道徳や知性からは霊性的なものは出てきません。そこにはいつも対象的なものがあるので、自由がきかない、さうして霊性的直覚の法界は絶対に自由な場所です。(道徳・知性の世界と、霊性的世界の)両者の隔たりは非連続的であるから、道徳から歩みを進めて霊性へ這入りこむといふわけには行きません。この間隔は所謂嶮崖に手を撤して大死一番することでなければ飛び越えられません。合成ゴムや合成酒は作ることが出来ても桜の花は合成できない。原子爆弾は出来ても、釈迦やキリストは製造できぬのです。道徳と宗教の間にも前者から後者への進行はありえない、が、後者から前者へは流れ出ることが出来ます。それはなぜかといふに、道徳的当為の世界には自由がない,創造がない、それゆえそれからは何も生まれてこないのです。霊性的法界は全くこれに反しています。日に新たにして又日に新たなりで、創造の源泉は滾滾こんこんとして昼夜を舎すてずして溢れて出るのです。当為の世界にはなんとなくぎこちなさがある。相即相入の法界には春来りて草自ずから青しと感じられるのもがあります。(仏教の大意(鈴木大拙))
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