い。
でも、たとえば東京はまだ間に合うのだ。

大澤真幸は、阪神・淡路大震災の拡大されたデジャ・ビューとして東日本大震災を受け止める、と語っていた。
鋭敏な社会学者のセンスだろう。

だが、彼ら聡明な人々は「後から、先に」その予感を受け止める。東浩紀の朝日新聞のコメントにもそれを感じる。

私は、「フクシマ」の現場において「聖痕」を抱えた身の上として、その過去を持った身の上として、
裂け目こそがアイデンティティとなった身の上として、

東京はまだ間に合う、と語りたい。

それは予言者気取り、だろうか。宗教者もどき、だろうか。
そう、倫理の問題ではある。その倫理の緊急性や強度を求めていくと、予言者気取りや宗教者もどきの言説を招き寄せる「可能性」は否定できない。
でも、人為が壊滅したその自然と人為との関係性の結果(1000年に一度の結果?)を身に引き受けたものは、声の限りに語ることが必要だろうと思う。

六ヶ所村はまだ間に合うのだ、と。

東京はまだ間に合うのだと。
「フクシマ」と「東京」が「地下茎」で繋がっていたように、原発事故は「フクシマ」と「東京」の水を、空からの飛散放射能という「地下茎」で繋がっていることを指し示した。

それは、比喩ではない。
聖痕の正しい解釈は、すくなくても比喩では語れないのだ。
適切な解釈の可能性はどこにあるのか。
スピノザはそういうことをきちんと考えていたのだよねえ。
さて、スピノザの階段をまた一段上ったことは間違いないのだが、先は長い。