今日は大海人皇子出家の日
日本書紀「(天智天皇即位十年671十月)「庚辰(17日)天皇の疾病彌よ留る。勅して東宮(大海人皇子)を喚び臥內に引入し詔して曰く『朕の疾ひ甚だし、以後の事を汝に屬す云々』。是に於いて再拜し疾と称して固辭し受けずして曰く『請ひ奉る、洪業を大后(倭姫王=天智天皇の妻で舒明天皇の娘)に付屬し、大友王をして諸政を奉宣せしめよ。臣は請願し奉る、天皇の為に出家修道せん』。天皇許焉。東宮起而再拜す。便ち內裏佛殿之南に向ひ、胡床に踞坐し鬢髮を剃除し沙門と為る。是に於いて天皇は次田生磐を遣りて袈裟を送る。壬午(19日)東宮は天皇に見ひ之に、吉野の佛道修行を請ふ。天皇許焉。東宮は即ち吉野に入る。大臣等侍送し、菟道(とどう・宇治のこと)に至って還る。」
大海人皇子はこうしていったん出家したが壬申の乱で還俗して天武天皇となります。