「尾身さんをもう少し黙らせろ。後手後手に見えるじゃないか」国民にとって信頼できる最後のストッパーに対して、あり得ない発言。正に国民の健康を無視し、魂を悪魔に売り渡し、権力にしがみつく自己顕示欲の塊だったのです。
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「実務型」だと聞いていたけれども、まったくそんなことはなかった。菅義偉のことだ。
新型コロナウイルスについて「年末年始で感染状況のベクトルが下向きになると考えていた」、緊急事態宣言の効果は「1カ月で事態改善」と述べるなど、見通しの甘さが方々から指摘されている。おまけにビジネス関係者の入国が「首相の強い思い」によって継続したかと思えば停止になるなど、喋りも意思決定もおろおろしている状態だ。
「尾身さんをもう少し黙らせろ。後手後手に見えるじゃないか」
こうなると、菅がなぜ総理大臣になってしまったのか、「実務型」「影の実力者」という神話はいったい誰が作ったか、そうした疑問が湧いてくる。
「尾身さんをもう少し黙らせろ。政府の対応が後手後手に見えるじゃないか」。週刊文春12月24日号によると、専門家たちが、完全なエビデンスまではないものの、「GoTo」と感染拡大の関連性を指摘することから、分科会の尾身茂会長は「GoTo」も含めて人の動き・接触を控える時期だと何度も政府に言っていると答弁した。それに怒った菅首相は、コロナ担当の西村大臣に上記のように命じたという。
8月、安倍の体調悪化から政局は一気に動き、安倍辞任から総裁選へとなる。すると菅は二階に出馬する旨を伝え、安倍は安倍で「1対1だと石破が岸田に勝つ」、そんな不安にかられて菅の支持にまわる。なにしろ安倍の石破嫌いは尋常でなく、人を「さん」付けで呼ぶことの多い安倍だが、石破茂だけは呼び捨てにし、ときには「あいつはどうしようもない」とコキ下ろすこともあったというほどだ。
このように、二階にそそのかされてその気になって、おまけに「GoTo」で得た自信と、安倍の石破嫌いによって、菅は内閣総理大臣になってしまったのである。
そんな菅に対してSNSでは、「コロナ対策について、他人事のようだ」との批判をよく目にする。日々深刻化していく感染拡大と向き合わずに、「GoTo」ばかりに関心を向け、そのうえ「人類がコロナに打ち勝った証」として東京オリンピックを開催するなどと繰り返すためだ。おまけに緊急事態宣言発令にあたっての記者会見では、説明の最後を「私からの挨拶とさせていただきます」と結婚式の祝辞のような言葉で締める有り様であった。
「説明が足りない」ではなく「説明能力が足りない」
官房長官時代は「全く問題ない」「批判には当たらない」などと、そっけないことを言っていても「鉄壁のガースー」と記者などから内輪褒めされて済まされていた。しかし首相となるとそうはいかない。まして人々の生命や生活を脅かすコロナ禍の最中である。
歴代最長在任日数を誇る安倍元首相に言わせれば、総理大臣とは「森羅万象すべて担当している」のである。これに従えば、すべて自分ごとになるのが総理大臣の職だ。だが菅は、いつまで経ってもコロナ対策を自分ごとにせずにいる。だから記者をはぐらかす話術はあっても、危機に際して、人の心を動かす言葉を持てずにいるままだ。
こうした菅について、官房長官時代の番記者が書いた書籍がある。秋山信一『 菅義偉とメディア 』(毎日新聞出版)だ。秋山は政治部の仕事にやりがいを見いだせずにいたところ、先輩記者から「政治部の記者を観察するつもりでやれば良いじゃないか」と助言される。そうした著者による本書は、いわば菅官房長官の番記者グループへの潜入ルポである。
ここで著者は「菅に説明能力が足りないことは、毎日のように会見に出ている長官番記者なら誰でも知っていることだった」と述べる。ポイントは「説明が足りない」ではなく「説明能力が足りない」と記述していることだ。こうした政治家としての能力不足を知りながら、政治記者たちはそれを隠蔽することに加担してきたと続けている。
「桜を見る会」の招待客名簿の存否が問題になったおりの記者会見でのこと。「調査は今後されるということか」と質問された菅はこう答えた。「して、対応しているということです」。何を言っているのかわからない。別の記者会見での発言から、それは「(既に調査)して、(必要な)対応(を)している」と言いたかったのだとわかる。
このように菅の言葉足らずを記者たちは補ってあげていた。すなわち記者たちは、菅の能力の欠如を取り上げずに、「不足している部分を取材でどう補うか」あるいは「目をつぶって、分かりやすい部分をどう切り取るか」という方向を向いていたと著者は述懐している。
菅は菅で、自分の能力が足りないことをわかっている。だからなおさら番記者たちを取り込み利用することでそれを補おうとする。秋山によれば、菅は記者心理をくすぐるのがうまく、毎晩のように議員宿舎に招き入れるなど番記者たちには丁寧に接して心証をよくし、自分の応援団に変えていく。そのうえで週刊文春が菅原一秀の疑惑を報じると、菅は「所詮は週刊誌報道だろ」と新聞・テレビの記者たちの優越感を煽って、後追いしないよう牽制したという。
かくして「菅と16人の長官番」(前掲書)という一つの組織が出来上がる。政治部の記者たちはそんなふうに有力な政治家とべったりになりながら出世していくのだろう。では出世した記者はどうなるのか。それはいみじくも安倍が教えてくれる。桜を見る会について「まさに皆さんの会社のですね、トップの方、幹部の方、報道機関のキャップの方等、たくさん来られてますね」といった通りだ。
政治部の常識は、ムラの外では非常識である
菅が総理大臣になってからも、事前に質問を記者クラブの幹事が取りまとめるなど配慮がなされている。ところがそうした政治部記者と違い、権力者に無遠慮な人もいる。NHKの報道番組「ニュースウオッチ9」の有馬キャスターがそうだ。
有馬は番組に出演した菅に、学術会議の任命問題について質問をぶつける。すると放送後に官邸官僚の一人が「所信表明の話を聞きたいといって呼びながら、所信表明にない学術会議について(菅義偉首相に)話を聞くなんて。全くガバナンスが利いていない」と発言したと朝日新聞が報じた。
それに対して金融業界からNHK会長に就任した前田晃伸は、「でも、取材ってそういうものでしょ? その時、聞くべきことを聞かなかったらヤラセじゃない。そっちの方がおかしいでしょう」、「そういうの、ガバナンスっていうのかな」と述べている(週刊文春12月24日号)。まっとうな見識である。
政治部の常識は、ムラの外では非常識である。菅はそうしたムラに囲われることで「影の実力者」「実務型」の幻影を生み出した。ところがムラの外に一人で出てしまうと「ガースーです」などと言ってしまう。この程度の政治家だったと、世の中が菅の実像を知ったときには、もう遅かった。
菅政権とは、政治記者文化が作り出したモニュメントである。