『名も無く豊かに元気で面白く』

読んだ本、ニュース、新聞、雑誌の論点整理、備忘録として始めました。浅学非才の身ながら、お役に立てれば幸いです。

中国が想定する「最悪のシナリオ」、国連を中心の国際秩序「崩壊」2049年まで米国に不戦

2024-11-22 04:36:22 | 日記
ウクライナ侵攻やイスラエル・パレスチナ紛争等の地域紛争によって、国連主導の秩序が脆弱化することを一番恐れているのは中国である。それは長年国連を舞台に展開してきた外交利益が失われる可能性があるからだ。台湾有事の鍵を握るのは、国連主導の秩序がどう転ぶかである。
中国研究者でありインドの国立大学研究フェローの中川コージ氏は中国がアメリカを凌駕する国になることを目指していることをもって、「既存の国際秩序に挑戦する」と解説されることがありますが、これは大きな間違いです。どちらかと言えば、「既存の国際秩序を守り、利用しつくして、その支配の確立に挑戦する」と言った方が適切でしょう。と語る。
国連での代表権を北京中央(中国)が台湾(中華民国)から奪ったアルバニア決議(1971年)以降半世紀、中国は国連を舞台に大きな外交利益を得てきました。中国側は、国連(憲章)のもと、唯一の中国代表であることを喧伝し、「1つの中国」原則というロジックで、多くの国家に対し二カ国間で唯一性を承認させています。
チベット、ウイグル、モンゴルを含む中国の現在の国境線が認められ、国内問題への国際社会からの批判を「内政干渉だ」と突っぱねられるのも、内政不干渉を是とする国連中心の国際秩序の賜物です。
もし、宇露戦争や2023年10月から激化しているイスラエル・パレスチナ間の衝突などで国連の枠組みが揺らぐと、中国は半世紀にわたって投資してきた貴重な「外交資産」を失います。だからこそ、地域紛争が国際秩序に影響を与えることを防ごうと動くのが中国の第一原則です。
現在のところ中国は、宇露戦争に関しては中立化戦略を取り、イスラエル・ハマス間の紛争に関しても「二国家解決」を前提とした中立を表明して、言い換えれば「知らんがな」のスタンスを取っています。国際法違反であるイスラエルの攻撃を非難しない西側諸国を「ダブルスタンダードだ」と攻撃することもあります。
中国メディアの中には「欧米はウイグルを批判するが、ガザに暮らす人々よりはマシだ」などと書く媒体もありました。こうした攻撃も、国連という枠組み、現在の国際秩序が存在する中でこそ生きるものです。
北京中央は中華人民共和国建国百周年にあたる2049年までに米国を凌駕する野心を持っているがゆえに、2040年代までは米国に対して「戦いません、勝つまでは」戦略を継続する見込みです。米中の成長スピードが相対的に中国に有利に推移することを確信し、産業と経済の力で中国の国力が自然に増大し、世界覇権を「実質的に」握れると判断しているのです。
そうした北京中央が想定するシナリオを前提とすれば、日本にとっても関心が高い「中国は台湾をどうしたいのか」についても、自然に想定が見えてきます。
中長期的には、北京中央は中華人民共和国の国力が圧倒的に米国を凌駕した時点で、台湾執政に関与する流れを想定しています(シナリオA)。その場合は国連という組織と、国連中心の国際秩序が続くことが欠かせません。
そのため、国連での中国の影響力に疑問符が付くような行動には慎重になります。過激なアクションを起こさず、待てば待つほど、北京は台湾の執政への関与に軍事力を用いることなく、低コストで近づけると考えているからです。
宇露戦争が短期で収束し、国連中心の秩序が維持されるなら、ロシアが中国に依存することで経済的利得も増し、台湾危機をエスカレートさせる動機は低くなりましたが、侵攻開始から丸2年が過ぎ、イスラエルに対する決議でアメリカが連続して拒否権を行使するような状況にある現在、中国はここから国際秩序がどの方向に動くか注視しているはずです。
もう一つのシナリオは、国際秩序が国連中心からG7を中心とした新秩序にシフトすることです。その場合、台湾の国際的な位置づけが抜本的に変更され、それに伴って台湾人が何らかの外からの圧力(アメとムチ)や影響を受けて仮に独立を望むことになれば、北京中央にとっては平和裏に両岸問題を解決するという選択肢を失うことになり、内政コストと軍事コストが増します。これは北京中央が最も嫌い、警戒する事態です(シナリオB)。
宇露戦争の長期化で、国連主導の秩序が脆弱化する可能性がありました。宇露戦争発生時にG7各国が連携して新たな国際秩序の構築へ動けば、大きな転換となる可能性もあったのですが、今のところはその傾向は消失しています。仮に、今後何らかの大規模な地域紛争が発生し、国連主導の秩序が崩れれば、中国が長年育てた「資産」が埋没コスト化し、何よりも「1つの中国」原則が揺らぎます。
台湾執政に関与できる見込みが薄れると、中華人民共和国の憲法にも記される台湾統治への安定的道筋が崩れ、末端党員や大衆人民に党中央の無謬性(「党中央に失敗はない!」)を証明できなくなります。普通選挙がないからこそ、無謬性の崩壊は党による統治体制を根幹から揺るがし、正統性にイエローカードが突きつけられるわけです。
これは、中国共産党(北京中央)が最も避けたい事態です。北京中央は、党による統治の正統性と無謬性の低下を回避すべく、軍事侵攻を画策する蓋然性が高まります。世界と日本は、現在の「戦狼外交」の比ではない、中国の圧倒的な粗暴化に直面し、台湾有事のエスカレーションへの対処を強いられます。
日本がシナリオBを望むことは、選択肢としては「あり」です。ただし、新国際秩序には莫大な立ち上げコストがかかり、軍事的にリスキーなので、日本がシナリオBに突き進む決断を実際にする必要は、今はありません。しかし政治的な選択肢としてシナリオBが存在しているのを意識するだけで、中国を牽制するカードになる。その意味で「あり」なのです。
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中国の権力闘争が止まらない…「除夕」法定休日に復活「=中国語で発音除習=習近平を除く」

2024-11-22 04:29:06 | 日記
11月4日、湖北省で視察中の習主席は、湖北某所に駐屯の解放軍落下傘部隊を視察した。習主席は地方視察中に解放軍部隊を視察することは往々にあるが、今回の場合、制服組トップの張又侠・中央軍事委員会副主席が習主席を実質上軍から排除して解放軍の掌握に成功したと観察されている中で、習主席の軍視察は大変注目すべき動きである。
10月15日から2日間、習主席は福建省を視察したが、その直前の14日に解放軍がまさに福建省を最前線にして台湾を囲んで軍事演習を行った。にもかかわらず、習主席が福建省視察中に軍の視察も軍との接触もいっさいなかったことは上記記事でも伝えたが、これと比べると、11月4日の解放軍視察はわざとらしくて、何かの特別な政治的意図があることは考えられる。
そこで注目されるのは、習主席の落下傘部隊視察に同伴したのが、中央軍事委員会副主席で解放軍制服組No.2の何衛東氏であることだ。10月30日掲載の「習近平はもうおしまいなのか…中国人民解放軍で『静かなクーデター』!粛清に反抗してとうとう制服組トップが軍を掌握」で伝えたように、何氏は9月13日に北京で開催された安全保障関係の国際フォーラムに参加して以来、9月、10月中には公の場から姿を消して動静はいっさい伝わっていない。 
特に、10月中に軍事委員会副主席の張又侠氏が主宰した二つの軍の重要会議・イベントに、同じ副主席の何氏が連続的に欠席したことはもはや異常事態である。つまり、張氏が「静かな政変」を起こして軍からの習主席排除に成功した中で、主席側近の何氏も一緒に排除されたのではないかとの観測も成り立つのである。
しかし今、約50日間にわたって姿を消して何氏が突如現れて、習主席の落下傘部隊に視察に同伴した。そのことの意味するところは、習主席が側近の何氏と共に、張又侠たちの下剋上の「静かな政変」に対し「上からの政変」を起こして、軍への掌握権を奪い返しに奇襲してきたのではないかと見ることができる。
その際、習主席の「上からの政変」は地方の解放軍部隊への視察から始まったことも興味深い。つまり、軍の中央が張氏たちによって掌握される中で、習主席側は地方からそれを打破する突破口を作り、中央への逆襲に打って出た訳である。
かつての毛沢東時代、文化大革命の前夜、毛沢東が劉少奇一派より中央での発言力を排除された時、まさに地方視察を行なって中央への反撃を開始した。そして奇しくも、当時の毛沢東は湖北省視察の直後に、北京に戻って劉少奇一派打倒の文化大革命を発動した。今、「第二の毛沢東」を目指した習近平は、湖北省視察から、軍の掌握権の奪い返しに動き出した模様であるが、それが成功できるかどうかは、まさにこれからの見どころである。
習主席と解放軍との亀裂が深まる中で、今や政府の長として習主席と対立関係にある李強首相の動向が注目されている。その李強は最近になって再び、「習近平排除」とも思われるような小さな政治行動に出た。
11月12日配信の新華社通信報道によると、李首相は近日、「全国の祭日及び記念日休暇に関する条例を改定する国務院の決定」に署名し、それを実施に移したという。それによって、来年1月1日から、全国の法定休日が2日分増やされる。その中で大変注目されているのは、「除夕」という伝統祭日を法定休日に再び定めたことである。
「除夕」とは、旧正月の元旦の前日のこと、日本の「大晦日」にあたる。それは、中国人にとっては一家団欒の大切な日であって、除夕の夜、家族が集まって「年夜飯」という宴会の食卓を囲むのは遠い昔からの習俗である。従って遠い昔から、除夕の日に(あるいはその前日から)いっさいの仕事をやめて休むのは当たり前のことで不動の習慣であった。そして2008年1月から、除夕は国務院令をもって法定休日にも定められた。しかし、2014年1月から、除夕はどういうわけか、同じ国務院令をもって法定休日から外された。除夕が休日ではなくなるのはおそらく、中国史上初めてのことであろう。その時、国務院は徐夕の休日外しの理由をきちんと説明しなかった。 
それに関する様々な推測が出ていたが、その中の有力説の一つは、2013年3月に中国の国家主席になったばかりの習近平氏が「除夕」を嫌っているからだ、というものである。
実は中国語では、「夕」という単語は習主席の名字の「習」とは全く同じ発音の「Xi」である。「除夕」は中国語で発音すればそのまま「除習=習近平を除く」となる。だから習主席がそれを忌避して除夕を休法定休日から外させた、ということが、民間での「定説」となっていた。
しかし10年後の今になって、李首相が国務院の決定として「除夕」を再び法定休日に指定して昔の伝統を回復させた。当然、李首相としては「除夕」が習近平政権の下で休日から外されたその経緯が分かっているはずだし、「習主席が除夕を嫌う」という広く流布されている民間の言い伝えを全く知らないとは思えない。
もし、李首相が全てを知った上で日この挙動に出たのであれば、これは李首相による一連の「習近平排除」の政治行動の一環として解釈することもできる。どうやら李首相は何の遠慮もなく、「除習」を着々とやって行くつもりのようだ。今後の展開は楽しみであろう。
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