道徳や知性からは霊性的なものは出てきません。そこにはいつも対象的なものがあるので、自由がきかない、さうして霊性的直覚の法界は絶対に自由な場所です。(道徳・知性の世界と、霊性的世界の)両者の隔たりは非連続的であるから、道徳から歩みを進めて霊性へ這入りこむといふわけには行きません。この間隔は所謂嶮崖に手を撤して大死一番することでなければ飛び越えられません。合成ゴムや合成酒は作ることが出来ても桜の花は合 . . . 本文を読む
華厳経巻六浄行品第七、「・・・若し橋梁を見ば 當に願ふべし衆生 法橋を興造して人を度して不休ならしめんと。園圃を修むるを見ば 當に願うべし衆生穢惡を𦓷除(うんじょ)して 欲根を生じざらしめんと。
無憂林を見ば當に願うべし衆生 心に歡喜を得て 憂惱を永除せんと。好園池を見ば 當に願うべし衆生 衆善を勤修して菩提を具足せんと。嚴飾の人を見ば 當に願うべし衆生 三十二相をもって 而も自ら莊嚴せんと。素 . . . 本文を読む
「二十三日は勢至菩薩・不空羂索観世音菩薩・八幡大菩薩・住吉大明神・思兼と手力雄の日。
・勢至菩薩(「三十日秘仏」。密教辞典には「得大勢、大勢至、世志。観音とともに阿弥陀仏の脇侍とするのは、観無量寿経に「智慧の光を以て普く一切を照らし三途を離れ無上の力を得る」と説き、観音の慈悲に対して智慧の立場から救済するため」とする。曼荼羅図典でも「胎蔵曼荼羅でも蓮華部院(観音院)にあり、左手に未敷蓮華、右手は . . . 本文を読む
「(日本霊異記)卅四、怨病忽ち身に嬰かかり、之に因りて受戒行善して以って現に病を愈すことを得る緣」
「巨勢呰女(こせのあさめ)者,紀伊國名草郡埴生里(和歌山市)之女也。以天平寶字五年761辛丑、怨病身に嬰(かか)り,頸に癭肉疽を生じ、大苽の如し。痛苦切るが如くにして歷年不愈。自ら謂へらく、「宿業の招く所ならむ,但だ現報にみには非じ、滅罪し病を差(いや)すよりは,善を行はむには如かじ。」と。剃髮受 . . . 本文を読む
円覚寺横田南嶺管長様は「『刻苦光明』(注1)とは、『骨を刻むような苦悩がそのまま光明』という意味である」と喝破されていました。
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「大和尚奉爲平安城太上天皇潅頂文」(弘仁十三年大師が平城天皇に結縁灌頂を授けられた時の文) 「夫れ八繕の深海は修足にあらざれば其底を極ること能ず。九萬の高鳳は鵬翼にあらざれば其の頂を見るを得ず。盤薄厚地は劫火之灰滅する所、靉靆たる濃雲は猛風之搴卷する所なり。摩尼の奇珠は大龍を待ちて而も寶を雨ふらす。輪王の妙藥は鄙人に対すれば以って毒となる。何に況んや眞言祕藏は三自(三是一心の摩訶衍)を超 . . . 本文を読む
「ピアノは一台ずつ顔のある個々の独立した楽器だけれど、大本のところでつながっている。たとえばラジオのように。どこかの局が電波に乗せて送った言葉や音楽を個々のアンテナがつかまえる。同じように、この世界にはありとあらゆるところに音楽が溶けていて、個々のピアノがそれを形にする。・・」(「羊と鋼の森」宮下奈都)なにかの拍子にこの小説を読んでこの部分に惹かれました。同じように「この世にはありとあらゆるところ . . . 本文を読む